第四章 秘密を照らす龍の灯火(6〜8)


   6



 漁港に建てられた仮設ステージは、海を背にして出番の時を待っていた。淡いオレンジの夕日をきらきらと反射する水面が、無骨なステージをきらびやかに演出していた。


 僕は客席の一番後ろで立ち見する事に決めた。椅子も用意されているが、撮影があるので自由に動き回れる方が良い。


「いよいよか」


 会場を見渡すと客入りは上々。ライブだったら来なかったようなお年寄りや子供も沢山集まっていた。僕と同じ客席の最後尾には、大きなビデオカメラや一眼レフを携えた記者達の姿があった。彼らの傍らには寄り合い所で会った広報担当の女性が控えており、緊張した面持ちでステージを見つめている。


 これから始まる初めての試み。果たして上手くいくのかどうか。


 集まった町民たちは好奇心を顔に浮かべながら、外から取材に来た人々はさして期待はしていないという顔で始まりの時を待っていた。

 ブゥンという音が会場の空気を震わせ、スピーカーからアナウンスが流れた。


「皆さまお待たせ致しました!残念ながら中止になったライブに代わって、私達が急遽準備した特別公演、間も無くの開始です!」


 本番はこれからだと言わんばかりの元気な声は朝陽さんだ。

 観客からぱらぱらと拍手が返ってくる。ステージに照明が当てられた。今はまだ何も無いステージの向こう側には夕陽に染まる海が広がっている。ステージへ登る階段の横に、いつの間にか朝陽さんがマイクを持って立っていた。司会の定位置はあの場所にしたらしい。


「それでは準備が整うまでの間、この特別公演がどういったものか簡単に説明させて頂きます」


 カンペも見ずにはきはきと進行していく。昨夜から段取りを何度も頭に叩き込んで来たのだろう。

 彼女の司会の間に、和装に身を包んだ人々が楽器を抱えてステージへと上がっていく。彼、彼女らはステージ上にどかりと座り、楽器の音色を調整し始めた。


「勘の良い人、というか町の皆さんはもうわかりましたよね。これから行うのは『神楽』です」


 その声と示し合わせたようなタイミングで、巫女姿の美夜がステージに現れた。


 遮るものの無いステージ上は最後の夕日に照らされていた。白い装束が淡い朱色に染まる。しかし間も無く日は沈む。その時を待つかのように、中央で佇む美夜は舞いにおける最初の姿勢で静止していた。

 会場の注目が美夜に集まったところで朝陽さんが言葉を続ける。


「これから皆様が目撃するのは、私達の時代の新しい神楽。その第一歩です」


 夕陽が水平線の向こうに隠れ、辺りは加速度的に暗さを増していく。




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「あのっ朝陽さん居ますかっ」


 肩で息をしながら観光協会の事務所のドアを開けて、僕は彼女の行方を訪ねた。スマホで連絡しても一向に返信がないせいだ。車で送ってもらった時は近いと思ったけれど、海猫荘からここまで歩くと思いのほか距離があった。だから少しでも早く着く為に走ってここまで来たのだ。


 今はとにかく時間が惜しい。

 急な来訪者にぽかんとするスタッフ一同、とは言ってもそこには二人しか居らず、朝陽さんの姿はなかった。


「鳴海君なら、お祭りの屋台で使う仮設テントの搬出に行ってるよ。神社前の通りら辺に居ると思うけど」

「ありがとうございます!」


 恐らく朝陽さんの上司であろう年輩のおじさんが教えてくれたので、僕は再び外へと飛び出した。


「きゃっ」


 駆け出そうとした所で危うく誰かとぶつかりそうになって咄嗟に身を避ける。ぶつかりはしなかったものの体勢を崩して、アスファルトに膝を打ちつけた。


「あれ、星野さん?大丈夫ですか?」


 ちょうど事務所に帰ってきた朝陽さんと鉢合わせになったようだ。なんだかこの姉妹とはぶつかってばかりいる気がする。僕は膝の傷みに耐えながら立ち上がる。


「仮設ステージのアイディアを思いつきました。意見が聞きたくて朝陽さんを探していたんです」

「わ!それなら中で話しましょう」


 嬉しそうに手を合わせ、中に入ろうとする彼女の腕を掴んで事務所に入るのを阻止する。


「すみません、まずは朝陽さんだけに聞いて欲しいんです」


 彼女は少し怪訝そうな顔で僕を見返す。でもこれは必要な手順なのだ。


「ワケはちゃんと話しますから。お願いします」

「じゃあちょっと待っててください。一度事務所に顔出してから戻ってきます。んー、そうだなぁ、内密なら車で話しましょうか。この後どちらにせよ港に行く用事があるので一緒に乗ってください」


