8.音楽を聴かない彼のための。

 音楽を聴かない彼の日常が戻ってきた。


「夏が、夏休みが終わっちまったーっ!」


 と、彼の友人は何か嘆き悲しんでいた。

 彼は変でも悪い奴でない友人を慰めた。


「……お前、夏休みは何やってたんだ?」


「ずっと音楽を聴いてた」


「お前が?」


「うん。けれども、もうたぶん聴かない」


「……そうか」


 友人は、それ以上は何も聞かなかった。

 察してくれたらしい。友人は良い奴だ。


「そうだ――今度、一緒に学祭行こうぜ」


「学祭? 他校の?」


「こないだ合コンで招待券貰ったんだ!

 『見に来て』って言われて渡された!」


「へえ。よかったな。じゃあ、頑張れよ」


「え、何言ってんだ。お前も行くんだよ」


「何で」


「『なるだけたくさん友達連れてきて』、

 って、その女の子に頼まれたからなー。

 そして俺の友達はお前だけだ。頼むぜ」


「……招待券を貰ったのはお前だけか?」


「いや全員。その場にいた男子も女子も」


「……招待券、見せて貰ってもいいか?」


「これ」


 彼は友人が招待券と称するものを見た。


 「2-A模擬店」とまず書かれていて、

 「純メイド喫茶」とも書かれてあって、

 「サービス券」と大きく書かれた後の、

 「珈琲一人一杯無料!」の下に小さく、

 「※お食事をご注文の方のみ」の文字。


 彼は友人が招待券と称するものを返す。


「いや、五枚貰ったから。やるよ。それ」


 何か言ってやるべきか迷ったが、結局、


「頑張れ」


 と彼は言って、友人の肩に手を置いた。


      □□□


 学祭当日。友人は見事に風邪を引いた。


『……お、俺の屍を乗り越えてけぇっ!』


 と、友人に号泣しながら言われたので、

 招待券を片手に、彼は学祭へと行った。

 まあ義理だけ果たして帰ろう、と思い、

 券に書かれている模擬店へと向かった。


「お帰りなさいませ、ご主人様。そして」


 正統派っぽいメイド服姿の女子生徒が、

 完璧な仕草で一礼しつつ彼を出迎えて、

 しかし直後、びしりっ、と彼を指差し、


「まんまと引っ掛かったな、ロボくん!」


 ユッキーだった。


 彼は全てを諦め、テーブル席に着いた。

 それから、ユッキーが彼の前に座った。

 メニューの中から、オムライスを選ぶ。

 例の券を渡し、コーヒーも一杯頼んだ。

 ちなみにインスタントコーヒーだった。

 紙コップに入って出てきた。若干薄い。


「ええと……偶然?」


「じゃないよー」


 と、メイドの演技を即捨ててユッキー。

 例の招待券をひらひらさせながら言う。


「私が君の友達と合コンする娘に渡した」


 彼は変だが悪い奴でない友人を想った。

 が、とりあえずそれは脇に置いて聞く。


「何でこんなことを?」


「今日の学祭で、私たちライブやるんだ。

 もちろん、チハの奴も一緒に出るよー」

 ねえロボくん。聴いてってくれない?」


「意味がない」


「お願い」


 と、真剣な表情で、ユッキーは言った。


「コーヒーもう一杯無料にしてあげる!」


「オムライス代は絶対払わせる気か……」


 彼はしばしどうやって断ろうかと考え。

 結局は、正直に彼女に言うことにした。


「今のチハさんの歌には、感動できない」


 彼のその言葉に対し、半ば予想通りに。

 目の前の相手の表情が泣きそうに歪む。


 だが、


「……それでもお願い。ライブ、聴いて」


 ぎゅう、と。

 スカートを掴んで、彼女は彼に言った。

 それを見て、


「チハさんが」


 不意に彼は思った。何となく分かった。


「そうして欲しい、って言ってたのか?」


「……うん」


「じゃあ……チハさんに言ってくれる?」


「……何を?」


 不安そうに聞く相手に対し、彼は言う。


「今度はもう、嘘は吐かない」


      □□□


 いつもの空白が最初の曲を飲み込んだ。


 この前のライブのときとまったく同じ。


 チハとなっちが奏でているギターの音。

 アーさんが叩いているドラムのリズム。

 何故だかメイド姿のユッキーのベース。

 そしてチューニング済みチハの歌声も。


 彼はそこに何も感じることができない。


 チハたちの曲がしょぼいわけじゃない。

 まるで違う。周囲を見ればすぐ分かる。


 ライブ会場の体育館を埋め尽くす熱狂。

 先程までは余裕があった会場は満員で。

 今も人々が噂を聞いて押し寄せている。

 たぶん素晴らしい演奏だったのだろう。


 チハたちの、二曲目の演奏が始まった。

