アンナプルナは血染め咲く

空見ゐか

アンナプルナは血染め咲く・前

 微風に揺られ波立つ草原を縦に割いて、道は延々と続いている。

 馬車一台がやっと通れるほどの横幅だが、幸いにも他の馬車とすれ違うことはなかった。それどころか盗賊の影でさえまだ見ていない。尻を拷問されているかのような酷い乗り心地を除けば、快適と言っても差し支えのない旅だった。


「そろそろですかねえ」


 馭者の男はやけに間延びした口調で言った。

 窓から進行方向に視線を向けると、遠くの丘に、日の光を反射させて輝くオレンジ色が点在していた。目を凝らすと、それらは赤い煉瓦造りの屋根だった。


「こんな辺鄙なところまで、一体なんの用かは知りませんが、ここいらはあまり評判のいいところではありゃしませんで」


「三日ほどの滞在を考えています」私は馭者の男の言葉をほとんど無視して言った。「それまでに、復路の準備をお願いします」


「はいよ」


 なにか言いたげな表情の男は、しかしそのまま前方に視線を戻す。


 テテロス、目的の村はそう呼ばれている。

 私も少しばかりこの村について調べてはきたが、周囲の村々からはあまり良く思われていないらしく、目ぼしい情報は手に入らなかった。曰く、この村には未だに魔法使いを差別する風習が根強く残っており、現在においても「魔女狩り」が行われているそうだ。丘の頂上では教会の塔が、晴天を貫くように聳えているのが見えた。


「ああ、思い出した!」


 言って、男は唐突に喋り始めた。「知り合いの商人から聞いた話なのですが、近ごろここいらでおっかねえことがあったらしい」


 私は黙って彼の話を聞く。

 もしかすると、私が調査する事件と、何か関係があるかもしれない。あるいは、それ自体の可能性もあるが。


「羊、牛、豚、馬、とにかく家畜が殺されるっていう事件であったそうで。それだけじゃあ貴女さんの興味も湧かねえかもしれませんが、その殺され方がなんともおっかなかったようだ」


「どういう風に?」


「躰の一部分が切り取られていたそうで」私の反応が嬉しかったのか、男は口調を強めて仰々しく話す。「羊は腕、牛は足、豚は……あれ、反対だっけな? 馬は頭でしたぜ。とにかく、躰の一部分が切断された遺骸が、それぞれ四頭が五頭くらい、別々の家畜小屋で見つかったらしい。な、おっかねえでしょ?」


「たしかに、気持ちよくはないですわね」


 単純に考えて、躰の切断には儀式的な意味合いが込められているように思えるが……果たしてどうだろうか。今回の旅の目的である事件にもいくつか類似する部分があったので、少し興味を抱いたのだが、顔には出さないようにした。


「魔女狩りの次は家畜狩りかって、仲間の馭者や商人たちも怖がってますぜ。なんせ、自分のが殺されちゃあ商売になりませんからね。だから誰もこの村にゃあ近づきたくねえのさ。貴女さんの依頼がなけりゃあ、もちろん俺だってこんなところに好き好んで来ねえ」


 私は小さくため息を吐いた。初めからこの男の言わんとすることは分かってる。


 仕方なく、私は男の期待する言葉を言ってやる。


「もちろん、危険に見合った報酬はきっちりと差し上げますので」


 そう告げると、男は初めて、心から安堵したかのような笑みを見せた。黒ずんだ汚い歯が唇の合間から見えて、私は思わず視線を窓の外へと逃がした。







 ✳︎








 案内された建物は周囲の家々よりも少し背が高く、ここら周辺を取り仕切る自警団の拠点であるらしい。

 差し出された味の薄い紅茶をすすりつつソファで待っていると、がたいの良い男が部屋に入ってきた。厚い筋肉によって盛り上がった胸には、おそらく何かの役職を示すのであろう金色のバッチが付けられている。薄い髪と長く伸びた髭のコントラストが印象的だった。

 私をここに案内した男が、彼を見るなり慌てて背筋を伸ばし、敬礼する。


「お待たせした。貴女が魔法調査官のレゼリア様で間違いないですかな?」


 男は図太い声色で言った。まるで品定めするかのような視線で私を凝視しつつ、対面のソファに深く腰を落とす。ずいぶんと偉ぶった様子だ。


「ええ、そうです。はじめまして」


「想像よりもお若い。そのような年で魔法調査官を務めておられるからには、極めて優秀なのだと見受けられます」


「まあ、そうですね」私は曖昧に肯き、腰辺りまで伸びる赤毛を指先に絡みつけて弄る。「少なくとも、無能ではないかと思いますわ」


 グリスの言葉は正しく、魔法調査官とは、魔法が関与していると疑われる事件を専門に扱う探偵のような存在であり、魔法に関する専門的な知識を有する人間にしか務めることは許されない。至極当たり前ではあるが、しかし正規の調査官が世界で二十八人しか存在しないことを考慮すれば、必要とされる知識がどの程度のものであるのかは想像するに容易いだろう。ゆえに私を含め調査官らには、依頼された事件の調査に対する様々な権利が認められているのだが、公的な組織でない孤立した村の自警団でそれらの権利が通用するのかはいささか疑問ではある。


