終章 それから

 ヴェスタファールへ戻ったヴァイスを待っていたのは、忙しい日々だった。


 まずは国王アレクサンデルへの、ことの顛末の報告。それから、妻エリーズを連れての実家への帰宅。既に息子は死んだものと思っていた両親の驚きと、不名誉な罪状が取り消されたことに対する喜びは大きかった。


 そう、十年前の弾劾裁判の結果は、全て無かったことになったのだ。


 ジークヴァルトの結婚式で使われた痺れ薬の霧の効果と、実際に皆が目の当たりにした巨大な白い獣は、かつてルートヴィッヒが惨殺された時にヴァイスが見たと証言した内容が正しかったことを、疑いようもなく証明していた。


 納得がいかなかったと言えば、それが権力を求めたグレーン家単独の陰謀のせいにされたことなのだが、これは、王家は潔白だと示すためのアレクサンデルの苦渋の策だったかもしれない。十年前ならジークヴァルトはまだ十代の若者だ。その父である先代も、おそらく皇太子暗殺までは直接関わっていなかったはずなのだ。ただ、二人とも既にこの世にいない今となっては、もはや真実は分からないだろう。


 団規違反の罪状も取り消されたことで、騎士団への復帰も許されることになったのだが、それは、ヴァイス自身が申し出て、猶予を貰うことにした。戻るにしても、元の黒鷹騎士団は既に解散されている。――皇太子直属の騎士団として再び結成するにしても、今の皇太子はまだ、二歳の赤ん坊なのだ。他の騎士団に移るにしても、彼にとっては、正規の騎士として働いていた年月よりも、傭兵として各地を転戦していた日々のほうが長い。傭兵崩れの、とうの立った元騎士など、どこも仲間に加えたがらない気がしていた。


 けれど思いもよらなかったことは、彼に話しかけたがる者が途切れなかったということだ。


 街を歩けば巡回中の兵や騎士のみならず、街の住人まで声を掛けられ、記念に握手までせがまれた。王城に参内すれば、十年前はほとんど見向きもしなかった上流貴族たちまですり寄って来る。貴婦人たちには好奇の視線を向けられ、面識もない家から茶会や昼食会の招待状が届く――大聖堂と広場で繰り広げられた死闘を見ていた人々が尾ひれをつけて言い広めた武勇伝のせいだと気づくまでに、そう時間はかからなかった。

 それだけではない。十年前の事件まで、汚名を着せられてなお主君の仇を追い求めて旅したさすらいの騎士という、何とも歯がゆい美談に仕立て上げられてしまっていた。


 知らぬ間に、ヴァイスは一躍、時の人となっていたのだった。


 そんな喧騒から逃げるようにして、郊外の田舎町に面した小さな実家に引きこもり、束の間の休息をとっていたある日のこと、王城から使いがやってきた。

 王妃ローザからの呼び出しだという。

 「やれやれ、しばらく城には行きたくないんだが…世話になった妃殿下じきじきとなれば、出掛けんわけにもいかんか」

 「またそんなことを言って。いつまでもだらけてるわけにもいかないでしょう? そろそろ士官先でも決めていらしたら。いつまでも無職の風来坊では格好つかないでしょ」

 「まあな。」

エリーズから外出用の上着を受け取って、彼は、言伝を持ってきた使いとともに城に向かって出発した。

 正直に言えば、やるべきことはまだ沢山あった。

 グレーン家の調査は、ようやく一通り終わろうというところだ。回収された、未完のものを含む大量の魔法道具アーティファクトの処分をどうするか。これはヴァイスからアレクサンデルに廃棄を強く要望しているが、今のところ通るかどうか不透明だ。

 さらにトラキアス王国から依頼されている、密輸されていた魔法道具アーティファクトの調査の取りまとめ。

 リギアス連合国から離脱した北方四か国は、密約を交わしたグレーン家没落の噂を聞いて、再び連合国に戻ろうとする動きも見せているらしい。

 これらの後始末のためにも、今しばらくは国に留まっているほか無かった。




 久しぶりの王城――と言っても、実家でゆっくりしていたのは四日ほどだから、それほどご無沙汰もしていない。かつて騎士だった頃より頻繁に訪れているくらいだ。

 謁見用の客間に通された彼を出迎えたのは、王妃ローザと、幼いクロヴィス王子だった。まだ二歳でやんちゃ盛りの皇太子は、さかんに声を上げながら、馬の模型を持って部屋の中を走り回っている。ローザはそれを、楽しそうに見守っている。

