第1話

 「頭、連中自分らの子供を囮に使いやがった!!もうこっちの位置は割れちまいましたぜ!」


 「馬鹿野郎、うろたえんじゃねぇ!いつかこの日が来ちまうだろうことはわかってた。それが今日だっただけよ。アレを準備しろ!傲慢なニンゲン共に俺たちの意地を見せてやれ!」


 「ヘイ、わかりやした!野郎ども、アレを使うぞ!ニンゲンのガキ共をちゃんと巻き込んで使えよ!やっちまえ!!」




 合図と共に一面に音が響き渡る。あるものは器用に前足で握った石を打ち鳴らし、あるものは爪をこすり合わせている。またあるものたちはどこからか大量に枝や葉を運んでくる。力の限り石を打ち鳴らし、爪をこすり合わせる動物たち。自然界にはあり得ぬ光景、あり得ぬ異音。不気味を通り越して恐怖を抱かせるほどの非現実が、この世に現出していた。




 「見つけた~!皆何してるの~?」「僕たちもやりたい!!」「混ぜてよ!」「見てよこれ、おじさんたちがくれたんだぜ、かっけえだろ!」「これもおじさんたちがくれたの~!一緒に食べよ?」




 突如として、のんきな子供たちの声が非現実に割り込んできた。髪に落ち葉をくっつけて、手足を泥で汚しながら小さな子供たちが現れたのである。ある子は不思議そうに動物たちの奇行の理由を尋ね、またある子は興味津々でやりたいとせがむ。迷彩柄の服を自慢する子や、手の中でぐちゃぐちゃになった団子らしきナニカを食べさせようとする者。十人十色な行動を見せる子供たちだったが、共通して動物たちに対する並々ならぬ親しみと信頼を感じさせる。子供は元来動物を友とするものではあるが、子供たちの様子は、一般的なそれとは少し違って見える。本当に動物たちが言葉を解し、それに反応を返してくれると信じ切っているかのようであった。


 意思疎通が可能な動物も勿論いるだろう。長年可愛がられた犬や猫は飼い主の言葉をある程度理解する。犬猫だけではない。人とほぼ同じ遺伝子を持つゴリラなどの猿たちは人の言葉を解すだけの知能を持つ。チンパンジーは手話を用いて人と会話さえ行うことができるのである。




 しかし、この場にいるのは野生の獣たちばかりである。猪や野鼠、鹿、沢蟹。そしてなぜかコアラ。犬猫や猿もいるにはいるものの、大半は知能の低そうな獣ばかりだ。




 「よく来たな、お前ら。俺たちは今ちょっと取り込み中なのさ。そこら辺の邪魔にならねぇところに座っててくんねぇか?」


 「取り込み中ってなに~?」「僕もとりこみちゅうする~」「僕もー!」「私も~!」


 「そうかお前ら、ありがとよ。そんならそこらの枯葉を運んできてくれねぇか?


 「「「「分かった~!!!」」」」






 動物たちの奥に鎮座するコアラ。なんとそのコアラが喋った。人間以外が人語をしゃべっるなんてことはあり得ない。動物にはそんな知能も無ければ、言葉を発するための声帯もない。にもかかわらず、喋ったのである。そして、それを子供たちは何の疑念もなく受け入れているようである。


 動物が言葉を操るという現実の前には霞んでしまうようなことではあるが、そもそもその動物をコアラと呼んでいいのかについても、議論が待たれるところであろう。灰色の毛皮に覆われたその獣は、地面に伏せている状態ですら子供たちの背丈を超えるほどのバカげたサイズを誇っているのだ。そんな獣が登れるユーカリの木などこの世に在りはしない。仮にこの獣が後足で立ち上がったならばヒグマすらも裸足で逃げ出すだろう。いや、ヒグマは常に裸足なのだが。




