第2話:今回は内側から支配してやろうか
三歳になった。
私には教育係がつけられた。
「リミララ姫の教育係となれて光栄です」
と、やけに幼い女騎士が緊張した様子で頭を下げる。
リミララ・ジロッド。
それが王と王妃によってつけられた私の名だった。
正直なところ、名前に興味は無い。
どうせ後数年もすれば、魔王だとか魔神だとか勝手に呼び始めるのだ。
ついでに言えば、格下のカスに何かを教わるつもりは無い。
私は教育係の女騎士を無視して書庫で本を読み漁ることにした。
各国の状況を調べ、滅ぼす順番でも決めておこうか。
「……お話は伺っておりましたが、姫様はもう文字をお読みになられるのですね」
煩いな、殺すか?
女騎士はやけに目をキラキラさせて私を見ている。
人間からこういう目を向けられたのは、いつ以来だろうか。
思い出せない。
ひょっとしたら生まれて初めてかもしれない。
……まあ一応殺しは王の底を見てからだと決めたのだ。
とりあえずは我慢しておいてやろう。
「文字如きで一々騒ぐな。お前はただそこに立っていれば良い」
「言葉も流暢にお話になられる。姫様は神童なのやもしれません」
いや本当に殺すぞ黙れ。
「…………私は読書に集中したいのだ。お前は私の邪魔をするのか?」
決めた。
返答次第で今殺す。
「いえ、姫様! ご尊顔を拝させていただきたく思います!」
女騎士は感動した様子で私を見つめている。
なんだか返答になっていないような気もするが……まあ、良いだろう。
どうせ短い付き合いだ。
私は読書を続ける。
……どうやら、最後の戦いから千年も経っているらしい。
基本的に私は今まで五十年から百年の間隔で転生していたため、この時間経過は少々驚いた。
勇者が私に使ったあの輝きが原因だろうか?
私の復活を阻害する何かが含まれていたのかもしれないが……。
しかし、残念ながら私はここにいる。
奴らの目論見は失敗したというわけだ。
我が強大な魔力と運命力を持ってすれば、どれだけ勇者たちが策を巡らそうが無駄なのだ。
それにこの状況は好機だ。
人々は千年もの間に、私との戦い方を忘れたと見える。
その証拠に、書庫で何冊も本を読み漁ったが、私の名はおとぎ話として登場している程度だ。
私への備えなど、ろくにできていないはずだ。
今なら容易く滅ぼせるだろうが――。
まあ、もうじきだろう。
王はだいぶ痩せた。
そろそろヤツも本性を曝け出す頃合いだ。
どうやって殺してやろうか――。
※
五歳になってしまった。
王は、宝物庫からいくつかの遺品を売り金に変えたようだ。
どこまでも醜く足掻く男だ。
私は今日も今日とて本を読む。
流石に千年も経てば、情勢は大きく変わっている。
知るべきことは多い。
女騎士は今日も本に飽きてウトウトとしている。
こいついる意味あるか?
建前上は私の教育係だろうが。
せめて起きてろ。
ふと、書庫の外が慌ただしくなる。
誰かが来る。
この微細な魔力は、侍女の一人だろう。
私の艷やかな白銀の髪をやたらと褒めちぎる女だ。
殺すのは最後にしてやろう。
どうやら、やけに焦っているようだ。
何だ?
ややあって、侍女は乱暴に書庫の扉を開け、私を見つけると泣きそうな顔になって言った。
「……シグルド王が、お亡くなりになりました」
一瞬、私は何を言われたのか理解できなかった。
シグルド、王。
ああ、そうだ。そういえば王はそんな名だった。
私は一々殺す相手の名前など、覚えないから――。
……死んだ?
…………誰が、死んだって?