 「今日来て貰ったのはね、ヴィンセント。ひとつお願いがあったからなの」

 「何でしょう」

 「この子の養育係として、貴方を雇いたいのよ。どう? 請けてくれないかしら」

 「……。」

ヴァイスは眉をよせ、しばし、考え込んだ。

 「剣術はまだ早いし、私に家庭教師は向きませんが」

 「教えて欲しいのは剣術でもお勉強でもないの。この子の後見人には、グレーン卿の代わりに私の父が収まったわ。けれど、父は頭の固い名家の貴族だし、グレーン卿と対して変わらない。貴方のような勇気も、意思も、豊富な経験も持ち合わせていない。」

クロヴィスは、ぱたぱたと駆け寄って、母のひざによじ登ろうとしている。幼い子供を抱き上げながら、彼女は熱心に続けた。

 「もう十年もすれば、この子も成長して、自分の騎士団を持つことになるでしょう。その時には、あなたに隣に居て欲しいの。駄目かしら?」

 「十年後、ですか」

 「そう、十年後。」

ローザは、いたずらっぽくくすくすと笑う。

 「でもきっと、その頃にはあなた自身の子供もいるはずよね。」

 「…はあ」

 「心配しないで。毎日子守りをしろというわけじゃないから。でも、もし請けてくれるなら王城に出入りは自由になるし、騎士団と同等の権限も与えられる。――この件には、既に国王陛下の同意も得てあるの。二人で考えたのよ。貴方に相応しい役職が無いのなら、作ればいい、ってね。それに…」

彼女は、そっと付け加えた。

 「今回のことは、陛下がハイモニア時代の栄光に囚われていたせいで起きたことよ。大陸の再統一なんてつまらない夢を抱かなければ、最初からグレーンの企みを見過ごすことも無かったのでしょう。私ね、この子には別の未来を見て欲しいの。過去のしがらみに囚われない、新しい未来を」

そうまで言ってくれる王妃の好意を、無駄にはしたくなかった。何よりこれは、彼にとっては破格と言ってもよいほど望ましい待遇だった。


 目の前の、やんちゃ盛りの幼い皇太子を見つめながら、ヴァイスは心を決めた。

 「お請けいたします、ローザ王妃。このヴィンセント・コルネリウス、誠心誠意をもって皇太子殿下にお仕えします」

 「ありがとう」

ほっとしたように微笑んで、ローザは腕の中の幼い息子を差し出した。

 「さあ、抱いてあげて。貴方の新しい主を」

この瞬間、ヴァイスの道は定まった。

 主なき元騎士は、再び剣を捧げる相手を得た。

 長き放浪の旅は終わったのだ。




 合議の丘から戻って来る兄ハインツを、ヴィルヘルムは、ザール領の入り口で出迎えた。

 「ご苦労様、報せは届いておる。大変だったらしいな、弾劾裁判」 

 「ああ。しかしまあ、一度で済んで良かった。ハリールの奴が、あっさり認めたお陰だな」

ぐったりした様子で呟いて、ハインツは、弟と馬を並べてゆっくりとした速度で館を目指す。

 「では、あの魔法人形ゴーレムをアイギスから手に入れたことも、サルマン殿の暗殺に手を貸したことも認めたのか」

 「ああ。それどころか、自身の父に毒を盛ったことまで、聞いてもいないのにべらべらと、実にまぁ、よく喋ってくれた。」

 「ほう…。」

 「満場一致で罷免の上、流刑だ。西の荒れ島へ送られることになったよ。海沿いのハウク領が輸送を請け負った。終身刑だしな、二度と会うこともあるまい」

ぽくり、ぽくりと馬の蹄の音が重なる。

 「しかし…本当なのか? 首長選のほうは…」

 「残念ながら、本当だ」

 「ふむ。」

ヴィルヘルムは、片手で髭をこすった。こういう時、どんな顔をしてどう言えばいいのか分からない。それは、自領の住民たちも、家族も同じだった。本当なら誇らしいと言うべきなのだろうが、当の本人は途方に暮れて、しょんぼりしている。それに、ヴィルヘルムだって、まさかという思いだった。

