超能力者の喫茶店

満月ラピス

第1話 蒸気都市の喫茶店・1


 蒸気煙る喧騒の街。太陽の光を受けて機械仕掛けの時計台は鈍い輝きを放つ。何処か遠い国からやって来た飛行船が緩やかに港へ向かうのが見えた。平穏な一日の始まりを告げる朝。俺は木製看板の向きを開店の表示に変えて、店内へと戻った。



 扉を開ければ静かなオルゴールの音色が耳に馴染む。店内で流れる曲はオルゴール本体から奏でられるものでは無く、カウンター横に置かれた蓄音器から聞こえているものだ。俺は音楽への特別なこだわりなど持ち合わせていないが、心を落ち着かせるせような曲だと感じる。まだ客の訪れない店内で適当な椅子に腰掛けてぼんやりと聴き入っていると、カウンター奥の調理場から杖をついた青年が顔を出した。


「この曲、昨日買ったレコードだよ。気に入った?」

「さぁな。由良の趣味はよく分からん」


そう答えるが、由良は蒼い目を細めて妙に腹の立つ表情で笑みを浮かべる。


「嘘つきだね、朔は。良い曲だって思ってること、僕には手に取るように分かるんだから」

「勝手に人の心を読むな」


由良は真っ白な髪を揺らし、楽しそうにクスクスと笑った。




 ウェイターの俺と料理人の由良が二人で切り盛りしているこの喫茶店は、蒸気都市ロウェルの中心部にある。ロウェルは機械産業で発展した都市で貿易も盛んなことから、人の往来も多い。そんな都会の喫茶店ともなれば客の出入りも激しくなるものだがこの店は例外だ。程よい頻度で客が訪れ帰って行く。


 客層は子供から老人まで年齢を問わず色々で、同じ人間が何度も来店することは無い。それはこの店が気に入らないという理由ではなく、客達自身が来店した事実を覚えていることが出来ないからだ。そうなるように仕向けているのは俺と由良が人々の記憶に残ることを避けるためで、もう長い間この日常を続けている。



 まだ客の来ない店内で暇を持て余して煙草に火をつけると、由良が咎めるように言った。


「あ、勤務中に一服なんて不良だね?」

「オーナーは俺なんだからいいんだよ」


細く長い煙が頭の上で揺らめく。自分で飲もうとしているのか、機嫌よく紅茶を淹れる由良に話しかけた。


「由良、ジャケットの留め具はどうした?」


どうせ付け忘れたのだろうと考えていると案の定、由良は気の抜ける声音で笑う。


「本当だ、付けてないや。上に置いて来ちゃった。まあいっか」


予想通り、自宅となっている二階に置き忘れたと言う由良は服装に頓着が無い。反対に俺はいつもの服に欠けているところがあると気になるので、煙と共にため息を吐き出した。


「お前は雑なんだよ」

「いやぁ、君が服にこだわり過ぎなんだって」


否定はしないが由良の無頓着さも大概だ。着られれば何でもいい、などと戯言をほざくので俺が買って来て押し付けた服を店ではいつも着ている。


「取って来てやるから付けとけ」


そう言って俺は、自分の腰に巻いているポーチを開けた。色とりどりの綺麗なビー玉が詰められているので適当に一つ摘んで由良に向かって軽く放り投げる。そのビー玉が由良の手の中に収まる頃には、ジャケットの留め具になっていた。いつの間にかレコードの曲が終わって静まり返る店内に、二階でビー玉が落ちる音が響く。


「ありがと。相変わらず便利だね、君の能力」

「お前の忘れ物を回収するためにあるわけじゃねぇぞ」


物の位置を入れ替えるだけの能力だが、俺は案外重宝している。


「分かってるよ。何のためでもないし、ただ生まれ持った才能ってだけ。君も僕もね」


由良は自然の摂理を語るかのように言って、手にした留め具をいつもの場所に付けていた。






 レコードが四枚目に差し掛かった頃、店のドアに取り付けられたベルの軽快な音が鳴り響く。本日の来客一号だ。爽やかな朝だというのに生気のない表情を浮かべた年若い男。彼は店内を見回して俺に気付くと、ふらふらと近づいて来た。


