アンナプルナは血染め咲く・後

 白い光が色あせたカーテンを透かし、質素な客室を照らす。まだ意識は曖昧で視界はぼんやりとしているが、もう朝だという事実だけは残酷なほどに確かだった。起き上がって、重力に身体を馴染ませようと腕を天井に伸ばす。


 跳ね上がった髪の毛を指で摘み上げつつ、時計に目をやると、短針は午前九時を示していた。


「わっ」


 約束の時間から二時間も過ぎてしまっている。

 急いで寝巻きを着替え、荷物を整える。


 客室を出てロビーに向かうと、二人の青年がソファに座っていた。一人はケルウだが、もう一人には見覚えがない。艶やかな黒髪と、小動物のようにくりっとした瞳が特徴的な青年で、ケルウと同じ自警団の制服を身に纏っている。


 ケルウは私の姿を認めると、読んでいた新聞を机の上に置いて、ロビーの時計に視線を移した。


「午前七時に迎えに来いと言われ、ここで貴女を待っていました。もう二時間十分も経っていますね。さぞごゆっくりと眠っておられたのでしょう」


「うう……」言い返す言葉もなく、私はそのまま頭を下げる。「ごめんなさい」


「はあ」


 呆れたように大きくため息を吐くケルウ。昨日出会ったばかりなのに、もはや見慣れた仕草だ。


「こっちはちゃんと謝ってるのに、そんなにため息ばかり吐かなくたっていいじゃない」


「今日はまだ一回目です」


「そうだけど」


「それに、三十分ならまだ分かりますが、二時間はないでしょう。犯罪的な遅刻です。もし僕たちが友達なら絶交していますよ」


 悔しいが、ぐうの音も出ない。


「ぐう……」


「まあ、僕は心の器が大きいので気にしていませんが。それより、今日は貴女をオージェフ家の屋敷へご案内するということで、よろしいでしょうか?」


「……うん、お願いしたいわ」


「承知いたしました」


 ケルウは恭しく頭を下げる。腹立たしい仕草だ。


「それで、……貴方は?」


 すっかり置いてきぼりにされていた見知らぬ青年に視線を移して、私は言った。


「はじめまして、ロロです」


 青年は立ち上がり、溌剌とした声で応えた。

 ロロという名前には聞き覚えがある。たしか、屍体が発見された日の朝、使用人の女と同行していた人物だ。


 ケルウはロロの隣に立って、説明を加える。


「屋敷に向かう前に、屍体発見当時の様子をロロ本人の口から一度伝えておくべきかと思い、貴女と面会させました。ご存知の通り、ロロは使用人の女とともに屋敷に向かい、屍体を発見しています」


「はじめまして、私は魔法調査官のレゼリアと申します。この度はずいぶんとお待たせしてしまって申し訳ないですわ」


「いえ、お気になさらず。仕事をさぼる口実ができて、むしろ感謝しています」


 ロロは白い歯を見せて無邪気に笑う。年齢はおそらく私と同じくらいだろうけど、見た目よりも幼い印象だ。


「それはどういたしまして、ですね。まだ九時ですのに、朝早くから勤めておられるようで感心します」


「いいえ、そうではなく、あの家畜が立て続けに殺されるという事件が起こってから、村の警備を強めているのです。ですので、早朝……つまり、日が昇り月が見えなくなると同時に、警備を始めています。普段はそれほど早くはありません」


「屋敷で屍体を発見した日も、朝早くから村の警備をしていたのですか」


「はい。満月が西の空に沈んだ頃、六時くらいから、見回りをしていました」


「それで、たしか午前八時頃に、メリィ……オージェフ家の使用人の女に、屋敷までついてくるようにお願いされたのですね」


「その通りです」


「屋敷に着いてからのことを詳しく聞かせてもらっても構わないかしら?」


「喜んで」


 私とロロは対面するソファに腰をかける。ケルウは側の柱に寄りかかって立ち、険しい表情で新聞を眺めていた。


「使用人のメリィさんといっしょにオージェフの屋敷に向かったのですが、ご存知の通り扉には鍵がかかっていました。そこでメリィさんの許可を得て、近くに転がっていた石で扉を破壊し、中に入りました」


「扉って、そんなに簡単に壊せるものなのですね」


「屋敷自体は百年ほど前に建てられたらしく、オージェフはそこに移り住んできたわけですが、老朽化がかなり進んでいます。それに玄関扉は外開きで、蝶番が外側に露出していますので、それを壊せば簡単に中に入れます」


「なるほど」


「それで、屋敷の中の様子ですが、すでにメリィさんからも話を聞いているのですよね? でしたら、おおよそは同じかと思います。虚な表情の男の子が、首のちょん切られた四つの屍体のそばで座っていました」


「私が伺った話によると、屍体と少年を見つけたあと、貴方たちは別々に行動したのですよね?」


「はい、二十分くらいです。メリィさんを玄関のそばで待たせて、僕は屋敷を探索しました」


「屋敷が密室だったから、犯人がまだ屋敷の中に身を潜めていると思ったのですよね」


「そうです。結局、誰もいなかったですけどね」


「屋敷の中で、何か気になったことはありましたか」


「そうですね……記憶に残っているのは、おそらく魔女についてのものと思われる本や資料がたくさんある部屋が、地下の奥にあったことくらいですね。その部屋は特に不気味だったので覚えていますが、正直なところ、あまり詳しくは覚えていません。急いでいたので」


「ちなみになのですが、貴方はどのような手順で屋敷を探索しましたか」


「……手順? 部屋に入って、誰かが隠れていそうな場所を探して、ってくらいですけど。そういうことですか」


「えっと、そうではなく、探索を行った順番です。屋敷は、地下、一階、二階と、三つの階に分かれていたと思いますが、どの階から見て回りましたか」


 私の質問に、ロロは少し不思議そうな表情を浮かべる。


「今レゼリアさんがおっしゃった通りの順番です。地下から見て回り、次に一階、最後に二階を調べました」


「ふむ」


「メリィさんから大体の間取りを教えてもらいましたので、実際はその通りに見て回ったのですけどね」


「まず初めに地下に向かったことには何か理由が?」


「うーん……特にはっきりとした理由があるわけじゃないですけど、地下の方が怪しい場所が多いかもと、メリィさんもおっしゃっていたので。彼女自身、あまり屋敷の地下に入ったことがないらしく、いわく立ち入ることが禁止されていたそうで」


