第69話 変わりゆく運命の中で

 目が覚めると、知らない内に病室に居た。嬉しくないが、このベッドの感触にもだいぶ慣れたものだ。

 しかし俺は一美ひとみの隣で大杉店を見ていたはずなんだが、あの後どうなったのだろう。

 


錬次れんじくん! やっと起きたんだね!」

 

千紗ちさちゃん、看病しててくれたのか。

 俺はどのくらい眠ってたんだ?」

 

「今日で五日目だよ。

 ずっと目を覚さなくて、本気で心配してたんだから!」

 


 五日目だと? という事は、結婚記念日はもうとっくに過ぎてるのか。

 


「心配かけてごめんね。いつもありがとう。

 あれから千智ちさとはどうなった?」

 

壱谷いちたにさんも無事で、元気にしてるよ。

 事故には遭ったけど、軽傷で済んだみたい」

 

「そうか。それは何よりだ」

 


 なんとか最悪の結末を回避して、錬次の願いだった理想の世界線に乗り換えられたみたいだな。しかし場所を変えても事故に遭うとか、俺の運命ってどれだけ強烈に呪われてるんだよ。


 心なしか身体が軽く感じ、ゆっくり上半身を起こしてみると、やはり多少は調子が良いらしい。涙を浮かべる千紗の愛おしい顔も、当然だがちゃんと認識出来る。

 


「千紗ちゃん、今って夜なのか?」

 

「夕方だよ。うちもさっき仕事終わってそのまま来たの」

 

「そっか。

 誕生日の約束守れなくてごめん……」

 

「いいよそんなの。

 あなたが目を覚ましてくれただけでいい」

 


 ずっと近くで支えてくれている千紗に、一番何もしてあげられていない気がする。彼女はいつも俺の幸せだけを願ってくれるけれど、一美と千智の人生も変えられたのなら、俺に残された時間は彼女の為だけに使いたい。本気でそう思っている。

 


「千紗ちゃん、俺は一美と千智を救えたんだよな?」

 

「あなたが二人の運命を導いたんだよ。

 それを見届けるのがあなたの願いであり、幸せでしょ?」

 

「いや、あいつらに関してはもう充分だ。

 今度こそ君だけの為に生きる。俺は君を幸せにしたい」

 


 千紗は黙り込んでしまった。

 今まで散々ほったらかしにして、突き放そうとした事だってある。

 そんな俺から掛けられた言葉に、彼女は一体何を思ったのだろう。

 


「じゃあ、ずっとそばに居て……」

 


 疑うまでもなく、ほとんど予想通りだった。

 千紗の願いも幸せも、全てが俺に関するものだけ。

 体を震わせ、今にも泣き出しそうな彼女の姿は、苦悩と期待が入り混じっている気がした。

 


「俺の人生は、いつ終わりを迎えるか分からない。

 そんな俺と居る事は、君を苦しませたりしないかい?」

 

「だからうちの為に必死で生きてよ! 

 ずっと一緒に居て!

 あなたじゃないと嫌なの‼︎」

 


 こんなに感情的になる彼女を見るのは、いつ以来だろう。ずっと溜め続けた想いを涙と共に吐き出すように、俺の深い部分にまで飛び込んでくる。心臓を握られ、激しく揺さぶられている気分だ。

 


「え……ごめん錬次くん! 

 あなたが一番辛かったもんね」

 

「ん? なにが?」

 


 言われてようやく気が付いた。俺の目からは布団に染みるほど、大粒の涙がポロポロ零れ落ちている事に。完全に無意識だった。手で頬を触り、肌の濡れた感触を確かめてもなお、これの正確な理由が分からない。なんで泣いているのだろうか。

 


「あれ? なんかホッとしたのかな?」

 

「錬次くん。ホッとしてたら、そんなに苦しそうな顔しないよ」

 

「苦しそうな顔になってるのか。

 何がそう感じさせてるのか分からないや」

 

「うちは分かってるから。

 無理しなくてもいいよ」

 

「……ようやく過去の自分と区切りが付いたんだけどな。もう死にたくないなぁ」

 


