第18話 約束の履行
あの後、俺とユナは病院に緊急入院した。
防護服で覆われた大勢の怖い人たちに囲まれ、密閉された特殊な車両に押し込まれ、訳が分からず病院に搬送されて隔離されたのだ。
何でも、未知の病原体に対する感染症対策だという。
鼠の魔物ということで、病原菌を持っている可能性が高いらしい。
中世に大流行した
魔物の血を盛大に浴びた俺とユナは、数時間ごとに行われる検温などの検査に、簡易医療筐体による検査を受け、更には全身隈なく穴という穴まで防護服を着た看護師さんに見られ、調べられた。
他にも、汗の採取に唾液の採取、採血に検尿、検便……精液まで採られてしまった。
もうお婿に行けない。グスン。
一つだけ良かったことを述べるならば、ユナと病室が同じだったということか。おかげで寂しい思いをしなくて済んだ。
隔離されて数日、何度も何度も検査をし、大勢の医者や研究者が揃って異常はないと結論付け、ようやく解放された日は、高校の終業式であった。
学校にたどり着くと、もう式も終わっていて、夏休み前最後のホームルームの時間だった。
「空島君! 無事なの!?」
恐る恐る教室に入ると、炬燵さんが血相を変えて駆け寄ってきた。授業中に席を立つなど、クラスメイトも先生も、真面目な優等生である炬燵さんとは思えない行動に目を丸くしている。
「魔物に襲われて大怪我を負ったって聞いて! 怪我は? 生きてる? 幽霊じゃないわよね?」
ペタペタと全身を触られる。
あぁ、この感じ。ここ数日間看護師さんにずっとされていたことだ。慣れって恐ろしい。
「生きてるよ、炬燵さん。怪我も掠り傷だったし。ほら、透けてないだろ」
「あぁ。よかったぁ……」
潤んだ瞳で熱っぽく見つめられ、ハグされた。
!?!?!?
抱きしめ返せたら男らしくてよかったのかもしれない。だが、予想外の展開にヘタレの俺は硬直して何もできなかった。
状況を理解できないうちに炬燵さんは離れ、そしてハッと我に返り、自分がした行動に気付いたようだ。無意識のハグだったみたい。
はっきりとわかるくらいポフンと爆発的に顔を赤らめると、
「あの、その! こ、これはその……安心したわ!」
一方的に言い放つと、颯爽と自分の席に戻って行った。姿勢を正しくすまし顔。ただ、首まで真っ赤。
えーっと、どゆこと? もしかして、炬燵さんは俺のことを……。
なんて自分に都合の良い妄想をしてみたり。
炬燵さんみたいな美女が好意を持ってくれているという夢を少しくらい見てもいいだろう? だって童貞だもの。
「早く座れ~色男」
担任の男性教師にニヤニヤしながら言われ、クラス中から全て見られていたことをようやく思い出し、俺も顔が熱くなるのを感じながら席に座った。
クラスメイトの、特に男子からの視線が痛い。
先生は俺のためにもう一度夏休みの注意事項を説明してくれた。そして最後に、俺の名前を呼ばれる。
「空島。ちょっと前に来い」
「……はい」
一体何事なんだ? クラス中から好奇の視線が寄せられる。
俺、何かしたっけ。不安で退学や停学など悪いことばかり頭の中で考えてしまう。
差し出されたのは一枚の紙きれ。
「ほれ。遅くなったが期末テストの確定結果だ。点数の訂正期間はもう過ぎたから、間違いがあっても訂正できないからな。もうその点数で成績つけちまったし」
「あ、ありがとうございます」
なんだテストの点数の結果か。びっくりした。
「頑張ったな」
ニコリと笑って先生は一言。早く座れ、と無言で促されたため、結果を見ることなく席に戻る。
「さぁーて。先生に迷惑をかけない程度に青春を謳歌しろよー。以上。解散!」
実にあっさりとホームルームが終了した。一瞬遅れて、教室内が騒めき出す。夏休みの計画を立てる者や、普通に喋る者、急いで部活に行く者など様々。
「うっ……なんか視線を感じる」
殺意たっぷりの魔物に襲われたからか、気配に敏感になった気がする。
周囲を警戒すると、『空島くぅ~ん。オハナシし~ましょ』と瞳に暗い光を宿してにじり寄ってくる男子たちの姿が。
しかし、彼らは救世の女神の出現によって怯んだ。
「そ、空島君!」
顔を真っ赤にして髪の毛をクルクルと指先に巻き付けている炬燵さんが目の前に立っていた。今日も黒ストッキングに覆われた太ももが素晴らしい。
さっきのハグが未だに恥ずかしいのか、俺と目を合わせてくれない。
まあ、俺も恥ずかしい。
「賭けを覚えているかしら?」
「賭け……あぁ! テスト結果の勝負のやつ!」
正直、言われるまですっかり忘れていた。魔物からの逃走と隔離生活でそれどころではなかったから。
炬燵さんとの賭けが遠い昔のように感じる。
ハグの件には触れて欲しくなさそうなので、黙って先ほど渡された紙に書かれている順位を初めて確認。
今までにない高得点だったから、前回よりも順位が上がっていることは確定なのだが――
「ん゛ぁ!?」
喉から変な声が出た。これ、夢じゃないよな? 正しいんだよな?