 周囲の熱狂が高まっていくのに対して。

 彼の中で、始まったばかりの二曲目は。

 ぱくん、とまたも空白に飲まれ消えた。


 三曲目が始まった。けれど変わらない。

 彼の中の空白は音楽を容易く押し潰す。

 こちら側――彼にとってはあちら側の。

 どんな音楽だって彼の心には響かない。


 でも。


 チハたちの音楽は――今のチハの歌は。

 今、ここにいるたくさんの人々の心を。

 きっと強く強く動かし感動させている。

 それは、とてもとても、素敵なことで。


 でもやっぱり――ちょっとだけ悲しい。


 三曲目が終わった。残りは、あと一曲。

 と、そこでステージの上のユッキーが。


『集まってくれたみなさーん! 注目!』


 何だ何だ、と。

 ステージ上のメイドを見る、観客たち。


『四曲目の前に、大事なお知らせです!』


 そこでふと彼は、そのことに気づいた。

 他の三人が、ギターにドラムに機材に。

 何やら魔改造的なパーツを付けている。

 そしてなっちとアーさんは耳栓をした。


『いいですかみなさん! 耳を塞いで!』


 と、ユッキーも耳栓を付けながら叫ぶ。

 ベースにもやはり変なパーツを付ける。


『今すぐ全力で会場から逃げて下さい!』


 ぽかーん、として逃げ出さない観客を。

 チハたちは一瞬も待ったりしなかった。

 四曲目が一切の情け容赦なく始まった。


 一番最初の音が鳴った瞬間に、


 彼の中の空白の怪物が腹をぶち抜かれ。


 続く始まりのワンフレーズで、


 空白の怪物の巨体は八つ裂きにされた。


 そして四曲目の演奏が始まる。


 音の魔獣が咆哮し、空間を暴れ狂った。

 彼の空白をほんの一瞬で食らい尽くし。

 虹の光を纏って、縦横無尽に駆け回る。

 チハの歌声よりも、強く美しく複雑な。


 音楽。


 チハたちの奏でる音楽が、流れている。


 彼の周囲では、大混乱が起こっていた。

 観客が耳を塞ぎ全力で逃げ出している。

 でもそんなもの彼に耳に入ってこない。


 彼はただひたすらに音楽を聴いていた。


 何となくだが分かった。チューニング。

 ユッキーが、チハの歌声に行ったこと。

 外側からこっち側に変換する。その逆。

 こっち側の曲を、外側の曲に変換した。


 つまりこれは。


 音楽を聴かない、彼のための曲だった。

 他の誰にも理解できない彼だけの音楽。


 曲が終わった。


 あれだけの人が集まっていた会場には、

 今は彼とチハたち以外には誰もいない。


 ばたん、と。


 力尽きたように、ユッキーが昏倒して。

 続けてなっちとアーさんもぶっ倒れた。

 最後に、チハだけがステージに残った。

 広い会場の中に、彼とチハだけがいる。


「ねえ、どうだった? 今日のライブ?」


「一曲目と二曲目と三曲目はゴミだった」


 オブラートにすら包まず、彼は答えた。


「でも、四曲目は最高だった」


「でしょう!」


「うん。感動した」


「ねえ、あんた。私たちの歌って好き?」


「好きだよ。今みたいな歌なら大好きだ」


「じゃあさ」


 と、そこで一呼吸おいて、チハは言う。


「私のことは?」


 彼も、彼女に習って一呼吸おいてから。


「好きだよ」


 でも、と彼は続ける。彼女に、告げる。


「君の歌や、君たちの音楽の方が好きだ」


「それ、すげー嬉しいかも」


 ぱたん、と。

 チハも他の三人同様ステージに倒れた。


「でも、すげー悲しいね」


「うん」


「今までありがと。今日の曲はそのお礼」


「ありがとう。本当に最高の曲だったよ」


「ばいばい」


「うん。さよなら」


 そして、彼は一人で会場を去っていく。

 いや、違った。そいつはちょっと違う。

 チハたちの演奏してくれた曲が一緒だ。


 だから、一人じゃない。


      □□□


 彼は、今でもやっぱり音楽を聴かない。

 でも、もうあの巨大な空白は感じない。

 それはチハたちの曲が食べてしまった。


 彼の脳の、どこかの部分で。

 たぶん、大切な記憶として。

 心とかの、曖昧な何かの中。

 

 音楽を聴かない彼のためのあの音楽は。


 今もずっと流れ続けている。

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音楽を聴かない彼と、超絶異次元ボーカルの彼女 高橋てるひと @teruhitosyosetu

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