―3―


あの夜から三日ほど過ぎた。その間、獲物は一人も来ない。そう頻繁に肝試し客なんていないよなあ。


一晩明けたら誰もがあの四人組のことなど忘れたように普通だった。実際に俺たちが故意に怪我をさせたわけでもないし、あの状況でパニックを起こしてくれたからかポイントも結構入手できて、まあこんなこともあるよなあという感じで過ぎた。もう終わったことだ。


俺は着々とレベル上げに励んで、浮遊霊Lv.2となり、スキルも物体操作と視線はLv.4を越えた。ポイントも地道に集めて百越え。目当てのネットを使えるようになるまであと数百ポイント――長い道のりだけど、まあ期限があるわけでもなし、地道にやっていこうと思う。


そんなこんなでやってきた、四日目の夜。俺は浮遊霊仲間たちと何となく駄弁っていた。そうしたらそのうちの一人がこんなことを言いだした。


《実は俺さ、そろそろ結構強くなったし、ここ出てこうかと思うんだ》


え、と思った俺を尻目に、その場にいた他の者たちはおーそうか的な軽いノリで話を流す。


《俺もそろそろかなぁ。育ててるスキルがあるんだけどさ、これがあと1レベルアップしたらと思ってんだよな》

《俺はここ居心地いいから、もうちょっといるぜ。寂しくなったら帰ってこいよ、もうさみしくなっちゃったんでちゅかー? って笑ってやるから》

《きっも! そういや、前に出てったやつどこ行くって言ってたっけ?》

《海の方行くって言ってなかったっけ。元々そっち出身だからとか》


ああ言ってたなーと頷き合う彼らを見ながら、そっか、皆ずっとここにいるわけじゃないんだ、と気付かされる。仲間がいっぱいで安心できるからここに来て以来出ていくことを考えもしなかったけど、元々俺たちはたまたま寄り集まった赤の他人同士だ。それぞれが自分の生き方――幽霊なりの生き方をもっていて、ずっと一緒にいるわけではないんだ。


俺はどうするかなあと考えてみる。各スキルのレベルがキリのいいところまでいったら? それとも浮遊霊レベルがもっと上がったら? いや、ずっとここにいるという選択肢だってある。


《どうするかなぁ……》


ぽつり、と呟いた声は騒々しく駄弁る幽霊たちの前で聞きとがめられることなく消えた。




***




もうじき明け方という頃合いに、ねえちょっといい? と元女子高生がひょっこり顔をのぞかせた。


《おー、どうした?》


駄弁っていたうちの一人が応じると、元女子高生はどことなく不安げに眉尻を下げ、


《うん、なんかさ……表にひとがいるみたいなの》


俺たち駄弁り組、顔を見合わる。


《ひとって……駐車場んとこに? でも、誰も『絶叫』してないぜ》


『絶叫』スキル持ちは何人かいて、彼らはこの廃墟までの道々で張って獲物がくるといち早く仲間に知らせる役割をしている。今日は誰もその声を聞いていない。獲物はきていないはずだ。


《だよね。私も声聞いてない。でも、いるんだよ》

《あー……じゃあ連絡係がサボったんじゃね?》

《かなあ。ねえ、ひとがいるなら、準備しないとだよね?》

《あー……だなあ》


なんだなんだこんな短期間に二組目かよ、と一同は気怠そうに動き出す。二度目なので今回は参加しようと思い、俺は決めておいた場所、玄関の真上の天井付近に待機した。元女子高生が伝えて回ったのかぞろぞろと現れた浮遊霊たちは各々場所につき、彼らが自分の潜む場所に身を置くとほぼ同時、そのひとはのっそりと壊れた玄関をくぐった。




――長身の男だった。派手な柄シャツを身に纏い、細身のズボンのポケットに手を突っ込み、咥え煙草をしている。細い紫煙が男の周りを漂うように泳いでいた。




「おうおう、いるなあ。弱っちいのがうじゃうじゃと……」


掠れ気味の低音が、しんとした空間に響く。幽霊たちは無音だった。というよりもおそらくは、していないはずの息を、全員が殺していた。


何がどこがと詳しくはわからない。けれど現れた男は、異様だった。ヤバいと本能か何かが叫んでいる。ヤバい、適わない、逃げろ、と。


「弱い者いじめは趣味じゃねえが、まあ、諦めろ。……俺も仕事なんでな」


ぐるり、と廃墟の中を、ゆっくりと見渡しながら、男は呟く。一瞬、俺とも目が合う。黒々とした三白眼は、間違いなくはっきりと俺を捉えていた。その恐ろしい視線を受けて、俺は咄嗟に二階方向へと逃げた。その数拍後、




――パァン――




手の平を打つ音が響いた。ただ無造作に両手の平を一度打ち合わせただけ、そんな音だった。


二階に逃げ込みながら肩越しに階下をみやれば、階段下にいた元女子高生と、彼女を守るように前に飛び出した元引きこもりが、抱き合うような形のまま、苦悶の表情で姿を消していっていた。


「お前ら、数日前に問題起こしただろ。そんなことをしなければ、俺みたいなやつが呼ばれることなんてなかったのになあ……」


数人の仲間とともに二階から見下ろせば、一階にいた者たちは全員がもだえ苦しみながら消えていっている。まるで煙が流れるように、その存在を失っていく……。


《……祓い屋だ!》


横で見ていた一人が引きつった声で叫んだ。逃げろ! と。男は間違いなくこちらが見えている様子で階上を見上げると、咥え煙草の隙間から煙を吐きながら、にやり、と笑い、すっと両手を構える。


悪寒を感じた俺は、即座にその場から逃げ出した。その背後にまた、手を打つ音。その音を聞くと、体にひどく痛みが走るような気がした。




――死んでいるのに、殺される。




忍び寄ろうとするものを我武者羅に払って、壁を抜けて、空高く、遠く、俺は逃げた。逃げて逃げて、そして朝日が昇って、どこともしれない山の上で、俺はようやく動きを止めた。恐る恐る体を確かめる。どこも消えてない。でも、何かに刺されたような、あるいは殴られたような、なんとも言えない痛みだか痺れだかのようなものは体中に残っていて、とてもとても、怖かった。


《あんな、あんなやつがいるなん、て》


聞いてない。考えたこともなかった。祓い屋だ、と誰かが叫んでいた。あれは、幽霊を殺せる者たち……あれが、消滅するということ。


あの元気のよい元女子高生は、ぶっきらぼうな元引きこもりは、もう消滅してしまったんだ。俺たちは何もしていないのに。わざわざ怖いことをしにきたやつらを、お望み通りに怖がらせていただけ。あそこにいた幽霊たちは、地縛霊みたいに生きてるひとを危険な目に合わせるようなことはしない、気のいい奴らばかりだったのに。


憤りと、悲しみと、恐怖。そんなものに支配されながら、俺はまた、どこへともなく空を泳いだ。また、ひとりになってしまった。

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