正の奴隷と生の死に体

鶴崎 和明(つるさき かずあき)

第1話 正の奴隷と生の死に体

 創作論として「創作するうえでのこだわり」を書くというお題ですが、エッセイではありませんので変にかわしたり、そこはかとなく匂わせたりする形では収めることはできません。

 そのため、いつもの創作論と同様に淡々と書いていくべきなのですが、いかんせん自分のこだわりを人様に論としてぶつけるわけですから、少々恥ずかしいところです。

 どこまで論として話ができるかは分かりませんが、最後まで読んでいただければ幸いです。



Q1 作品を制作する上でこれだけは絶対に外さないようにしている、1つのルール、こだわりは何ですか?(1つじゃなくてもいいです)


① 一度限りの人生だから 死は軽々けいけいのものとせず

 創作をしていく上で「死」という題材は避けては通れないものですが、とはいえそれを多用することは、特にそれを軽々しく扱うことは避けるように心がけています。

 ファンタジー作品であれば戦闘で命を落とすことも出てきますが、私の作品ではその後に復活することも禁じています。

 ギャグを主体とする作品を書く際にはこの禁を破る日が来るのかもしれませんが、単純に敵だから命を奪うべき、命を張った戦いであれば主要人物は死ぬべきという思考はしないようにしています。

 なぜ、その人物を殺す必要があったのか、本当に殺す必要はあるのか、それによって沸き起こる悲しみはどのようなものであるのかを考えながら、創作上の人物の死を扱うようにしています。

 例えば、ゲームに出てきてすぐに倒されるスライムも、知性を持っているのであれば親子供があり、友人があり、恋人がいるかもしれない。

 その命を絶てばその周りの人々が悲しむのですから、本当にそれだけの意味があるのかを特に最近は考えるようになっています。

 敵役にしても同様で、執筆活動を三十代になって本格的に再開させてからは常にこの問答を行うようにしています。


 ただ、決して「死」を描かないようにしている、という訳ではありません。

 死を描く際には、以下の五つの確認を行っていると考えて下さい。


ⅰ)その死は「死」によってしか表現できないものであるのか。

ⅱ)その死によって、物語にどのような作用があるのか。

ⅲ)その死によって生じる悲しみはどれほどのものか。

ⅳ)その死を描く表現は適当であるか。

ⅴ)一つの存在を殺したという罪を背負う覚悟はあるか。


 大変な作業ではありますが、ここで納得がいかなければどのような形にしても、死を避けるようにしています。


② 正義の衣は脱ぎ捨てて 善を個人で定義する

 単純にあるキャラクターが正義の側にあり、相手は悪であるという書き方をしないようにしている、つまり、勧善懲悪のお話を書かないようにしているということです。

 何かを正義と定義して書いていくのは楽なのですが、常に何が良いものかと比べていきながら各自の思いを書いた方がより人間臭く、私は気に入っています。

 むしろ、何か一つの考えで周りが塗りつぶされてしまえば、行きつく先はどのような世界であるのかと考えると、鳥肌が立ってしまいます。

 そのため戦う相手、ないしは異なる思いを持つ相手の考えを常に想定しながら、どこまでは折り合えるかを考えています。

 この時、その人ごとに「善」としていることを定義しながら私が一つの柱に寄りかかり過ぎないようにするのですが、なかなかうまくいくものでもありません。



Q2 Q1で答えたことを気を付けるようになったきっかけは?


① 一人のヒロインの命を奪うということ

 文芸創作を始めたのは高校生の頃だったのですが、それより少し前にはゲームの舞台設定という形で世界観の構築を始めていました。

 RPGの制作を頭に置きながらでしたので、そこには命のやり取りがつきまといます。

 そして、そこから生まれた習作である「辻杜つじもり先生の奴隷日記」の旧作では戦記物の側面もあったため、多くの死を書いていました。

 当時はそれを淡々と書き進めており、他の作品でも死という劇薬を安易に用いていました。

 ただ、先述の「辻杜つじもり先生の奴隷日記」に登場するヒロインの一人である、内田うちだ水無香みなかを作中で殺した後、三日ほど何かを書くということができなくなりました。

 自分の中で育て上げた大切な存在が失われたという虚無感によるのですが、その後から一つの死の裏側にあるものの重さを表現との天秤にかけて量るようになっています。


② 原子野の後に生まれた者としての矜持

 私の出身は長崎市なのですが、被爆地の一つとして受け続けた平和学習のおかげか核兵器や原子力というものをよく思索の対象に取り上げるようです。

 小中学生の頃は思考が単純でしたので、核兵器を空くと断罪してそれを落とした相手を含めて許すべきではないという思いを持っていました。

 それが、文芸創作を始めた高校時分から様々な情報を集めていくうちに、何か一つのものにこだわるだけでは何も生まれないなと思うようになったのです。

 危険性を知りながら研究した人も、自国の求めに応じて爆撃機に乗った人も、惨禍を身に浴びて苦しんだ人も、それを歴史として学んだ私もまたそれぞれに違う思いを持った同じ人間であると気付きました。

 それを高校二年生の夏に「長崎の鐘」という短編詩に収めてから、私は正義感というものを少しずつゴミ箱に捨てるようになったのです。



Q3 そんなこだわりを貫いたあなたの作品を800文字以内で紹介してくだい!


①「何もない日常が好きな図書室の少年は美少女に襲われ英雄を騙られ世界を護るために戦う」

 旧作の「辻杜つじもり先生の奴隷日記」を改変して書き続けている現代ファンタジー作品です。

 本作でも「死」や「正義」というものは登場しますが、それを越えた先に少年少女の成長の一端が描かれていく予定です。


②「【KAC20219】祖父のソロコーラス」

 今年のKACにて上梓した現代ドラマ作品。

 幼児期に原爆を受けた祖父が自分の歌う「青い空は」を合成して、合唱曲に仕立て上げてくれるよう主人公にお願いをします。

 紡がれた四五の歌声を確かめながら交わされる二人の会話は、静かに被爆後のこの地が抱えてきたものを描き出していくというお話です。


③「徒然なるままに~三十路男と生きた食卓」

 カクヨムコン6のために書き下ろしたエッセイ。

 「生」の大元となる食をテーマに、鶴崎和明という個人の持つ「善」を余すところなく書き上げています。

 また、副題の裏側にあるものが時に顔をのぞかせ、だからこそ一食の持つ重みが増すような作品になっているといいのですが。


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