終話 ビビアン・ウォードの欲深き愛と幸福
季節は巡る。
社交界を騒然とさせた結婚披露宴から十数年の月日が経った。
領民にとっても、領主にとっても、ようやっと落ち着いた日々が訪れたと言える。
そんな春の陽射しの中、アークライト領から外国へ向かう馬車が出発する。
若き領主一家は周囲からお土産をたっぷりと約束され、見送られた。
馬車に揺られ、ビビアンは後ろへゆっくりと過ぎていく景色を眺めている。
いつも側で仕えるメイド、今では正式に侍女という立場を与えられたマリーが、その姿を愛おしそうに見つめた。彼女の隣には両親譲りの黒髪を二つに結わえた少女が座っている。
マリーは傍らの少女に柔らかく笑いかけた。
「アメリア様は初めての遠出ですね。お加減が悪くなったらすぐ仰ってくださいませ」
少女、アメリアは澄ました顔で答える。
「大丈夫よ、マリー。むしろマリーと一緒に屋敷でお留守番でも構わなかったのに」
「まあ! どうしてそんな寂しいこと言うのかしら!」
ビビアンは一人娘の言葉に頬を膨らませた。
「私は寂しくありませんので。それに、旅行のあいだじゅう、両親がいちゃいちゃしているのを見なければならない私の身にもなってください」
「ぐう」
ぐうの音が出た。今年10になる一人娘は、両親が多忙なせいか随分大人びた少女に育った。ぷいと顔を背けて隣のマリーへ体を寄せる。娘にばっさり切り捨てられた妻を援護するようにデューイが言葉を加える。
「アメリアが居ないと俺たちが寂しいよ」
「そうよ。それに皆へのお土産を選ぶのも、アメリアと一緒に選びたいと思ってたんだもの! しっかりしたあなたと一緒なら素敵なものが選べると思うの。ね、付き合って頂戴?」
少女は顔を背けたまま、視線だけ二人に向ける。
「そうですね。そういうことなら付き合ってあげます」
二人は胸を撫でおろした。フレデリクをはじめ、社交界の気難しい人物とはそれなりに知り合ってきたが──年頃の娘のなんと難しいことか!
「おじいさまたちは私が何を選んでも喜んでしまいそうで張り合いがないです」
「そ、それは許して上げてほしいわ」
デューイは妻子の話に耳を傾ける。
「バートには外国の珍しい本が良いでしょうし、ジョン様は奥方と趣味が違いますものね。それぞれに用意した方が喜ばれるはずだわ」
「ジョンおじさまは珍しいゲームがあったら欲しいと仰ってました」
「まあッ! 懲りない方ね!」
ビビアンは本気で呆れた。ジョンに呆れることは年に数回あるので今更ではある。しかし娘にこっそりねだる辺り、ジョン・ジョンソンという感じである。
「ポールは何が好きなのかしら。もう長い付き合いだけれど、いまだに彼が何を好きか教えてもらえないわ」
ビビアンは腕を組んだ。あの事件が終わった後、ポールはビビアンの父の所属へ戻った。元々ウォード家に雇われている密偵、もとい護衛である。深夜会議と銘打って毎日のように会っていた頃と比べると会う回数はぐっと減ったが、今でも親交は続いている。
そんな会話をしていると、慣れない旅路で疲れたのか、アメリアがこっくりと舟をこぎだした。そのままマリーに体を預けて眠ってしまった。
日差しが少女の赤い頬に差す。マリーが手で少女の顔に日陰を作る。
ものすごく神聖な光景だわ! ビビアンは驚愕した。それから慌てて馬車の小窓を閉めた。
内心悶えながら、隣のデューイへ小声で話しかける。
「寝ちゃいましたね。慣れないから疲れちゃったのね」
「うん。……変な感じだな。仕事以外で領地を出るなんて。忙し過ぎて想像できなかった」
激務の日々であった。今となっては遠い日の事件後、王都や新たな領地など目まぐるしく移動していた。しかし、観光を目的とした旅など、想像もできなかった。
気付けば、『前回』でビビアンが婚約解消され、命を落とした時よりも年上になってしまった。
隣に座るデューイの横顔は以前より皺が刻まれているし、激務による疲れも見える。
それでもビビアンはこの横顔を世界で一番美しいと感じている。
これから歳を重ねていってもきっとそうだ。
そしてもう一人の、ビビアンの一番美しい小さな女の子。デューイと、愛しい人たちと共に歳を重ねられること。それがどれだけ得難いことかビビアンは既に知っている。
だからビビアンはこの日々が幸福で、手放しがたく、愛しいのである。
ビビアンは口角を上げる。
そして一押しの商品を紹介するときのように、自信たっぷりに胸を逸らした。
「まあデューイ様ったら。こんなもので満足されては困りますわ。これからですのよ? 新鮮で、驚きにあふれて、想像もつかないことは!」
「うん」
デューイが目を細める。
ビビアンは気取った表情を作っていたが、愛しさが堪えられず口元を緩めた。
デューイの手に自分のものを重ねる。
「ですから、一緒に楽しみましょうね!」
(了)
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