終章 少しだけ


   1



 龍燈神楽の反響は思ったよりも大きなものとなった。


 というのも、あの祭りに個人的に来ていたフォトグラファーの一人が所謂インフルエンサーで、彼女が撮った写真がSNSで瞬く間に話題になり、メジャーな媒体にまでピックアップされたからだ。


 実際の祭りで目撃した印象以上に神秘的なその写真は多くの人の目に留まり、日森町のPRとして大成功を収めた。特に大手ポータルのニュース欄に取り上げられた事が起爆剤となり、その効果を確かなものにしたのだ。


 奇しくもそのフォトグラファーは若里君の友人だったらしい。遊びに来るよう誘った本人には会えず仕舞いだったが、龍燈神楽に居合わせて大満足の日森町滞在となったようだ。


 行方知れずだった若里君は、自分のミスが原因で出た損害分のお金を持って帰ってきたらしい。金の問題じゃないと激怒する人も居たし、新城さんからも本当に厳しく叱られたという。けれどいつもすましていた顔をぐしゃぐしゃにして謝る彼の姿に、徐々に責める声は小さくなっていったようだ。


 それに、彼と一緒に頭を下げ続けた兵藤さんの存在も大きかった。彼を一番後押しし、一番裏切られた彼の口から「もう一度チャンスをあげる事は出来ないか」と懇願されては、それ以上責める事など出来なかったのだろう。


 商工会での謝罪の後は兵藤さんの工房で一晩中説教を食らい、本音で語りあったそうだ。

 そこでどんな話をしたのかはわからない。けれど彼は町に残ることを選んだ。


 大きな挫折を味わっても再び頑張る事を決めた彼を、僕も朝陽さんも素直に応援したいと思っている。


 ちなみにこういった近況は朝陽さんから直接聞いた話だ。


 僕が東京に帰ってきてからも、完成した取材記事の確認や、写真の許可取り等でのやりとりが暫く続いていたからだ。電話口で彼女は楽しそうに色々教えてくれた。


「来年も龍燈神楽はやる方向で進んでますよ。こんなに外から注目されたのは初めてだって、みんな浮き足立ってます」

「じゃあ朝陽さんもまた忙しくなりそうですね」

「全く誰のせいだと思ってるんですか」


 電話だから伝わらないだろうけど、僕はすまし顔で笑いながら「さあ誰でしたっけ?」と返事をしておいた。

 電話越しでも明白な彼女の明るい声が、町の活気を伝えてくれた。


 龍燈神楽が話題になった事で、僕の仕事である記事の方もアクセス数を大きく伸ばした。社内の評価も上々だ。何より田島さんの代打をしっかり果たせた事が嬉しかった。


 そうそう、あの出張で僕はもう一つ忘れる事の出来ない思い出が出来た。

 それは日森町から出発したフェリーが島根県の港に到着した時のこと。船と港を繋ぐタラップを渡って下船すると、そこには思いがけない相手が待っていた。


「秋人!」


 勢いよく手を振る凛を見て、僕は思わず足が止まってしまい後ろを歩いていたおじさんとぶつかった。振り返っておじさんに謝ってから凛に駆け寄る。


「え、なんで、どうしてここに?」

「待ってるって言ったでしょ」

「いや、ここまだ島根だし」

「どうしても早く会いたくて、来ちゃった」

「来ちゃったって......」


 かなり珍しい妻の突飛な行動に、僕はうまくリアクションを取れなかった。今日は日曜日なので仕事はないだろうけど、それにしても意味がわからない。


「ホントにどうしたの。何かあった?」

「うーん、まあ、そうなんだけど。あのね」


 目線を逸らすし、歯切れの悪い言葉を並べる妻を前に少し不安になる。何か良くない事でも起きたのだろうか。


「......あのね、赤ちゃんが出来たの」


 言葉の意味を理解するのに少し時間が必要だった。


「僕と、凛に?」


 他に誰が居るのよ、と苦笑する凛の照れたような顔を見て、身体の内側からじわじわと暖かいような、くすぐったいような、初めての感情が湧き上がる。


「本当は結婚記念日に言うつもりだったんだけど、なかなか言い出せなくて。でも暫く一人で居たらどうしても早く伝えたくなって、我慢出来ずにここまで来ちゃった。ねぇ、何か言ってよ」


