第3話 蒸気都市の喫茶店・3


 施錠された三階の扉を開けると、手をロープで縛られた子供たちが怯えたようにこちらを向いた。事前に由良から聞いた通り、数は三人だ。年端もいかないような少年ニ人と少女一人。

 その中でもとりわけ幼い少女には見覚えがあった。今朝喫茶店へ来た男の見せてきた写真の顔と一致する。念のため本人に確認しようと少女に近づくが、二人の少年が立ち塞がった。活発そうな少年が吠えるように叫ぶ。


「カミラちゃんに触るな! この子には帰る場所があるんだ!」

「威勢のいいガキだな。邪魔だからどけ」


例の妹の名前はカミラというらしい。庇われたカミラ本人は、必死で少年たちを止めている。


「だめだよ、殺されちゃう……!」


幼いカミラを背に庇う少年たちに動く気配は無い。流石に彼らは殴れないのでどうしたものかと考えていると、俺の後ろから由良が呆れた様子で顔を出した。


「朔が怖い顔で近づくから、この子達が怖がっちゃうんだよ」


そう言った由良は胡散臭い笑顔で歩み寄り、子供達の前に屈んで見せる。


「ほーら怖くないよー」

「…………少し、聞きたいことがあります」


冷静そうな少年が警戒心をそのままに口を開いた。それに対して頷いた由良に向かって彼は疑問を投げかける。


「あなた達は、おれ達の味方ですか?」

「ふふ、色々と考えた末の質問だね。残念だけど答えはノーだ。誰かに味方することは、時として多大なリスクを伴うものだよ。軽々しく出来ることじゃ無い」


由良の回答に首を捻った冷静な少年は、逡巡ののちに顔を上げた。


「では、おれ達を逃してくれますか?」

「うん。君達を捕まえていた連中は目を回しているからね。今なら誰も邪魔しないよ」


肯定する由良に納得した様子の冷静な少年は、カミラと活発な少年に向き直って言う。


「二人とも、行きましょう。家に帰らなきゃ」

「え? どういうこと? この人たちは……?」


困惑するカミラに、冷静な少年は一度俯いてから呟いた。


「きっと、敵の敵だったんです。だからおれ達にはほとんど関心が無い」


冷静な少年は聡い子のようで、これ以上俺達に関わりたくないようだった。本能的に、単なる善意で助けられたわけでは無いことに勘付いたのだろう。カミラは理解が及ばずとも、当面の危機が去ったことに安堵しているように見える。そしてもう一人……活発な少年は嬉しそうにこちらへ近寄って来た。


「難しいこと分かんねぇけど……あんたらが悪い奴らを倒してくれたのか! なんだよ、いい人だったのかぁ。勘違いしてごめん! 助けてくれてありがとう!」


無邪気で純粋な笑顔を向けてくる少年を、俺の嫌いなタイプに成長するだろうと思いながらも見やる。


「よく聞け、ガキ。謝罪と感謝が出来るのはお前の美徳だが、人を疑うことを少しは覚えろ」

「ビトクってなんだ?」

「…………」


彼との会話に嫌気がさしたところで、腹を抱えて静かに笑っていた由良が話に入って来た。


「ははっ……ふふ、とりあえずロープを解いてあげようか。ついでに家まで送ってあげるよ、朔が」

「おうちに帰れるの? おにいさんたち、ありがとう」


カミラは顔を綻ばせて喜ぶ。冷静な少年も、危害を加えてこない相手だと判断したのか礼を述べていた。







 少年二人を家へ送り届け、俺と由良に関する記憶を消しておく。カミラに関しては身内である兄が不在なのが分かっているので、とりあえず喫茶店へ連れて来た。

 夕暮れの店内で行儀よく座るカミラは、夜には兄が来ると知って嬉しそうに笑う。代金は兄の方に要求すると言ってオレンジジュースを出してやると、美味しそうに飲んでいた。暇を持て余してしまったのか、カミラは道中で懐いた由良に話しかけている。


「ユラさんみたいにキレイなおにいさん、初めて見たよ。おにーちゃんと見た映画のお姫さまよりもキレイ。ユラさんはお芝居する人なの?」

「僕はお料理する人だよ」


由良は心が読めるだけあって、誰かの話し相手になるのは朝飯前だ。カミラの相手を由良に任せ、俺は兄の方に出す酒の準備を進めていた。






 濃紺の空に星が輝き始める頃、カミラはこれまでの疲労からかソファ席で眠ってしまった。由良が毛布をかけてやり、レコードから流れるオルゴールの音色を聞きながら兄の来店を黙って待つ。しばらくすると、店のドアを静かに開けて彼が現れた。


「こ、こんばんは」

「いらっしゃい」


兄は気持ちの昂った様子でカウンター席に近づく。レコードの曲が飛んだ。


「サクさん、聞いてください。今日は妹の目撃情報をいくつか入手したんです。この調子なら見つけるのも時間の問題です!」

「そうか。まあ座れ」


兄を座らせて酒を作り始めた。由良は今回の件から俺達の痕跡を消すため、カミラと兄の精神へ干渉を試みている。


「少年、お前の名前を聞いていなかったな」

「あぁ、そうでした。遅くなりましたが、オレはエドワードと申します」


エドワードとカミラ。この兄妹のことを、俺と由良はいつか忘れるだろう。だからせめて彼らの人生にほんの一瞬関わった者として、ささやかな一杯を贈ろうか。俺は出来上がった酒をエドワードに差し出した。