「そうですか」


 もしオージェフ家のどこかに少年が監禁されていたのなら、それは地下の一室である可能性が高いだろう。


 その他、屍体を発見したときの様子を詳しく訊いたが、特にめぼしい収穫はなかった。一応、使用人の女の話と整合性がとれているので、二人が共犯でない限りは、信頼できる情報と言える。


「それにしても、本当にあの男の子がオージェフ夫妻とその娘を殺したのですかねえ」一通り話し終えたあと、ロロが不満げにぼやいた。「医者の話によると、彼は幻覚作用のある薬を摂取していた可能性があるらしいですし」


「薬?」


 初めて聞いた話に、驚きを隠せなかった。ロロはそんな私の表情を見て、意外そうに肯く。


「はい。ご存知なかったのですか」


「誰もそんなこと話してくれなかったわ」


 私はちらりとケルウの方に目をやったが、彼の表情は相変わらず読み取れない。


「昔、この辺り一帯で、外国から密輸された麻薬が流行したのですが、おそらくそれと同じものだと僕は思います。摂取すると長時間にわたって幻覚や昏睡を引き起こすとされていて、近年では法によって規制されていますが……この村では、まだ年に数回、麻薬関係の事件が起こっています。この麻薬の取締りは、我々自警団の重要な責務の一つです」


「幻覚や昏睡って……。それじゃあなんで貴方たちは、自分が殺したっていう彼の言葉をそのまま信じてるのよ。それこそ幻覚かもしれないのに」


「あくまで可能性の話ですからね。当時の彼の状況を考えると、何らかの薬物が投与されていた可能性があるというだけで、確かな話ではありません。それに……いくら意識が朦朧としていたとはいえ、四人の首を斧で切断する──そんな都合のいい幻覚を見ますかね。彼は四人の首を斧で切断し、自分の手で殺したという事実を、はっきりと覚えているのです。悔しいですが、密室であったという状況と合わせて考えると、あの少年が犯人だと言わざる得ないと思います……」


 私が刑務所に行き少年を訪ねたとき、彼は自分がオージェフ家の四人を殺したという事実を認めていた。それだけは確かであると言わんばかりに。


 盲目であるはずの彼が、どうして四人もの人間を殺すことができたのか。 協力者がいたから? いいえ……あの屋敷は密室だったはずで、あの場には殺された四人と少年しかいなかったはずだ。少年が聞いたという、誰かの声をのぞいて。


「魔法によって少年が操られていた、ということはないのですか? 魔法は、人の道を外れた邪悪な技だと聞きましたが」


 ロロが憎らしげな口調で言う。


「人の感情に何らかの影響を与える魔法なら、いくつか見たことがあるけど、それは音楽や絵画と同じ。それ自体が悪というわけではないの。それに、人の行動をコントロールする魔法なんて……」


 ここで私は言葉を切った。そんなもの、あるはずがないからだ。

 どんなに強力な魔法使いだって、命あるものを支配することなんてできないのだ。もし魔法が、多くの無知な人間がそう信じるように、全てを支配することのできる恐ろしい技なのであれば、科学との戦争に敗北することなどなかったであろう。


「そろそろ、出発しましょうか」


 ケルウが言って、私は黙って肯いた。






 ✳︎






 木漏れ日を避けるように、並び立つ木々の影に沿って歩く。やや傾斜のきつい荒れた石畳の地面はまったく歩行に適しておらず、数分も立たないうちに息が激しくなった。もう少し暑い季節であれば、屋敷に着く前に熱中症で倒れてしまいそうだ。


 メリィは毎朝この坂を登って屋敷に通っていたのだろうか……。もしそうならば感心せずにはいられない。


「まだ着かないの? もう三十分くらい歩いたのじゃないかしら」


「もうすぐです」


 汗一つかいている様子のないケルウが、振り向きもせずに応える。やっぱりあの男には人間の血が通っていないのかもしれない。


 しばらく並木道を進んだ先で、少し先を歩いていたケルウが足を止めた。私も立ち止まって、視線を上げる。


 ケルウの立つ先で道は果て、まるで異質なものを避けるかのように、周囲の木々は円状に広がっている。その空間の中心に屋敷は立っていた。


「……幽霊屋敷みたいね」


 黒く褪せた外壁や異様に鋭く伸びた尖塔は、まさに幽霊屋敷といった趣だ。メリィやロロのいった通り、目視で確認できるすべての窓には鉄の格子が取り付けられており、窓から中に入ることはできなさそうだ。


「素敵な屋敷じゃない。住んでみたくはないけど」


「たとえ山の中で遭難しても、こんな屋敷だったら入るのを躊躇いますね」


「あら、怖がってるの?」


「ええ。もし中に魔女が潜んでいたら、貴女を盾にして逃げさせてもらいます」


「レディーファーストって知ってるかしら?」


「さあ、田舎にはまだ浸透してない文化でしょうか」


 庭地を彩る花々は私たちの到来を待っていたかのように、風もないのにゆらゆらと揺れる。枯れた噴水を越えた先に、屋敷の玄関ポーチがあった。ロロの言った通り両開きの扉は壊されており、中に通じる空間が露出している。私たちは屋敷の中に入った。


 赤い絨毯が敷かれたエントランスホールは暗澹としていて、光を失ったシャンデリアが頭上で秘かに回転を続けていた。捻れながら半回転する螺旋階段のさらに上では、七色に発光するステンドグラスの中に描かれた銀髪の女性が、私たちを呪うように見下ろしている。私は彼女を知っている。レイア──かつてこの世界に実在した、最も強力な魔法使いの一人だ。周囲の壁にはいくつもの亀裂が走っているのにも関わらず、そのステンドグラスだけが今も煌びやかに輝いている。


「屍体が見つかったのはこの辺りです」


 赤の絨毯が黒く染まっている箇所を指さしてケルウは言った。


「ふうん」


「何か分かりますか」


「見ただけじゃ分からないわね」


 黒い染みが広範囲にわたっていることから、多量の血液が勢いよく飛び散ったのだと推測できる。しかし肝心の屍体はすでに土の中であり、ほんとうにここで四人が殺されたのかを確かめる方法はない。血液だけならあらかじめ準備できないことはないだろう。