 「まさか、兄貴が首長に選ばれてしまうとはなぁ…。」

そう、再度行われた首長選の結果は、決選投票もなしに、ザール領の領主ハインツを選出したのである。


 「尻ぬぐいだよ、結局は」

と、ハインツ。

 「こんな事態になっては、誰も首長を引き受けたがらなかった。ハリールに焚きつけられてトラキアスとの交戦に積極的だった連中は、ケジメをつけるといって身を引いたし、残る連中も責任の押し付け合いでな。駆け引きのうまいカイザル殿などは、厄介ごとから逃げるのも巧かった。やれやれ。これから、トラキアスとの講和も取りまとめにゃならん…どれだけ働かされることやら」

 「まぁ、いいじゃあないか。それに適任だろう? うちの軍は早々に手を引いて、トラキアスの連中とはほとんど戦っとらんのだ。散々殺し合っとった北部の領地から首長が立っても、講和は纏まらん」

 「そうだな。それもあって選ばれたんだろうが…」

ザール領の領主館が見えて来る。その前には、既に領民たちが集まって、一応はお祝いをするつもりで宴席を整えているようだった。

 ヴィルヘルムは、太い腕を伸ばしてハインツの背を叩いた。

 「ほれ、しゃんとせんか。我がアッシャー家初の首長就任者だぞ。リギアスとの講和を成立させ、これからトラキアスとの仲を取り持つ平和の使者だ! 皆の手本にならんとな」

 「はあ、やれやれ。」

苦笑しながらも、痩せぎすの男は背を伸ばし、堂々とした顔つきになって、馬の背から家族に向かって大きく手を振った。

 その後ろではヴィルヘルムが、満面の笑みでもって兄の背中を見守っていた。


 これより少し前、彼は、リギアス連合国との講和の成立に伴って、再びワイト領を訪れていた。セレーンに、ことの顛末を報告するためでもあった。

 まだ領主を継ぐまでには間があるものの、彼女は今回の件ですっかり大人びて、領内を実質取り仕切るようになっていた。父のセドリックの影が薄く感じられるほどに。…さすがは女丈夫の家系、といったところか。

 報告を終えたあと、彼女は、神妙な顔をして近況について教えてくれた。

 「ルイ殿の死亡は正式に確認されて、アルアドラス家はルイ殿の弟が継ぐことになったわ。まだ幼いから後見人がついて、だけれどね。それで…ルイ殿の遺品の整理をしていた時に、覚書のようなものが見つかったらしいの。例の、あの魔女とのやり取りだそうよ。五年も前から始まっていたみたいなの」

 「ほう」

 「幾つかの魔法道具アーティファクトを与えられて、有頂天になっていたみたいね。それを買うためなのか、あの女に貢ぐためか分からないけれど、父君には内緒で家のお金を使いこんでもいたみたい。…前領主殿の急死には不審な点もあると前々から言われていたけれど、予想が当たっていないことを祈りたい」

