俺達が死んだら異世界へたどり着けるかの思考実験

高黄森哉

異世界転生


 こんな哲学が存在する。



・時間が無限だと仮定すると世界は偶然によりループする。我々が存在しているこの世界はN回目であるはずである。



 これは無限の時間の中で、偶然にも全く同じ世界が生成されるであろうという希望的観測に基づいた、ある種の思考実験である。どうやら、猿がシュエイクスピアを書き上げるように、世界もいつか混沌の途中で同じ世界を書き上げるらしい。これは円周率上に世界中の有りと数字が記載されているという、未だ未確認の事実に似ている。無限の性質は不思議で、すべての可能性を網羅することが出来るのである。


 しかし、すべての可能性とは、彼等自身を構成する要素で作り上げられるものに限る。円周率なら数字だから、数字しか網羅できない。


 とまぁ、ココまで、ながなが話したが何が言いたいか。自分は考えた、まず前提として我々の世界の時間が無限だったとしよう。さらに、物質の動きはランダムである。そして私は死ぬ。トラックでも何でもいい、とにかく死んだとする。すると、例の哲学に沿えば悠久の時を経て、四次元線上(時間)のどこかで、自分は再生成されるはずである。


 例えば、トランプを二枚引くとしよう。これを人間の体だとする。そして両方とも、エースだったとする[二十一世紀のオールラウンダー(注釈、ブラックジャックで)だからね]。言い換えると君の構成要素は二枚のエースである。君が死ぬと手札は山札世界に還っていく。そして、山札はシャッフルされ、他のカードと混ざり合う。


 混ざりきったら二枚引く。


 すると当然、いろんな組み合わせ(例、エイトとキング・ジャックとハート)が出てくるが、無限に繰り返せば、いつかエースのペアが出る。即ち君が組みあがると。理屈は分かった。じゃあ、カードを増やそう、人間を構成する分子と同じくらいに。山札も増やそうか、世界の分子と同じくらいに。


 無限にシャッフルし無限に組を作る。おおよそ無限回を過ぎたあたり、手札は完璧に揃い、君は寸分違わず再現される。記憶もそのままで。なぜなら、脳の働きはスピリチュアルではなく飽くまで物質の伝達でしかないからである。我々の自我に実体は無いと仏教的価値観から勘違いしがちだが、自我というのは物質の交換にすぎない。ならば記憶や自我も再現することが出来るはずである。君自身は歴史上に繰り返し現れる一つのパターン。その再現こそが転生である。


 ここまで理解できたか? ならばよし、応用(この応用は、後々生きてくる)。


 前回、無限に手札を切って君を揃えることに成功した。すると、その過程で不完全な君が生まれることになる。例の手札で表現すると、エースとキング(余談だがポーカーでは、エースを除いて大きい数字を持つ方がランクが高い)とかが、これに当たる。いや今回この例えは不適切である。何故なら混乱を生んでしまう。だから、等身大で説明しよう。

 記憶がエース(同一)で、身体がキング(理想)な、不完全な自分とは『自分と違って目が二重、または一重。自分と違って背が高い、低い。自分と違って目が良い、悪い。自分と違って頭がいい、悪い。自分と違ってカッコイイ、不細工。自分と違って、エトセトラ』のことである。


 君の記憶がエースなら、身体的特徴はキングだ。君は引かれる。選ばれる。そして一瞬で組上げられる。理想の君へと。(元の手札の方が強いというのは内緒である)


 おいおい、待てよ。それは確かに現世への転生(理想的な肉体を手に入れるという昨今の『なろう系』にありがちな転生)と言えるかもしれない。ただ、証明したいのは異世界だったはずである。仮に、上記のことが起こったとしても、そこは現実世界であり、じゃあ科学的法則に支配されてるから魔法もクソもないじゃないか、と。だが、そんなツッコミは想定済みである。


 そこで、登場するのが、多元宇宙解釈。


 ある説では、この宇宙は一つでないと主張されている(と言っても観測は叶わないが)。時間の横紐と、世界線の縦紐が織りなす高次の世界が存在すると。ではそこに、時間の横軸に対して縦に広がる世界を起こり得る可能性であると仮定し、垂直軸には可能性を超えた別の宇宙が広がっているという、自分なりの解釈を加えさせてもらおう。そう解釈することで、異世界を肯定しようと試みる。


 ここで重要になってくるのは、別の宇宙では物理法則が異なるということである。


 多元宇宙が無限だとすると、一つくらいは魔法が物理の法になったり、目の前にステータスが現れる宇宙が存在すると。そこに我々が転生する。これこそが異世界転生だ。だがそこで障害になってくるのは、我々世界の物質は、そこに存在しない可能性が非常に高いことだろう。いわばメーカーが違うトランプの山札が、その世界での通常なのである。

 メーカー違いのエースの二枚組。これを君と判断するか、それとも他人の空似と判断するかは自由である。だが私見を言わせてもらうと『これらには、区別はつけられない』。

 その問題は脇に置いておいて、ではその世界でのエースとキング[記憶は同一だが身体的特徴が異なる]は、何を意味するか?

 トランプのメーカーにより異なるだろうが異世界での身体的特徴は生まれ持った魔力とか、ずば抜けた筋力とかである可能性がある。この場合、その力が転生前世界の物理法則を乱そうと問題はない(むしろ自然である)。そしてステレオタイプ、ないしテンプレの主人公が前世の記憶を保持しつつ、強大な力を手に入れるという、異世界転生が完成する。


 まとめに入ろう。


 異世界転生は人類が観測できない次元で存在しうる可能性がある。勿論、実在は観測できないので、いつになっても机上の空論、仮説のままだであるが。まあ、自殺者が増えても嫌なので、それはそれでオッケー。

 補足を入れる。先程、『これらに区別はつけられない』と転生後の自分を評価した。それは確かなのだが『同じもの』とは、一言も言っていない。何故か、それは今の自分が彼等でないからである。ただいま、観測により、そうじゃないなと確信した。上の理論で行くと、今、この時間にも己の生死に関わらず、無限に自分の記憶を引き継いだ存在が、泡のように生まれているのだが、そいつらを自分は自己として感じることが出来ない。—————— 自己として確認できない自分を、一般的に他人の空似と言う。



 結論、異世界転生は現実にあり得るが、転生先の自分は自分に限りなく似た赤の他人。



 

追記、テセウスの船のWikiを読むとより理解しやすいかもしれません。

注意、この話は異世界の存在や死後の世界を保証するものではありません。

留意、この話には発想の飛躍が所々有るので鵜呑みにしないでください。

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俺達が死んだら異世界へたどり着けるかの思考実験 高黄森哉 @kamikawa2001

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