第四章 秘密を照らす龍の灯火(9〜10)
9
龍燈神楽のあらましを聞き終わった朝陽さんは「早速みんなに掛け合いに行きましょう!」と頬を上気させた。善は急げと車を急発進させようとする彼女を慌てて止める。
「最後に一つだけ、お願いがあるんです」
僕の真剣な表情に、彼女もアクセルから足を離して向き直る。
「なんです?」
「このアイディア、朝陽さんが思いついた事にしてくれませんか」
「え、どうして」
「端的に言うと、事をスムーズに運ぶ為にはその方が都合が良いからです」
朝陽さんの怪訝そうな顔を見て、僕は更に畳み掛ける。
「今回のトラブルは若里君が発端です。余所者って言うと彼にはちょっと悪いけれど、余所者から始まったトラブルの中、またどこの馬の骨とも知れない余所者の言う事を聞くのは心情的に難しいでしょう」
「そんな。私はそんな事思いません」
「朝陽さんはそうかもしれません。でもそうじゃない人だって居るかもしれない。その点、朝陽さんのアイディアにしてしまえば全部丸く収まります。皆さんも率先して協力してくれるはずです。観光協会の一員として顔も広いですし」
幼い頃からこの町で育ち、一度は陸上を通して皆の期待を背負った事もある彼女ならば協力を得やすいはずだ。観光協会の職員としても祭りに関わる真っ当なポジションに居る。
僕はことさら明るく聞こえるように本音を口にする。
「それにこのアイディアを実現する為に、実際走り回るのは朝陽さんですから。僕には誰の協力が必要だとか、許可取りが要るだとか、そういった現実的な問題一切がわかりませんし、時間もない」
そう、僕に出来る事なんて本当に何もない。アイディア自体には多少の勝算があるし、実現したら話題になるんじゃないかという期待もある。けれどたった数日でもここで暮らす人たちと触れ合い、その思いを聞いて回った今、無責任な事は出来ない。したくない。
これを実現させる為には僕が関わらないのが一番良い。
朝陽さんは少しの間沈黙し、やがて覚悟を決めたように顔を上げて僕を見つめ返す。
「わかりました。引き受けましょう。必ず私が龍燈神楽を形にしてみせます」
「そう言って貰えてほっとしました」
こうして何かを人に託すのは初めての経験かもしれない。ずっと自分を、自分の手だけを信じて頑張ってきたから。
「でも、やっぱりなんだか申し訳ないです。星野さんのお手柄なのに」
「本当に気にしないでください。無責任な立場でしかない僕に手柄も何もありません」
倒れる前の自分だったらこんな風には言えなかったかもしれないなと、ふと思った。気付くと彼女が僕をじっと見詰めていた。
「......なんでこんなに一生懸命考えてくれたんですか?たまたま仕事で来た町の為に」
先ほどまで滑らかに回っていた舌がもつれた。それを説明するのは少し照れくさい。
「んー、力になりたくて、いや、ちょっと違うかな。多分、僕なりのお礼がしたかったんです。この町に対して」
「お礼?」
「はい。僕にちゃんと考える、そのきっかけをくれた事に対して」
自分の胸の内を話すのは逡巡も抵抗もある。けれど僕は、既に朝陽さん自身とその家族のかなりプライベートな事まで聞いてしまっている。自分の事だけ話さないというのは不誠実だろう。
僕は「少し自分語りになっちゃいますけど」と前置きをしてから、心の底に沈んだものを一つずつ言葉として掬い上げていく。
「僕にも夢がありました。ずっと追いかけていた夢が」
学生の頃からずっとデザイナーに憧れていた事、絶対成功してやると意気込み就職まで漕ぎ着けたこと、けれど過酷な業務の中で自分を追い込み、結果として過労で倒れた事をぽつぽつと話した。
「ずっとその夢に焦がれて、それ以外は何も要らないと思って歯を食いしばってきました。諦めるまでは負けじゃない。自分は夢を掴む側の人間だと。けれど心より先に身体の限界が来て立ち止まらざるを得なくなった。その時、僕は気がついたんです」
