One More Try -ブレス-

カシャンと、手首のブレスレットが壊れる音がした。


おそらく決定的な時の使用のみ想定されていたそれは、度重なる使用に限界を迎えたのだろう。もう着用の必要はない程回復した今も念の為に、そして形見と思えばつけていた。だが、今日からまたエージェントとして復帰する日の朝に、頃合いを見計らったかのようにそれは壊れた。見れば、侵蝕率の数値を示していたチェッカーにひびが入り、表示されなくなっている。


「……ありがとう」


役目を終えたと言うように壊れたそれに触れて、感謝の言葉をかける。

あれから―――彼女の遺書を読んでから少しずつ回復の速度も上がり、夢希は日常へ戻ってきた。

手紙に書かれていたことも、気持ちの整理も上手くできた訳ではない。だが、死ぬわけにはいかないと思えた事で、こうして立ち上がる事ができている。


ともに最後まで戦えなかった時も、その後に残されてからも、守られてばかりな自分が悔しかった。どうして置いていったのかという想いよりも、自分が弱かったから置いて行かれたのだと、自分を責める気持ちでいっぱいだった。

だからこそ、彼女を護れなかった自分が生きている価値などない思った。彼女が遺した言葉など忘れて、同じ場所へ落ちていけたらと。そんな自分を、もう一度などと言わずに誰かに殺してもらえたらとまで願ってしまった。


けれど……彼女はここで終わるなと言う。

どうかこの世界を守ってくれと。夢を夢のままで終わらせないでくれと。

ここに自分がいなくとも、それでもきっとそばにいるのだと。


戦う力さえ有ったのなら、彼女こそカウンターとして生きていたのだと思う。そんな彼女の夢を俺なら叶えられるというのなら、彼女が護ってくれた命をここで捨てる訳にはいかなくなった。その夢を、その想いを、その先へ連れて行かなくてはいけない。

彼女に救われたこの命は、彼女が愛したこの楽園を護るために使われるべきものだ。

カウンターで在り続ける事。彼女が愛した楽園を守る事。その守護者で在る事。

そうする事でしか、償えないと思った。これから先も続く筈だった、彼女の時間を奪った事に対して。


カウンターが不要な世界が作れたなら、ようやく俺は約束を果たせる。

その世界にたどり着けたなら俺はきっと……そこにいるべきではないだろう。


そう思考に結論付けて、壊れたブレスレットを手に取る。

それを何か箱にしまっておこうと自分の机の引き出しを開いた。

開いた段はちょうど、彼女と過ごした日々の記録と、彼女からもらったものを入れている場所。しばらく開けることのできなかった、無意識に視界に入れることすら避けていた場所を開けてしまってからそれに気付く。

そうしてしまってあった彼女のキャンドルと、自分のブレスが目に入った。

それこそが目に入るだけでも辛く、しまっていたもの。けれど手放す気にはなれなかったもの。


しばし眺めた後でそれからは視線を逸らし、眼鏡をもらった時にとっておいた空き箱を手に取る。ちょうど良くブレスレットが入るサイズだったのでそこに収め、再び引き出しへ戻す。高嶺からは表に出さなければ好きにしてくれて構わないと託されていたため、もはや使えなくなったそれを捨てるか持っておくかは大きな問題ではないだろう。

そうして引き出しを閉じようとして、その手を止める。


彼女のキャンドルは全体が黒ずみ、ひびの入った赤い石が僅かに光る。

自分のブレスは元々のシルバーの色を保ったまま、白い石が曇らぬ輝きを放っていた。

今はもう役目を終えた、何にも使えないもの。

けれど彼女が、確かにここにいた証。


揃いのそのペンダントを二つとも身につける。いつか夢見たその先まで、連れて行くと誓って。

俺は自室を後にした。




月日は流れ―――




日常へと戻ってきた夢希は、職業カウンターの資格は保持しながらも担当セカンダリを持たず、一般的なUGNエージェントとして任務をこなす日々を送っていた。

元々夢希は親の元を離れて自立したいと考え、樺々崎支部とは別の支部に所属していた。だが、真白亡き後、ほどなくして父の穂希が樺々崎支部への異動手続を行なう。夢希の精神面を案じてのことだ。父の心情を思えば、夢希もそれには異を唱える事なく従った。


