番外編
二番目の十四日の話
アークライト邸の庭に雪がうっすらと積もる。
応接室の暖炉の薪が音を立てているのを、ジョン・ジョンソンは手持ち無沙汰に聞いていた。
それから、目の前の親友──デューイ・アークライトが悩ましげに顔を歪めているのを、不思議な心持ちで見る。
昨年、弱小貴族であるアークライト男爵家は大いに揺れた。
伯爵家令嬢が引き起こした領民殺害事件に巻き込まれたためである。
アークライト男爵家の嫡男であるデューイと婚約者のビビアンによって事件は解決した。
どさくさで二人が成婚したり、公爵家子息と繋がりができたりなど、ハプニングがあったものの、男爵家はひとまず平穏を取り戻した。
だから、何故デューイがこんなにも苦悩しているのかジョンにはさっぱり検討がつかなったのである。
「えっとぉ、デューイ、ど〜した? 何か悩みでもあるのぉ?」
「聞いてくれるか……」
「うん、呼び出したのデューイじゃん。聞くけどさあ」
ジョンの言葉にデューイは美しい顔をますます歪めた。
彼はゆっくりと口を開き、その悩ましい表情には似つかわしくない可愛らしい言葉を発した。
「『チョコレート』って知っているか?」
ジョンは目を瞬かせた。
「あれだろ、飲むやつじゃない方だろ? 最近流行ってるやつ。黒くて固い甘いやつ」
「そうだ」
「っていうかビビアン嬢が流行らせてるじゃん。デューイも知ってるでしょ」
ジョンはデューイの妻の名を挙げた。商魂たくましい少女の姿を思い浮かべる。
「ああ。ビビアンは最初にアークライト家に売り込みに来るからな……」
「絶対売る相手間違ってるよな」
「ああ。だからフレデリク様経由で陛下に献上してもらった」
ジョンは複雑な心持ちになる。今回の件で、親友の口からサラリと公爵家子息の名前が出てくることにも慣れたものだ。
「順風満帆じゃん。……もしかして相談の皮を被った自慢話?」
「違う」
「チョコレートといえば、なんか好きな相手にチョコを渡す風習が外国ではあるんだろ? 最近女の子たちがそんな話ばっかりしてるよな。みんな薔薇とか、綺麗な形のチョコを渡すって意気込んでたなぁ」
「ああ。そうなんだ……」
「何、もらいすぎて困るとかいう、やっぱり自慢話か」
「違う! そうじゃなくて、その話を聞いたビビアンが……」
デューイは声を荒げた。
しかし、じゃあなんだよ、というジョンの顔を見ると、言いにくそうに閉口する。たっぷり躊躇った後、か細い声で告げた。
「ビビアンが、その、……俺の形のチョコを作るんじゃないかと……」
ジョンは一瞬、何を言っているのか意味が分からなかった。
綺麗な形のチョコが流行っていることと、親友の妻が彼の形のチョコを作ることが繋がらなかったからだ。
言葉を噛み砕いて理解する。
「つまり、デューイは自分が美しいから、自分の形のチョコをビビアン嬢が作ると思ってるってこと?」
「うん……」
ジョンはデューイの顔をまじまじと見つめた。
「ナルシスト過ぎねぇ?」
「うわああ! やっぱりそう思われると思った!」
デューイは頭を抱えてソファーに崩れ落ちた。
羞恥で悶え転がっている友人を、ジョンは冷静に眺めた。
「自分の形のチョコが欲しいの?」
「違うんだよぉ……!」
「いくらビビアン嬢でもそんな面白いことしないでしょ」
「全然全く面白くないが?」
「変にウケて社交界で流行ったらいやだなぁ〜」
「本当に嫌なんだよ俺だって!」
デューイは拳を握った。
ナルシストと思われるのも嫌だが、そもそも自分の顔のチョコを食べたくない。
しかし、社交界でチョコレートの話題が広がり始めた頃から、妙にビビアンの視線を感じるのだ。マリーと何やら話し合っているのも聞こえるし、何故か彫刻について調べているのも見かけた。
「それで、自分の彫像!? ぶっ飛びすぎだろ」
ひとしきり笑ったジョンは、デューイを宥めるように言葉をかけた。
「まあまあ、ビビアン嬢だって今や若奥様なわけだし、そんな奇行しないでしょ。心配しすぎだってぇ」
「そ、そうかな、そうだよな……」
親友の言葉に、デューイは自分を無理やり納得させた。
そうして、意中の相手にチョコを渡す日がやってきたのである。
◆
二番目の十四日。
アークライト邸のビビアンの部屋には、彼女によって集められた面々が揃っていた。
ビビアンの後ろには小さな包みがいくつか用意してあった。
(授賞式か?)とデューイは思わず内心で独り言ちる。
横一列に並ばせられた彼らに、自分はどういう立場でいれば良いか分からず、デューイは一歩引いてそれを見ていた。
「はい、マリー。いつもありがとうね。大好きよ」
ビビアンは最初に、メイドのマリーへピンク色の包みを渡した。
マリーは目を見開いて受け取る。
