―2―

俺はこの廃墟にそのまま『体験入居』して、浮遊霊たちとの共同生活を始めた。


それから三回、波風立たない穏やかな一日を繰り返した。その間俺は駄弁ったりスキル上げをしたり――しばらくはスキルを増やさずポイントを貯めることに決めた。俺もインターネット使いたい!――また駄弁ったり街に下りてちょこっとだけポイントを貯めたりしながら過ごした。色々な浮遊霊たちと話をして心霊スポットやら驚かし方やらの情報を教えてもらったり、スキル構成についての助言をもらったり、長年浮遊霊をやっているお姉さまから浮遊霊の心得を説かれたり、そんなことをしていたらあっという間に日々が過ぎていく。あっという間に時間の感覚がなくなっていくけど、そもそももう必要ないんだし、別にいいかなと思う。


幽霊って本当に、気ままで自由だ。生前のことはあんまりはっきり覚えていないから比較はできないけど、今の俺は間違いなく充実してる。間違いなく楽しい!


さて、来る四回目の夜。そう頻繁に肝試し目的の人間なんか来ないよなとこの日も仲間数人とそこらに転がってた汚れたトランプでババ抜きをして遊んでいたら、《集合! 集合! 獲物が来たよ!》と拡声器のような大声が廃墟中に響き渡った。『絶叫』のスキル持ちの仕業だ。


《お、久々だな》

《えーいいとこだったのにー》

《終わったらまたやりゃいいじゃん。ほら行くぞ》

《だりぃ……ちゃっちゃと終わらすかあ》


いやお前ら、ババ抜きよりポイント貯めのが優先度上だろう? 内心でそう突っ込んだが、かく言う俺もいいとこだったのにとちょっと思っている。あと一枚であがりだったんだ。


だらだらと各位持ち場につく。持ち場といっても別に誰かに決められたわけではない。各々が好きな場所で獲物を待ち受け、好きな方法で驚かすだけだ。基本的に浮遊霊は能力が弱くここにいる者たちは性格も温厚なため、誰が言わずとも『ちょっと驚かす』程度で留めているという。


俺は今回初参加だから、とりあえず様子見というつもりで建物の中央にあって踊り場から左右に折れ曲がる形になっている階段の、その踊り場から一階の様子を見ている。陳列棚の影やトイレ、窓の側、階段下など、様々な場所に老若男女問わず十人ほどが待ち受けていた。手に空き缶やら石ころやらを持って息を潜めている幽霊という様子ははたから見ると結構シュールだ。


やがて遠くからがやがやしい声がして、四人の男女が朽ちた入り口から顔をのぞかせた。


「やべえ、すげえフインキあるな」

「ねえ、本当に入るの……?」

「カナ怖いの? ダイジョブだって! いざとなったらコージとダイキ囮にして二人で逃げよ!」

「うわ、ちょっとそれひどくね? ユカ」


四人のうちで一人だけ懐中電灯を持った男が勝気げな女の頭をわざとらしくごつんとし、他二人は笑っている。――いかにも肝試しとかしそうな派手めな四人組だった。二十代前半ほどの男が二人、女が二人。


《驚かしがいがある組み合わせだな》

《だなあ》


二階に上ってすぐのところで待機していた元男子大学生と元サラリーマンが階下をのぞきこんでそう頷き合っている。わかる、と俺も頷いた。


結局四人組は恐怖心を吹き飛ばすように大きな声で騒ぎながら廃墟内に侵入した。懐中電灯の灯り一つでまずは一階を探索し始める。怖いと呟いて懐中電灯持ち男の服の裾を掴む、多分こっちがカナ。怖くなんてないさとばかりべらべら話してるけど若干腰が引けてる勝気そうな女、おそらくユカの手は、もう片方の男がぎゅっと握っている。


《ちくしょうリア充め……》

《滅びろリア充……》

《リア充爆発しろ……》


と、おもむろに起き始める怪奇現象。鳴り響くラップ音、一人でに転がる空き缶や石。わあ! きゃあ! と四人組が小さな悲鳴をあげるのを俺は肩を震わせながら見ていた。いやだって、怨嗟の声がリア充って。


「何やだ、びっくりした……ナンカいるの?」

「ね、ネズミだろ? もしくはタヌキとか」

「誰かいる、とかじゃないよね……?」

「いや、こんな場所に誰かいるって方がよっぽどヤバいだろ」


立ち止まった四人は警戒するように周囲を見回す。その間は誰も仕掛けない。いきなり100パーセントを出しちゃダメだ、ジワジワいくんだぞ、ジワジワ、と教えてくれたのは誰だったか忘れたけど、徐々にじっくり怖がらせた方が貰えるポイントが多いらしい。浮遊霊たちが静かに間をはかっていれば、思惑通り四人組はほら何にもないじゃんとほっと息を吐き探索を再開した。


それからもそうやってちょいちょい怖がらせて――俺はその場を動かず凝視と冷気だけで参戦した――恐怖心を煽り続けていれば、四人組からは目に見えて余裕がなくなってきた。それでも意地で二階の探索も行っていた彼らだが、ある一室に入った途端にとうとう我慢が限界に達したらしい。


「もういいかげんにしてよカナ!」


そう叫んだ。


「さっきか誰かに触られたとか見られてるとか誰もいないのにいるとか、ナンなん?! 前から思ってたけどレーカン女なんて今どき流行らないんだからね!」


きいきいと声を張り上げるのはユカだ。落ち着けよと声をかける男たちの声も無視してカナに詰め寄る。


「そうやっていつもかわいこぶりっこしてさあ、さっきどさくさにまぎれてコージにも抱きついたでしょ! ひとのカレシとろうとするのやめてよ!」

「だって……本当に誰か触るの! 視線だってずっと感じる! ぶりっこじゃない! てかユカだってたまにダイキと二人で楽しそうにしてるじゃん!」


おや、なんか雲行きが。と思ううちに、女二人の口喧嘩はどんどんヒートアップしていく。見つめていた俺含める数人も、カナの手足をサワサワしていた中年浮遊霊も困って成り行きを見守る体勢に。……とりあえずサワサワしてたやつは変態だと思う。


