第2話 蒸気都市の喫茶店・2
店で身につけていた腰エプロンの代わりにコートを着た俺は、杖をついて歩く由良の右隣を歩いていた。昼過ぎのロウェルは変わらず人で賑わっている。情報を得るために警察へ向かう途中だったが、由良がぴたりと足を止めた。
「どうした」
「女の子の声だ。泣き声が凄いな……」
顔を顰めた由良は路地裏の方を向く。俺には道ゆく人の話し声しか聞こえないので、心の声が聞こえるということだろう。由良の能力はテレパシーだ。少し距離があっても受け取れるらしいが、集中しようとしても上手く拾えないようだった。
「朔。遮断を解除して」
「大丈夫なのか?」
由良の能力は複数人の声を同時に拾うことが出来るため、人混みではその全員の声を受け取り頭痛を引き起こす。それを防ぐために、俺の能力が少し空間を歪める性質を利用して由良が他人の声を必要以上に受信しないよう遮断していた。
「少しの間でいいから」
そう言われて渋々遮断を止めると、由良はすぐさま表情を歪める。
「ゔぅ……」
頭を押さえた由良が崩れ落ちる前にもう一度遮断すると、由良は疲れた様子で路地の先を示した。
「……ありがと。居場所が分かったから、行こう」
「休んだ方がいいんじゃないか。倒れそうだぞ」
よろよろと歩き出した由良に言うが、首を振って否定される。
「急いだ方がいい。連中、飛行船でロウェルから出る気だよ。女の子……多分彼の妹も生きてるし、他にも子供が居る」
「うわ面倒だな……分かった」
警察を訪ねる必要は無くなった。現場に直行すればいいのだが今の由良は走れないだろう。元々左足が悪い上に、疲労状態だ。かといってこの場に置いていくわけにもいかない。俺と距離が離れ過ぎれば遮断効果が切れて由良は酷い頭痛で気絶してしまう。こういう状況になることは度々あって、毎回俺が由良を抱えて走っていた。そんな俺の思考を読んでか読まずか、多少調子を取り戻した由良が杖を揺らして言う。
「そういうわけだから僕の運搬よろしく。犯人と戦闘になったらちゃんと支援するからさ。落とさないでね」
「落としたことはねぇだろ。投げたことはあるけどな」
「もっと丁寧に扱ってくれないかなぁ……」
文句を垂れる由良を無視して抱え、俺は路地裏へと駆け出した。
由良のナビゲートで狭い路地を走り抜け、辿り着いたのは古びたレンガ造りの細長い建物だった。既に住民はおらず随分と長いこと手入れされていないのか錆や汚れが目立つ外観だ。
「……犯人グループは五人、拐われた子供は三人かな。あぁ、なるほど……」
何か読み取った様子の由良は自嘲的な笑みを浮かべる。
「子供たちは超能力者だ。まだ能力者として未熟な子供を捕まえて、どこかへ売り飛ばしたかったみたいだね」
「そりゃ驚いたな。あの辛気臭いガキの妹も超能力者かよ」
超能力者として生まれてくる子供はほんの一握りであり、珍しいというだけで希少価値も付随してしまう。ゆえに、能力を使いこなせない幼児の段階で人身売買の被害に遭う事件が横行していた。そういう事件を解決するための組織がロウェルに存在するものの、どうやら今回は事件に気付いていないらしい。
「犯人どもはただの人間か?」
「超能力者ではないね。だけど五人とも政府で働く人間だ。これは闇が深いなぁ」
由良の言いたいことを何となく察する。子供がいなくなったのに、警察が動かなかった理由と無関係ではないだろう。
「……超能力者の子供を売ることで外交でもしようとしたのかもな。警察に圧力までかけて」
「正解。まあ政府の真意はこの際どうでもいいけどね。問題は僕らのいるロウェルで面倒を起こしたこと。さあ、今こそ報いを受ける時! 悪い大人をやっつけちゃって、朔!」
「お前もやれ」
茶化すように笑った由良は杖で建物の裏口を指し示した。
自分で歩くと言う由良を下ろして裏口からそっと建物へ入り込む。外観からして三階建てだが、とりあえず一階に人の気配は無い。自前のビー玉を指に挟んでから階段で二階へ上がると、スーツ姿の男四人の目がこちらを向いた。一瞬動揺した四人だったが慌てて表情を取り繕っている。
「こんなところに人が来るなんて珍しいですね。何の用事でここに?」
「そりゃこっちのセリフだな。お前らみたいな身なりの奴が来る場所じゃねぇぞ。ほとんど廃墟だろ、ここ」
「いえ、我々は警察官でして。この辺りの治安が良くないそうなので見回りを任され、今はその仕事のサボり中というわけです。お恥ずかしいところを……」
何でもないように言ってのける男の全てが嘘であることを知っているだけに、その姿はいっそ滑稽に映った。
「へぇ、俺には随分と仕事熱心なように見えるがな。子供の誘拐とか虚しくならないか?」
「っ!」