そんなある日夢希は支部長室に呼び出され、父のかつての相棒のカウンターを頼みたいと切り出される。


「親父の相棒……。それって、母さんに……会えるのか……?」


動揺と困惑で声が震えた。

父はその言葉を肯定し、経緯を説明する中で何度も母の名を呼ぶ。その父の声と表情は、複雑ながらもやはり嬉しさがにじみ、現実感のない話が次第に現実味を帯びてくる。

自分が母に会える以上に、父が母と再会できる事。その事が本当に嬉しかった。けれど、



「―――夢希、お前に夢子のカウンターを頼みたい」



父の言葉に、答えに詰まる。

無意識に胸のペンダントに触れていた。自分がカウンターである事の、あった事の証。

そうしてブレスを握るといつも、たくさんの人の顔と言葉が浮かぶ。カウンターとして、自分が守るべきもの。大切な人たち。手にすれば気持ちが自然と引き締まった。

このブレスが自分にとって何なのか。何にかけて、このブレスを握るのか。きっとそれには正解などなく、カウンター一人一人違う答えを持つもの。


俺は何にかけて、再びブレスそれを握る?

自分の答えを探すように、誰かの言葉を思い出す。





『セカンダリも、この世界も守る?……先輩、その在り方は……ご自分の身を滅ぼしますよ』


自分とは相入れない、後輩カウンターからの鋭い言葉。彼女はもう、自分が守りたい唯一を決めている。その為にブレスを握ったのだと自覚して、自分の領分を弁えているからこそ強い。

そうかもしれない。でも、それでいい。俺のこの命でたくさんの人を護れるのなら。



『僕は……あの人が繋いでくれたこの命を、この世界と、ここに生きる人たちの為に使うと決めたんです』


自分がブレスを握る理由を教えてくれた、女性カウンターの言葉。

その気持ちはどこか分かる気がした。残されたものは、残してくれた人のために使われるべきだと。



『君もカウンターなのか。担当がいなくとも、きっと見ている景色は同じだと思う。よろしく頼むよ』


女性ながらも力強い、先輩エージェントであり、カウンターの女性。

彼女を見ていれば、担当セカンダリを強く想い、そのために生きている事がとてもよく分かる。

その関係が正しいものなのかは、俺にはよく分からない。答えを出すことが……考える事が怖いのかもしれない。かつての自分が重なるようで。



『僕のことなら、どうか気にせず。少し前に会った彼女は、目覚めた時よりもずっと楽しそうな顔をして、君との事を話してくれました。それがきっと、全てなのだと思います』


リバースという、セカンダリとこの世界を繋ぐ役割を担う場所で、彼女と自分を繋いでくれた人。

彼女が戻ってきた事を喜び、前から親しかったあなただけは、俺を責めてくれていいはずだ。けれど彼は、カウンターとして、セカンダリを送った人間を責める人ではなかった。……それがとても苦しかった。