シグルド、王、が……。
嫌な汗が、全身から吹き出す。
――死。
気がつけば、私は駆け出していた。
理由は自分でもわからない。
何故、こんなに焦っているのだろう。
何故、私はこんなに必死になっているのだろう。
「姫様!」
背中に女騎士の声が投げかけられる。
かまっている暇は、無い。
ただ一刻も早く、駆けつけたかった。
走って、走って、とにかく急いで。
途中で私は魔法を使うことを思い出し、速度を上げた。
私は、シグルド王の寝室の扉を開ける。
マリエル王妃が顔を伏せ、泣いている。
シグルド王は、ベッドの上で動かなくなっていた。
ひょっとして殺されたのか?
誰に?
暗殺者が、いたのか?
こんな小国の、王を?
私は無言で動かないシグルド王に駆け寄る。
ふと、気づく。
……こんなに、痩せ細った男だったか?
何だ、これは。
暗殺では無いのか?
私以外の誰かに殺され、た、の、なら……。
…………仇くらいは、取ってやっても良いと、思っていたのに。
マリエル王妃は、泣いたままだ。
彼女のお腹は大きい。
妊娠しているのだ。
もうじき、弟か妹ができると、ララはお姉ちゃんになるのよと嬉しそうに話していたのを覚えている。
シグルド王の傍らにいた治癒師が、ぽつぽつと語りだす。
食事をまともに取っていなかった。
もうじき子が生まれる王妃や、育ち盛りの私に優先するよう指示していた。
そして彼は今日倒れ、そのまま起きなかった。
……馬鹿だ、この男は。
笑えてくる。
本当に、馬鹿な男だ。
殺す手間が省けた。
愚かなこの男は、死ぬまで、与え続けたのだ。
馬鹿で、馬鹿で――。
マリエル王妃が、シグルド王の胸で泣きじゃくる。
「どうして、シグルド。どうして……」
胸が、締め付けられた。
私は、この場から逃げるように駆け出した。
あの場にいたくなかった。
なんでこんな気持になっているのだ。
たかが一人の間抜けが死んだだけだろう。
そうだ、やつは望んで食事を取らなかった。
ならばこれは自殺だろう。
馬鹿な、男だ。
民のため、私と新しい家族のために、やつは命をすり減らし、今日それが尽きたのだ。
私は展望台を駆け上がる。
情けないことに、階段の途中で何度か転んだ。
膝を打ち、頬を擦りむき、それでも私はがむしゃらに走った。
展望台から外に出て、雲ひとつ無い青空を私はにらみつける。
「あああああああああー!!」
私は絶叫し、天に向け魔力を解き放った。
目の奥が熱い。
喉の奥がぎゅっと締まり、吐く息に嗚咽が交じる。
やがて青空は淀み、灰色の雲が覆い始めた。
豪雨では駄目だ。
全てを押し流すような凶暴な嵐にしてはいけない。
もっと慎重に、生まれたての赤子を撫でるように、魔力を操るのだ。
優しい優しい恵みの雨が必要だ。
ゆっくりと、静かに、雨が降り始めた。
それは私が、生まれて初めて誰かのために使った魔法だった。
頬を伝う雨粒に、温かい何かが混じる。
私は、何をやっている。
何でこんな気持になっている。
人間なら山程殺してきた。
男も女も、子供も赤子も、私の前では全てが肉塊となる。
あの男だけが、特別なわけでは、無いはずだ。
私は――。
……あの男は、私が殺したのか?
そんなはずは無い。
私はまだ、何もしていない。
何も――。
……何もしなかったから、死んだ。
雨なんていつでも降らすことができたのに。
私には救う術も力もあったのに。
何故今になって、私はあの男の手のぬくもりを思い出しているのだろう。
思えばリミララになるまで、誰かに撫でてもらったことなど一度もなかった。
…………私は、初めてできた父親を、殺したのか?
もうじき生まれてくる家族から父を奪ったのか?
