拡張世界の覚醒者

ブリル・バーナード

第一章 白き探索者との出会い 編

第1話 空間崩落


「起きろ! おにぃ!」

「ぐぇっ!?」


 身体に衝撃が走り、一気に頭が覚醒した。

 夢から醒めて真っ先に視界に入ってきたのは、不機嫌そうな我が妹様の顔だった。


「おはよ、ユナ」

「……そのセリフ、もう三回目なんですけど」


 おっふぅ。寝起きに妹のジト目はキツイぜ。美人が睨むとゾクゾクする。

 変な意味ではなくて、恐怖で背筋が冷えるという意味だ。


「今日は日直だから早く起こしてくれって言ったのはお兄じゃん! なのに三度寝するなんて本当にあり得ない!」

「ごめんごめん……ふぁ~あ」

「欠伸しながら寝返り打つな! 鳩尾に踵落としを叩き込むぞ!」

「今起きました!」


 鳩尾に踵落としなんて死んでしまう。絶対に喰らいたくない。

 まったく、すぐ暴力に頼ろうとするなんて、そんな子に育てた覚えはないぞ。お兄ちゃんは悲しい。


「キモ……」

「あの~結那ゆいなさん? マジトーンの罵倒と蔑んだ眼差しは止めてくれません? 精神的にくるので引きこもりたくなります」


 はぁ~、とマリアナ海溝よりも深いため息をつく我が妹。やれやれ、と肩をすくめるその動作は、とても大人っぽく似合っていた。


「ユナも成長したなぁー。お兄ちゃんは嬉しいぞ」

「ど、どこ見てんのっ!?」


 自らの身体を抱きしめて後退りするユナ。高校一年生の我が妹は、そこらのアイドル顔負けの美貌とプロポーションをお持ちだ。

 可愛い系よりも綺麗系。自慢の妹だ。

 しかし、俺が言った成長というものは、雰囲気や精神的なもので決して肉体のことを言ったわけではない。

 そんなことを弁解していると、無駄な時間だけが過ぎていく。


「わかったわかった! もうそんなことはどーでもいいから早く起きる! 拡張アプリの目覚まし機能を入れれば一発で起きれるのに!」

「あれ、体にインストールするのに最低5000円はするだろ。高校生には高すぎる」

「インストールしてお兄が起きるのなら安いと思う」

「えぇー。ユナが起こしてくれるから必要ない!」

「またそんなことを言う! お兄を起こしてあげるのは今日までなんだからね! さっさと顔を洗いに行けー!」


 こうして俺、空島そらじま飛兎とびとは部屋から追い出された。仕方がないので欠伸を漏らしながら洗面所へと向かう。

 昨日も同じことを言われたなぁ、と思いながら――

 何だかんだ言いつつも毎日起こしてくれる我が妹は、将来良いお嫁さんになることだろう。



▼▼▼



「忘れ物ない? 教科書やノートは入れた? 宿題持ってる? 体育服は必要ない? お弁当は持った?」

「ユナ特製の愛妹弁当を持っていることだけは覚えてる」

「はいはい。車と魔物と空間裂傷には気を付けてね」

「へーい。わかってるよー、お母さん」

「誰がお母さんだっ!?」


 エプロン姿で玄関まで見送りに来てくれる結那ゆいなさんは、妹というよりもオカンだ。

 愛妻弁当ならぬ愛妹弁当発言も見事にスルー。朝は忙しいんだから早く行きなさい、と言いたげな見事に母親の顔。年下とは思えないほどしっかり者だ。


「行ってきまーす!」

「行ってらー」


 手をフリフリと振る笑顔の妹に見送られ、俺はいつもより少しだけ早く家を出た。

 片耳だけイヤホンを差して朝のニュースを聞きながら登校するのが俺の日課だ。

 信号の赤信号に捕まり、聞こえてくるニュースに耳を傾ける。


『次のニュースです。日本時間午前2時24分、デンマーク領グリーンランド南東部でM6.0の空間震動が発生しました。それに伴い、魔物の中規模の集団暴走スタンピードが発生しましたが、つい先ほど終息したもようです。現在、日本大使館が邦人に被害がないか確認しています』