本当に、俺で良かったのかどうか。

『幸せだった』と彼女自身から言われたのに、それでもその言葉を肯定することができない。

それでは足りないと、もっと幸せにしたかったと思うから。





母が目覚める経緯を父の口から聞きながら、そんな人たちの言葉を思い出して、


「俺で、いいのか?」


戸惑いながらそう父に問う。


自分は一度しくじった。

カウンターのそれはただの失敗ではない、人の命が関わることだ。護ると誓ったのに護れなかった。

そんな人間が、再びブレスを握っていいのだろうか。


本当は、誰よりも母のそばにいたいのは、母を守りたいのは父だろう。

そして自分が母のカウンターになるという事は、もしもその時が来てしまったら自分が母に手を下すという事。


俺はきっとできる。それが実の母であっても、できてしまう。

できないはずがない。一度できたのだから。

最愛の人を眠らせて守った父とは違う、それを為せてしまう冷たい人間。

護ると誓った大切な人を護れなかった、力無き人間。


そんな自分が母の命を預かっていいと言うのだろうか。

けれど父は、戸惑う自分とは対象的に、


「お前だからこそ、任せられる」


変わらぬ信頼と優しさで、自分とは違う前向きな想いを返した。

妻と息子という家族を信じ、無事に帰ってくる事を疑わない、強い瞳がそこにあった。


その想いを裏切りたくない。裏切るわけにはいかない。


「わかった。俺がカウンターを引き受けることで、母さんがもう一度この世界で生きられるなら……それは、引き受けるよ」


自分が父と母を繋ぐことができるのなら。

それができると愛する父が言うのであれば、その信頼に応えたい。


カウンターが決まらなければ、セカンダリは目覚めることができない。

逆に言えば、それさえ決まれば父は母に会える。母が目覚める事が上からの指示ならば、あとはカウンターさえ決まればいい。


任務で動く都合上、支部長である父では難しいのだろうということ。

そして、母の為にその仇でさえ生かし30年待ち続けた人間が、果たしてその時"処分"できるのかどうか。敢えて尋ねることはしなかったが、誰よりも母のカウンターであるべき父がカウンターとして認められず、他の人間にというのはその辺りが理由なのかもしれない。


ともあれ、数日後に母が目覚めたら改めて紹介するという話に落ち着く。

部屋を後にしようとしてから足を止めて、言うか悩んだそれを言葉にした。

カウンターとして担当セカンダリを想うのであれば、これは言っていい筈だと。


「セカンダリの中には、目覚める前の記憶が欠落する人もいるって聞いてる。 だからもし、母さんが俺のことを覚えていなかったら……親父の甥とでも言っておいて」


思えばこの時、俺は母から距離を取ろうとしていたのだろう。母と息子ではなくセカンダリとカウンターとして。それ以上近付き過ぎないように。

近付きすぎて、傷つかない為に。自分の心を守るために。


「お前は、それでいいのか……?」

「ああ。30年も経ってるっていうのに、年上の息子まで居るなんて、覚えてなければ悪い冗談みたいだろ」


困ったような、悲しげな父の言葉に、もっともらしく理由をつけて笑って返す。


「母さんには、親父がいるんだから……それでいいんだ」


誰よりもその人を待ち望む人だけがいればいい。

母自身が母である事を覚えていないのであれば、夫婦として幸せに生き直してくれればそれでいい。

そこに二人の息子など、あろう筈もないのだから。


自分が母の生殺与奪の権利を握り、自由を奪う立場になるのであればなおさらのこと。そんな情報は不要だと結論付け、今度こそ支部長室を後にした。


そう。自分は母のカウンターで、母は自分のセカンダリとなる。

そこに情など不要で、抱くべきではない。情などなくとも、母の自由を可能な限り保障する行為のみあればいい。

自分は母を殺す存在なのだから。


けれどそんなもう一度などあってはいけない。

最愛の人が喪われる苦しみを、俺はもう知っているから。

それは父もきっと、30年前に一度味わったものだろう。

父から母を奪ってはいけない。失わせる訳にはいかない。

そんな想いは―――もう二度と。







「はじめまして。俺は牧間夢希と言います」


30年ぶりに、けれど数日ぶりに会った年下の母に、そう言葉をかけた。




彼はもう一度守るべきものを得る。もう一度、楽園へ至る道を歩き始める。


彼女の祈りを、ここで終わらせないために。

彼女の命がここで潰えようとも、その祈りを、その先へ連れて行くために。



アウターエデン―――それは、誰かの為の楽園エデン

再び灯ったその生命いのちを、儚き祈りが守る世界。




「君と出逢えたこの世界を、俺は守り抜くと誓う」



今度こそ、大切なものを守るために。―――もう二度と、悲しみを繰り返さないために。



彼女が愛した楽園で、彼はその守り手として生きていく。

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彼女が愛した楽園で ぐら @c9h11o2

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