第3話:為すべきこと
私は、嘘をつき続けた。
幼いころから書庫にこもっていたのは、父を救うため。
家族を救うため。
民を救うため。
……自分が嫌になる。
だが、自分のついた嘘に救われている自分もいるのだ。
同時に、真実が暴かれることへの恐怖も日に日に大きくなっていく。
この国では七歳になると、[祝福の儀]が行われる。
別にそこで何かを授かるわけでは無い。
魔力を伴う儀式を行い、生まれながらに宿している[先天属性]を明らかにするだけだ。
ならば、そこがタイムリミットだ。
二年後の[祝福の儀]で、私の中にある[闇]が民の前で発現してしまう。
そうしていづれは[光]を宿す勇者に討たれるのだろう。
……死ぬのが、怖い。
こんな感覚はいつ以来だろう。
殺されるその時を想像するだけで、怖くて怖くて眠れなくなる。
魂は不滅だと言うのに……。
私は、今が失われるのを畏れているのだ。
私は恐怖と不安から逃れるようにして、本を書き続けた。
これは、この国の治癒師のための教本だ。
既に魔導師向けの教本はいくつか作り終えている。
私が書いた教本は、非常に好評だった。
私からすれば、単純な魔法の知識に過ぎない。
だが国の魔導師からすれば、未知の魔法が記された偉大な書となる。
……私がいなくなった後。
私以外の誰かが、母と、もうじき生まれる家族を守るのだ。
時間は待ってくれない。
少しでも多くの知を、後世に残さなくては――。
書庫の外が、慌ただしくなる。
私は父の死を思い出し一瞬怯えたが、近づいてくる侍女の魔力が喜びを讃えているのを感じ、安堵する。
ならば、あれしかあるまい。
私は筆を置き、傍らで机に突っ伏し寝ているカレンの足を蹴る。
「ふあっ!? な、なんですか!? 誰ですか!?」
慌てふためくカレンを無視して、私は扉に視線を向ける。
と、慌ててやってきた侍女が私を見つけると、ぱあっと笑顔になる。
「姫様! お生まれになりました! 元気な双子の赤ちゃんです!」
既に、魔力の感覚で双子なのはわかっていた。
男の子と、女の子だ。
「ン、わかった。良く伝えてくれたな、マーサ」
侍女のマーサを労ってから、私は椅子から立ち上がる。
「母の元へ行く。カレン、お前も来い」
「は、はい!」
「……よだれはちゃんと拭け。皆の前では真面目な騎士を気取っているのだろう?」
「うっ……。し、失礼しました」
「良い。今更だ」
私はカレンを連れ、母の元へと向かう。
足取りが少しばかり軽やかになっているのは自覚している。
浮かれている自分が情けない。
きょうだい、か――。
私は寝室の扉を開ける。
「リミララ、参りました」
母はベッドの上で、二人の小さな赤子を抱いていた。
……私は、父の死以来、母の目を見れない。
心の内を見透かされるのが怖い。
この人にだけは父の死の真相を知られたくないと、思ってしまっている。
……本当に、情けない。
赤子は、小さく愛らしかった。
血を分けた、家族。
誰よりも弱く、守らなければいけない存在。
男の子がアシェル、女の子がセラフィータと名付けられた。
後どれだけ一緒にいられるのだろう。
魔法の教本だけでは、足らない。
……そうだ、魔道具だ。
魔道具を作るためのルーン文字を教本として皆に残そう。
これならば農具にも使えるし、剣や武器にも使える。
それから、それから――。
※
少しずつ、国は豊かになっていく。
私が直接ルーン文字を刻み込んだ[土のゴーレム]は、国の魔導師でも何とか製造可能になった。
おかげで量産体制に入り、各農村に配られた。
簡単な農作業や、害獣の駆除に役立ってくれているようだ。
だが、魔狼や怪鳥と戦える[石のゴーレム]の製造は苦戦している。
なるべく簡単なものを手本として数体作って見せたのだが、魔導師たちには難しいらしい。
まだまだ、やるべきことは。
私がいなくても、飢饉を乗り切る力が必要だ。
探知魔法の改良も行った。
おかげで地中の奥深くの水源を探し、井戸を増やすことに成功している。
