第70話 これまでの人生はこれからの為にある


錬次れんじくん、ご機嫌いかがですかー?」

 

 

 千紗ちさと談笑を始めて小一時間が経過した頃、病室の入り口から元気の良い声が聞こえてきた。

 耳に馴染んだその声に、心の底から安心するが、ここは一人部屋ではない。

 

 

一美ひとみ。周りの人に迷惑だから、ボリュームを下げろ」

 

 

 すぐに注意を促そうとしたところで、先にセリフを取られてしまう。まぁ俺よりも奴のが適任だが。

 

 

千智ちさと、久しぶりだな」

 

「なんだ。顔色良さそうじゃないか」

 

「明日には退院出来るからな。

 もう万全に近いよ」

 

「そうか。ならぶん殴ってもいいか?」

 

 

 突然の暴力発言に、千紗と一美は戸惑っている。だが千智の不満そうな表情は、怒りよりも悔しさが見え隠れしていた。

 実際こいつには要らぬ気苦労を強いてしまったし、蚊帳かやの外に追いやったのも俺である。決して気分良くなかっただろう。

 俺はあえて奴を挑発するように、口角を上げてニヤけて見せる。

 

 

「お前の気が済むならそうしてくれ」

 

「え、ちょっと錬次くん⁉︎ 

 壱谷いちたにさんも落ち着いて!」

 

「いいよ千紗ちゃん。そいつを止めなくていい」

 

「そんなこと言われても……」

 

 

 慌てふためきながら庇おうとする千紗に、千智はみるみる気まずそうになっていく。

 間に挟まる女性二人の奥で、眉をハの字にして頭を掻く姿は、なかなかに愉快だった。

 

 

「ごめん岸田さん、本気で殴るつもりはないよ」

 

「え、そうなの? うちこそごめんなさい」

 

「ちょっと千智くん⁉︎ 私には謝らないの?」

 

「いやさ、一美は察してくれよ今の」

 

「だって本気で怒ってる顔してたよ⁉︎」

 

 

 何故か妻に詰め寄られている男に、少し同情してしまう。あいつが俺を殴りたかったとしても、それは仕方ないんだけどな。

 大きな溜め息を吐いた千智は、ゆっくりと歩み寄って来た。

 

 

「水くせぇぞ錬次。

 俺がそんなに繊細に見えるのか?」

 

「黙ってて悪かったよ。

 でもお前の小さな肝っ玉はよく知ってるぞ?」

 

「病気の話を聞いたって、一美を幸せにする障害にはならん」

 

「それだけじゃないからな」

 

「昔から知り合いだった件か……」

 

 

 今度は軽く息を吐くと同時に、俺から目を逸らす。こいつが変に意識するとしたら、そちらの方が大きな要因だ。

 

 

「幼馴染を心配した妻が、見舞いに通っていると知れば、お前は結婚も仕事も身が入らなくなるだろ」

 

「うるせーな。それでお前が死んでたらどうするつもりだよ」

 

「お前達の幸せを見届けるまで死なないさ。

 それだけは決めてたんだ」

 

「なんでそんなにお気楽なんだか」

 

「これでも必死で生き長らえたんだぞ?」

 

「………らしいな」

 

 

 重々しい空気にはしたくなかったのだが、こいつとの会話ではそうもいかないらしい。上っ面の発言からでも、お互いの胸の内が充分に往来してしまい、俺の申し訳なさは千智に、奴の苦悩は俺へと伝染する。

 若干の沈黙にやりきれない気分の中、それを壊してくれるのはやはり一美だった。

 

 

「錬次くんが退院したら、みんなでまたダブルデートしましょう!」

 

「唐突だなぁおい。

 でも二十日までは待ってくれないか?」

 

「え? まぁ一週間後ですし構いませんけど、なんでその日以降なんですか?」

 

「二十日が大安なんだよ」

 

「おぉ! 

 もしかして千紗ちゃんと籍入れるんですか⁉︎」 

 

 興奮のあまり、またもやトーンが上がる一美を、三人同時に人差し指を鼻に当てて制止する。

 

 

「ごめんなさい……嬉しくなってつい」

 

「ようやく錬次くんが決心してくれたんだよ。

 ずっと一美ちゃん達ばかり気にしてたんだから」

 

「もう、錬次くん? 

 千紗ちゃんが可哀想じゃないですか」

 

「わかってるよ。だからこれから先は、お前らの事なんて知らん」

 

「ひっどーい! 