「ねえ、ちょっと離れてくれるかしら」


 ケルウに言うと、彼は怪訝な顔をした。


「僕がいない間に証拠を始末するおつもりですか」


「違うわよ。もしそうならこんな分かりやすい言い方はしないでしょ」


「ではなぜ」


「確かめたいことがある。それにはある道具を使うのだけど、他人にその道具を見せてはいけないことになっている。これは魔法調査官としての命令よ」


「……分かりました」


 ケルウは肯いて、玄関の外に引き返して行った。

 その後ろ姿を見届けたあと、私はポーチから無色透明の球体を取り出した。片手で持てる大きさだが、ずっしりとした重みがある。これはラーマの球体と呼ばれ、かつて存在したラーマという魔法使いによって開発された。今ではその弟子であった魔法使いのみがラーマの球体を作り出すことができる。この球体は主に魔法の検出に用いられ、何かしらの魔法が行使された空間に球体を近づけると、検出された魔法の濃度に応じて球は青く発光する。魔法が行使されてからその場に停滞し続ける期間はおよそ一週間とされるが……果たしてどうだろうか。


 しばらく球体を見つめてみるが、青く光る様子はなく透明のままだ。片目をつぶって奥を覗いてみても、外部から球体の中に侵入してきた光が湾曲して映っているだけだった。


「やっぱり、あの少年が魔法を使って人を殺しただなんて、そんなこと……」


 あるはずがない、そう言いかけたとき、微かに、球体の中心がほの青く発光した。


「……えっ」


 私はその光が強くなっていく方向に、球体を動かしていく。絨毯の黒く変色した領域、その真上で、球体は最も強く反応した。微弱ながらも、しかし薄暗闇の中では疑いようのないほどに、明らかな光だった。


 さらに絨毯の上をくまなく調べていくと、球体が最も明るく光った場所の真下に、一輪の薔薇が咲いていた。茎や葉はなく、花だけが絨毯に生えている。なぜ今までこの花の存在に気づかなかったのだろう……。黒い薔薇は、血で染まった絨毯と同化していたのかもしれない。


 私は薔薇を摘み取る。根っこのようなものはなく、花だけが手の中に収まった。掌全体を覆ってしまうほどの大きさだ。


 花びらを指でなぞる。想像していたような柔らかな感触ではなく、硬い。血液が滲み、固まってしまっているようだ。花全体をよく観察すると、花びらの裏側にはまだ本来の色であるらしい白色が残っている部分もあった。それは新雪のような、美しい純白だった。


 この薔薇が、少年の魔法なのだろうか。


 例えそうだとしても、私にはそれが、誰かの命を奪うような恐ろしい魔法とは思えなかった。







 ✳︎







 ケルウを呼び戻し、再び屋敷の探索を始めた私たちは、地下の奥で奇妙な部屋を発見した。

 それは独房のような空間で、四方を囲う剥き出しの石壁には、爪で引っ掻いたあとや、わずかに血痕が残されていた。部屋の中にはさまざまなものが散在しており、例えば積み重ねられた魔導書の類や、時計の形を模したオブジェが見受けられる。天井や床面には、チョークで描かれた幾何学的な模様が入り乱れていた。部屋の片隅に敷かれている毛布は、ここで誰かが住んでいたことを示唆するのだろうか。


「変わった部屋ですね」


 まったく感情のこもっていない声でケルウは呟いた。


「少なくとも普通の家にこんな部屋は存在しないでしょう」


「やはりオージェフは何かしらの方法で魔法と関わっていたのでしょうか」


「このよくわからない模様は魔法陣のつもりかしら。それに……魔導書。胡散臭い本ばかりだけど、どれもに関するものね」


「魔女……」


「オージェフはレイアを信仰していたのじゃないかしら。レイアはかつて実在した伝説的な魔法使いで、時を支配したとされている。彼女でないにせよ、魔法使いを神のように崇めるカルト的な集団がいるって聞いたことあるわ」


「しかしそれならば、なぜこの村に移り住んできたのでしょう。この村では魔女は忌み嫌われています。魔法的な活動をする上で不都合ではないですか」


「それは貴方自身が昨日話していたじゃない。彼は魔女狩りによって殺された魔女の子供が欲しかったのよ。ほんものの魔女を生み出すためにね」


「魔女を生み出す? そんなことが可能なのですか」


「少なくともカルト集団の連中はそう信じているわ。彼らは幼い子供の眼球を抉り出し、視覚を奪う。何故だかわかる?」


「さあ」


 ケルウは首を傾げる。私は石壁に残された血の跡を指で辿りながら、彼の疑問に応える。


「前にも話したけど、魔法は想像を創造に変える力。強力な想像は、それに伴う強力な魔法を生み出す。そこで狂った人間たちは考えたのよ。より強力な想像を生み出させるためには、どうすればいいのか」


「……それで、子供の視覚を奪うのですか」


「ええ。大人たちはこの世界が如何なるものなのかをすでに知ってしまっているけど、子供にはまだ世界を想像する余地があるでしょう? だから子供の目を奪うの」


 もっとも、実際に視覚を失った人間が魔法を使えるようになるのかというと、決してそうではない。レイアは目が見えていたし、他の有名な魔法使いたちだってそうだ。


「すべてはただの盲信よ。視覚を失うことが魔法の発現に繋がる可能性は、極めて低いとされているわ」


「仮にあの少年がここに監禁されていたとして、彼が魔法を使えるようになることはありえるのでしょうか?」


「ありえないでしょうね。……奇跡でも起こらない限りは」


 奇跡。口に出してしまえば安易な言葉だ。

 ポーチの中に忍び込ませた血染めの薔薇は、果たしてその奇跡なのだろうか。






 ✳︎






 気がつけば村に戻っていた。屋敷を出てから村に着くまでの記憶がひどく曖昧で、まるでずっと眠っていたみたいだ。街路の石畳を白く灼く真昼の陽光が、きっと私の意識を覚醒させたのだろう。夢の底から急に浮かび上がってきたかのような、不思議な感覚だった。


 少し前を歩いていたケルウが、私の変化に気がついたのか、片目だけをこちらに向けて言う。


「次はどこに向かいましょうか」


 その唐突な問いかけに、私はうまく反応できなかった。喉の奥がひどく渇いていて、言葉が出てこない。


「少し休憩が必要でしょうか?」


 ケルウは珍しく私の顔を覗き込むようにして言った。それに対し私は首を振って応える。足に力を込めないと今にも倒れてしまいそうなほど躰は疲れきっているのに、胸の奥に宿った何かがどうしようもなく私を掻き立てるのだ。