母は、泣いていた。
ならばあの優しい母を泣かしたのは、私、で――。
「姫様!」
女騎士が、息を切らしてやってくる。
やがて彼女は空の様子に気づくと驚愕して私を見た。
一瞬、私は怯えた。
理由はわからない。
何かが、途方もなく、怖い。
女騎士は、私をぎゅっと抱きしめる。
「姫様は、ずっとこの魔法の研究をしていらしたのですね……」
違う。
私は、お前たちを、殺すために――。
「……そ、そう、だ」
だけど、私は嘘をついた。
罪悪感と、安堵感が心の内でせめぎ合う。
私は縋るような思いで、更に嘘を重ねた。
「だ、だけど――父、には、間に合わなかった」
違う。
父を殺したのは私だ。
私が、殺したのだ――。
この城の者たちは、たぶん、良い人たちだ。
私が父を殺したのだと知れば、彼らはどう思うだろう。
悲しむだろうか。
怒るだろうか。
彼らに、その感情を向けられるのが、怖い。
私は逃げるように嘘を積み重ねていく。
「騎士カレン、私は、研究を重ね……魔導を、極めた。だ、だが……」
私は、何を言っているのだ。
既に父の底は見た。
ならばもう破壊してしまえばいい。
滅ぼせばいい。
さあ、殺せ。
魔力を解き放て。
「……カレン、教えてくれ。私は何をすれば良かったのだ。どうすれば、正解だったのだ」
頬を伝う雨粒が熱い。
視界がゆらぎ、真っ直ぐに前を見ていられない。
「カレン。父、は――私に、何を望んでいたのだ……」
カレンは、私を優しく抱きしめた。
「陛下は、姫様と、民の幸せを一番に考えていらっしゃいました」
そうだろう。
父は、そういう人だ。
最期まで、ずっと――。
「貴女が幸せになってくだされば、陛下の願いは叶います」
その言葉はまやかしだ。
父の願いは私の幸せだけでは無い。
皆が豊かにならねば、父の願いは叶わない。
「それがきっと、陛下の望みでございます」
嘘を付くな。
そうやって、私を慰めようとするな。
お前は、嘘つきだ。
私は思わず、カレンを突き飛ばした。
「お前は、私を馬鹿にするのか!」
カレンは困惑し、私を見る。
「で、ですが、陛下の願いは――」
「私の力は見ただろう! だったら言えば良い! 魔力を使い、これからも雨を降らせと! その魔力で、民を守れと!」
「それでは姫様の未来が曇ってしまいます! ただ尽くすだけの人生など、陛下は望んでおられません!」
「父はそうだったろうがァ!!」
怒りで声が震える。
喉が掠れて、痛い。
カレンは私を諭すように、優しく手を握り、言った。
「姫様には、もうじき新しいご家族ができます」
知っている。
父と母の、子だ。
つまりそれは、私の――。
「姫様が未来に絶望しておられるのでしたら――守って差し上げてください。弱くて小さな、命です」
「……尽くせと言ったり、尽くすなと言ったり、何なのだお前は」
教育係の癖して、私に何かを教えたことは無い。
いつもいつも、ただ私の隣にいるだけで、何もしない女。
それが私の知る、カレンだ。
「姫様は、道に迷っておられるのです。誰かに尽くすことが、姫様の救いになるのでしたら、今は――」
「それはまやかしだ。誤魔化して、逃げているだけだ」
「逃げることの何がいけないのですか。つらくて、悲しければ、何かに縋ることだってございましょう」
「……この私に、他人に縋れと言うのか」
「それが家族というものです」
私に、家族……。
カレンが、私を優しく抱く。
「今は、このカレンの言葉に惑わされてください。姫様のお心は、きっと時間が癒やしてくださいます」
不思議と、カレンの言葉は私の心を落ち着かせてくれた。
他人に尽くすことが自分をも救うなどと、わけがわからない。
だが、母ともうじき生まれる新しい命のことを思うと、なぜだか心は穏やかになる。
理屈はわからなくとも。
理解できなくとも。
微かに溢れたこの暖かさだけは、確かに事実だった。
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