 それはどうかと思いますー!」

 

「どうしろってんだよまったく……」

 

 

 くだらないやり取りがツボにハマったのか、千智が急に笑い出した。つられるように千紗も口元を隠し、一美はひとりポカンとしている。俺としてはその情けない顔が一番面白く思えた。

 

 

「お前ら全然変わってないんだな!」

 

「いや、千智も人のこと言えないぞ?

 店長の風格まるで無いからな?」

 

「うっせ。

 お前なんて万年売り場スタッフのつらだわ」

 

「やめて二人とも。お腹痛くなってくるから」

 

「千紗ちゃん、君の旦那が馬鹿にされてるんだぞ?

 この不躾な筋肉野郎に文句言ってくれよ」

 

「壱谷さん、一美ちゃんの相手をしてあげて」

 

 

 置いてけぼりを食らった一美は、千智に頭を撫でられご機嫌そうにしている。夫婦として仲睦まじい二人を見られて、胸が熱くなるほどの達成感に包まれた。

 もう彼らは大丈夫。そう思っていた時に、千紗がベッドのはしに腰を下ろして髪を寄せる。

 

 

「錬次くん。うちもやって」

 

「珍しいな。千紗ちゃんが甘えてくるなんて」

 

「これでもあなたよりは年下だよ? ずっと甘やかしてきたんだから、たまには交代」

 

「そうだな。今度は俺が君を支えるよ」

 

 

 こうして見舞いを終えた二人と、二十一日にこの場の全員で遊びに行く約束を取り付け、入院生活最終日は足早に過ぎ去った。

 翌日からはまともな日常に帰還し、予定通りの日に千紗は岸田の姓に別れを告げ、新たに二色千紗にしきちさとなる。

 お互いの両親も大喜びしたこの日に、兄貴から祝いの電話が来た。

 

 

「いやぁー、ついに錬次に先を越されたか!」

 

「おい。祝う為じゃないなら切るぞ?」

 

「あー、待て待て。ちょっと提案!」

 

「ロクな内容じゃなくても切るぞ?」

 

「お前さ、またうちで働くだろ?

 ついでに千紗ちゃんも一緒にどう?」

 

 

 兄貴が言い切ったタイミングで、通話を断ち切る。

 

 

「あれ? お義兄さんなんだって?」

 

「なんか、千紗ちゃんも一緒に働かせようとしてるんだが」

 

「え、いいの?」

 

「逆にいいの⁉︎ 今の仕事は?」

 

「うちはまたあなたと同じ職場で働けるなら、それが一番いいかなって思ってるよ」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 

 千紗に確認したところで、図ったように再度遼一りょういち兄さんからの着信が来た。この図太い神経は見習いたいくらいだ。

 

 

「千紗ちゃんいいって?」

 

「あんたどっかで覗いてんの?」

 

「んな暇じゃねぇよ。

 錬次夫婦で来てくれりゃ、会社も助かる」

 

「わかった。近い内に復帰の日程も決めよう」

 

「おう、こっちはいつでもいいぞー。

 あぁ、あと結婚おめでとう!」

 

「最後じゃなければ素直に喜べたんだけどな」

 

 

 ふざけているようで、いつも俺の心配ばかりしている、どうしようもないブラコン兄貴だな。

 しかし千紗と一緒に働く機会までくれるなんて、なんと礼を言えば良いものか。

 

 

「明日遊びに行ったら、お義兄さんにもお土産買おうね」

 

「どうせなら食い切れないほどの菓子でも買うか」

 

「職場のみんなにも?」

 

「あぁ。良い人ばかりなんだよ」

 

「錬次くん、これから楽しみだね!」

 

「二色錬次はここから再スタートだ」

 

 

 壱谷千智としての俺は死んだ。妻である一美を残し、二色錬次として生まれ変わった。この世界は偽物だとは思えない。どちらかと言えば、俺の記憶にある過去の方があやふやだ。

 それでも俺は生まれ変わったのだろう。一美と最後まで寄り添えなかった千智の未来を変え、二人の幸せを見届ける為に。そして今も隣に居てくれる、千紗を幸せにする為に。


 だから俺はこの人生に感謝している。例えまた苦しい日々が訪れるとしても、この世界に連れて来てくれた錬次を恨んだりはしない。

 むしろ胸を張ってこう言うだろう。

 


 『事故死して生まれ変わった俺の心は、幸運にも大切な人達に救われていた』

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事故死して生まれ変わった俺の体は、皮肉にも妻の浮気相手になっていた 創つむじ @hazimetumuzi1027

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