お金をもらうということ

バブみ道日丿宮組

お題:打算的な正月 制限時間:15分

お金をもらうということ

 実家に帰ると間違いなく祖母と祖父からお小遣いがもらえる。

 その額はたまに十桁を超える万が手に入ることもある。驚きでしかないのだけど、身体が調子が悪い私を心配してそのお金で病院で見てもらえということらしい。正月じゃないのに凄いものだ。

 その影響でよく父親は祖母に怒られてる。『あんたがしっかりして病気を治させるんだよ』、と。

 祖父母にすごく大事にされてるんだなっていう想いと、小遣いでしか相手を満足させられないのかという葛藤がよく頭の中で戦い合う。お金は自分自身に使うだけではない。その先の相手に面倒をかけないための布石とも思える。

 私は……お金が欲しくて帰るわけじゃない。

 実家という空間、そして待ってくれてる家族のために正月は帰ってるのだ。

 お金が欲しかったのはどちらかといえば、子どもの時期だろう。親戚から、親から、祖父母から、たくさんの人からお金をもらえる。

 そのうちのいくらかはお金を親に取られるのだが、今になって思うならありがとうといえる。いざってときに貯金を使えるように銀行に貯めておいててくれたのだ。

 そうであっても身体の調子が悪いのは治ってない。

 いかなる機関に調査してもらっても異常なしの一言で終わる。

 異常がなければ薬はだせないし、これ以上の診察をすることはできないと言われた。

 私は大丈夫なのだ。

 医学的にみれば健康児と変わらない。

 ただ……足は動かしづらいし、手元だってよく間違える。身体の至るところが痛みだすこともある。

 それだとしても健康体と医者は決定づけた。

 なら、それ以外の方法でどうにかするしかない。

 だから、私は実家に帰ることにした。

 一番心配してくれてる祖父母の近くにいれば、もしかしたら愛情でなんとか変わるかもしれないと考えたからだ。

 私の世話の関係上、母がそれについてきてくれた。父親は仕事があるので単身赴任という形になった。

 私がそうやって過ごすことを決めると、祖父母は大変喜んだ。私も喜んでくれたことを喜んだ。

 そうして正月を迎えた。

 普段は一緒に食べない親戚たちとご飯を食べるのが実家のルールだ。

 楽しい時間だった。

 身体の不自由な私でも楽しめることがあるんだなって少し気分が良くなった。


 でも、数日後、親戚がなくなったときいて私は地獄に落ちてしまった感覚を患わってしまった。


 これは正月がくるたびに痙攣が起こり、発作がはじまる。

 病状はその3日間だけで、あとは起こらない。

 病名はまたわからないとのことだった。

 親戚がなくなった衝撃からだろうと医者は一応言ってみたらしいのだけど、大事にしてくれる祖父母が亡くなった時、いったい私はどうなってしまうのだろうか……?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お金をもらうということ バブみ道日丿宮組 @hinomiyariri

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る