「朝早くから申し訳ない……人探しをしているのですが、この子を見かけていませんか?」


彼が見せてきた写真には、彼自身と幼い少女が笑顔で写っている。見覚えは無かった。


「この辺りでは見てねぇな」

「そうですか……ありがとうございました……」


ただでさえ辛気臭い顔に落胆を乗せて彼は店から出て行こうとする。ちょうどその時、彼の腹の虫が鳴った。


「せっかく来たんだから朝メシ食って行けよ、少年。由良の料理は美味いんだ」

「オレは少年という歳では……ああ、いえ。お店に入って何も注文しないのも冷やかしみたいですよね……モーニングをいただけますか」

「俺から見りゃあ、ちっちゃなガキさ。そこに座って待ってな」

「お兄さんもオレと変わらない年齢に見えますが……冗談がお好きなんですね」


俺の発言を揶揄いだと捉えた彼をカウンター席に座らせる。ウェイターの仕事をするために調理場へ向かうと、まだ伝えていないにも関わらず既に注文の品がトレイに並べて置かれていた。温かそうな湯気を立ち上らせるオムレツと厚切りトースト。コーヒーの香ばしい匂いが鼻を掠めた。素知らぬ顔で含み笑いをする由良にため息を吐く。


「お前なぁ……」

「ふふ、先回り。ほら持って行って」


杖を振って促す由良に言いたいことはあったが料理を出すのが先決だ。俺はトレイを持ってカウンターへ戻った。






 呆然と外を眺めていた彼の前にトレイを置くと、どこか虚ろな瞳がこちらを向く。


「ありがとうございます」


丁寧なことに礼を述べた彼は、疲れの滲む動作でフォークを手した。柔らかなオムレツをひとくち食べて、フォークを口に含んだまま固まる。やがて、何かが崩れるように彼の目尻からはポタポタと涙が零れ落ちた。


「……美味しいです。味わって食事するなんて、何日ぶりかなぁ……」

「メシは大事だぞ。ちゃんと食えよ」


そう言った俺の背後から笑い声が飛んで来る。


「うんうん、その通り。ただ、朔は食い意地張り過ぎだと思うけどねぇ」

「別にいいだろ」


調理場から出てきた由良を睨みつけるが、華やかな笑みが返ってくるだけだ。トーストを食べ進めていた男が顔を上げ、由良に話しかける。


「あなたが料理人の方ですか……? 確かユラさん、でしたっけ。凄く美味しいです」

「嬉しいな、口に合ったようで何よりだよ」


由良は調理場に戻ることなく、カウンターに腰掛けた。男は再び写真を取り出して由良にも同じことを尋ねる。


「あの、ユラさんはこの子に見覚えありませんか?」

「うーん、見たことないな。ごめんね」

「いえ、ありがとうございます」


彼は残念そうに写真を懐に仕舞った。俺は食後のコーヒーを啜る彼を眺める。服装も薄汚れていて顔には酷い隈。彼が今、非日常の中にあることは容易に想像出来た。


「少年。そのコーヒーを飲み終わるまでの間くらいは話を聞いてやってもいい。言うだけタダさ。代わりに俺は何もしないし、答えないがな」


考えるようにしばらく黙っていた男は、ポツポツと話し始めた。


「…………オレは妹と二人で暮らしているんです。裕福ってわけではないけど、支え合って生きて来ました。だけど三週間前、妹が学校から帰って来なかったんです。その日のうちに探し回ったけど全然見つからなくて。妹の友達も行方を知らないみたいだし、何か事件に巻き込まれたんじゃないかと思って警察にも行きました。でも、まともに取り合ってくれなかった……だからこうして色んな人に尋ね回って……」


それでも見つからない、という言葉を飲み込んだ彼は口をつぐむ。沈黙を破ったのは由良だった。


「コーヒー、無くなっちゃったね。おかわりは自由だよ。もう一杯淹れようか?」

「いえ、大丈夫です。美味しい食事をしたら気力が湧いて来ました。今日こそは妹を見つけられる気がします」


いくらか顔色の良くなった男が席を立とうとしたところで呼び止める。


「夜になったらまた店に来い、少年。酒を一杯奢ってやるよ」

「ありがとうございます。えっと……サクさん。良い報告が出来るよう頑張ります」


彼は力強い足取りで店を出て、雑踏の中に消えていった。







 客の居ない店内で、由良は紅茶を啜っている。奴は口の端を釣り上げて言った。


「いやはや妹想いのお兄ちゃんだねぇ。普通、三週間も消息不明なら生きてる可能性低くない? 小さな女の子なら尚更。無事だって信じてるんだから能天気な子だ」

「お前に人の心はねぇのか」

「君には言われたくないな」


肩を揺らして笑った由良は、少しだけ遠くを見つめてから目を閉じる。


「警察が動かなかったというのが怪しいね。後ろ暗いことがあると見て間違いないだろうけど」

「ロウェルに燻る火種を放置して、いつか俺たちの平穏まで邪魔されたら面倒だ。不穏な芽は摘んでおくに限る。未成年誘拐の犯人は今日中に潰すぞ」


俺はそう言ってから外の看板を準備中の表示に変えた。店内に戻って照明を消すと、由良が食器を片付けながら言う。


「そうだね、夜になる前には終わらせようか」


窓の外では雲一つない青空を太陽が明るく照らしていた。




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