「先ほどからずっと何かを考えているようですね」


「……ええ」


「答えは導き出せそうですか」


「まだ分からない」


「もし貴女がほんとうにあの少年を救うつもりなのなら、猶予は残りわずかです。明日の正午、彼は広間で殺されます」


「……知ってるわよ」


 この村であの少年を救えるのは私だけだということも、現在の状況が限りなく手詰まりに近いことも分かっている。調べられるものはすべて調べたはずだ。一体なにが足りないのだろう。


「これは自警団の一人としての魔法調査官に対する問いですが、あの場でなんらかの魔法は使われたのですか」


 事務的な抑揚のない口調でケルウが訊いてくる。

 本来の彼の仕事は、私から聞き出した情報をグリスや村長に伝えることであり、決して私の助手ではない。それゆえ、もちろんこの事件において少年側に立つ人間でもない。私は彼をどこまで信頼すべきなのか、深く考えなければならなかった。


「おそらくは、ね。けれど、それがどのような魔法だったのかは分からないし、そもそもあの少年が魔法を使ったという証拠もない」


「魔法が行使されたという事実さえあれば、あの少年を殺すのには十分でしょう」


「ねえ、少し一人にさせてくれるかしら?」


 私にはゆっくりと思索に耽る時間が必要だった。それは、この青年抜きで果たせれるべきだ、というのが今の私の結論だ。

 突然の申し出にケルウは一瞬だけ躰を硬直させたが、すぐにいつもの冷たい表情に戻り「分かりました」と言った。


「では、僕は団長にこれまでの調査について報告します。確認ですが、実際にあの場で魔法が使われたという事実を、団長に伝えてもいいのですね」


「ええ、事実だもの」


「……承知しました」


 ケルウは恭しく頭を下げ、そして家々の影が覆う路地の方へと姿を溶かせた。


 彼の後ろ姿が消えたあと、私は倒れ込むように、円状広間へと続く石の階段に腰を落とした。斜面に従って並列する家々の影が、あの白く燃え盛る円球から私を守ってくれる。影と光の境界線のその向こう側では、数人の子供たちが眩い光の中で楽しげに遊んでいた。明日この階段を上った先で、あなたたちと同じくらいの歳の少年が殺されるかもしれないのに。


「まったく、こんな村、来るんじゃなかった」


 小さく呟く。どこかの村の知らない誰かが殺されようが、私にはどうだっていい話だ。この世界では常に誰かが理不尽に殺され、どうしようもない奴らが彼らの死を笑っている。それは人間が人間である限り仕方のないことで、楽に生きたいのであれば、きっと笑う側の人間になるべきなのだろう。けれど……。


「つまらないわね」


 きっとそれだけが、私が今もこうして真実を見つけようとする理由なのだ。

 瞳を閉じて、再び思考を研ぎ澄ませる。


 少年はほんとうにオージェフ家の四人を殺したのか。


 少年の両眼が抉られていることから、彼に対して非人道的な実験が行われていたのは確かだろう。それは少年が彼らに復讐する動機に十分なりうるが……それにしてもなぜ、斧で首を切る必要があった? 視覚を失った彼が、人を殺すのに首を切断するという手法を選ぶ必要があるのか。さらに事件当時の彼には、なんらかの薬物が投与されていた可能性が高い。例えそれが人体実験の一環だったとしても、意識が朦朧とした状態で、四人もの人間を殺すことができるのか?


 ここまで考えて、私は首を振る。あの少年に四人もの人間が殺せたはずがない。たとえどのような魔法が偶発的に発現したとしても、人の首を切る魔法などあるはずがない。


 では、仮に彼が四人を殺した犯人ではないとする。そこで問題になるのが、彼の自白だ。

 少年は四人の殺害を認めている。自分が殺していないのなら、なぜ彼は殺害を認める? 誰かを庇っているのだろうか……。あの屋敷に住んでいたのはオージェフ家の四人と、おそらく地下に監禁されていたであろう少年。使用人であるメリィは少年の存在自体を知らなかったわけだから、同様に少年が彼女を知っていた可能性も低いだろう。つまり、そもそも少年には庇う必要のある人間などいないはずなのだ。


 実はメリィと少年はお互いの存在を知っていて、少年がメリィを庇っているということはないか? ……いいえ、メリィはオージェフ家に助けられた人間であり、彼らを生活のよりどころにしていた。メリィに彼らを殺す動機があったとは思えない。


 ひとつ確かなことは、誰が犯人であるにせよ、その人物は少年の存在を知っていたはずだ。明らかに犯人は少年が盲目であることを利用して、罪をなすりつけようとしている。口封じのために少年を殺さなかったのは、彼が自白することを知っていた──つまり、犯人は何かしらの方法で、自分自身が四人を殺したのだと少年に錯覚させたのだ。


 だけど……少年は屋敷の地下にずっと監禁されていたはず。オージェフ家以外の人間に、少年に会うチャンスがあったとは思えない。


 それでは、一体どうやって犯人は少年を錯覚させた?


 ふと思い立った私は、重い腰を持ち上げて、少年のいる刑務所に向かった。


 村の北側へ向かう通りにはあまり人影が見られず、家々の姿も疎らになる。遠くの山々を結ぶ薄青い稜線が、丘の草原を越えた先でずっと連なっているのが見えた。道の途中で動物特有の咽せるような異臭を感じ、匂いを放つ根源を探すと、その方向には古びた畜舎があった。付近には白い柵が連なっており、耳を澄ますと馬の呻くような鳴き声が聞こえる。


 村の中央からかなり離れた草原の中に、刑務所はあった。黒い鉄条網が草原と刑務所とを隔てている。門の入り口に立つ職員の了承を得て、その案内のもと、私は少年のいる独房へと向かった。


 職員が扉を開け、私は独房の中に入る。鉄格子を隔てた先で、少年は顔を俯けて地面に座っていた。その姿は昨日見た時よりもひどく痩せ細っているように見える。骨と血管が透けて露出してしまいそうなほど、肉が削がれ皮膚は青白く変色していた。


