後編 レストラン

気が付くと酔いもほとんど覚めていたのか、割としっかりした足取りでレストランまでたどり着いた。山道から少し入った場所だったから、来るときは気が付かなかったようだ。それでも、暗い時間ではあったのに、迷わずにたどり着くことができた。なんだか、不思議な気分だ。やっぱり、まだお酒が体に残っているのかも。

しかし、山道にこんなにきれいなレストランがあるとは。夢でも見ているような感じだ。初めてのレストランに、戸を開けるのを一瞬躊躇した。ただ、OPENと書いてある札を信じて、そのまま勢いでドアを押す。

ドアが動くと音が響いた。チンチロリン。

こんな時間だからか、客はいない。外の暗闇とは対照的に明るくて、材質の木の温かさが目立つ店内だ。ドアの音を聞いて、優しそうなおじいさんが中から出てきた。

「いらっしゃいませ。初めてのお客さんですね。はじめまして。ようこそ。」

「そこの展望台で、男の人に強く勧められたんです。」

「展望台…。そうですか。それは、たぶん、うちの息子だ。」

レジの横に飾ってある家族写真を渡す。暗い中だったが、間違いなくこの男性だ。自分の家族の店を宣伝していたのか。なんだか可笑しい。

「めっちゃおいしいから、絶対行け、って言われましたよ。」

「そうですか。あの子が…。」

おじいさんはなんだか遠い目をしていた。家族ゆえに色々事情があるということなのだろうか。

席に座ると、おじいさんがメニュー表を持ってきてくれた。

「今日は無料でサービスします。どれでも好きなものをどうぞ。」

「え、そんな、悪いですよ。」

だって、お客さん、他にいないし、絶対儲かってないでしょう。それに息子君が全力で宣伝していたのに、利益が出ないのでは、不本意なんじゃないの?

「遠慮せずに。その代わり…また、この店に来てください。必ず。」

おじいさんは優しい顔でじっと私を見つめた。ノーとは言わせない顔だ。

「わかりました。」

頼んだのは旬の魚のムニエル。今、ここでしか食べることはできないような気がした。少し経つと、魚の香ばしい匂いが店内に漂ってきた。私のお腹が鳴る音がした。こんなにお腹が空いていたのか。

「お待たせしました。」

「おいしそう…」

思わず素直に言葉が出て、そんな自分に驚いた。すぐに一口。温かくて、本当においしい。こんな本格的でおいしい料理、久しぶりに食べたような気がする。

あっという間に食べ終えていた。お腹だけでなく、心も満たされたような気がする。

「本当においしかったです。息子さんの言う通り…」

おじいさんについつい声をかけると、おじいさんは私の目をじっと見てきた。涙目だった。

「私の息子はもうこの世にはいません。」

「え…?」

私はさっき、その息子さんにここを勧められたはず。おじいさんの言っている意味がよくわからない。

「信じられないかもしれませんが、私の息子は、あなたがいた展望台から自殺したんです。もう、数年前の話です。」

「え、じゃあ、私に声をかけてきたのは…」

「息子の魂ですかね。あの子はあなたをどうしてもこの店に来させたかったんでしょう。」

おじいさんが私を見る目は、もう私の思っていることを全てわかっているかのような感じがした。

「私の息子がなぜ死んだのかわからない。なぜあの展望台を選んだかもわかりませんでした。何も息子のことがわからないなあ、とあるとき思いまして、自分が情けなくなりました。それで私も死のうと思い、あの展望台に行ってみたんです。」

私は何も声が出せないまま、おじいさんを見た。

「すごく星がきれいだと思いました。それでしばらく星を眺めていたら、お腹が鳴ったんです。こんなときでも、こんな気分でもお腹が空くのか、と思うと、悲しくもあり、でも、何かおいしいものを食べたいな、と思ってしまいました。それで、おいしいものを食べたら、死なずに済むのではないか、という気がしてきました。だから、ここでレストランをやっているんですよ。息子のような人を、一人でも救えるんじゃないかって思って。自己満足でしかないことはわかっていましたが…。でも、あなたが死ななければ、私はこのレストランをやってきた意味があったと、胸を張って息子に会うことができます。」

「…そこまで言われて、私も自殺します、とは言えませんね。」

私が生きていることが、おじいさんの人生の意味の一つになれるのであれば、私の命も価値があると言って良いのかもしれない。

「あの、展望台で、あの人待っているって言っていたんです。展望台に戻ってもいいですか?お礼が言いたくて。」

おじいさんははっとした表情で私を見た。

「私も行きます。」


***


展望台は暗く静かだった。星空がどこまでも続いている。

おじいさんと私は真っ暗な中で彼の姿を探したが、どこにも気配はなかった。


彼は私に、あのレストランに行かないと絶対に後悔する、そう言っていた。確かにその通りだったかもしれない。


「いませんね…。すみません。」

「あなたのことを助けたかったから現れたんでしょう。もう仕事は終わったんだから、元の世界に戻ったんです。それならそれでいい。」

おじいさんの顔は暗い中で見えなかったが、優しい顔をしているような気がした。

「私、車を停めているので、そこで一眠りして、お酒が抜けたら帰ろうと思います。」

「いやいや、それなら、レストランで眠っていってください。明日の朝、車を取りにくればいい。」

「そうですか?それでは、お言葉に甘えて…。」

「その代わり、絶対、またうちに来てくださいね。」

「はい!」

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星空の展望台のレストラン 糸井翼 @sname

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