 動物たちが何らかの意思を持って非現実を作り出し、更には言葉を喋りだす。仕舞にはヒグマすら凌駕する巨躯のコアラ。学者が聞けば笑い出し、医者が聞けば精神科へ連絡される。おとぎ話にしても出来が悪い。だが、非常識と罵られようとも、それがこの場を包む現実であった。幻想と現実のはざまに生きる子供たちだけが、この現実をありのままに受け入れている。






 元気に笑いながら、子供たちは枯葉を拾いに森へと駆け出していく。その背を見守る獣たち。彼らの眼は、どこか辛そうに歪んでいる。


 「なぁ頭、やっぱりあの子ら見逃すわけにはいかねぇか…?」


 「馬鹿野郎、俺たちはもう止まれねぇんだ。ま、全てに目を瞑ってここから逃げ出すってんなら止めねぇけどな。お前らも、逃げ出したいならこれが最後のチャンスだ。さっさとここから失せな。覚悟の決まったやつ以外、この場所にはいらねぇんだよ!」


 「頭、それを持ち出すのはずるいですぜ。あぁ、分かってるよ。止まったら俺たちがやられることぐらい!でもよぉ、あの子らを見逃したいと、そう思っちまうんだ。あの子らとは、長く過ごしすぎた。こんなことなら、あの時いっそ食い殺してやればよかったよ。こんな思いを味わうぐらいなら...!!」


 コアラに引き続いて、ハクビシンが口を開く。獣が喋るという異常さは、そのあまりにも悲痛な叫びにかき消された。動物が人に、これほどまでに情を抱くものなのか。同じ人同士ですらいがみ合い争い続けてきた人間には、少し眩しすぎる。このハクビシンだけではない。周囲に集まる獣たちもハクビシンの言葉に何かが動かされたようである。森の中に響く異音が小さくなっていく。




 「お前らの言いたいことはよくわかるぜ」


 コアラですら周囲の空気に絆された。


 「だが、その情けは不要なものだ。捨てられないのならばさっさと逃げ散るがいい。俺はただ一匹になろうとも、奴らにこの爪を突き立ててやる」


 かのように見えた。


 「森は、山は、我ら獣の領域だ。それを我が物顔に踏み荒らしたのは誰だ。我らの子を、無残に殺したのは誰だ。我らの友を、無慈悲に奪っていったのは誰だ」


 空気が変わる。


 「もう一度言う。逃げ出したいならさっさと失せろ。命を捨てる覚悟がないのなら、この戦に意味はない。死ぬる恐怖を克服した猛きものにのみ、我らの神は微笑むのだ。惰弱な意志は、敵にすら情けをかける軟弱な魂は、贄として相応しくない。」


 場が熱を帯びる。ニンゲンへの憎しみと怒り、そして神への透徹した信仰。昼でも薄暗い森の中、ぼんやりと光る何対もの眼が燃える。


 「この戦いに意味などないかもしれない。世界の支配者は変わらない。俺たちはゴミのように死んでいくだけだ。俺たちの咆哮はそよ風にすらかき消される貧弱なものに過ぎない。それでも僅かに希望を繋げるかもしれないのならば、俺はこの戦に全てを賭ける」


 ギラギラと、瞳の輝きがどこまでも強まっていく。轟轟と風が鳴る。枯葉が舞う。本当に、神がこの場を覗き込んでいるかのように。


 「殺せ!奪え!蹂躙しろ!命を捨てて付いてこい!!!」




 場が音で溢れた。鹿が鳴き、カラスが翼を打ち鳴らし叫ぶ。非現実的な空間を満たすあまりにも現実的で、却って現実感のない光景。燃えているのかと錯覚するほどの熱量。物理的に周囲を揺らすほどの叫喚。




 最早これは単なる獣の集まりではない。ヒトに悪意を、血を、痛みを返すために現れた妖怪の軍団であった。




 悪意が、人の世に迫る。

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コアラの大冒険 龍二 @Ryuuji

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