嘲笑を返してやると、俺と会話した男だけでなく成り行きを見守っていた男たちも拳銃を取り出し一斉に俺へ銃口を向ける。武器さえ出してくれればこちらのものだ。俺は手にしていたビー玉のうち四個と拳銃四丁を入れ替えた。俺の手には拳銃、代わりにビー玉を握らされた男たちは驚愕に染まった目を向けてくる。その顔といったら、まるでびっくり箱を開けてしまった幼な子のようだった。
「はは、あからさまな挑発に乗るのは良くないぞ。悪ガキども」
「サイキック……!」
超能力者と呼ばれることもサイキックと呼ばれることもあるが、同じ意味なのだから統一してくれないだろうか。そんな思考をする俺の目の前で、武器を失った男たちは無策でこちらに飛び掛かるわけにもいかないのか機を狙うように構えている。すると、階段に隠れていた由良が顔を出した。
「武器奪えた?」
「もう少しだ」
犯人は五人組。残りの一人は三階にいるだろう。俺はビー玉を三階のある天井に向け、子供たちの見張りをしている男の手にある拳銃と入れ替えた。直接目視しなくても入れ替え出来るのがこの能力の利点である。
見張りの男が警戒しながら二階に下りてきたところで、俺の視線がそちらに向く。その瞬間、元々二階にいた男たちが隠し持っていたナイフを同時に鋭く投げつけて来た。このナイフは俺を仕留めるためではない。単に気を逸らして拳銃を奪い返すためのもの。俺の手にある拳銃に向かって男の手が伸びる。けれどそれも無駄なこと。
「残念だったな」
そう言い終わる頃には俺の手元と周囲に拳銃もナイフも無く、代わりに金属製のガラクタが散らばっていた。ロウェルにあるゴミ処理場から適当に選んで入れ替えたものだ。今頃は拳銃もナイフもゴミ処理場で鉄屑になっていることだろう。目論見が失敗し固まってしまった男たちを嘲笑うように由良が口を開いた。
「『奴の能力はアポート……アスポート? もしくはそれに類する何か……武器が駄目ならば肉弾戦で制圧出来るか?』だってさ。次は殴りかかって来る気だよ?」
「確かに超能力者はステゴロ弱い奴が多いからな……」
思考を丸々読まれた男の顔色が悪くなる。だが、それも一瞬のことだ。切り替えるように口を結んだ男は素早く姿勢を低くして俺に足払いをかけた。その動きは洗練されていたし、荒事に対処する訓練を受けた人間のものだろう。
俺は奴の足払いよりも速く顔面を蹴り飛ばす。奴は勢い良く飛んでいき昏倒に成功。残り四人。元より連携するつもりだったのだろう、別の男が繰り出した手刀を片腕で防ぐついでに俺の手刀を男の首へ叩き込む。残り三人。背を向けた俺に両手を組んだ拳が振り下ろされる。重い一撃を受ける気はないので横に跳んで避けた時、由良の悲鳴が聞こえた。
「こ、こっち来ないで!」
階段の前で敵の一人に壁際へ追い詰められた由良は、身を守るように両腕を頭上でクロスさせて震えている。その姿を見た敵がほんの僅かに怯んだ瞬間、由良の口元が吊り上がり持っていた杖で横薙ぎに敵の胴体を殴りつけ階段下へ落とした。
「ふふ、僕になら勝てると思ったのかな?」
満面の笑みを見せながら由良が言った。残り二人。奴らが動くのは同時だった。単純に二人がかりで俺へ向かって来る……だけでは無い。元々は三階にいた男が、持っていたナイフを由良に投げつけてから殴りかかって来たのである。成程、考えたものだ。由良の足ではナイフを避けられない以上、俺が能力を使って助けるしかない。その間に二人がかりで俺を仕留めようという魂胆か。
俺は迷わずナイフとビー玉を入れ替えた。
手にしたナイフを振る余裕は無い。だが、奴らは俺に掴みかかる前に頭を押さえて悶え苦しみ出した。その背後には由良が静かに立っている。
「焦燥に駆られた人間の精神は操りやすいね。美味しいオムレツを焼くよりずっと簡単だ」
呻き声を上げていた奴らは、やがて気を失って部屋には静寂が訪れた。由良のテレパシーは精神干渉を可能にするほど極められている。洗脳から記憶の改竄まで、精神に関わることであるならば由良の独壇場。そのおかげで俺たちが超能力者であることが露呈せず、喫茶店も人々の記憶に残らないのだ。
「彼ら五人の記憶は弄っておいたから、ここでは『何故か』計画が失敗したことになってるよ。それから……また同じようにロウェルで問題を起こそうとしても、恐怖に苛まれて何も出来なくなるようにもね」
「俺よりお前の能力の方が、平穏を守るためには役に立つ」
適材適所とはこのことだ。俺をじっと見た由良は、鼻で笑いながら眉を下げる。
「そんな風に言うのは朔くらいなものだよ。まあ……普段は君に守ってもらってるし、遮断のこととかね。持ちつ持たれつ、ってことで。ともあれ今は、捕まってた子供たちと話をしてみようか。泣き声が凄いや……」
俺たちは三階を見上げ、話の通じる相手であることを祈りながら階段へ向かった。
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