 呆けていた僕を、少し不安そうな顔の凛が覗き込む。


「いや、急過ぎて。こういう時になんて言えば良いのか思いつかなくて、でも、嬉しいよ。すごく嬉しい」


 上手く言葉に出来ないから、僕は凛の手を握った。この気持ちの暖かさが少しでも伝わるように。

 僕らは手を繋いで歩き出す。二人の新しい日々が、きっとここから始まっていく。


「取材はどうだったの?上手くいった?」

「それはもう。凛に話したい事が沢山あるんだ」


 話しながらふと思いつく。凛と、産まれてくる子供も一緒に、いつかまた日森町に行こうと。空と海の澄んだ青。夏の日差しが似合うあの場所へ。


 これはこれで僕の新しい夢だと、胸を張っても良いのかもしれない。

 いつの間にか色褪せてしまった夢もあれば、新しく産まれる夢もある。


 憧れを追いかけたかつての自分は、眩しくて、熱くて、たった一つの自分の道を、ずっとずっと歩いて行くのだと思っていた。だからその道から外れた自分を心の底ではずっと認められずにいた。けれど。


 夢を追いかけた日々は間違いじゃない。

 その夢が色褪せたことも間違いじゃない。

 報われなくたって全てが無くなるわけじゃない。


 この先に自分を許せる日が、認められる日が来るのかはわからない。夢の残滓を忘れる事はないだろう。


 それでも今は、今大切にしたいものから目を逸らすような事をしたくない。


 どうしようもなく変わっていく自分を受け入れるのは難しいかもしれない。だけどきっと悪い事ばかりじゃない。


 これからはそれを信じられる。そんな予感がした。





   2



 例年通り残暑が居座る東京の街を、凛と並んでゆっくりと歩く。

 街中のショーケースもすっかり秋の装いへと衣替えを終えた頃。僕らは学生の頃に良く集まった安い居酒屋を目指していた。


「多賀谷君の祝勝会、ホントにあそこでやるなんて。今ならいくらでも良いお店が選べたでしょうに」


 今夜はスケジュールの都合で伸び伸びになっていたシゲの祝勝会だ。会場が安居酒屋なので僕も凛もかしこまった格好はやめて普段着で来ている。


「いやそれ、シゲの希望なんだってさ。学生の頃に夢を語った場所が良いだとか、あいつ昔から地味にロマンチストだよな」

「あー確かに。わかるわかる」


 僕らは二人で顔を見合わせて苦笑する。


「それよりも、凛は無理しちゃダメだからな。具合悪くなったらちゃんと言えよ」

「わかってるって。皆にもちゃんと言うから大丈夫。会えるの久しぶりだよね、楽しみだなぁ」


 会場に到着して席に案内されると、そこには懐かしい面々が既に揃い踏みだった。


「星野、瀬川さん!久しぶりだなー、お前らは相変わらず仲良さそうだな」

「そっちはちょっとオッサンになった?」

「そうそう最近腹回りがさ...ってうるせーこのやろっ」


 軽口の応酬に周りで笑い声が弾ける。一番奥の席に親友を見つけたので僕はボリュームを上げて話しかけた。


「大分遅くなったけど、受賞おめでとう!さすがシゲ!」


 褒められるのが苦手で、上手くリアクションが取れないのは相変わらずのようだった。シゲは不器用に「おう」とだけ返事をして話題を変える。


「秋人こそ最近はどうなんだよ。もう元気そうだし、そろそろ修羅場が恋しい頃じゃねーの?」

「んー、ちょっと今はなぁ......」


 まだ自分の心変わりを、ライバルだった男に話せるほど達観は出来ていない。


 でも少しだけ。


 かつての自分の面影が重なる親友に、今の自分が大切にしたいものを自慢したくなった。隣に並んだ凛とちらりと目配せを交わして頷く。


 凛が芝居がかった仕草で皆にわかるよう、そっとお腹を撫でた。



 Fin.

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いつかこの青が色褪せても 朝海拓歩 @takuho

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