 「不審な死といえば、セレーンの母上もそうだろう? 落雷に驚いた馬から落馬した、とか」

 「ええ。雷を出す魔法道具アーティファクトは、叔父様が使っていたらしいわよね。でも…。それも、あまり考えたくはないの」

少女は、膝の上で両手を握りしめた。

 「本当に事故だった、そう思いたい。どちらにしてももう、母様は戻ってこないのだから。」

 「……。」

そう、真実がどうであれ、失われた命はもう戻っては来ないのだ。

 つまらない虚栄心に踊らされた愚か者たちによって、戦いに巻き込まれた兵たちも。

 報酬に釣られて戦場に出た傭兵たちも。

 陰謀のために命を奪われた人々も…。

 自分たちに出来ることはただ、これ以上、無駄な争いを起こさない、ということだけなのだ。




 日々は忙しく過ぎて行く。

 いつもと同じ窓口の対応、それに時々は"本部依頼"のための遠征。

 ヴィオレッタの日常は、ほんの少しの変化があっただけで、以前とほとんど変わっていなかった。違うのは、"本部"の存在と、それを担う所長ウィレムとの関係だった。

 樹海の奥から戻って来た日、ヴィオレッタは、ウィレムに最後の女王エヴァンジェリンと、裏切りの王女フィロータリアの顛末を話した。

 エヴァンジェリンの死は、"虹の玉座"、つまりは斡旋所の"本部"が失われたことを意味している。

 たとえ名目上のものとはいえ、本部の存在は必要だと、ヴィオレッタは思っていた。本部依頼と呼ばれる特殊な依頼はこれからも出続けるだろうし、大陸中に散らばる大小の斡旋所をとりまとめる何らかの中心は必要だった。

 そこで、彼女はウィレムと相談して、決めたのだ。

 ――このカームスの斡旋所が、架空の"本部"として振る舞い続けることを。


 元々、エヴァンジェリンからの直接の指令を請けるのはウィレムだけだったし、本部依頼も全て、このカールムを通して各地に伝えられていた。

 彼女の望みと斡旋所の使命は既に、ウィレムやヴィオレッタが引き継いでいた。エヴァンジェリンからの指令が無くなったとしても、本部の役割を演じることは出来る。

 これは、今は二人だけが知っている事実だったが、いずれはもっと――各地の斡旋所の長たちにも、報せる必要があるかもしれなかった。


 けれど、それはもう少し先になるはずだった。

 各地の斡旋所は今、戦火が収まったあとの情勢についての情報収集と、各地に散らばってしまった新造の魔法道具アーティファクトの行方を追うことに注力していた。幸いにして、戦場に送られた魔法道具アーティファクトの大半は、既にその戦いの中で消失していることが分かっている。特に魔法人形ゴーレムは、ヴィオレッタ自身が破壊に関わったのだ。問題はそれ以外のもの、例えば杖のような、小さなものの行方だ。

 「ヴィオレッタ。ちょっと」

窓口に求職者が途切れた合間を見計らって、ウィレムが彼女を事務室に呼び入れた。

 「なんでしょうか」

 「魔法道具アーティファクトの回収の件、なんだがね。…やはり、アイギスに残っているものがどの程度か分からないことには、今後の見通しも立たないんだ。君の報告にあったグレーンという貴族の領地のほうだ。残っていた品を、アイギスが最終的にどうするつもりなのかもあるしね。件のヴァイス氏は、まだ国に留まっているだろうか?」

 「そうだと思いますよ。ようやく家族の元に戻れたんですから。頼めば、協力はしてくれると思います…けど。」

言ってから、ヴィオレッタはふと、考え込んだ。

 「でも、アイギスの国内って、斡旋所が少ないんですよね…。王都の近くには一つもないし。誰か寄越して連絡をとるのも難しいですね」

 「そうなんだよ。」

ウィレムは頷いて、煙管からふうっと煙を吐き出した。

 「君に直接行って頼んで貰うのも考えたんだが…今後を考えると別の方法のほうがいいかもしれないと思ってね」

 「別の方法?」

 「新しく窓口を作るんだよ。ヴェスタファールに」

ヴィオレッタは、思わずぽかんとした顔になった。

 「――窓口を? アイギスの王都に、ですか?」

 「まあ傭兵の文化のないところだし、仕事の依頼も滅多に来ない、連絡用だけの窓口になりそうだけどね。」

かつてイーリスを滅ぼしたハイモニア王国の首都だった場所に、イーリス人の末裔が事務所を構える。百年前、いや、数十年前までなら、きっと誰も思い付きもしなかっただろう。