学生の頃や新卒時代の自分だったら、一度倒れたくらいで転職なんて考えなかった。凛に何をいくら言われようと、自分の夢を叶える為に現場に復帰したはずだ。
けれどそうはならなかった。あの場所に戻ろうという気持ちは驚くほど希薄で、凛を悲しませたくない、そんな気持ちが自分の心を占めていた。
「......気づいてしまったんです。僕の中で、夢が夢じゃなくなっている事に」
彼女は相槌もなく無言で聞いてくれている。それが僕には有り難かった。
「僕は一度夢を諦めました。真っ白な病室で自分の大事なものは何なのか、もう一度考えて夢を手放すと決めたんです。転職して環境も変えました」
ちゃんと諦めた。自分でもそう思っていたし、実際転職して暫くは何も感じなかった。
今にして思えばそれは、まだ身体も心も弱っていたからなのだろう。余裕が出れば、それまで気づかなかった事にも気付くようになる。
「そうやって心を決めたはずなのに、僕の中にはまだ何かが燻っていて、それは時折り古傷のようにちくりと痛みました。友人でありライバルの成功を素直に喜べなかったり」
知らなかったんですけど僕って器が小さいらしいです、と冗談めかすと朝陽さんは控えめに笑ってくれた。
「だから僕はずっと、自分は夢を諦めきれていないんだと思っていました。未練を引きずっているのだと。でも違ったんです。この町で皆さんの話を聞いて、自分を省みて、やっとわかりました」
夢の形はひとつじゃないし、いくつあっても良い。無くたって構わないし、ふとした事で増える事もある。
この取材を通して、理屈では知っていた事をようやく自分の腹に落とし込む事が出来た。そうして自分の夢を、かつての夢を見つめ直して初めて痛み原因を理解した。
「僕はただ、今の自分が許せないでいた。それだけなんです」
夢も自分も変わっていく。その事を静かに受け入れてようやく、転職してから感じていたもやもやの正体が掴めた。
僕は夢を諦めた自分自身を、ずっと許せないでいた。
自分は夢から逃げたんじゃないか。
夢を追いかけない自分に、叶えなかった自分に価値はあるのか。
身体を壊した時、本当はどこかほっとしていたんじゃないか。
同じ志を持った友人に対して顔向けできるのか。
それは未練とは違う、夢を諦めた自分に対する自己否定の感情だった。かつての、夢を追いかけていた自分が今の僕を責め立てる。このままじゃ敗北者だと、諦めなければまだやれると、叫び続けている。諦めた事に頭で納得していても、どこか自分を受け入れられない。
今の自分をどう好きになれば良いのか、僕にはまるでわからない。
「夢を諦めた自分を好きになれるかどうか、いつか許せるのかはわかりません。けれど僕も前に進みたい」
朝陽さん、あなたのように。口には出さずに、心の中でそう付け加えた。
「そんな風に僕が顔を上げるきっかけをくれたこの町に、皆さんに少しでもお礼がしたかったんです」
今の僕が好きになった人達に喜んでほしい。夢を諦めたって、自分が好きになれなくたって、そんな些細な願いなら僕の中にもまだ残っている。
今は、ひとつずつ。
大事なものを、ちゃんと大事にしていこう。
夢の爪痕は一生残るかもしれないけれど、その傷ごと良い人生だったと最期に言える、そんな自分になりたい。
僕は全てを話し終え、彼女の反応を待つ。少し自分語りが過ぎただろうか。沈黙が痛い。
「......なんかすみません。良い大人がモラトリアムな事言って」
静寂に耐えられず、つい茶化すような言葉が口をついて出る。彼女は反射的に頭を左右に降って否定する。
「いいえ、私にもわかります。......あの、星野さん」
反射的に「はい」と応えたけれど、続きを聞くのが少し怖くて彼女から目を逸らす。
「ありがとうございます。この町を好きになってくれて」
青空の下で咲く向日葵のよう笑顔で、彼女は僕に笑いかけた。
それから先の展開は早かった。
朝陽さんは車を飛ばし、龍燈神楽を実現すべく奔走した。