「……ところで、貴方は? 見たところ、団長といったところでしょうか?」


「ああ失礼。申し遅れました。おっしゃるとおり、テテロス自警団団長のグリスと申します。この度は遠方から遥々お越しいただいて、大変感謝しております。その躰では、長旅はさぞ大変だったでしょう」


 私は黙って肯いた。

 彼の瞳は私への軽蔑を隠し切れていない。舐めるように、対面に座る若い少女をじろじろと見つめている。地位の高い男と喋るときはいつもこうなので、慣れたことではあるけど。


 その他、大して興味の湧かない社交辞令のような挨拶を手短に済ませ、私は本題に移る。


「そろそろ、事件の概要について説明していただいてかまいませんか?」


「ああ、そうだ、事件。もちろん、説明しますとも」グリスは大きな顔をガクガクと縦に振って肯く。「ただ、我々はあの事件を調査してもらう必要などないと考えていたのですが、どうも村長や村民がうるさくてですね。魔法魔法と、魔法に親でも殺されたように」


「今回の事件に魔法が関与していると聞きまして、こうして私が出向いたわけですが」


「さあ、どうですかね……。とりあえず、ことの成り行きを説明します。大方はすでにご存知であるかとは思いますが、しばしお付き合い願いたい」


 ここでグリスは一度、紅茶をすすって喉を潤した。


「事件はメージェフ家──この村のはずれ、南西にある林を抜けた先に建つ屋敷──で起きました。屋敷には五人の人間が住んでいたらしい。……らしい、というのは、そもそも誰も気味悪がってあの一家と関わろうとせず、またメージェフ一家もほとんど村に顔を見せなかったため、あの家族のことを詳しく知る人物がいないのです。一家には常に悪い噂が付きまとっていましたからな。それで、殺されたのは四人です。つまり、メージェフ夫妻とその二人の娘が、屍体で見つかった」


「それで?」


「犯人を除くと、屍体の第一発見者は屋敷に通いで働いていた使用人の女と、彼女と同行していた自警団の一人です。先週のこの日、彼女は普段通り、朝の七時に屋敷に向かいました。しかし、玄関の扉には鍵が掛けられており、何度もベルを鳴らしたが、いくら待てども返事はなかった。一時間程度その場で思い悩んだ末――というのも、このようなことは今まで一度もなかったので――流石に不審に感じた彼女は、一度町に戻り、自警団の一人に助けを求めた。それがロロという若造なのですが、彼によると、女は屋敷から微かに血の匂いがすると言っていたそうです。二人は屋敷に向かい、扉を壊して中に入った」


「壊したということは、屋敷に入る手段は、その扉だけなのですか」


「ええ、すべての窓には鉄の格子が取り付けられており、玄関のほかに裏口といったものはないらしい」


「鍵は?」


「二つありますが、屍体が発見された時は、ともにメージェフの寝室にありました。この事実はロロも確認しています」


「つまり、密室であったと」


「そうです」グリスは肯いた。「屋敷に入った二人は、玄関からみて正面の居間に、血の海に浮かぶ四つの首なし屍体、傍らに転がるそれらの首、血の付着した斧、そして、意識を朦朧とさせて佇む一人の少年を見つけた」


「なかなかお目にかかれない光景ですわね」


「とても見たいとは思いませんが。……私の知っている事件の概要はこの程度です。詳しくはロロや、その使用人の女にでも訊ねていただきたい」


「首は繋がったのですか」


「……は?」


「首のない屍体が発見されたそうですが、その傍に落ちていた首は、はたして本当にそれら胴体と繋がっていたものなのでしょうか」


「さあ。ふつうに考えれば、同じ人間の胴体と首だと考えるのがまともでしょう」


「それとですが、聞いた話によると、その少年は犯行を認めているのですよね」


「ええ」グリスは厚い胸板を必要以上に張って応える。「少年は四人の首を斧で切断して殺したという事実を認めています。仮に認めなかったとしても、そもそも密室であった以上、彼以外に四人を殺すことができた人間などいないのですがね。……まったく、村長もこんな単純明快な事件の調査に、貴女のような部外者を招くなんてどうかしている。たとえ魔法がどのようなものであれ、世の常識というものを少しでも持ち合わせていれば、彼がただ一人の犯人だという事実に偽りのないことぐらい理解できるだろうに」