「あたしは話してるだけだし! てかダイキはおさななじみだし!」

「幼馴染ってわりにいっつもやけに距離近いじゃん! 本当は二股してるんじゃないの?!」

「ば、バカ言わないでよ?! ナニそれ、ありえないし!」

「今ちょっと動揺した?! 何、本当にそうなの?!!」

「違うって言ってんじゃん! てか何、カナってあたしのことそんな女だって思ってたの?! サイアク……親友だと思ってたのに!」


周囲を野次馬幽霊たちに囲まれていることも知らないで、女二人はかなり険悪な様子になってしまった。連れの男たちはオロオロするばかりで口も挟めず、幽霊の間で一緒に縮こまっている。さてどうしたものかと思っていれば、もういいよ、とぽつり呟くユカ。目に涙が溜まっているのが、俺たち幽霊にははっきり見えた。


「……あたしもう帰る」


ユカはそのまま一人足早に階下へと向かっていく。灯りもないのに。


「ちょ……おい待てよ! ユカ!」


そのあとを追おうとするユカと手を繋いでいたカレシさん――コージと、動こうとしないカナのそばで依然オロオロしている懐中電灯持ちの男、ダイキ。カナが動かなければダイキも動かないだろうことは俺たちにもわかった。……でもユカは一人でどんどん暗闇の中に去っていく。


「っおいユカ! あぶねーって! おい!」


灯りとカノジョ、どちらを選ぶか。コージは即座にカノジョの背を追うことを選んだ。


「ユカ!」

「来ないでよ!」

「灯りもなしにあぶねーって! ユカ、なあ、止まれよ、なあったら」

「コージだってホントはカナのがいいんでしょ! いいよ、一人で帰る。ほっといてよ……」


ぐすっと鼻をすする音、震える声。ユカは躓きかけながらも階段の上へと辿り着く。と、そこにコージが追いつき、その腕をつかんだ。


「バカ言ってんじゃねーよ。俺のカノジョはカナじゃない、お前だろ」


ユカは腕を振り払い、階段を降り始める。再度コージがつかむ。振り払う。そして二人は真っ暗な階段の中央付近で声の方向を頼りに見つめ合う。


「こ、コージだってさ、カナのがかわいいって、思ってんでしょ? ホントはさ」

「思ってねえよ」

「ウソ。だってあたし、こんなバカみたいに嫉妬して、カンシャク起こして、か、かわいげないなって。ホント、かわいくないって、自分でもそう思う……」

「は? ナニそれ、お前バカかよ」


幾人かの浮遊霊、特に女性陣がハラハラドキドキした顔で成り行きを見守っている。女ってやっぱりこういう恋愛イベント好きだなあと思う俺は、大多数の男幽霊同様、今は空気になっている。この気まずく甘ったるい雰囲気に割って入って場違いに驚かせることができるほど空気読めないやつは、幸いにもいなかった。


「ど、どうせバカだよ! 悪かったね……」


くしゃりと顔を歪ませるユカに、頑張れ、と女の囁く声が重なる。ユカに対してなのか、コージに対してなのか。まあわからないが、とにかく早く終わってくれ……。


「……誰よりも可愛いと思ってるから、好きだと思ってるから、付き合ってんだろ。言わせんなよ、わかれよ、そんくらい……」


きゃー! と黄色い悲鳴が上がった。誰からともなく拍手が上がる。俺もつられて力なく手を叩いた。これは何ですか、俺たちどうしたらいいんですか……。


「コージ……あ、あたし、きゃっ?!」


と、真っ暗な中でそんなことをやっていたから当然だが、体勢を変えようとしたユカが階段を踏み外した。


「っ、ユカ!」


咄嗟に手を伸ばしたコージ。けれど状況が悪かった。支えきれずに二人は抱き合うようにして十数段ほどの階段を転がり落ちていった。本人たちもだろうけど、見ていた幽霊たちにとってもあっという間に起きてしまった、事故だった。


「っはあ……びっくりした。コージ、大丈夫? コージ?」

「ってえ……やべえ、足、やった。ユカ、お前、平気か?」

「え、あ、あたしは平気。て、え、コージ、足、どこ……あ、血、血が!」


むき出しの鉄骨か割れた瓶の欠片かあるいは他の何かかはわからないけれど、どうやら切ってしまったらしいコージの右足からは、どんどんと血があふれてくる。


《ちょ、ちょっとヤバくない……?》


女幽霊のひとりがそう呟く。まるで全員の心を代弁したかのように。……これはヤバいと、誰もがわかっていた。




そのあとは、大声で叫ぶユカに、流石に何か緊急事態が起きたと悟ったダイキとカナが駆けつけ。コージの傷を懐中電灯で照らした途端に全員が一気にパニックになり。そして、怪我を負ったコージを担ぐようにして、まさしく這う這うの体で廃墟から逃げ出していった。




その背が見えなくなるまで、幽霊たちは無言だった。随分と経ってから、隣にいた男がぽつりと呟く。


《何か、後味悪い感じになっちゃったな……》


そうですね、と俺は答える。誰もかれもが何とも言えない表情をしていた。




――結局トランプは再開する気になれず、この夜は、とても静かに過ぎた。

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