雑踏を穿て
音の呼ぶ方向はずっと上の方だった。
階段を駆け上がり、一番上まで到達すると目の前の音楽室が開いていたから覗いたら、
雨みたいな青年がいた。
本当に雨みたいだった。精悍で、静やかで、透けるみたいに白い髪色、肌、露を模したみたいな瞳。紛うことなき、落とし物の主は彼である。
「好きなの?」
「…へ、」
「ピアノ」
この青年は私に訊ねた。あまりの突然に対応能力が足りず、だらしない言葉しか返せなかった。ピアノが好きかは分からない。
雑踏が好きだと言った。何も無い森の中で佇むよりも、雑念しかない世界の方が好きだと貴方は言った。
私も同じだった。緑豊かな場所にマイナスイオンなんて感じないし、虫漂う自然になんの魅力も自覚できない。蝶だろうが何だろうが、虫に分類されるもの、不可思議な生き物、すべてが認定しがたい。愛せるどころか視野にさえ入れたいと思えない。
ピアノはそういった点を差し引くと人工物であるから好きかと問われると凡そ肯定できるらしい。意味のわからない雑念しかない打算的なピアノは広義で言えば魅力がある。
× × ×
「さっきの何」
「え?」
「英語ンときの」
「…べつに」
「…あっそ。」
この会話に、なんの引力も感じられない。
突然立ち上がり、授業をボイコットして出ていってしまったこのどうしようもなく意味不明な理由を聞きたいのか、何を聞きたかったのか分からないが、私はそれでも先程の青年で頭がいっぱいだった。引力に見事に導かれていた。
今この瞬間には幼馴染という不可抗力があるだけで、特筆するような引力は隠されていない。
この不可抗力の間にも、先程のこぼれ落ちたピアノの粒が引力に任せて脳内をぐるぐると回りゆくだけ。
「お前はさ」
「…なに」
「空白埋めようとすんなよ」
「どしたの」
「べつに」
友達という定義はわからない。だが、二度とあの音を忘れられぬとしたら、時の狭間で奏でてしまうとしたら、それに確定的な名称が必要であるというならば、それは恐らくここに通電しかねたバグである。
一方通行が行く末に、雨は落ち、そして溶ける。
その針が、秒針が追いつきたいと願うように。
穿つは秒針 星雫々 @hoshinoshizuku
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