星空の展望台のレストラン
糸井翼
前編 星空の展望台
こんな夜中だ。展望台には私一人しかいない。
波音を聞きながら、持ってきた日本酒の瓶を開ける。アルコールの、まるで薬のようなにおいが鼻につく。やっぱり日本酒は苦手だな。瓶で直接飲むと、薬のような味と、のどが焼けるような感じがした。おいしくない。涙が出てきた。
それでも、いくらか飲んでいると、味覚もぼやけてきて、おいしいのかまずいのか、よくわからなくなってきた。顔が熱いから、かなり酔ってきたんだと思う。立ち上がると明らかにふわふわしている。お酒自体、飲むのは久しぶりだから、余計に効いてきたのだろう。
展望台から見える夜の海は、真っ暗で、なんだかぬるりとしていて、怖かった。日中に見る清々しい海とは別のものだ。日中は心地よく聞こえる波の音も、今は不気味だ。
真っ暗な海とは対照的に、夜空は星でいっぱいだった。星空を見ている、というより宇宙をそのまま見ているような感覚。真っ暗な展望台にいると、私も大宇宙の一部なのではないか、という気がしてくる。そのまま吸い込まれるような感覚がする。
注意、とか書いてある看板を無視して、展望台の端に立った。どこまでも広がる海と空。波の音を聞きながら星空を見ていると、時間を忘れることができる。嫌なことも、何もかも忘れていられる。潮風は冷たいけれど、優しかった。私は今みたいに、時間からも、人からも、何もかもから解放されたかった。美しい星空に包まれて、こういう時間がずっと続いてほしい。そう願うのはだめなことなのかな。
後ろから人の気配がした。こんな時間に誰かいるの?お化け?それとも、やばい人?…まあ、こんな時間にここでお酒を飲んでいる私も、かなりやばい人だろうけれど。
「はじめまして。」
後ろから声をかけられた。とっさにさっきまで飲んでいた日本酒の瓶を手に取る。襲われたら、とりあえず、この瓶でぶん殴ればいい。そんなこと、私ができるとは思えない…いや、そのときが来ればできるはず。
振り返ると、暗いからはっきりとは見えないが、優しそうな男性が立っていた。私と同い年くらいだろうか。待って、見た目で油断してはいけない。
「こんなところで何をしているんです?」
彼は声も優しそうだ。もしかしたら、見回りのボランティアか何かだろうか。
「夕涼みです。」
とっさに言い訳をしたけれど、明らかにおかしいよね。夕涼みっていう時間でもないし。
少し離れた駐車場に私の車を置いてきたことを思い出した。お酒の瓶を持っているのは、少しまずかったかもしれない。
私がどうやってこの場を乗り切ろうか考えていると、彼は穏やかに答えた。
「そっか。夕涼みか。」
私の横まで来て、海の方を見る。
「ここ、良い景色だよね。星がすごいし。」
「そうですね。」
「僕、ここが好きでね。ここに元気がない人がいると、つい、声をかけてしまうんだよね。」
「へえ…」
この場をやり過ごす方法が思いつかない。この人は何が言いたいのか、何をしようとしているのか、正直それもわからない。ただ、少なくとも、人と関りたい気分ではない。
「こんな時間だけど、遅くまでやっているレストランがすぐそこにあるんだ。めっちゃおいしくてさ。一緒に行かない?」
まさか、ナンパ?というか、こんな場所にレストランがあるのだろうか。ほぼ山道のように見えるけれど。もしかして、世間知らずに見える私だから、適当に騙して、どこかに連れ込んで…とか考えているのか。
「結構です。」
「そんなこと言わないでさ。」
彼の声には少しの悪意も感じないのだが。
「僕と行くのが嫌なら、僕はここで待っているから、レストラン、行ってきてよ。絶対おいしい。保証する。」
彼は紙を私に手渡した。レストランの紹介のチラシ。展望台から少し下った場所にあるようだ。歩いていける。
「あの…」
どうして、そこまでレストランにこだわるの?
彼は私に顔を近づけてきた。異性の顔があまりに近いので、その優しい表情に、どきりとする。
「今、行かないと、絶対に後悔すると思うよ。」
彼はそう言うと、手を振りながらどこかへ歩いて行ってしまった。なんだったんだ、あの人は。
…そこまで言うなら、レストランに行ってみようかな。
後悔、したくないから。
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