 言い終わると、グリスは眉間に、海溝のように深い皺を寄せ、臭い息を吐きだした。向かいに座る私は思わず噎せ返りそうになり、空のティーカップを鼻の前に持ってきて息を殺す。


 彼のその口調からすれば、おそらく村の多くの人間が、少年が四人を殺した犯人であると信じているようだ。たしかに、屍体が発見された状況から考えれば、少年が犯人だと考えざる得ないだろう。

 だが、私にはどうしても引っかかる部分がある。おそらくそれは、この村の長が、この事件に魔法が関わっていると考える所以でもあるはずだ。


「しかしグリスさん、同様に、世の常識というものを少しでも持ち合わせている人間ならば、の少年が四人もの人間を殺すことができたなど、考えられないのではないでしょうか?」






 ✳︎






 メージェフ家の四人を殺したと自白した少年の話を聞くため、私は村の北側にあるとされる刑務所に向かった。


 テテロスの村は閑散としていて、昼間であるにも関わらず、人の姿は疎だった。

 赤い屋根と木々の緑、ときどきそれらを、数羽の小鳥たちが行き来する。僻地らしく自然と調和された景色は、都会の喧騒に慣れた私には美しく感じられた。しかし飽きてしまえばただもの悲しいだけで、飽きるまでに三十分もかからなかった。

 いくつか路地を抜け、北側へ向かう途中、家々の狭間から大きく開けた空間が現れた。時計台を原点として正円を描くように広がっている。


「二日後です」


 私の案内役を任された自警団の男──名はケルウというらしい──が言った。ウェーブがかった茶髪と端正ながらも眠たげな顔つきが特徴的な青年だ。「ここで彼が処刑されるのは」


「ここで?」


「ええ。魔法を使った者は、この村では公開処刑となります」


 広間の隅では見たこともない金属楽器を鳴らす三人組が、訝しげにこちらの様子を窺っている。彼らの奏でるメロディは常にワンパターンで、息の続く限り絶えず循環している。それは有名な賛美歌の最後の部分だった。


 やがて音楽が聞こえなくなるほど歩き進んだ先に、刑務所であるらしき無機質な灰色の建物が現れた。鉄条網に囲われた四角い直方体の正面に、ポッカリと穴が空いていて、そこが入り口だと認められた。

 職員の人間に了承を得て、私たちは中に入った。


「彼と話すには、まず名前を教えることです」


 錆びた鉄の扉が並ぶ廊下を渡りつつ、ケルウが言った。


「誰と話すにしろ、名前は真先に教えるものでは?」


「貴女がそのような常識を知っているのなら、大して問題にはならないでしょう。うちの団長はやや苦戦していましたが。……あと一つ、彼はおそらく言葉を話すことが大変難しいと思われます。簡単な単語程度なら時折口にしますが、文を話すことはできません」


「ろくな環境で育てられてこなかった、というわけね」


 自警団から聞いた話によると、少年がメージェフ一家の人間であるのかどうかは、まだ分かっていないらしい。だが、おそらく彼はメージェフの息子ではないだろうと私は推測する。なぜなら、彼は盲目であるからだ。

 私は何度か同じようなパターン──つまり、盲目の幼い子供が関わるような事件を扱ってきた。彼らは生まれつき盲目であったわけではない。ある目的のために、色彩のある世界を奪われたのだ。


 やがて廊下の半ばで、ケルウは足を止めた。


「僕は外で待っています」


 言って、扉の鍵を開け、道を譲るように後ろに下がった。

 硬い鉄製の扉を開ける。中はとても人が住んでいるとは思えない、生活感の欠けた空間だった。鉄格子によって狭い部屋はさらに二分割され、色褪せた毛布が一枚、奥側の空間に敷かれている。他に生活品らしきものはなかった。


 毛布の上で、少年が座っていた。


 布切れを縫い合わせて作られたかのような粗末な服を着せられた少年は、ボサボサに乱れた黒髪をこちらに向けて俯いている。血の気のない灰色の腕や足は生まれたての子鹿のように細く、青黒く変色した痣が躰の各所に散見された。年齢は十歳程度だろうか。


「こんにちは、はじめまして」


 できるだけ優しい声色を意識して語りかけるが、少年は俯いたまま、ぴくりとも動かない。本当に彼は生きているのか? あの様子だと、夜に凍死してしまってもおかしくはない。