「どうだった? ちなみに私は2位だったけど」
得意げにクールに微笑む炬燵さんの顔を、俺は呆然と見上げた。
「……位だった」
「え? ごめんなさい。もう一度言ってくれる?」
髪を耳にかけ、顔を寄せてくれた彼女に、俺は呆然自失状態で囁いた。
「1位……だった」
「え? 嘘! おめでとう!」
「あ、ありがとう」
悔しがることなく純粋にお祝いしてくれるとか聖女かっ!? 自分のことのように喜んでくれるとか女神かっ!?
「点数、見てもいい?」
「どうぞどうぞ」
「ありがとう」
紙を受け取るかと思いきや、俺に身を寄せて覗き込む炬燵さん。
近い近い近い近い近い! 甘い香りがして近すぎる!
うわぁ。肌綺麗……睫毛
長い髪を耳にかけ、露わになる綺麗な首筋……。
その時、パチッと視線が合った。
「「 あっ…… 」」
気恥ずかしくて咄嗟にお互い顔を逸らす。
マジ恥ずかしい。
「そ、その、5点差だったわ。あと少しで空島君に勝てたのに」
「そ、そっか。そんなに僅差だったのか。危なかったぁ」
「空島君もやるわね!」
「偶然だって」
恐る恐る彼女を見ると、丁度炬燵さんも振り向いたところだった。
今度は目を逸らさない。
炬燵さんはクールに微笑み、顔を近づけ、俺の耳元で挑発的に囁いた。
「――それで? 空島君は私にどんな命令をするのかしら?」
ゾクゾクッ! 耳に吐息を吹きかけるのは反則だって。
命令。命令な。テストの順位が高かった人が低かった人に何でも命令することが出来るという勝負に俺は勝った。
提案者の炬燵さん曰く、犯罪以外なら何でもいいらしいが。エロいこともありと言う。
さて、どんな命令をしようか。
やっぱりエロい内容か? いやいや。それは男として終わっている。
喉乾いたからジュースを買ってこいとか? これも違う。パシリはいらない。
夏休みの宿題を俺の分まで……必要ないな。拡張アプリ『完全記憶』のおかげで今年は簡単に終わりそうだし。
デートをして欲しい。これはありかも。
他には……う~ん。あ、そうだ!
「連絡先。連絡先を交換しないか?」
「ダメよ」
「え?」
「命令でしょう? 交換して欲しいじゃなくて」
「……連絡先を教えろ。命令だ」
「そ、そう! それでいいのよ!」
プイッと顔を逸らして口をもごもごさせている炬燵さんは、胸ポケットからスマホを取り出し、俺と連絡先を交換してくれた。
美女の連絡先をゲット!
んっ? 今、炬燵さんがガッツポーズをしたような……。気のせいか。
「他には?」
「え?」
「他に命令は? 命令を一つだなんて言っていないわよ」
なんですと!? 命令をいくつもしていいのか!?
記憶を思い出してみると、確かに炬燵さんは命令を一つだなんて言っていない。
美女に命令し放題なのか!
もし負けていたら炬燵さんにいくつも命令されていたのか。
ずる賢い。意外と腹黒いぞ! 炬燵さん悪い子!
しかし、策士策に溺れるとはこのことだな!
「一つお聞きしますが、命令の有効期限はいつまでですか?」
「そうね。次のテストまでかしら。そこでまた勝負をしましょう」
「なるほど……今は思いつかないから、思いついたら命令ってことでもいいか?」
「もちろんいいわよ。夏休みだし、たっぷりとできるわね」
何を!? たっぷりとナニをするんだ!?
「おっと。妹と待ち合わせをしていたんだった。もう帰らないと」
「そう。ここ数日大変だったものね。家でゆっくり休みなさい」
「そうするよ。炬燵さん、またな」
「ええ。またね、空島君。素敵な夏休みを」
手を振って炬燵さんと別れ、俺は妹が待つ校門へと急ぐのであった。
▼▼▼
キラキラと興味津々なクラスの女子の視線を無視して、
個室に入り鍵を閉めると、へなへなと力が抜けて座り込む。
「あ゛ぁ~! 負けた……まげだぁ~! まげぢゃっだぁ~!」
乙女にあるまじき声が女子トイレに響き渡った。幸い、無人のため誰かに聞こえることはない。
「まさか負けるなんて……空島君に負けるなんて……」
プルプルと震える
表面上は彼を祝っていたのだが、内心では物凄く悔しくて泣き叫んで――いなかった!