先月から、国が所有する山脈の水源から川を引く作業を開始した。
土魔法を駆使し、少しずつ、少しずつ治水を行っていく。
どうやら山脈には非常に危険な魔獣が多数生息しているので、一帯は手つかずだったらしい。
無論、被害を一切出さずに全てを制圧した。
私にかかれば容易いものだ。
一部に調教が可能な魔獣がいたため、拘束魔法を施してから魔獣使いに任せた。
家畜化ができれば、より多くの富を国にもたらしてくれるだろう。
※
私が六歳になる頃には、山脈から流れる大河は荒れ地に繋がり、かつての枯れた大地は大きな大きな湖へと変貌を遂げた。
時間が無い。
あと、一年――。
嫌だ。家族と、離れたくない。
アシェルもセラフィータも、あんなに可愛いのに、もうじき会えなくなってしまう……。
私は、溢れ出る感情から逃れるようにして、日々の業務に没頭した。
魔導師たちは、[鋼のゴーレム]までなら何とか量産できるようになった。
だが一体の製造に時間がかかるため、基本は[土]と[石]がメインだ。
[鋼のゴーレム]は、主に拠点警備用として運営することになりそうだ。
魔道具も増えた。
今では城の灯りも、魔法の灯りになっている。
流石に全ての民家にはまだ行き届いていないが、量産体制は整いつつあるため時間の問題だろう。
――時間。
時間、時間、時間。
後一年しかない。
恐怖と不安で、筆を持つ手が止まる。
一刻も早く、次の教本を完成させなくてはならないと言うのに……。
ふと、隣で恋愛小説を読んでいたカレンが言う。
「来年が楽しみですねぇ、姫様っ」
蹴るぞこいつ。
「きっと姫様には[刻印]が発現しますよ! 私が保証します!」
強大な属性を持つ者には、属性を宿した[刻印]が発現する。
かつての勇者は皆[光の刻印]を宿していた。
そして私も必ず、[闇の刻印]を――。
「教会も注目してるんですよ! わざわざ[祝福の儀]に教皇様が来るなんて滅多に無いことですしっ!」
「……憶測でものを語るな馬鹿者」
「教皇様が来るのは事実ですのでっ!」
「[刻印]の話だ」
「なんですぅ姫様? ひょっとして気にしていらっしゃるんですか? んふふー姫様ったら、可愛い――痛ったあ!?」
「これ以上蹴られたくなければ私の仕事の邪魔をするな」
そうは言ったものの、私の手は止まったままだ。
「……カレン、は……私に[闇の刻印]が宿ったら、どうする……?」
すると、カレンは優しく笑って私の頭を撫でる。
「私も七歳の時はそうでしたよ。自分に[闇]が宿ったらどうしようって。けど、そうはならなかった。千年もの間、ずっとです」
――だが、私はもうここにいる。
結局、私は不安を抱えたまま日々を過ごし――。
七歳の誕生日を、迎えた。
※
[祝福の儀]が、執り行われる。
聖堂には、七歳の子どもたちが集まっている。
私は我儘を言って、儀式の順番を一番最後に回してもらった。
子どもたちが、それぞれ教皇に祝福され、それぞれが身に宿す[先天属性]を明らかにしていく。
子どもたちは、皆親に抱かれたり、撫でられたりしながら自分の[先天属性]を自慢しあっている。
彼らの未来は、これから始まるのだろう。
だが流石に[刻印]を発言させるほどの子はいなかったようだ。
そしていよいよ、私の番となる。
さあ、と教皇に促され、私は足がすくんだ。
体が動かない。
この場から、逃げ出したくてたまらない。
ふと、傍らにいた母が私の肩をそっと抱いた。
「大丈夫。ララに[闇]が宿っても、母は貴女を愛しますよ」
それは気休めだ。
実際に宿れば、世界は許さないだろう。
例え母だろうと……。
それでも、私はどこか安心を覚えてしまった。
母のまやかしに、縋ったのだ。
私は、足を一歩踏み出す。
教皇が聖杖を掲げ、祝福を、と述べる。
私は内側に潜めていた魔力を無理やり引き出される。
バチン、バチンと魔力が爆ぜ、聖堂内の燭台の炎が魔力を帯び、青白い輝きを放った。
教皇が驚愕し、後ずさる。
「な、なんと……」