 けれど、その王都で大暴れしたイーリス人が"二人も"出た今となっては、何の不思議もない。

 過去の因縁は全て清算されたのだ。恨みも、敬遠する気持ちも。

 「いいじゃないですか。面白そうです」

 「そうかい? じゃあ、候補地の下見をお願いしてもいいかな。街の中心部でなくても構わないんだ。出来るだけ裏通りのほうが――。」




 ウィレムとの話を終えて窓口に戻ろうとした時、アーティが足早に近付いてきて、ヴィオレッタに囁いた。

 「あんたの彼氏からの伝言よ。今日、仕事あがりに待ってるって」

 「彼氏って?」

 「ちょっと、今さらとぼけないでくれる。ルシアンって騎士さんよ」

 「ああ」

 「も――何その淡泊な反応――。」

アーティは呆れ顔だ。

 「だって、付き合ってるわけじゃないし。どっちかっていうと戦友よ。で、何か用って言ってた?」

 「またそういう傭兵みたいなこと言うんだから。食事のお誘いだって。」

 「そう」

ルシアンはここのところ、頻繁にカームスの街を訪れている。

 もしかしたらまた、エデン教の大聖堂に用があるのかもしれない。ティバイスとの戦いで戦死した騎士や兵たちを天に送る葬儀は、ようやく一通り終わったところだ。ルシアンも、同僚を見送るために何度かは葬儀に参加したと言っていた。

 そしてまた今月も、欠員になった席を埋めるための新米騎士の叙任式が行われるようになっている。今や新米の域を脱して一人前の騎士となったルシアンは、後輩たちの任命に付き合ったり、西と東の騎士団の間を伝令として行き来したりと、忙しく過ごしているらしかった。

 そんな話を、一週間に一度は顔を見せに現れる彼から聞いていた。


 お互いの近況報告――それは、大陸の情勢という重要な情報の交換でもある。

 ティバイス首長国の新首長に嫌戦派の筆頭であるザール領の領主、つまりはヴィルヘルムの兄が就任したことは、トラキアス王国側にとっても好ましいことだった。新首長のハインツは、ハリールのもとで押し上げられていた戦線をすべて放棄し、国境線を元に戻すことに合意した。またトラキアス側は、発端となったドラウク領の領主殺害に対して正式に謝罪し、賠償金を支払うことで清算すると決められた。双方とも多大な戦死者を出し、禍根は残るかもしれないが、ひとまずは平和が戻ることになる。

 リギアス連合国とティバイス首長国の間の講和も成立し、リギアスから離脱した四か国も元の鞘に収まりそうな雰囲気だ。

 大陸の秩序は、以前の状態へと復元されつつあった。




 仕事を終えて事務所を出た時、空はまだ明るく、夏の名残の長い夕暮れの色が留まっていた。

 ルシアンは既にやって来て、通りの角で待っていた。ヴィオレッタの姿を見ると、嬉しそうに片手を上げる。

 「急ですまなかった。これから遠出になるから、その前に君に会っておきたいと思って」

 「遠出? どこか行くんですか」

 「うん、アイギスの王都へね。」

 「アイギス? どうして、ルシアンさんが?」

 「国王陛下の護衛、という名目だけど、僕は案内役だね。一度、ヴェスタファールまで行っているから」

歩きながら、彼はいつもの繁華街のレストランへ入っていく。今日も個室を予約してあるらしい。あまりに高級すぎる気がして最初は気後れしていたのだが、いい加減、慣れて来た。それにテーブルマナーも、付け焼刃ではあったが、以前ヴァイスに教わって基本的なことろは覚えていた。まったく、妙なところで身に着けた知識が役に立つこともあるものだ。

 「例の魔法道具アーティファクト密輸の件についての調査で、何度か使節が行き来していたんだけど、やりとりしているうちに、正式に友好使節団を派遣してはどうかという話になったんだ。最後にお互いの王族が行き来したのが十年以上前らしくて、その時にルートヴィッヒ王子も来られていたそうだよ」

 「ヴァイスさんの仕えていた方ね。」

 「そう。それで、今度はこちらから訪問したい…ということで、我が国王陛下が、直々にアイギスに行ってみたいと仰せなんだよ。国王自ら訪問なんて、ハイモニア分裂以来だって、城じゃ大騒ぎだった」