 ふとケルウの言葉を思い出し、再び少年に話しかける。


「レゼリア。私の名前はレゼリアよ。オージェフ家の事件について、貴方から話を聞きたいの」


「………レゼ、リア」


 囁くような声とともに、少年はゆっくりと顔を上げた。真っ黒で虚な眼差しが、真っすぐに私を捉える。眼窩の奥の深淵が、私を覗いていた。


「私は真実を見つけるために、貴方から話を聞きたい。それは決して、殺された人間の無念を晴らすためでもなければ、この事件の犯人を暴き罰するためでもない。分かるかしら?」


 少年は首だけを動かして小さく肯く。言葉は通じているようだ。


「結構。さて、それでは聞きたいのだけど、貴方の名前は?」


 沈黙。少年の口元は動かなかった。もしかしたら、名前はないのかもしれない。


「では、事件について聞くわ。貴方はメージェフ家の四人を殺した。その事実に間違いはないかしら」


 一切の感情が抜けた人形のような顔が、わずかに動いた。肯いたようだ。


「貴方は目が見えない。正しいかしら」


 少年は肯く。


「目が見えないのに、どうやって四人もの人間を殺したのかしら」


 少年は動かない。


「貴方は四人の人間の首を斧で切断して殺した」


 少年は肯く。


「生きた人間の首を切れば、血が吹き飛びはずよ。殺される直前には、悲鳴も聞こえるはずね。それらについて、覚えているの?」


 少年はしばらくの間、顔を俯かせ、やがてはっきりと肯いた。


「すべての殺人は貴方が一人で行った」


 少年は肯く。


「四人を殺したとき、屋敷に貴方以外の人間はいた? もちろん、殺された四人以外の人間よ」


 少年は肯いた。

 確認程度の質問だったが、これは予想外だった。少年と屍体が発見されたとき、屋敷には他に誰もいなかったとされている。どこかに隠れていたのだろうか。


「その人間は誰?」


 少年は首を傾げた。


「貴方はどうして自分以外の人間がその場にいたと知っているの?」


「……こ、え」


 少し間を開けて、少年は応えた。


「声? 声が聞こえたの?」


 少年は肯く。


「どんな声だったか分かる? 男性とか、女性とか」


 この質問に対しては、少年はまた首を傾げる。言葉の意味が分からない、といったような仕草だ。


 私は一旦質問を打ち切り、深く考え込む。

 これは私の魔法調査官としての勘だが、目の前の少年が四人を殺した犯人であるとは、どうしても思えない。誰かが彼を犯人に仕立て上げようとしているのではないか……。しかし、現状では彼が殺したとしか考えられないのが事実だ。


「……分からないわね。そもそもどうやって貴方が四人を殺したのか。目が見えない貴方に、なぜ彼らは殺されてしまったのか。本当に貴方が殺したの? 誰かを庇っているのではなくて?」


 苦し紛れの問いかけに、少年は強く肯いた。ただそれだけは唯一確かだと言わんばかりに。


「なにか有益な情報を聞き出せましたか? その様子ですと、特に進展はなさそうですが」


 独房から戻った私にケルウはそう言い放った。


「そう見えるのなら、わざわざ訊ねる必要はないのでは?」


「貴女はかの魔法調査官だとお聞きしていたので、もしかしたらと思いましてね」


 ケルウは皮肉っぽく笑う。私のことを子供だと思って嘗めているとしか思えない。

 挑発的な彼の言葉を無視して、私は思ったことを告げる。


「声。彼はそう言っていたけど、屋敷には彼と殺された四人以外の人間がいたそうじゃない」


「ああ、その話は確か団長も言っていましたね」ケルウは細くしなやかな指を口元に添えて肯いた。「ですが、目の見える人間の話と、目の見えない人間の話、どちらを信じるかと言われれば、前者しかあり得ないでしょう」


グリスあの男は私に一言もそんなこと言わなかったけど」


「わざわざ貴女に告げるほどの情報でもないと判断したのでしょう」


「ふーん」


 果たして本当にそれだけなのか。彼は魔法調査官である私の協力に否定的であったが、もしかしたら何か隠したい事実があるのかもしれない。


「次は使用人の女のところへ案内しなさい」


「かしこまりました」


 ケルウはわざとらしく頭を下げて言った。





 ✳︎




 使用人の女は私たちを家の中には招かず、近くの公園へ案内した。砂地にいくつかのベンチが並んでいるだけの小さな公園だが、丘の頂上付近にあり村を見下ろすことができる。


「妹が病気でして、人と合わせてはいけませんので」


 十代後半と見受けられる女は、琥珀色の瞳を大きく見開いて、申し訳なさそうに言った。彼女は病気の妹と二人で暮らしているらしい。


「いつもはオージェフ家に勤めているのですよね? 妹の看病は大丈夫なの?」


「朝から夕方まで働いていました。もちろんずっと付き添ってあげたいのは山々でしたが、お金がなければ私も妹も餓死してしまいます」


「大変なのね」


 オージェフ家の人間が死んで、彼女は再び働き口を探さなければならないのだろう。この先の苦労を想像すると、思わず同情せずにはいられなかった。


 手ごろなベンチを見つけて、私と彼女が横に並んで座った。ケルウは近くも遠くもない距離から、村の景色を眺めている。


「レゼリアさん、でしたよね。私はメリィと申します。ご存知の通り、オージェフ家の使用人として八年間働いてきました」


「八年も?」


 ということは、十歳くらいの年齢から使用人として働いていたのだろうか?


「はい。実は、オージェフ家の皆様には、母が死んでから十年以上お世話になっています。お金がなく貧窮していた私どもを助けてくださったのです」


「幼い頃からの付き合いとなると、貴女にとってオージェフ家は家族のようなものだったのですか?」


「それは少し、……難しい質問ですね」メリィは表情を曇らせる。「もちろん、皆様は幼い私に対して優しく接してくださいましたが、しかし家族のようにと言われますと、それは違うと思います」


「どういう意味ですか?」


「私とオージェフ家の皆様との間には、明確な境界がありました。例えば、立ち入ることが禁止されている部屋や廊下があったり、夕方になると必ず帰るように言われていました。それと、ご主人様は、私がお嬢様方と話すのをあまり好まれていない様子で、私が屋敷の中で姿を見るのは、食事の時間を除いてほとんどご主人様と奥様だけでした」


「なるほど。では、屋敷の中で例の少年を見たことはないのですね?」


「一度もありません。お話にも聞いたことがありませんでした」


「ちなみになのですけど、貴女はメージェフ家で、具体的にどのような仕事をしていたのですか」


「屋敷の中では、庭の手入れや掃除、洗濯、お食事の準備、皿洗いなど、ふつうの使用人の仕事かと思います。屋敷の外ですと、ご存知の通りオージェフ家の皆様は滅多にお出かけにならなかったので、何か必要なものがあればすべて私が村へ買い揃えに行っていました」


「食材は四人分でしたか?」


「はい。洗濯する衣服もいつも決まって四人分でした」


「これは推測でよろしいのですけど、貴女の立ち入りが禁止されていた場所で、もう一人の人間が暮らしていた可能性はどの程度ありますか? 十年近くオージェフ家と関わってきた貴女に、たった一度も姿を見せることなく、ずっと屋敷の奥に潜んでいた少年がいたということは、果たしてあり得るのでしょうか」


「……あり得ない、ということはないでしょう。人間らしい生活が剥奪されるという前提のもとで、ですが」


「ふむ、分かりましたわ。その他、なにかオージェフ家の人間に変わった様子などはありませんでしたか? 誰かの存在を恐れている、など、どんな些細なことでも結構なのですが」


「事件が起きた前の日に訪れたときも、特に異変はありませんでした」


「そうですか。では次に、事件当日のことを思い出してもらいたいのですけど、構わないかしら?」


「……はい」


 陰りを帯びたメリィの表情が、ほんの一瞬だけ強張った。事件当日の光景を、トラウマのように感じているのだろうか。


「貴女と自警団の男が屋敷の扉を壊して中に入ったとき、すでに四人の首は切断されており、そのそばで一人の少年が佇んでいた。この事実に間違いはないですか」


「はい、しっかりと覚えております。悪夢のような、恐ろしい光景でした」


 拳をきつく握りしめ、青ざめた顔つきでメリィは肯く。


「そのあと、貴女たちはどうしたのですか?」


「最初はあの少年が犯人だとは思わず……まだ屋敷の中に犯人がいると思い、自警団の人が屋敷を見て回ると言いましたので……恥ずかしながら、私は玄関近くのすぐに逃げることのできる場所で、彼を待っていました」


「犯人かもしれない少年と同じ場所で?」


「彼は呆然とした表情で、ずっとあらぬ方向を見つめていました。眼球がなく、ここがどこだかも分かっていない様子でしたので、怖くはありましたが、どこかに隠れているかもしれない犯人の方がよっぽどの恐怖でした」


「ですが、結局、屋敷の中には他に誰もいなかったのですよね?」


「はい、そうです」


「確認ですが、貴女が玄関近くで待っていたとき、誰も屋敷の外へは出ていかなかったですか?」


「はい、誰も……」


 つまり、仮に四人を殺した犯人が屋敷に潜んでいたとすれば、その人物はロロの目を掻い潜ってどこかに隠れていたことになる。この可能性は、屋敷に行って直接中の構造を見てみない限り、議論することは難しいだろう。もちろん、何かしらの魔法が行使された可能性も視野に入れなければならない。


「あの、そろそろ行かせていただいてもよろしいでしょうか? 夕飯の準備をしなくてはいけませんので」


「えっ、ああ、もうそんな時間なの? えっと、ありがとうございました。ご協力に感謝しますわ。妹さんの病気が早く治ることを祈ってます」


「ありがとうございます。では、失礼いたしますね」


 言って、メリィは茜に染まる空とは反対の方向、家々の深い影が覆う路地の奥へと帰っていった。


「収穫はありましたか?」


 血のように赤い光に眩耀され、思わず視線を逸らせた先に、ケルウは立っていた。渦巻くような茶色い髪が夕陽に照らされ、燃えるように輝いている。


「そんなことより、お腹が空いたわ」


「まだ夕飯には少し早い時間ですが」


「朝から何も食べてないの。おいしいレストランを教えなさい」


「僕は貴女の召使いではありませんよ」


「スパゲッティが食べたいわね」


「はあ」


 ケルウは諦めたように深いため息を吐き、「かしこまりました、ご主人様」と呟いた。






 ✳︎







 煌びやかな照明に包まれながらも、どこか薄暗く落ち着いた雰囲気の店内で、私とケルウは村が一望できる窓際の席に座った。田舎のレストランにしてはお洒落で、十分合格点だが、口には出さないようにする。


「ホテルまで案内するだけの予定が、なぜ夕飯にまで付き合わされないといけないのでしょうか」


 退屈そうな表情で、ケルウはコップに浮かぶ氷を弄んでいた。


「この魔法調査官レゼリア様の案内を遣わされるなんて、なんて光栄じゃないのかしら、って普通は思うでしょ」


「酔っているのですか? これは水ですけど。あとお酒飲んで大丈夫な年齢なのですか?」


「失礼ね。二十歳よ」


「へえ。僕の方が年上ですね」


「だから何よ」


「魔法調査官と聞いたときは、どんな人間がくるのかと思いましたが、とても幸せそうな人で安心しました」


「褒めてるのなら感謝しますわ」


「ご存じの通り、この村の住民は極端に魔法を嫌っていますからね。村長は魔法調査官を、魔法が関わった事件を突き止め解決する人間、つまり、魔法を追い詰める側の人間だと思い込んで、貴女を村に招いたようですが。実際、貴女はそうでもないようです」


「むしろ魔法についての知見が認められて、魔法調査官になったんだもの。科学か魔法かを選べと言われたら、魔法を取る人間、と言ったら、貴方は私を嫌うかしら」


「さあ、どうでしょう。僕は魔法がどのようなものなのかは知りませんので」


「偉いわね。本当は知らないものに対して、勝手に知っているかのように錯覚し、自分に対して都合の良い先入観を持つことは、最も愚かな人間のすることよ」


「……貴女は魔法使いなのですか?」


 カラン、と、ケルウの持つコップの中の氷が、鋭い音を立てた。

 小さな沈黙。その中に、永遠とも思えるような、長い時間の溝があった。


「いいえ、残念ながら違うわ」空白の後、私は首を振って応えた。「私は魔法が使えない。魔法調査官の中には魔法を使える人もいるけど、それは極少数派。そもそも世界中を探しても、魔法使いなんてもうほとんど残ってないわ」


 魔法とは人の想像がなす技。想像を創造に変える力。けれど、科学が浸透し、なにかを想像する余白さえもなくなってしまったこの世界では、もはや魔法は必要とされていない。淘汰されるべき存在なのだろう。


「そうですか。少し残念です。魔法とは何かをこの目で見れば、もしかすれば印象が変わったかもしれない」


 その言葉とは裏腹に、どこか安心したような表情でケルウは言った。


「貴方は私があの広間で処刑されるのを見たかっただけでしょ」


「まあ、興味がなくはないですね」


「そのときは貴方も道連れにしてあげるわ。仲間の魔法使いだって言ってね」


「このままじゃ本当に貴女の仲間だと思われそうで、全然笑えません」


「そういえば、この村の話だけど、今も『魔女狩り』が行われてるそうね。貴方は見たことがあるの」


「……まあ、そうですね、十年ほど前に一度。それ以前は覚えていませんが、記録には残っています。この話はオージェフ家がなぜ村の住民から忌み嫌われているのか、その理由とも関係しますが」


 ケルウはここで言葉を切った。

 ウェイトレスがテーブルに寄ってきて、ワイングラスを私たちの目前に置き始めたからだ。


「せっかくの食事が不味くなってはいけません。一旦この話は置いておきましょう」


 若草のように瑞々しく、宝石のように艶やかな液体が、爽やかでかつ複雑な香りを放ちながら、ワイングラスに注がれていく。その様子に見惚れている私の頭は、ケルウの言葉がなくとも、その味を想像することで精一杯だった。






 ✳︎





 塩レモンのパスタは想像以上に美味しかった。レモンの持つ酸味と甘味を、オリーブオイルやニンニクが上手く引き立てている。


「田舎のスパゲッティも美味しいわね。自家栽培によってパスタと合うレモンを研究しているのね!」


「魔法調査官様のお気に召されたようで何よりです。ちなみにレモンは隣の村の農家から入荷してるそうです」


「あらそう。それにしても、こんなに美味しいのなら、もう少し客がいてもおかしくないのにね」


 というのも、店内には私たち以外に客の姿は見受けられなかった。


「そうですね。このままでは営業を続けるのも難しいと、店主の方は言っていました」


「なんでかしら。味は悪くないと思いますけど? でもたしかに……辺鄙な場所ではあるわね」


「貴女はご存知ないかもしれませんが、この辺りは観光名所としてもそれなりに有名です。しかし家畜が殺されたというあの事件が起こってからは、客足がからっきしのようです。それに、この村の風習として、半月よりも大きな月が空に浮かぶ夜は、外に出てはいけないのです。本来であれば、今日も外出を控えた方がいいとのことですね」


 窓の外を確認すると、茜と蒼が交わるその境界と呼べる場所に、下弦の月が薄く輝いていた。


「月明かりは魔力を強める。その効力は微々たるものなのだけど、噂が先行してしまっているのね。……ということは、事件があった日の前日の夜は満月だったのかしら」


 月は約一ヶ月の周期で姿を変化させる。一週間ごとに、新月、上弦の月、満月、下弦の月へと姿を変え、そしてまた新月へと戻る。事件が起きたのはちょうど一週間前のこの日、つまり満月の日だ。


「記録によると、今日と同じく快晴でした。本来ならば、誰も家の外には出ていないでしょう」


「ふーん、そう」


「もう少し興味がありそうな反応はできないのですかね」


 ケルウが不満げに言う。二人でワインボトルを空けたわけだが、手や腕がほとんど赤く染まった私に対して、彼は素面そのものだった。


「興味がないわけじゃないけど、今は情報収集の段階なの。推理を展開するにはあまりにも情報量が少なすぎる」


「さすがの魔法調査官様もお手上げというわけですか」


「うるさいわね、屋敷に行ってみれば何か分かるわよ。少なくとも、その場所で何らかの魔法が行使されたのかどうかわね。明日の朝、屋敷に案内しなさい」


「……え、僕がですか?」


「他に誰がいるのよ」


「はあ」ケルウは諦めたように大きなため息を吐く。「分かりましたよ。貴女が二日酔いではなければ、僕がご案内いたしましょう」


「この程度で二日も酔わないわよ、……たぶん」


 デザートのティラミスを食べ終えた頃には、外は夜の帳に包まれていた。

 ぽつりぽつりと散在するガス灯の光が、闇に争うように村を照らしている。しかし都会の夜空を真昼のように照らす電灯の光に慣れた私の瞳には、それらはずいぶんと頼りなく見えた。


「それで、話の続きを聞かせて欲しいのだけど」


 ケルウが最後の一口を食べ終えたタイミングで、私は言った。


「……失礼ですが、どのような話でしたか?」


「あれよ、オージェフ家が嫌われてる理由」


「ああ、たしかに、途中でしたね。大した話ではないかもしれませんが、お話ししましょう」


「あんまり退屈だと寝ちゃうわよ。なんだか疲れちゃって、もう眠いの」


「我儘ですね」そう言いながらも、ケルウは私に吊られて小さくあくびを溢した。「ですが確かに、今日は疲れました。手短に話しましょう。オージェフ家がなぜこの村の人間から忌み嫌われてきたのかについてですが、それはここテテロスの風習である魔女狩りが深く関わっています」


「オージェフは、実は魔法使いだったとか?」


「それが分かっていれば彼はもっと早くに死んでいたでしょうね。村の人間が魔法使いの存在を許すとは思えません」


「本当にそうかしら? これは私の予想なのだけど、この村の魔女狩りって魔女が殺されるわけじゃないんでしょ? 魔女狩りなんてほとんどがいいがかりで、実際に処刑されるのはただの人間。ほんものの魔法使いはそう簡単に殺されないし、人々は彼らを畏怖して近づこうともしない。そういう意味で、私はオージェフが魔法使いだったのじゃないかって聞いてるの」