 窓の外に視線を移した。

 二度目の人生を生きる俺にとっても、これは初めての風景であり、知らない時間。

 前の自分も大切な人の目の前で死んだけど、今回もまたそんな予感がする。


 この新しい景色を見られるのはいつまでだろう。

 こんなに愛してくれる人とも、いずれ別れが来るのだろうか。

 俺だって誰よりも愛しているのに、なんでずっと近くに居られないのだろう……

 


「錬次くん……」

 


 愛する人がまた、いつも悲しみを堪える時と同じように、口元を手で覆って顔を歪ませている。もう肌や髪の色は見えないけれど、六年前から変わらない瞳で、俺を見守ってくれている。

 応えたいのに応えられない自分が悔しい。もっと一緒に居たい。

 


「次に死んだら終わりなんだと思うと、どうしようもなく怖くてさ。千紗ちゃんの笑顔もいつか見られなくなるなんて……」

 


 言い切る前に彼女は俺の体を包み込んだ。力加減は優しいのに、絶対に離さないという強い意志が込められている。

 俺は声を殺して泣いた。もう何をしても彼女は俺を見捨てないと分かっているが、子どものようにわんわん泣きたい心境ではない。ただ想像せずにいられない恐怖と悲しみが、強引に感情を溢れ出させる。

 彼女の服は、肩がシミになるほど濡れてしまった。

 


「大丈夫。うちはずっとあなただけを見てるから。あなたを簡単に死なせたりしないから!」

 


 気休めみたいな話しだが、あながちそうではないかも知れない。俺が千智の未来を作れたみたいに、千紗は俺の二度目の人生に多大な影響を及ぼしてきた。彼女と共に過ごせばあるいは、死を意識しない生き方も出来そうに思える。

 考えているうちに気持ちが楽になり、すでに涙も止まっていた。

 こんな触れ合いをずっと求めていたのに、俺は何に対して必死になっていたのだろう。

 千紗さえそばに居てくれれば、それでいいじゃないか。

 


「ありがとう千紗ちゃん。

 怖がるのはもう辞めにするよ」

 

「じゃあうちと結婚して……。

 ずっと待ってたんだから」

 

「体調もこんななのに、すぐでいいの?」

 

「婚姻届を出す条件に、体調なんて関係無いよ?」

 

「まぁ本人達の意志さえあれば平気か」

 


 二人の今後について語り合っている最中、様子を見に来た看護師によって、医者を連れて来られた。目覚める前の俺は本当に昏睡状態だったらしく、今の状況に見当が付かないと首を傾げている。

 しかしたった六年の付き合いでも、この肉体に関してはだいぶ分かってきた。腫瘍や原因不明の昏倒に悩まされた時に比べて、現在の調子は明らかに良くなっている。不調続きだったのは錬次の魂が苦しんでいたのかもしれない。

 


「本当に驚異的な回復ですよ二色にしきさん」

 

「はい。

 自分でも奇跡が起きてるのかと思ってます」

 


 翌日の午前の検査では、体内も身体能力も常人レベルになっており、色覚と足の運び以外は何も問題が無かった。

 明日の退院も決定して浮かれている頃、一通のメッセージが届く。

 


「お、この後二人で来てくれるのか」

 


 それは一美からの連絡で、千智を連れて見舞いに来ると言う。

 過去の自分とはメッセージでのやり取りはあっても、顔を見るのは大杉店を退職して以来だ。

 この当時の俺がどれほど老け込んでいたのか、興味本位に胸躍らせている。

 


「錬次くん嬉しそうだね!」

 


 スマホを眺めながらニヤニヤしていると、病室に入ってきたのは千紗だった。彼女は今日も休みを取り、一日一緒に居てくれる。見舞いの果物を持ちながら、いい笑顔をしていた。

 


「あとで壱谷夫妻が来るって言うからさ」

 

「明日には退院しちゃうよー? 

 って伝えておいたんだ」

 

「そうだったのか。

 退院後に会いに来ればいいのに」

 

「壱谷さんに知って欲しかったんじゃない?

 あなたがどんな状態で頑張ってたのかを」

 

「んー、今の俺見て病気に見える?」

 

「とっても元気そうに見えるね!」

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