「なんて素晴らしい結果なの! 空島君が私に命令してくれるなんて、素敵! あの命令口調! ゾクゾクしちゃった!」
心の底から彼の勝利を喜び、蕩ける笑みを浮かべて
彼に命令されたとき、今までにない感情が胸の中で爆発し、平静を保つのが大変だった。表情筋が頑張った。
その時、思わずガッツポーズをしてしまったが、多分バレていないはず。
「最初の数回は私が勝って空島くんに命令し、欲望で奮起した彼が最終的に私を打ち倒し、私にあんなことやこんなことを命令する……そんな計画だったけれど、まさか……まさかまさか空島君が勝つなんて、凄いわ! 素晴らしいわ!」
優等生とは思えない杜撰で残念な計画。恋する盲目の乙女は何も気づかない。
はぁ~、とうっとりとした声を洩らす。
「命令で連絡先の交換とか……空島君は天才なのね」
まったく思いつかなかったわ、と飛兎に惚れ直す。
賭けに勝ったと慢心して、デートに誘うセリフを考えていた自分が恥ずかしい。
明日からは夏休み。しばらく彼とは会えない。デートに誘うよりもまず、連絡を取る手段を確保するべきだったのである。その後、メールや電話でデートに誘えばよかったではないか。
自分の想定の甘さを反省。だが、結果オーライ。
飛兎が連絡先の交換を言い出したのは僥倖であった。
「交換したということは、私のほうからもメールや電話をしてもいいってことよね! デートに誘うのもOKよね!? どうしましょう!」
恥ずかしい。勇気が出ない。でも、学校じゃない時でも彼とお喋りしたい。デートに誘いたい。
でも、命令じゃないから断られるかも……。
心の中で羞恥心と恐怖心と乙女心が激しく揺れ動いている。
「はっ!? もしかして、エロい写真や動画を送ってこいと命令されちゃう? されちゃうの!? ど、どどどどどうしましょう。送ってあげるけれど、送ってあげるけれどぉー! 裸がいいのかしら? それとも下着姿? 水着姿かしら? いえ、待つのよ
いやんいやん、とトイレの個室の中で悶える恋する乙女。彼女の言動は傍から見たら変態である。
パチンと両頬を叩いた
「よし! 新しい下着を買いに行きましょう!」
恋する乙女の勝負の夏が、今、始まろうとしていた。
▼▼▼
「ザ、ザトスさん? その覇気をどうにかしてくれません? 呼吸がしづらいです」
「トビト。プリン様の前で私に気を抜けと?」
「プリン様!?」
「お姉、プリンはプリンプリンなんだから、カチコチはダメだよー」
「……ユイナの言う通り。カチコチで食べたらプリン様に失礼」
言っている意味が分からん。
ユナに諭されて、臨戦態勢だったザトスの体から力が抜けた。
息苦しさが消え去って、俺はホッと息を吐く。探索者の本気モードは一般人に辛い。
というか、プリンプリンじゃない固めのプリンも俺は好きだぞ。凍らせたカチコチのプリンも。
「そろそろ冷えたかな? うん、冷えたみたい」
冷蔵庫からユナ特製のとても美味しそうなプリンが出された。
お皿に出すと、プリンと揺れ、タラァ~とカラメルが流れ出す。
見ただけでもわかる。これは絶対に美味しいやつだ!
「あぁ……プリン……プリン様だ……」
ザトスの瞳から一筋の涙がツゥーっと流れ落ちた。
涙を流すほど感動したのか!?
「あれ? 俺の分のスプーンが無い。ちょっと待ってて。今取って来る」
「ダメでーす。お兄、約束を忘れたの? 私がア~ンする約束」
「ん? おぉ! そうだったそうだった。魔物から生き残ったらプリンをア~ンしてくれる約束だったな」
ちょっと気恥ずかしいが、ユナがア~ンをする気満々だからお願いしようかな。
愛する妹からのア~ン……こんなに幸せすぎていいのだろうか? 俺、死んでない? ここは死後の世界じゃないよね?
あ、やっぱり現実だわ。ザトスが涎を垂れ流して、早く早く、と全身で訴えてきている。
そろそろ食べますか。俺も我慢できそうにない。
手を合わせてユナに感謝を!
「「 いただきま~す! 」」
「はいどうぞ。お兄はア~ン」
「ア~ン。っ!?」
「っ!?」
プリンをパクリ。口の中に程よい甘さが広がり、プリンプリンのプリンが踊っている。心の中に温かな幸せが広がっていく。
口の中でプリンが蕩けて消え、余韻まで十分味わった俺とザトスは同時に言った。
「「
「美味しいのなら良かった。でも、死なないでね。死んだら食べれないよ」
「「 わかってる! 」」
死ぬつもりはない。でも、死にそうなくらい美味しい。
ユナ特製のプリンが俺を堕落に誘っている。最愛の妹のア~ンが禁断の道へと導こうとしている。
魔物に襲われて死んでいたら、この幸せのプリンを食べることはできなかった。生きててよかった!
「たくさん作ったからね。おかわりはあるけど、食べ過ぎには注意するよーに!」
「「 はーい! 」」
パクリ! うむ、
この日、ザトスは特製プリンを7個、俺は慈愛の笑みを浮かべるユナにア~ンされて5個も平らげたのだった。
神様、仏様、結那様! とても美味しゅうございました!
<第一章 白き探索者との出会い 編 >
<完結>
続いて <第二章 新人探索者 編> の予定です。
ストックはないので不定期更新になると思います。
拡張世界の覚醒者 ブリル・バーナード @Crohn
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