「異性にチョコレートを渡すのが流行っているそうなんだけど、もったいないじゃない? こんなに甘くて美味しいんだもの、是非食べて欲しいわ」
「お嬢様ッ……! ああ、なんて優しい女性にお育ちになったのでしょう!」
「そうでしょう? あなたが育てたのよ」
「お嬢様ぁ!」
マリーは瞳を潤ませた。ビビアンは満足気にその様子を見つめる。
次に、その隣に並んでいた護衛のポールへ包みを渡す。
「ポールも、いつも頼もしいわ。受け取って頂戴」
「ありがとうございます」
ポールは丁重に包みを受け取った。
「で、これはジョン様とバートの分よ」
ビビアンはその隣にいる、デューイの秘書とジョンへポンポンと小さな包みを渡す。
「ビビアン嬢? オレにはめっちゃ適当じゃん」
「おれも雑なんですが……」
「あら、ごめん遊ばせ? でもあんまり本気のようでも誤解が生まれちゃうでしょう?」
「それにしても、マリーちゃんはともかくポールより小さいんですけど?!」
ジョンは不満気にポールの包みを指差す。
ポールは自分とジョンの包みを見比べ、思わず口角を上げた。
「おい、今笑ったんですけど! 普段喋らないけどこういう人だったのぉ!? ショックなんですけど!」
ジョンはきゃんきゃんと声を上げる。
「うふふ。ジョン様は本命の方からもらってくださいませ。バートも、中身はちゃんとしたものだから受け取ってもらえると嬉しいわ」
「あ、いえ。ありがとうございます、こんな貴重なもの……」
バートは慌てて礼を言った。ビビアンは満足して頷く。
「ジョン様にはカカオ豆をお送りするわ」
「豆から作れってこと!? ごめんって! うわぁ〜チョコレートありがた〜い」
ジョンは包みを掲げてわざとらしい笑みを浮かべた。
それで、とビビアンはやっと、デューイの方へ振り向いた。
すわ、彫像か、とデューイは思わず身構えてしまう。
しかし、それまで授与式のようにチョコレートを手渡していたビビアンは、視線を逸らして頬を染めた。
急にいじらしい仕草をされると、デューイの方もなんだかそわそわしてしまう。さっきまで彫像とか考えてたのに。
ビビアンは小さな箱をデューイへ差し出した。
「どうぞ」
「見てもいいか?」
「もちろんですわ」
箱を開けると、小さなチョコレートが綺麗に並んでいた。
表面に彫刻が施されており、薔薇や白鳥などの絵が刻まれている。
(なるほど、だから彫刻について調べていたのか)
デューイは内心自分の勘違いを恥じた。相談したのがジョンだけで良かった。
よくよく見て、並んだチョコレートの一つに、アークライト家の紋章が刻まれているのにデューイは気付いた。
ぎゅっ、と胸のあたりを掴まれたような心地がした。
正真正銘、自分のために作られたものなのだと実感する。
デューイは顔を上げてビビアンを見つめた。
「えっと、ビビアン。ありがとう」
「うふふ、どういたしまして」
「その……すごく手が込んでいて、準備してくれたのが嬉しい」
ビビアンは眩し気に目を細めた。
そっ、とデューイの胸へ額を寄せる。
「わたし、デューイ様の、わたしの頑張ったことに気付いてくださるところが、大好き」
ヒューヒュー! という無粋なジョンの声が聞こえた。
自分でやっておきながら顔を真っ赤にしたビビアンが身を離す。
恥ずかしいのか、いつもよりも早口で解説する。
「この彫刻もですね、これから売り出していけると考えていましてよ! 味だけでなく、目にも楽しめる嗜好品なのです。マリーとも試行錯誤を重ねて形にしたのよ。ね? マリー」
水を向けられたマリーが笑顔で応える。
「ええ、それはもう! どの形が美しいか、チョコレートの味わいを落とさないか、お嬢様は何度も試作されて……。最初にデューイ様の胸像のチョコレートを作り始めた時はどうしたものかと思いましたが、無事に完成して何よりです」
「──……は?」
マリーの言葉にデューイは思考を止めた。
ビビアンが慌ててデューイの袖を引く。
「誤解なさらないで! ちゃんと一回目で、「あ、これいけない奴だわ」と気付きましたし! 試作品はわたしが責任を持って食べました! それに、チョコとはいえ、デューイ様のお顔を食べるなんてよくよく考えたらすごく、いけないことみたいで」
ビビアンはそこまで言って口を閉ざした。もはや何を言っても弁解にならないと気付いたからだ。
ビビアンは顔を覆った。
「やだわ、恥ずかしい」
友人と部下と妻の従者たちに見守られながら、妻の奇行を真正面からぶつけられ、デューイは遠くなる意識の中で思った。
いや、恥ずかしいのは絶対に俺だろ。
ちなみにデューイは当然口止めしたが、勿論ジョンの鉄板ネタになった。
資産家令嬢に愛と執念の起死回生を 渡守うた @komoriutaho
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます