第5話 幸せを願うのも愛であるらしいです

 生物せいぶつの老いというものは避けようがない。

 けれど、ユイカは年齢を重ねていっても、そのときそのときの美しさを見せる。皺のない肌が綺麗なのではない。ピエーゲ織り目ストルットゥーラが優美であるように、目尻や口元の細かな刻みが彼女の生来の美貌を損なうことなどなく、寧ろ若い頃よりも親しみを感じさせる印象を与えるようになっていた。

 それは、彼女の夫も同じだ。完全無欠の近寄り難いほどの美麗な容姿が、人並みとは言えなくとも、歳を重ねて衰えていくごとに同じ人間なのだと近しく思えるくらいに変わっていった。


 出逢ったとき、彼女は唯一無二の存在として心に焼きついた。

 想いが通じることを願い続けていたけれど、彼女の唯一無二は彼だった。そして、ぼくは決して彼にはなれない。

 それが悲しくもあり、誇りでもあり。

 でも、だからこそ、ぼくはこの苦しみを彼女には見せない。

 見せてしまったら最後、きっと、何も知らないからこその盤石の無警戒が、消えてしまうだろうから。

 ぼくは彼女にとって、いつだって安心できる存在であり続けたいのだ。決して脅威にはならない。その片鱗すら覗かせない。揺るぎない味方であるために、この心はさらけ出さない。そう決めた。ずっと、ずっと以前に。


 ユイカだけが、この気持ちを知らない。

 ほかの皆は、当たり前のように気づいているのに。

 それが、彼女の無垢さからのものではなく、べつの何かからだったとしても、責めることも恨むこともないだろう。だって、ぼく自身が気づかれないほうを望んでいるのだから。そのほうが都合がいいのだから。


 彼女が、何故、他人からの自分への愛欲に意識を向けないのか。

 それには理由があるのだということさえ、ぼくは知らずにいた。

 ユイカもシューイチも、隠していたから。

 当然ながら、知る者はきっと、もういない。

 それは、ふたりの辛い記憶。

 ふたりだけが知っていればいいこと。

 ぼくが知ったのは、ほんの偶然。

 でも、多分、これは運命だったと思う。

 ヴェネツィアに残されていた幾人かの思い出が交差した結果。

 それと、現れた過去の亡霊の縁者。


 マルガリータがことあるごとに言っていた。

「ユイカにとって不幸せと感じることを、わたしは許さないわ」

 それに、ぼくはいつもこう答えた。

「うん、ぼくもだよ」

 彼女は何か知っていたのだろうか?

 でも、きっと誰にも明かさない。

 それでいいと思う。

 ユイカを守る幾つもの手は、同じ位置ではなく、違う部分をそれぞれに支えるべきなのだから。

 そうだ。

 だから。

 ぼくの役割は、ぼくだけにしか果たせない。


 この腕の中にるよりも幸せでいてくれるなら。笑顔でいられるなら。

 その姿をこそ、目にしたい。

 ぼくを見たときの彼女の笑みに、陰りが生じることなどないように。

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熾天使と大天使 (仮題) 汐凪 霖 (しおなぎ ながめ) @Akiko-Albinoni

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