「へぇー。それは良かった。被害がないといいけど……」


 独り言ちる俺の脳裏に幼い頃の記憶がフラッシュバックする。

 燃える家屋。砕け散るガラス。倒壊するビル。煙が立ち昇る街。空は真っ赤に染まっていた。

 悲鳴と絶叫が世界を震わせ、そこら中に血臭と死臭が充満している。

 獣の遠吠えが響き渡ったかと思うと、目の前には巨大な口が迫っており、痛みと死を覚悟した瞬間、俺と獣の間に割り込む両親。そして――


「はっ!? 青か……」


 信号の青信号の音楽で俺は我に返った。

 朝の通勤でイライラしている車の運転手に会釈をしつつ、急いで横断歩道を渡る。


『続いては、なんと日本人の快挙です! 日本所属の探索者パーティ『高天ヶ原』が拡張世界の未踏破領域へと到達。今までの記録を大きく塗り替えて無事に帰還しました』


 片耳のイヤホンからニュースキャスターの興奮した声が漏れ出す。


「探索者ねぇ……」


 常に死の危険と隣り合わせな職業。この世界に溢れ出した魔物を討伐したり、かつて古代超文明が栄えたと言われている別次元の世界【拡張世界】を冒険し、探索したりするのが彼らの仕事だ。

 冒険――男心がくすぐられるロマンあふれる言葉である。

 俺も何度もなりたいと思った。将来探索者になると豪語したこともある。

 だが、高校生にもなると現実を突き付けられるのだ。なんせ――


「金がない」


 探索者になるのは膨大な初期投資が必要になる。魔物の戦闘に必須の武器や拡張アプリケーションは最低価格で数十万円から。

『高天ヶ原』というパーティも多くの企業がスポンサーになっていることだろう。

 貧乏なウチには探索者になるだけの大金なんてあるわけがない。

 そんな金があるのならユナに貢ぐぞ!


「はぁ……世の中世知辛い……」


 トボトボと歩く俺。すぐに日直だったことを思い出し、時刻を確認して猛烈に焦る。


「うわっ! やっべぇ! 遅れる!」


 自分一人だったらいくらでも遅れていいが、日直には相棒がいる。ちなみに女子。その人に迷惑をかけるわけにはいかない。


「近道……迷っている暇はない!」


 街を駆け抜ける俺はすぐさま方向転換。学校への最短経路を選択する。

 学校の裏にある小高い山。道なき道というか、獣道らしき道を通り抜ければ大幅な時間短縮になるのだ。いつも通学する道はこの山を大きく迂回する。

 舗装されていない悪路を慎重に走り抜ける。鬱蒼と茂る枝が邪魔だ。


「よし! 見えてきた! 時間は……ギリギリセーフ!」


 校舎が木々の間から見え、あとは下れば到着するという時、突然、地響きがして俺は盛大にすっ転んだ。


いたっ! なんだコレ!? 地震? いや、空間震動かっ!?」


 地面だけじゃなく空間そのものが上下左右に揺れている。俺は地面に倒れたまま起き上がることが出来ない。

 少し遅れて、スマホがビービーとけたたましい警報音をまき散らした。


『空震警報! 空震警報! 揺れが収まり次第、近くの屋内へ避難してください。魔物が出現します。空震警報! 空震警報! 揺れが収まり次第、近くの屋内へ避難してください。魔物が出現します』


 そんなの言われなくてもわかってる! 空間震動の震源は――

 その時、ピシピシと足元の地面が奇怪な音を立てて空間ごと罅割れていく。

 もはやスマホで震源を確認しなくてもわかる。


「空間裂傷……不味い! ここが震源か!」


 揺れだけなら問題は無い。しかし、空間震動によって空間に亀裂が生じたら、当然世界は元に戻ろうとする。

 これは世界の摂理であり原理であり真理だ。

 そして、空間の修復の副産物として生み出されるのが、現実世界に存在しない生物、魔物である。

 空間裂傷が発生している震源のまさにこの場所に、魔物が出現してしまう!

 魔物に対する力を持たない一般人の俺が取れる行動はただ一つ。


「今すぐ逃げないと……うおぉっ!?」


 這って逃げようと身動きした瞬間、ガラスが砕けるような音がして肘が空間を破壊した。


「は?」


 元々罅が入っていた空間だ。少しの衝撃で砕け散り、一度砕ければ連鎖的に崩壊を始める。赤や青や緑、黄色など虹色の眩い光をあげ、地面にぽっかりと大きな黒い穴が広がった。

 抵抗できない浮遊感を感じながら、俺は頭の片隅でこの現象を思い出す。


――空間崩落。


 空間裂傷よりも更に酷い現象。空間に穿たれた大穴。

 神隠しの原因と言われ、年に数人この空間崩落に巻き込まれる行方不明事故が起きる。

 まさか自分が経験するとは思わなかった。

 この穴が通じる先は、魔物が跋扈する別次元の世界【拡張世界】だ。


「うわぁぁああああああああああ!」


 最期の声かもしれない叫び声をあげた俺は、なす術なく空間崩落に呑み込まれ、


「ふぎゃっ!?」


 腰を強打して、あまりの激痛にのたうち回った。



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