 そのあまりに凄惨な姿に思わず吐気を覚えるが、それを無理やり胸の奥に飲み込んで、私は少年に話しかける。


「こんにちは。私のこと、覚えているかしら」


 しばらく待っても、少年は死んだように動かない。昨日と同じだ。


「私の名前はレゼリアよ」


 そう言うと、少年はおもむろに顔を上げた。黒い眼窩がまっすぐに私を捉える。


「また会ったわね。私のこと、覚えてる?」


 少年は首をわずかに動かして肯く。声は届いているようだ。しかし、この様子だと、あまり長く話すことはできないだろう。彼は明らかに衰弱し切っていて、その命の灯火がいつ消えてしまってもおかしくはない。


「少しだけ私の質問に付き合って欲しいの。構わないかしら」


 少年は肯く。


「貴方はオージェフ家の四人を殺した。私は信じていないのだけど、また訊いたって肯くだけでしょうから、昨日と同じことは訊かないわ。……貴方は目が見えないから、自分がどこにいたのかさえ分からないかもしれない。けれど、貴方はどこか一つの場所に閉じ込められていたのじゃないかしら」


 少年はその問いにゆっくりと肯いた。やはり、彼は屋敷の地下に閉じ込められていたのだ。


「貴方はオージェフ家以外の人間──つまり、貴方が殺した四人以外の人間と会ったことがある?」


 少しの沈黙の後、少年は首を振った。使用人の存在を知らなかったのか。


「メリィという名前に聞き覚えはない?」


 少年は首を傾げた。

 私は次の質問に移る。


「貴方はおそらく、自分の意思で彼らを殺したわけではないと思うの。知らない人の声を聞いたって貴方は言っていたけど、その声が貴方に彼らを殺させたのじゃないかしら。そもそも貴方は、はじめは自分がしたことが殺人だったとは分からなかった。朦朧とした意識のなかで、声に導かれるまま斧を振り下ろした。そして、誰かの首を切ったという記憶だけが脳裏に焼き付き、後でそれがオージェフ家の四人だということに気づいた。いいえ、その声によって気づかされた」


 少年ははっきりと肯いた。

 彼がほんとうに自分の手で誰かの首を切断したのなら、それは犯人によって仕組まれた罠であるとしか考えられない。この推理は、どうやら当たっていたようだ。


「だとしたら、罪を償うべきなのは貴方じゃないわ。その声の主よ。そいつがどんな声だったのか、性別だけでも教えてくれたら助かるのだけど……貴方にはそれができないみたいね」


 言っている意味が分からない、というような顔つきで少年は首を傾げていた。


「それにしても、少年少年って、なんだか呼びづらいわ。名前……そうね、ルーっていうのはどうかしら。この前死んだ私の同僚でね、憎たらしいやつだったわ。明日死ぬ予定なんだから、一日くらい人の名前借りたって文句は言われないでしょう」


「……ルー」


 掠れて消えてしまいそうな声で、しかしその音色を確かめるようにはっきりと、少年は呟いた。


「そうよ、ルー。変な名前よね」


 私は一人で笑う。少年はまだ何がなんだか分かっていない様子だ。


「約束するわ。魔法調査官として、私は必ず犯人を見つけ出す。ルー、そうすれば貴方は自由になるの。きっと、必ずね」


 自由の意味さえ知らない彼には、私の言葉が理解できないのかもしれない。不思議そうな表情をする彼を残して、私は独房を去った。


 






 ✳︎








 村へ帰る途中、私は道の半ばで見つけた馬小屋に立ち寄った。ふと馬車で御者の男が話していた事件を思い出したからだ。

 人の姿を探して近くの草原を彷徨っていると、小屋の中から一匹の馬を引き連れた大柄な男が現れた。太り気味の人特有の、どこか丸っこく親しみやすい顔をした男性だ。


「おや、お嬢ちゃん。迷子かい。顔色がよくねえが」


 持っている縄で馬を静止させ、男は尋ねてきた。


「はじめまして。私は魔法調査官のレゼリアと申します。オージェフ家で起こった殺人事件をご存知ですか」


 言うと、男は目を丸くさせて驚いた。


「お嬢ちゃんが魔法……なんだっけ。その魔法なんちゃらなのか? そりゃあ失礼しやした。俺はベルというもんです。もちろん事件については知ってますさ。この村で知らねえ奴はいない」


「その事件を調査するために、私はいろいろと調べ回っているのです」


「そりゃ結構なことですが、ここいらには何にもねえよ。人もいねえ。あるのは草と馬だけだ」


 ベルは呵呵と大笑する。向こうの丘にまで届いてしまいそうな声だ。


「ここ最近、村で家畜が殺されるという事件が多発しているそうですね。その事件について聞かせて欲しいのです」


「ああ、あれか」ベルの表情が、別人のように神妙なものへと変わる。「あれもおっかねえが……お嬢ちゃんが調べてるオージェフの人殺し事件と何か関係があるのかい」


 私は黙って肯く。

 ベルは長く伸びた髭を手で摩りながら、思い出すように話しはじめた。


「話すも何も、村で噂になってるでしょう? この村には牧場がいくつかあって、その家畜らが立て続けにやられた。みんな前脚とか後脚とか、あと尻尾なんかをちょん切られて殺されてたらしい」


「この牧場では? 馬は大丈夫だったのですか」


「いいや。うちのがやられたのは先週の晩、満月の日です。お嬢ちゃんが知ってるかは知らねえですが、この村では月が大きい日の夜は外にでちゃいけねえことになっている。なのに朝ここに着いたら、殺されてたのさ。まだ幼かった子馬が四頭、首をちょん切られてです」


「子馬が四頭、ですか」


「ええ。可哀想ですが、それでもうちは子馬で済んだのが幸いでした。仕事に使う馬が殺されちゃあ、食っていけませんからね」


 悲痛げに顔を歪めてベルが言う。

 その後も彼は何か言葉を継いで話し続けているのだが、私の意識はまったく別の方向に向いていた。

 恐ろしい加速度を伴って、思考が脳裏を駆け巡る。少年、首、密室、馬、魔女……もう少しなんだ。もう少しで、パズルのピースが埋まる……それなのに、どうしても当てはまらない空白が残ってしまう。


「おい、大丈夫かい、お嬢ちゃん! おい……」


 ベルに強く肩を揺さぶられ、意識が現実に戻る。私は「ありがとうございました」とだけ呟いて、彼の元を去る。それから足を踏み出したはずなのに、躰は前に進まず、次の瞬間、視界は緑色で埋め尽くされた。頭に強い衝撃を覚える。倒れたのだと気づいたときには、すでに視界は暗転していた。







