花婿の誤算
経てきた年月を感じさせる、チャペルと外界を隔てるケヤキの大扉。
人の一生はその歳月に遠く及ばないが、これからの日々がせめてずっと幸せなものであって欲しい。
この大扉を最初に目にしたとき、真っ先にシュカはそう願った。
そして願いが伝わるようにと、ごく親しい数人へ声を掛け、こうして皆が集ってくれたのは奇跡に近しい。——ここに来られなかった者たちも、中には居るのだから。
開戦の火蓋が切って落とされ、
――希望の光たれ。
深く、心に体に、魂に刻みつけた己の在り方。
自分たちが式を挙げることで、ほんの少しでも、暗闇に灯りをともすことができたなら。
それがシュカのささやかなる願いであり、その願いに耳を傾けてくれたパートナーは臆せず「そうだな。俺たちにしかできないセレモニーだしな」と照れることなく賛同してくれた。
だからこそ選んだ山間の、幾年月も人の手が入らず朽ちかけた古教会。
奇跡的にほぼ無傷で残っていたステンドグラスが、まるで自分たちを待っていた、とまではうぬぼれない。が、信じないと決めたはずの運命という見えない糸をつい、思い浮かべてしまう。
だから、最低限の掃除だけ施し、誓いの言葉が交わされた後はまた、静けさを取り戻すであろうこの教会が、シュカにとってはすでに大切な場所だった。叶うなら、戦いが終わり、すべてが終わった後にもう一度、訪れたい。今度は仲間たち皆と、一緒に。
——だから唐突に、なんの前ぶれもなく、シュカが気配を察した直後に、
「——待ったぁああああっ‼」
と、場違いによく通る大声とともに文字通り、木っ端微塵に吹っ飛んだ大扉の無残な最期を、シュカは信じられない。
信じられない気持ちはそのまま純度の高い怒りへ昇華し、積み重ねた幾多の経験がシュカの体を雷速で躍らせる。
「バト——っ‼」
亡き友の、着られなかった純白のウェディングドレス。
背丈よりその
抜き払ったグローブをパートナーの胸へ叩きつけ、祭壇から50メートルと離れない教会の入り口——大扉の蝶つがいだけが虚しくぶら下がる陽だまりの中へ、己の拳をお見舞いする。
シュカに着てほしいと、そう笑顔で託してくれた友の儚い笑顔が、シュカの熱された脳裏をよぎっていた。
——友の願いの結晶を、傷つけてなるものか!
シュカの決意が、戦場で鍛えられた己の体を“疾風”のごとく、加速させていた。それは必中の一撃であり、数多くの敵を打ち砕いてきた回避不能の拳。引き延ばされていく時間の中で、戸口に平然と立つ白銀の人影を研ぎ澄まされた五感が告げてくる。
怒りで己を見失うには、シュカは多くを失いすぎた。
だから、シュカには無礼千万な闖入者が見えている。
「いったいなんのマネ? 整備で来れないんじゃなかったの? ジョークじゃ済まないわよ! 答えて‼」
風をまとったシュカの一撃を、闖入者——グレイのスーツの白い手袋ががっちり、受け止める。止められなかった風圧がそのまま草花を巻き上げ、射線にあったニレの木を幹ごと揺らした。抗議に舞う木の葉がサラサラと涼やかに拍手を蒼穹へ奏でる。
「……少し、威力が強すぎたね。やはり物理ボディのコントロールは難しい」
砂鉄の眉じりを下げて、日光を反射するシルバーフェイスがそう言うと首を横へ振った。呼吸など不必要な機体で器用にため息を一つもらし、「またユウキに調整してもらわなければ」などと真顔で宣う。
「はぐらかさないでっ、
「シュカ。無礼を詫びるよ。いくら、貴女の夫のアイディアでも、実行したのはワタシたちだからね。そそのかしたほうが全面的に自白したとして、実行犯の罪が軽くなるわけじゃあない」
残った右腕を掲げ、銀色の整った顔立ちの持ち主が——アルゴリズム・バトラーが優雅に会釈を返し、きっちり罪の所在を明らかにしつつ、その独特な言い回しで頭を下げる。
「それと、ワタシが言うのもなんだけど。——シュカ、もう回っているからカメラ」
フォーマルな手袋に包んだ指先をくるくると回し、撮影が進んでいることを示すクラシカルな合図を、今さらにバトラーが教えてくる。その鉄面皮が反省の色を浮かべていると、そうわかるくらいにはシュカは長い付きあいで、だからこそヒューマノイドが噓をついていないのもシュカにはわかった。
——本当に、今さらすぎるが。
「あっ——」
突き出したままの拳。その陽に灼けた腕へ、ひらりひらりと花びらが舞い降りてくる。降ってくる色とりどりの花の欠片は数を増やし、頭に肩にドレスの全身に、フラワーシャワーが降り注いで止まない。
見上げれば、拳大の〈アイ〉が高い青空を背に、十数機に人が収まりそうな巨大バスケットをぶら下げて中身をこちらへぶちまけていた。高性能浮遊配信カメラの〈アイ〉といえど、結婚式にフラワーシャワーを浴びせる仕様には当然なっていない。そもそも、こんな用途に
その人物の顔が思い浮かび、歪んでいく視界をシュカは止められない。
『エース・シュカ、ユウキ——』
目玉に似た空飛ぶカメラの群れが格子状に並び、大型スクリーンを形成する。結ばれた映像はあふれる涙でままならないが、届いた祝福の声は、一人一人の顔をくっきり思い浮かべるのにじゅうぶんだった。
「おっと。バトンタッチしないと」
おどけたヒューマノイドが優しくシュカの拳を包み、その手を、あるべき手へとつなげてくれる。たちまち伝わるぬくもりをぎゅっと握り返し、シュカはついでに渡されたハンカチを遠慮なく使わせてもらう。
「黙ってて悪かったな。ま、小言はあとでたっぷり聞くからさ——」
悪びれないその口を強引につぐませ、見開いたトビ色の瞳にシュカは自分の姿を映す。ちらりと、したり顔の式の参列者たちが見えたような気もしたが、それはパートナーの言う通り、後回しだ。
――今は、この無遠慮に幸せな瞬間を、ただ慈しんでいたいから。
『
雨の晴れ間の澄み切った6月の空に、幸せの花が咲く。
山間の空に浮かんだその花は、しばらくの間、晴れて夫婦となった二人の新たな門出を祝っていたのだった。
〈完〉
花嫁の懸念 ウツユリン @lin_utsuyu1992
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