新城さんへの企画の説明、仮設ステージが利用可能かの確認、神楽の保存会や美夜、船を動かしてもらう漁業組合への協力要請。もちろん観光協会内部でも話を通し、夜の商工会で祭りの委員が集まる頃にはほぼ全ての段取りを済ませた。
驚くほどスムーズに事が運んだのは、偏に彼女の人望のおかげだ。
僕は取材の一貫という体で同行させてもらったのでよくわかる。彼女は企画内容について丁寧に説明して回ったけれど、時間が無い中で皆の背中を押したのは「彼女の力になりたい」という一念だったのではないだろうか。
人を動かすのは、やはり人なのだ。
10
「お姉ちゃーん、記念写真撮るってー!」
声の方を振り返ると、仮設ステージの眩しい光の向こうから巫女姿の美夜が駆け寄ってきた。
「ほら、朝陽さんは主役なんだから行かないと。僕はもう海猫荘に帰りますから」
そう促すと彼女は曖昧に笑った後、美夜に返事をして踵を返した。もう少し一人で海でも眺めようか。そう思ったところで、なぜか美夜がわざわざここまでやってきた。
「ほら、みんなもうステージの前に並んでるから早く行って」
ステージに戻る姉にはすれ違いざまに、どちらが姉かわからないような口調で注意していた。「はいはい」と朝陽さんもステージの方へ小走りで戻っていった。てっきり美夜も一緒に戻るものと思ったけれど、なぜか僕の隣まで来て並んだまま動こうとしない。
「えーと、君は行かなくても良いの?」
「行きますけど、一つだけ聞いておきたくて」
「あなたが黒幕ですよね?」
彼女は有無を言わさぬという口調でそう言い切った。
朝陽さんとは異なる切れ長の目でこちらを見据える。巫女装束に化粧もしているせいか、普段よりも数段迫力がある。僕は咄嗟の返事が出来ず言葉を詰まらせた。
「誤魔化すのが下手。町の大人たちはお姉ちゃんが可愛いからすんなり納得しちゃったけど、私は騙されないから。あの勉強嫌いなお姉ちゃんが、古い歴史を引っ張りだしたイベントなんか思い付くわけない。どう考えてもおかしい」
「それはほら、館長が貸してくれた本にたまたま書いてあったって朝陽さんが言ってたろう?」
どうにか誤魔化そうと弁明してみるけれど、今度はぎろりと睨まれた。なんだか神罰を下されそうだ。
「ま、うまくいったし、別にそれは良いんだけど。皆には黙っててあげる。だからその代わり、連絡先教えて。SNSでも何でも良いから」
予想の斜め上の申し出に「え、僕の?」と間の抜けた確認をしてしまう。
「私が東京で就活したらお世話になるかもしれないし。繋がっておいて損はないかなって」
「ははっ、酷い言い草だなぁ」
その逞しさに僕はつい笑ってしまう。こんな風に未来の話が出来るという事は、家族との折り合いはうまくついたのかもしれない。
僕は自分の連絡先を美夜に教えた。巫女装束のどこにしまっていたのか、彼女もスマホを取り出し承認完了だ。
「せっかく繋がった事だし、次に遊びに来たときは朝陽さんじゃなくて美夜ちゃんに案内お願いしようかな」
「めんどくさっ。また来るつもりなの?」
「今度は妻と一緒に、仕事じゃなくて遊びに来るよ」
凛に見せたいもの、紹介したい人がたくさん出来た。
「その頃には私、もう島を出てると思うけどね」
そう言い捨てて、美夜も記念撮影の列へと戻っていく。ようやく全員揃ったので、カメラマンがレンズに注目するよう大声を出していた。僕はそれを横目に海猫荘への帰路についた。
ここ数日ですっかり慣れた、東京よりもずっと暗い夜道を僕は一人歩く。
ふと、誰かが冗談でも言ったのか賑やかな笑い声が風に乗って耳に届いた。
人も、世の中も、夢も、何もかも変わっていく。けれど笑顔だけは変わらずに、絶えることがありませんように。どうか、きっと。
満天の星空を見上げて、柄にもなくそんな事を祈った。
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