 ✳︎







「気がつきましたか、レゼリアさん」


 灰色の天井。セピア色の空間を照らす洋燈の光。等間隔に並べられた無人のベッド。目線を横に向けると、窓の中で少女が弱々しくこちらを見つめ返してきた。彼女の頭には包帯が巻きつけられていて、目の下には大きな隈ができている。とても魔法調査官とは思えない、なんともみすぼらしい姿だ。


「たまたま近くの牧場を見回っていたので、そこにいた男と一緒に、倒れていた貴女を病院まで運んだのです。覚えていますか?」


 躰を持ち上げようとするが、うまく力が入らない。なんとかして上半身を起こし、私に語りかける人物を見る。彼はロロだった。


「頭の傷以外は、目立った外傷はないみたいです。安静にしていれば躰の方は問題ないと医者が言っていました」


「……迷惑をかけましたね。ありがとうございます」


「いえ、無事に目を覚まされたようで、ほっとしました」


 ロロは無邪気に笑った。

 私はふと思い出して、急かすように問いかける。


「ところで、今の時刻は?」


「時刻ですか?ええっと……たぶん、午後の十時でしょうか」


「十時! 私、そんなに眠っていたの」


「六時間ほどですね。長旅や事件の調査で疲労が溜まっていたのでしょう」


 あと半日もしたらあの子が殺されてしまうというのに、私は悠長にベッドで眠っていたらしい。自分の不甲斐なさが許せなくて、掌を強く握りしめる。


「僕、ケルウさんを呼んできますね。彼も心配していましたから」


「ねえ、ちょっと待って」


 言って、病室を去ろうとする彼を呼び止める。ロロはすぐに足を止めて振り返った。


「一つ、訊いておきたいの」


「なんでしょう?」


「屋敷で屍体を見つけたあと、貴方はどこで鍵を見つけたの?」


「あれ、言っていませんでしたっけ?」意外そうな声色でロロは言葉を継ぐ。「 屋敷の二階にあるオージェフの寝室です。使用人の方の話によると、屋敷には鍵が二つあり、その両方が寝室の棚に置かれていました」


「……なるほどね。ありがとう」


「いえ、お役に立てたのなら嬉しいです」


 照れたようにロロは言った。


「それと、ケルウに会ったら、彼に伝えておいてくれるかしら」


「なんとお伝えしましょうか」


「分かったと」


「分かった?」


「ええ」困惑した表情を浮かべるロロに、私は肯いて応える。「この事件の真相も犯人も、すべて分かった。そう伝えて」


「……承知しました」


 ロロは深く頭を下げて、病室を出ていった。残された私は、再びベッドと毛布の隙間に身体を忍び込ませる。


 光がない。それはどんな世界なのだろう。


 雨粒が窓を控えめに叩く、その音が徐々に強く大きくなり、やがて暴力的な音色に変わった。もし窓を叩いているのが雨なのだと知らなければ、誰かが外から窓を叩き割ろうとしている、そんなふうに勘違いしてしまうかもしれない。少年は、そんな偽りの世界で生かされていた。


 それから数時間、誰もいない病室でロロの帰りを待っていたのだが、ついに彼が戻ってくることはなかった。時間も遅いし、すでに私がホテルに戻ったのだと勘違いしているのかもしれない。


 立ち上がって、病室の外に出る。廊下には誰もいなかった。深夜を過ぎているのかもしれない。列になって闇を照らす電球の薄明かりに導かれ、私は無機質な廊下を進む。


 突然、白い閃光が視界を覆った。


 次に、雷鳴。大地を揺るがすかのように、殷々と鳴り響く。何か不吉なものを予感せずにはいられなかった。躰の節々に襲いかかる鈍い痛みを無視して、必死に足を前へ前へと運ばせる。


「レゼリアさん」


 再び、閃光。

 光の爆発を遮って、正面の廊下に、一瞬だけシルエットが浮かび上がる。ケルウだ。

 私は走って、一気に言葉を捲し立てる。


「ケルウ!分かったの! 私、ぜんぶ分かったわ」


「あの少年は、」


「やっぱり、あの少年は犯人じゃ……」


「死にました」


「………………えっ?」


 その言葉の意味が理解できなかった。脳が理解してしまうことを拒絶している。すべての感覚が消え失せ、恐怖と混乱だけが間近に感じられた。

 ケルウがそばに寄ってきて、死神のように冷たい声を放つ。


「少年は、死にました」


「死んだ……?」


 呼吸さえも忘れ、壊れた人形のように、彼の言った言葉を何度も反復する。死んだ。少年は、死んだ……。


 怒りか悲しみかさえ分からない感情に支配されて、私はただ立ち尽くすしかなかった。








 ✳︎







 翌朝、村を見渡すことのできる丘の上の公園で、私とケルウは並んでベンチに腰を下ろしていた。昨日の雷雨が嘘だったかのような快晴で、白く灼きつく太陽の光を反射された家々の屋根瓦が、ライトアップされた宝石のように赤く輝いている。少年が処刑されるはずだった円球広間もここから見下ろすことができるが、そこに人影はなかった。