ルシアンは笑顔で、さも面白そうに言う。

 「だけど陛下は、本当は観光がしたいんじゃなくて、ヴァイスさんに逢いたいんだと思う」

 「え?」

 「あの方はエデン教の熱心な信者で、武勇に重きを置いている。自分より優れた剣士がいるのなら、一度手合わせしたい、なんて仰っていたんだ」

 「あっ…あわわ」

ヴィオレッタは慌てて首を振る。「大騒ぎになっちゃいますよ、それ。ヴァイスさん、相手が誰でも絶対、手抜きしませんよ?」

 「面白そうだろう?」

いたずらっぽく笑ってから、彼は真面目な顔になって、テーブルの上に僅かに身を乗り出した。

 「それで――その。これを」

 「はい?」

机の上に置かれたのは、小さな箱に載せられた銀の指輪だった。予想もしていなかったことなのでヴィオレッタはしばし、目をぱちぱちさせたままそれを見つめていた。

 男性が女性に指輪を贈る、という行為は、この国では結婚の申し込みを意味している。交際しているのなら、こういう場で贈られることも在り得るのだろう。

 だが、自分たちは…。

 「驚かせて済まない。返事は戻って来てからでも構わない。ただ、…僕は本気なんだ。今までずっと、色々考えていた。生きることは戦いだ。エデン教の教義でもそう言われている。人生、という戦場で…僕が共に戦いたいのは、君なんだ。ヴィオレッタ」

青い瞳が真っすぐに、彼女を見つめている。

 「僕一人ではきっと、どこかで死んでしまうと思う。ヴェスタファールで戦っていた時にそうだったように…あの時、以前の僕ならここで死んでもいいと思ったはずだ。君が側にいたから、生き残りたいと思えた。助けが必要なんだ。一緒に…戦ってくれないか」

聞いているうちに、ヴィオレッタは何だか笑いがこみあげてきた。照れというより気恥ずかしさのほうが上回って来る。こんな台詞を真剣に、それも本気で言う人がいるなんて。


 "戦友"。


 共に肩を並べて戦う信用に足るかけがえのない存在。その戦場はきっと、、騎士や傭兵たちの駆け巡る場所でなくたって構わないのだろう。

 「分かりました、考えておきます。…でも、別に長い別れにはならない思いますよ? 私、これからヴェスタファールに行く予定があるので」

 「え?」

 「丁度、斡旋所の新しい窓口を開設する候補地を探しにヴェスタファールまで行かなくてはならなかったんです。」

ルシアンの顔に、笑みが広がっていく。

 「それなら一緒に行くのはどうかな? そうすれば、君も王城に入れてもらえると思うよ。見てみたいと思わないか、トラキアスの国王と、アイギスの騎士の一世一代の剣術勝負を。」

 「出発はいつですか?」

 「君に合わせるよ、いつがいい?」

 「それじゃあ――」

話ながら、ヴィオレッタは、不思議と弾むような気持ちを覚えていた。ルシアンと二人旅が出来る。それに、またヴァイスに会えるのだ。放浪の元騎士でも凄腕の傭兵でもない、"ヴィンセント"に戻った今の彼がどんな顔をして暮らしているか、是非とも確かめてみたい。


 失われたものがある代わり、新たに創られる絆もある。そうして新たな歴史は紡がれてゆく。


 人々の知らない、語られなかった多くの物語とともに。




 * * * * *


―謳われし騎士 ヴァイス


アイギス聖王国に戻ったヴァイスは、その後、皇太子クロヴィスの養育係として、彼の即位後は最も頼れる片腕として、生涯、王国に仕えた。

放浪の十年の間の逸話、王都での白き獣との戦い、隣国トラキアスの国王との一騎打ちなど逸話には事欠かず、後に捜索も含む多くの物語が作られた、という。



責務ラヴィを継ぐもの ヴィオレッタ


虹の玉座が失われた後、その遺志を継いだヴィオレッタは、いつしか斡旋所の中心人物となり、大胆な組織改革に着手することになる。

忙しく仕事をこなす彼女の楽しみは家族とともに過ごす休暇であり、その日々は、多くの子供たちに囲まれて、まるで戦場のようであったという。



―豪勇の傭兵 ヴィルヘルム


兄ハインツは結局、引退まで首長の座に留まり続け、ヴィルヘルムはその補佐役として影に日向に露払いの役目を務めた。

傭兵として築いた人脈を駆使して周辺諸国との新たな関係の樹立に尽力した彼は、ティバイスの黄金時代を築いた人物として今も語り継がれている。



・・・



fin.

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不滅の聖杯 ~白き獣と虹の玉座 獅子堂まあと @mnnfr

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