「もっともな意見ですね」ケルウは珍しく私の意見を認め、肯いた。「ですが、オージェフが魔法使いであったにしろなかったにしろ、理由は別のところにあります」


「ふーん、そ。どういう理由なの?」


「彼は魔女の子供を拐ったのです」


「子供を拐った?」


「はい。これは確か十五年ほど前の話なのですが、ある女が魔女狩りによって殺されました。記録によれば、当時この村で疫病が流行し、多くの人間が死にました。彼女はその疫病を村中に広めたという罪で処刑されています。この時、女の夫も同様に処刑されましたが、彼女の双子の娘については、行方が分からなかったそうです」


「娘まで殺されないように、信頼できる知人に預けた、っていうことかしら」


「いいえ、その女は生活に貧窮しており、村の人間からは蔑みの目で見られていたそうです。ゆえに彼女は魔女となってしまったのかもしれません。誰も彼女を助けようとする人間などいなかったと、僕は思います」


「でも、話の流れからすると貴方は、消えた魔女の娘は、殺されたオージェフ家の二人の娘なのだと言いたいのでしょ? つまり、十五年前、オージェフは魔女の娘二人を引き取り、自分の娘として育てた。それが噂となり、オージェフは村の人間から忌み嫌われるようになったのね」


「さあ、どうでしょうか」ケルウは遠くの空を見つめながら応える。「ただ、少なくともこの村の人間はそう信じています。オージェフがこの村に来たのも同じく十五年前、タイミングとしては完璧ですからね」


「なるほどね。……ところで、その二人の娘には目があったの?」


「目があった? どういう意味ですか」


「そのままの意味よ。これがあったかってこと」言って、私は自分の眼球を指差す。「あの少年のように眼球が抉られていて、眼窩にぽっかりと穴が空いている、ってことはない?」


「オージェフ家の使用人によると、娘たちにそのような身体的特徴はありませんでした。愚かな表現が許されるのならば、普通の人間、ということです」


「……そう」


 酔いが徐々に醒めていくのを感じながら、私は深く考え込む。

 オージェフは処刑された女の娘を救うために、この村に移り住み、その娘たちを屋敷に引き取ったのだろうか? ……いいえ、どう考えてみても、そうとは思えない。彼は女の死を利用して、魔女の娘を手に入れようとしたのではないか。


「納得されていないようですね。怖い顔をしていますよ」


「私の顔が怖いって?」


「ええ、猫なら飛び上がって逃げてしまうくらいに」


「……オージェフは娘たちを、自分の子供として愛していたのかしら」


「それはご本人に聞いていただくしかないですね。ただ、オージェフ家について悪い噂が村に流れ始める前は、彼は娘二人を連れて村に顔を出していたそうですよ。可憐な洋服を身に纏った、美しい少女たちだったと、一部の人間が記憶しています」


「他に子供を拐ったりはしてないの?」


「十年前の魔女狩りのときに、同じく処刑された女の息子が行方不明になっています。まだ赤ん坊だったらしいですが」


「それが今回の事件の、あの少年である可能性は?」


「年齢を考慮しても、十分にあり得ますね」


「もしそうだとすると、少年は目を抉られ、娘たちは大切に育てられた……。一体何が彼らを隔てているのかしらね」


 そのどちらもが魔女として殺された女の子供なのなら、両者の間でどうしてこうも扱いが違うのだろう。


「ここまで話しておいて、このようなことを言うのは不粋かもしれませんが、少年にしろ双子の娘にしろ、オージェフが彼らを拐ったという確かな証拠はどこにもありません。もしかすれば、二人の娘はオージェフの実の子供かもしれませんし、少年はオージェフ家とは無関係の人間なのかもしれません」


「でもあの少年に関しては、無関係ってことはないでしょ。全く関係のない人間が他人の家に忍び込んで家族全員の頭を切断して回るなんて、そんな理不尽な話聞いたことないわ」


「それも、盲目の少年が、ですね」


「絶対に何かがおかしい。誰かが明らかな悪意を持って、少年を犯人に仕立て上げようとしている……そうとしか思えないの」


 密室と顔のない屍体。魔女として殺された女と、その子供たち。盲目の少年……。これではまるで、ピースの欠けたジグソーパズルだ。今のままでは、どう足掻いたところで空白がなくなるわけがない。


 私は思い耽ることをやめ、レモンのシャーベットにスプーンをさす。他に誰も客がいないからと言って、店主がサービスしてくれたのだ。


「……よく食べますね、レゼリアさん」


 皮肉っぽい口調でケルウが言う。

 けれどなぜか、悪い気分にはならなかった。だぶんまだ、酔っているのかもしれない。

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