「最後に僕をここに呼んだということは、まさか貴女は僕が犯人だと思っているのですか?」


 ケルウがいきなり、しかも大真剣な顔でそう訊いてきたものだから、私は思わず腹を抱えて笑ってしまった。


「馬鹿ね。そんなわけないでしょう」


「大抵の物語において、探偵が最後に問い詰めるのは犯人だと思いますが」


 拗ねたようにケルウが言う。その様子が面白くて、私はまた吹き出してしまう。


「まあ確かに、貴方はやたらと私に付き纏ってきたから、その可能性も考えたわよ」


「人をストーカーみたいに言うのはよくないですね。そもそも案内しろと言ってきたのはそっちです」


「ケルウに聞いて欲しくてね」彼の言葉を遮って、私は言った。「あの子が死んじゃった今、真実を明らかにする意味なんてないのかもしれない」


 少年は昨日の深夜に死んだ。もともと瀕死の状態だったのに、ろくな治療も受けず牢屋に閉じ込められていたのだから、死んでしまうのも当然だろう。


「なぜ僕に聞いて欲しいのです?」


「あの子と約束したのよ。必ず犯人を見つけてやるって。……でもそれは、きっと誰かを幸せを奪うことになる。この真実を公にしても、誰も幸せにはなれないのよ」


「僕は意外と口が軽いですよ」


「じゃあやめようかしら」


「冗談です」笑いもせずにケルウは言う。「貴女が話したいのであれば、話すべきでしょう。それからのことは、僕が考えます」


「ありがとう、ケルウ」


 私は、遠くに世界に旅立ったルーを想いながら、言葉を紡ぎはじめる。


「では、魔法調査官のレゼリアが推理を述べるわ。冗長な説明は嫌いだから、ぱっぱと終わらせるわよ。まず、今回の事件を複雑にしている最大の要因は、少年が四人の殺害を自らの犯行だと自白したこと。これによって、多くの人間が彼が犯人であると考えざる得なくなった。けれど、常識的に考えてみて。目の見えない少年が、四人もの人間を、斧で首を切断するという方法を使って殺すかしら?」


「そもそも殺すこと自体が非常に困難でしょうね」


「ええ、殺された人間が彼に斧を手渡して、切り落としてくださいって自分の首を差し出したのなら分かるけど、そんな馬鹿な話はないでしょう。つまり、彼には四人を殺すことができない。この事件には別の犯人が存在し、その人物は何かしらの方法を使って、少年に自分が四人を殺したのだと思い込ませたのよ」


「話は分かりますが、果たしてそんなことが可能なのでしょうか。確かに少年には薬物が投与されていたみたいですが、ロロが言った通り、首を切断するなんてそんな都合のいい幻覚を見せる薬などないでしょう」


「普通の方法ならできないでしょうね。けれど、犯人はそれをやってのけた」


「どうやって?」


「例えば、貴方は夢の中で、四つの首を斧で切り落としたとしましょう。誰の首なのかは分からないけど、四つの首を切断してそれらを殺したという感触と記憶だけは、脳に深く刻み込まれている。……そして、貴方は目を覚ます。すると目前に、首が切り落とされた四つの屍体が転がっていた。さて貴方はどう思うかしら」


 しばらく目を瞑って考えてから、ケルウは応えた。


「……僕がやったと思うでしょうね」


「私でもそう思うわ。その上、薬物によって記憶が曖昧になっている状況では、勘違いしてしまってもおかしくない」


「つまり貴女は、少年はオージェフ家の四人ではなく別の誰かの首を切断し、それをあたかも犯人によってオージェフ家の人間だと思い込まされている、と言いたいわけですか」


「ええ、その通りよ」


「ですが、それでは少年はオージェフ家の四人の代わりに、誰の首を切り落としたのですか? 仮にこの村で四人もの人間が殺されたのなら、噂にならないはずがないと思いますが」


 ケルウは眉間に皺を寄せて、深く考え込む。彼は見逃しているのだ。それは、彼ら自警団が最も深く関わってきた事件であるはずなのに。

 私は少し間をおいてから、ケルウにヒントをあげる。


「十分噂にはなっているでしょう。隣の村にまで伝わっているみたいだし、貴方たちもそのための警備で忙しいのじゃないの?」


「……まさか」ケルウは信じられないと言った表情で、はっと顔を上げる。「?」


「正解よ。少年はそうするように命令されて、自らの手で、四頭の子馬の首を斧で切り落とした。もちろん、少年は目が見えないから、それが馬だとは知らない。少年を連れて屋敷に向かった犯人は、オージェフ家の四人を殺し──たぶん食事に薬物を混ぜ、その上で彼らの首を切り落とした──少年を残して屋敷を去った。目の見えない彼には、誰かの首を切り落としたという感覚だけが、記憶として残っていた。ゆえに少年は、自分がオージェフ家の四人を殺したのだと思い込んでしまったのよ」


 誰かの首を切り落とした記憶と、自分のそばに転がっている首のない屍体。少年は盲目がゆえ、その二つを繋ぎ合わせてしまった。いいえ、そうするように誘導されたのだ。


「馬を殺させた上で、それらがオージェフ家の四人だったと思い込ませたわけですか。……他の家畜を殺したのは、その犯行をカモフラージュするため」


「あえて頭とは違う部分を切り落とすことで、何か意味のある、儀式的な犯行だと思わせたかったのでしょうね」


「なるほど。いささか狂気的ですが、辻褄が合わなくもないですね」


「納得した?」


「いいえ、貴女の推理は致命的な欠点がある」ケルウは口調を強めて言った。「そもそも、少年は屋敷の地下に監禁されていたのです。それなのに、どうして少年を馬小屋に連れてゆくことができるのですか? 四匹の子馬は馬小屋で殺されたはずです。もし彼を連れ出すことのできた人間がいたのするなら、それはオージェフ家の四人以外にあり得ないでしょう。しかし、彼らは殺されている……。一体誰が少年を馬小屋に連れて行き、馬を殺させたのですか」


「ケルウ、貴方は私と一緒にあの地下の部屋を見て回ったわけだけど、不思議に思わなかったかしら?」


「どういう意味ですか」


「あの部屋には何があった?」


「……確か、魔法についての本やものがありましたが、僕には魔法に関する知識がないので、貴女のようには分からないです」


「あら、覚えていないのね。私は言ったはずよ。あそこにあった魔導書は、どれもに関するものだったと」


「それの何が不思議なのです」


「オージェフはレイアを信仰し、ほんものの魔女を作り出そうとした。なのに、なぜ、少女ではなく少年の眼球を抉りだしたのか。もし本当に魔女を生み出そうとしていたのなら、きっと魔女の娘であった少女の目を奪って、ほんものの魔女にしようとするはずじゃないかしら」


「確かに、言われてみればそうですが……。ではなぜオージェフは、魔女として少年を選んだのですか?」


「すべての謎はある一つの解釈を認めることによって解決されるわ。つまり……。あの地下の部屋には、全く別の人物が閉じ込められていたのよ」


「はあ」ケルウはなんとも間抜けな相槌で私の言葉を受け流した。「……では、一体誰があそこに住んでいたのですか」


「誰って、考えられる人物は二人しかいないでしょ。貴方自身がレストランで話していたじゃない。十五年前、魔女狩りによって殺された女の、双子の娘が行方不明になった。オージェフは彼女らを拐い、一人を魔女にしようとしたのでしょう」


