7.夏の終わり。

 夏が、あっという間に過ぎ去っていく。


 そして、チューニングも進んでいった。


 ユッキーは何度も発狂し、連れ出され、

 復活してはまた発狂を繰り返しつつも、

 チハの歌声を聴ける彼の言葉を通して、

 その音楽を手繰って引き寄せていった。


 外側の音楽を、こちら側へと。


 その試みは決して容易なものではなく、

 夏休み半ばまで進展を見せなかったが、

 その頃に飛躍的な進歩があったらしく、

 チハの歌のチューニングが進み始めた。


 外側から、こちら側の音楽へ。


『チハはさ』


 携帯端末越しの通話で、彼女は言った。


『たぶん音楽を聴いてない』


 音楽を聴かないのは彼も同じだったが、

 それとはどうも意味が違うようなので、

 彼は『よくわからない』と正直に言う。


『元々さ、変だな、とは思ってたんだよ。

 だって、チハの可聴域って普通だもん。

 ロボくんと同じ音楽をチハは聴けない。

 でも、君と同じ世界の音楽を歌ってる』


「確かに」


『それができる理由が、やっと分かった。

 チハは音を耳よりも肌で感じ取ってる』


「肌?」


『そう。あの、ぷにぷにのモチ肌でねー。

 今度、チハの頬とか突っついてみなよ。

 胸も、ちっちゃいのにめっちゃ柔――』


「話の続きを」


『音って要するに空気を伝う振動だから。

 鼓膜はそれを聴覚として感じ取るけど、

 皮膚も同時に触覚として感じ取ってる。

 チハはその後者の能力が高い。かなり』


「それはつまり」


『たぶん君の聴覚と同じくらいに、だね。

 今までは、その辺りが曖昧だったけど、

 それ踏まえてアプローチを変えてみた。

 そこからチューニングが順調になった。

 夏休みが終わる頃にはたぶん完了する。

 ここまで来るのホント大変だったねー』


「お疲れ様」


『やー、ロボくんの協力のおかげだよー』


「あのさ」


「お礼? ほっぺにチューまではOK!」


 彼は、相手の話を無視してこう告げる。


「俺は、もう必要ないんじゃないかな?」


『…………』


 通話口の向こう側でユッキーが黙った。

 けれども沈黙は短かった。言葉が返る。


『まだ必要だよ。色々と微調整があるし』


「そっか」


『夏休みの終わりに、ライブやるんだよ。

 人気バンドの前座の代理にねじ込んだ。

 お客さんめっちゃ来るよ。すごいよー。

 生まれ変わったチハの歌を聴かせたる』


「じゃあ、それが終わった後でもいいか」


『ねえ、ロボくん』


「何?」


『必要なんてなくなっても、いいじゃん。

 ライブが終わっても、チハと会いなよ』


「理由がない」


『だって、チハの歌が好きなんでしょ?』


「好きだよ」


『チハのことだって、好きなんでしょ?』


「……わからない。ろくに話してないし」


『いや、絶対好きだって。告っちゃえよ』


「駄目だよ」


『いや、何でだよ?』


「チハさんは」


 彼は、


 この夏の間、聴き続けた音楽を思った。

 彼女が彼のために歌ってくれた歌声を。

 二人の間でだけ流れていたあの音楽を。


 告げる。


「俺一人のためには、歌うべきじゃない」


 通話口の向こう側でまた相手が黙った。

 けれど、今度の沈黙はひどく長かった。

 この夏、彼女とは何度も話をしていた。

 正直、チハよりずっと多く会話してる。

 だから、沈黙の意味が彼には分かった。


『私、』


 少し震えてるその声に、彼は後悔した。

 後悔して、


『そんなつもりで言ったんじゃないもん』


「知ってる」


『君に嫉妬して、嫌味を言っただけだよ』


「それも知ってる」


『その癖、後になって後悔してみたりさ。

 私のやってること、ぶれっぶれだよ?』


「ちゃんと知ってる」


『だったらさっ!』


 と、通話口の向こう側の彼女が叫んだ。


『そんな嫌な奴の話なんか聞くなよっ!』


 それでも、


「けれど、たぶんあの言葉は正しいから」


 ぐずり、と。

 通話口の向こう。泣き出しそうな気配。


「俺はチハさんの歌がすごく好きなんだ」


『前にも聞いた。知ってるよ……』


「彼女の歌を色んな人に聴いて貰いたい」


『だからぁ、ちゃんと知ってるよぅ……』


「ユッキーさんはやめとけって言ってた。

 でも俺はやるって言った。俺が決めた」


『……少なくともさ』


 ぐずり、と。

 鼻をすすりながらの、縋るような言葉。


『チハは、君と会えなくなると悲しむよ』


「ごめん」


『私も』


 ぽつん、と。

 相手が、消えそうな声で言葉を零した。


『ちょっとだけ悲しい。ねえ、会おうよ』


 彼はほんの少し躊躇した。ほんの少し。


「……ごめん」


『そっか……そっかぁー』


 ぐずり、と。

 相変わらず泣き出しそうな気配のまま。


『あーあー、ロボくんにフラれちゃった』


 でも、無理矢理に相手は明るく言った。


『ライブのチケット、君にあげるけれど。

 もし嫌だったら、来なくてもいいから』


「行くよ」


 そう、と相手は言い、それから呟いた。


『もう、終わっちゃうんだね――夏休み』


      □□□


 ライブは本当に夏休み最後の日だった。


 人気バンドの単なる前座の代理として、

 チハはバンドメンバーと一緒に歌った。


 彼は、ライブ会場の後ろでそれを見た。

 チハたちの演奏が終わると会場を出た。


 しばらく経って、端末に着信があった。

 通話着信。表示された相手はユッキー。

 掛けてくるとは思っていた。彼は出た。


『ロボ? チハだけど、話してもいい?』


 不意打ちだった。


『あんたさ、もう、私と会わないって?』


「……うん」


『そっか』


 向こう側で、こく、と頷く気配がして、


『わかった――それじゃあね。バイバイ』


 とだけチハは言った。なので彼の方も、


「……うん。さよなら」


 それだけ言って、通話を切ろうとした。

 が。


『ごめん。待って。一つだけ質問させて』


 と、チハがそう言ったので、彼は待つ。


『ねえ。今日のライブさ、どうだった?』


「ライブ会場の人たちみんな驚いてたね。

 前座の代理だってのに盛り上がってた。

 詳しく知らないけど、でも、凄かった」


『違げーよ。あんたの感想を聞いてるの』


 彼は、何というべきかしばらく迷った。

 でも結局、用意していた言葉を使った。

 何を言われるのか、予想できたけれど。


「感動した。最高の歌声と演奏だったよ」


 そして、予想通りの言葉が返ってきた。


『――嘘吐き』


 ぶつん、と。

 叩き切るような感じで通話が途切れた。


 そうして、彼の、音楽の夏は終わった。

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