溢れた魔力が目も眩むほどの閃光となり、全てが私の中に収束していく。
そうして、淡い光を讃えながら私の左手に[刻印]が現れる。
私は、言葉を失った。
知らない現象。
知らない輝き。
暖かさを感じる、不思議な魔力。
教皇は私の左手を見ると、目を見開いた。
「[光の刻印]――」
周囲から、困惑した様子の声が漏れる。
「……聖女様だ」
「千年ぶりの、本物の、聖女様……」
「[光の刻印]の……、あ、あれが――」
頭の中が真っ白になり、私はある男の言葉を思い出す。
『あなたの物語が、報われることを祈っている』
……彼は、預言者たちの間で[最後の勇者]と呼ばれていた。
かつての私の配下は、彼の代で勇者が途絶え、私が完全勝利するからだと息巻いていた。
人間たちは、彼の代で私が終わり、永久の平和が訪れるのだと捉えていた。
ようやく、私は理解する。
――彼は……勇者は、私に[光の刻印]を託したのだ。
理由はわからない。
もう千年も前の話だ。
彼が何を見て、何を感じ、このような判断に至ったのかなど、わかるわけがない。
ただそれでも、私は今、救われた。
……救われてしまったのだ。
※
[祝福の儀]を終えた後は、大変だった。
[光の刻印]を宿した[本物の聖女]という肩書の力は凄まじく、頼んでもいないのにいくつもの貢物が届けられたのは、ありがたくもあり恐ろしくもある。
結果として、私は七歳にして帝国の腐った貴族や教会の愚民共を相手取り、政治に明け暮れる羽目になった。
カレンは同情しているようだが、私は自分が不幸だとは思っていない。
今までに比べれば、遥かにマシなのだ。
国はどんどん豊かになっていく。
幼い聖女として子供のような綺麗事を述べながら、[石のゴーレム]を労働力として帝国に販売し、国庫の金貨は莫大な量となった。
傍ら、私は配下の騎士団に[対ゴーレム用戦術]を新たに学ばせる。
見ず知らずの他人など、信用できるものではない。
海を挟んだ遠い国からも、聖女として迎えたいと誘いがあった。
帝国の王子からの婚姻もあった。
全てを蹴り、私は国を豊かにするために奔走した。
やがて彼らは、私が国を捨てるつもりが無いことを理解し、条件を変えてくる。
中には、私が飲まざるを得ないものもあった。
喉から手が出るほど欲しいものもあった。
奪ってしまえればどんなに楽なことかと考えるが、結局私は大臣らに助けられながら、姫として、聖女としての最善を尽くすだけにとどまった。
早朝、私はテラスに立ち街の様子を見下ろしてみた。
人口はかなり増えた。
街並みはレンガ造りに様変わりし、道も舗装された。
大都市、と言っても過言では無いほどに発展したのだ。
やがて全ての民家の煙突から煙が上がり始める。
父の死から五年が経ち、私は十歳になっていた。
弟妹は、もう五歳になった。
明るくて賢くて良い子たちに育ってくれたのは、カレンを始めとする教育係の努力の成果なのだろう。
だけど二人には、父親がいない。
――私の、所為で。
二人を健やかに育てることが、私の償いなのかもしれない。
そこまで考えてから、ああそうかとようやく理解した。
……私はずっと、許されたかったのだ。
奪ってきた命に、あるいは見殺しにした父に――。
私が聖女なのは嘘だ。
[光の刻印]も、勇者が無理やり与えたものだ。
だけどその嘘を貫き通せば、いつかは本当の聖女になれるかもしれない。
……許されるかもしれない。
私は眼下に広がる街並みに一度ぺこりと頭を下げてから、踵を返す。
まずは朝食を食べてから考えよう。
やるべきことは山ほどある。
そして私にしかできないことは、それ以上にあるのだ。
聖女として、かつて大魔女と呼ばれた者として、きっと――。
何度も転生を繰り返し世界を滅ぼそうとした大魔女、優しい王の娘へと転生してしまう ~やがて聖女と呼ばれ、国を救う物語~ 清見元康 @GariD
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