「ですが、その拐われた二人がオージェフの娘だとすると、あの使用人の話や、村で彼の娘たちを見たという話と食い違ってくるはずです。オージェフの娘には、ちゃんと二つの眼球があった。魔女にするためには、あの少年がされたように、眼球を抉り取らなければいけないのでしょう?」


「だったら前提が間違っているのよ。オージェフの実の娘と、拐われた魔女の娘はまったく別々の人物で、首を切り落とされて死んだのは前者だった」


「では、レゼリアさんの推理によれば、オージェフ家には六人の人間がいたことになる。つまり、オージェフとその妻、実の娘二人、さらに十五年前に拐ってきた魔女の双子の娘たち。そのうち、拐ってきた双子の片割れを使って魔女を生み出そうとした」


「その通りね」


「ですが、屋敷で見つかった屍体は四つですよね。オージェフ夫妻と、その娘二人。拐ってきた魔女の娘たちは一体どこにいったのですか?」


「その魔女の娘が犯人だとすれば、辻褄が合うと思わないかしら。おそらく、双子のどちらかが、監禁されているもう一人を助けるために、オージェフ家の人間たちを皆殺しにしたの」


「……」ケルウは黙り込み、おもむろに瞳を閉じた。彼もすでに気づいているのかもしれない。


「あの少年は、貴方の推測通り、十年前に魔女狩りで亡くなった女性の息子でしょうね。彼もまた誰かの手によって引き取られたわけだけど、それはオージェフではない。十年前、犯人はオージェフ家の人間を殺すために、この計画を企て、少年を拐った。少年はこの事件のためだけに用意された生贄だったのよ」


 私たちはずっと犯人の作り出した幻想に囚われていた。オージェフ家の地下に監禁されていたのはあの少年なのだと、錯覚させられていたのだ。


「彼女は、少年をこの事件の犯人に仕立て上げるために、十年もの間、彼を監禁していたのですか。……でしたら、少年のを聞いたという言葉は矛盾するはずです。少年は犯人と共に暮らし、彼女の声をずっと聞いてきたはずで、知らない人間の声だと応えるはずがない」


「ねえ、覚えてる? 少年と話すとき、名前を告げないと彼は話してくれなかったでしょう。なぜかって考えていたのだけど、たぶん、あの子は声で人を認識することができなかった。普通、視覚を失った人間はそれを他の感覚で補おうとするわよね。なのに、彼はどの声がどの人間のものなのか聞き分けることができない。そもそも、彼には声で人を聞き分けるという概念そのものが欠けているのよ。例えば、ちゃんと意思疎通ができるようになってから今まで、すべての人間がまったく同じ声で話しかけてきたとすれば?」


「……名前を聞くことでしか、個人を認識することができない」


「ええ。犯人はオージェフ家の四人の人間を演じて、少年と生活していたのでしょう。だから、彼は自分が殺した四人の人間を知っているし、逆に犯人のことは名前も性別さえも知らなかった。少年は、生まれてからずっとオージェフ家の四人とともに暮らしてきたのだと、犯人に思い込まされていたのよ。ほんとうは、その家には少年と犯人しか住んでいなかったはずなのにね」


 私は乾いた唇を舐めた。ずっと強く噛み締めていたせいか、まだわずかに血の味がする。


「少年に、ずっとオージェフ家の四人と共に暮らしてきたと思わせ、さらにその四人を自らの手で殺したと勘違いさせることで、今回の事件における究極の身代わりを用意したということですか。しかも少年は、ずっと二人で暮らしてきたはずの、犯人についての情報を一切知らない。狡猾ですね、まるで悪魔のように。……貴女の推理が正しければ、この村のどこかに、魔女の双子の娘がいるのですよね? そのうちの一人は眼球を奪われ、オージェフ家の地下に閉じ込められていた」


「私たちに勘づかれないように、家に隠しているのでしょう。もし私たちに、妹に眼球がないことが知られてしまったら? 実はその妹こそが、オージェフ家に監禁されていた魔女の娘なのだと、気づかれていたでしょうね」


 だから病気だと言って、彼女は私たちから双子の妹を遠ざけたのだろう。


「さて、ここまでの推理をちゃんと聞いていれば、残す謎はあと一つのはずよ。最後の謎は密室──犯人はどうやって密室を作り出したのか。でもこれは、わざわざ語るほどのものではないわ。犯人は鍵で扉を閉めて屋敷を離れ、戻ってきたときにわざと鍵がないふりをし、あとはこっそりもとあった場所に鍵を戻しておけばいいだけの話。しかしそのためには、一緒にいた人間の行動をうまくコントロールして、自分から注意を逸らす必要があるけどね」


「ロロはうまく誘導されたみたいですね」


「彼が地下を見て回っている間に、犯人は二階の寝室に鍵を戻したのでしょう」


「そうなると、犯人となりうる人間は一人しかいません」


「これで私の推理は終わりよ」


「……そうですか」


 ケルウはぽつりと呟いた。


「何よ、ちょっと。反応が薄すぎるわ。もっとすごいって褒めてくれても構わなくてよ」


「僕の気持ちも考えてくださいよ。僕はいま果たすべき正義について必死に考えているのです」


「あっそ。まあ、勝手にするがおよし、ですわ。私はもう旅立たなくちゃいけないの。やっとこんな辺鄙な村とはおさらばよ」


「……」


「……なによ」


「いえ、なにも」


「…………じゃあね」


「ええ、お気をつけて」


 ケルウは小さく会釈をして、振り返りもせず私の元を去っていった。まったく、最後まで憎たらしい男だ。


 爽やかな風が頬を撫でる。荒れ果てた私の心を慰めるように。

 きっともうこの村に来ることはないだろうし、この物語がどんな結末を迎えたのか、私が知ることもないのだろう。


 ……彼は悪魔と言ったが、果たして彼女はほんとうにそうだったのだろうか。


 私はポーチを開けて、血で染まった薔薇を取り出す。


 魔法は想像を創造に変える力。この白い薔薇はきっと、あの子の想いを表しているのだろう。それが、彼女に対する届くはずのない愛情だったのかは分からない。もう、血で染められて、なにも見えないのだから。


 一粒の涙とともに、花びらは宙を舞った。


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アンナプルナは血染め咲く 空見ゐか @ikayaki_ikaga

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