「わぁ、ライムが入ってるんですね」

「ジントニックだ。味わって飲めよ」


エドワードは黙って飲んでいる。由良の準備も整ったようで、少し離れた場所からオーケーサインを手で作っていた。やがて飲み終えたエドワードは人のいい笑顔で俺の目を見る。


「爽やかな味で美味しかったです。ありがとうございました」

「エドワード。先輩からのアドバイスだ。超能力者であることを隠すならもっと上手くやれ」

「……!」


目を丸くしたエドワードに、悪戯っぽく口元を緩める。


「カミラと仲良くな。手ぇ離すんじゃねぇぞ」


由良の能力にかかったエドワードは、己の意に反するように瞼を落としていった。




✴︎




 夢の中のようにぼんやりとしていたエドワードは、ハッと目を覚ます。腕に感じた重みは、苦心して探し回っていた妹、カミラだった。兄に抱えられたカミラは気持ちよさそうにスヤスヤと眠っている。


「カミラ……!」


目立った怪我もなく、苦しそうというわけでもない。無事な姿を自分の目で見たエドワードは、安堵からその場にへたり込んだ。周囲には夜のロウェルに広がる雑踏。カミラを取り戻せたのは良いが、どうやって戻って来たのかがエドワードには全く分からなかった。

 カミラも超能力者だが能力は小さな怪我の治癒であり、それ自体がエドワードと再会するのに役立つわけではないだろう。何も思い出せないエドワードが眉間に皺を寄せていると、カミラがゆっくりと目を開けた。


「んん……え? おにーちゃん!」

「カミラ、無事でよかった」


抱き着くカミラの頭を撫でたエドワードは、不思議そうに尋ねる。


「どうやってカミラと会えたのか、オレには思い出せないんだけど……カミラは何か覚えてるか?」

「えっとね、えっとね! 尻尾みたいな髪の毛のカッコいいおにいさんと、空色の目のすごくキレイなおにいさんに助けて貰ったの!」

「それってもしかして……」


その後の言葉は続かなかった。エドワード自身、もしかして、の次に何と言おうとしたのかが分からなかったからだ。もやのかかったような頭でエドワードはカミラに再び聞く。


「もう一回、助けてくれた人の特徴を教えて?」

「うん、えぇと……あれ? 助けてくれたのは……どんな人だっけ……?」


カミラは懸命に思い出そうとしているが、何も覚えていないようだった。エドワードも、先程聞いた筈の恩人の特徴を思い返すことが出来ない。

 その事実がエドワードに確信を持たせた。カミラを救ったのは超能力者であり、彼もしくは彼女に関する記憶を消されたのだ、と。痕跡を残さぬ立ち回りから考えても普段から隠れ住んでいることが予測出来る。どんな人物で、どういう経緯で手を貸してくれたのかは不明だが、カミラを無傷で届けてくれただけでエドワードにとっては救世主だった。


 悩むカミラを抱き上げたエドワードは、何も無い空間に向かって頭を下げる。

「…………ありがとうございました」

恩人が何処かからまだ自分達を見ていてくれたなら。伝わりますように、とエドワードは願う。首を傾げるカミラをしっかり抱えて、超能力者の兄妹は街頭が照らすロウェルの街中へと歩いていった。




✴︎





 薄暗い店内で俺は煙草を取り出す。それを見た由良が近寄って来て一本抜き取った。


「僕にも一本ちょうだい」

「もう取ってんだろ」


クスクス笑う由良にライターを渡す。煙草を咥えた由良の白い指がカチッと音を立ててライターに火を灯した。小さく煙を吐き出す由良から返却されたライターを使おうとしたが、火が付かない。オイル切れだ。口の端に煙草を咥えたまま舌打ちすると、由良が腹の立つ顔で笑った。


「これは僕のせいだね。悪いなぁとは微塵も思わないけど」

「思え腹黒。火ぃ寄越せ」


由良が吸う煙草から火を移して、やっと落ち着く。指の間に煙草を挟んだ由良の瞳が弧を描いた。


「朔……エドワードが超能力者だって、よく分かったね? 僕は精神干渉の時に気付いたけどさ」

「変だと思ったのは、さっきエドワードが店に入って来た時ベルが鳴らなかったことだ」


最初はベルが壊れてしまったのかとも思ったが、それだけでは無い。


「あいつが近づいたことでレコードも妙な挙動をした。思えば、今朝店に来た時も異様に動きが遅かったしな……察するに、物の動きを鈍らせる能力か。感情が安定してないと無意識に発動したり、自分にかけたりするんだろうな」

「そうそう、合ってるよ。君の洞察力は中々のものだね。探偵業とか始めてみる?」

「微塵も思ってねぇんだろ」

「はは、お見通し? 誰かのために動くなんて柄じゃないもんね」


俺は深く息を吐いた。二人分の煙草の煙がカウンターで揺らめく。沈黙が夜の闇に溶け、煙草を吸い終わる頃に俺はそっと呟いた。


「……今の生活が気に入ってんだ。変えるつもりはねぇよ」


カウンターの上、無造作に置かれたメニュー表。その表紙に書かれた《喫茶ヴァイス》の文字をなぞる。由良は目を閉じて静かに笑みを浮かべていた。

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超能力者の喫茶店 満月ラピス @mangeturapisu

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