 僕は頷いて一人駐車場へ向かった。ほどなく彼女が戻って来て一緒に車に乗り込むと、僕は企画の核心から伝える事にした。


「港の仮設ステージで神楽を再演しましょう」

「神楽を?お昼にもやるのに?」


 至極もっともな疑問だ。


「昔は夜通し神楽を舞っていたと、図書館の郷土資料で読みました。それを夜の部として復活させて、今の町に合った新しい神楽を作るんです」


 朝陽さんは運転しながら「うーん」と少し考える素振りを見せて言った。


「それがライブの代わりになります?正直もうちょっと新鮮さがあった方が......」

「順を追って説明します」


 これは別に仕事としてのプレゼンではない。僕はどこまでも部外者で無責任な立場でしかない。それでも、ここで出会った人の為になればという気持ちは本物だ。自然と言葉に熱が込もる。


「まず問題は仮設ステージがこのままだと無駄になること。ライブ目的に取材が例年より多い中、このままでは町をPRするチャンスが潰れてしまう、という事でしたよね」

「そうです」

「時間が無い中で新しいイベントを一から作るのは至難の業です。リハーサルも出来ない。しかし既にあるものの再演ならば、ほぼ出演者の説得だけで何とかなります。神楽の再演自体は難しくないと思うんですが、どうですか?」

「確かにそれは可能だと思います。神楽に必要な道具は持ち運びも簡単ですし、スペース的にも仮設ステージで十分です。神事としての神楽ではあるけれど、演舞の機会が増えるなら保存会の会長さんは承知してくれそうですし、神主さんは温厚で新しいものに寛容な人です。大丈夫、だと思います」


 第一関門はクリア出来そうだ。神事だからと断られる可能性もあると思ったが、やはり日森町には変化を受け入れる気風があるのだろう。


「でも場所だけ変えて同じことをやっても特別アピールにはならないんじゃないですか?」


 遠慮がちだが最もな指摘だ。


「確かに全く同じならそうでしょう。だから少しアレンジを加えます。朝陽さんは、この町の龍燈伝説をご存じですか?」


 唐突な単語の登場に彼女が一瞬きょとんとした顔をこちらに向けた。しかし直ぐにフロントウィンドウへと視線を戻す。


「えーと、ちょっと待ってください。小学校の頃に総合の時間でちらっと聞いたような......。確か海から火が飛んできたって怪談みたいな話ですよね」

「そうです。資料によると、この町でその火は吉兆、豊漁の証しとして伝えられており、飛んで来た火が燃え移った有り難い場所が灯守神社の起源だそうです」

「へぇ、知らなかった......」

「古い郷土史に少し載っているだけみたいですからね。今では知ってる人の方が少ないのかもしれません。僕はたまたま祭りや神社の起源を調べようとして見つけました」


 身近なものやよく知っていると思うものほど、あえて調べ直そうとは思わないものだ。僕があの記述を見つけたのはちょっとした奇跡だと思う。

 話を前に進める。


「その龍燈伝説と神楽を結びつけて、新しい物語を作る。それがこのアイディアの肝です」




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 舞台の上で佇む巫女姿の美代はまるで人形のように微動だにせず、始まりの時を待っている。日が沈んでからの潮風はやや冷たく感じられる中、朝陽さんのナレーションが続く。


「皆さんは龍燈という言葉をご存じでしょうか。龍の灯し火という字を書きます。それは海の神様、龍より賜った特別な火。灯守神社が初めに奉ったのはこの灯し火であり、それは吉兆の証であったと言われています。この神楽夜の部ではその伝説に立ち返り、今を生きる私達の願いを海の神様に届けるべく神楽を舞います」


 朝陽さんが口上を終えたタイミングに合わせて、演奏が静かに始まる。

 夜の海に太鼓の音が、染み込むように消えていく。寄せては返す波音も演奏の一部のようだ。


「龍燈神楽、どうぞご覧ください」


 ステージ上の美夜が動いた。

 舞いの動き自体は昼間と何も変わってはいない。しかし真っ暗な海を背に、一人ライトを浴びて白く浮かび上がる巫女の姿は何倍も神秘的な光景だった。


 闇夜に抗う光の巫女。


 ふとそんな連想が頭に浮かぶ。

 避けられない時代の変化。それは決して良い事ばかりではなく、痛みと喪失を伴う変化も多い。それは斜陽から闇夜へと移り変わるような、自然の摂理にも思える大きな流れだ。


 しかしその渦中にあってもなお、僕達は日々を懸命に生きていくしかない。希望を抱きたいし、夢を語りたい、前を向いて生きたい。そんな人々の祈りを全身で体現するかのように、流麗な動きで舞いは輝きを増していく。


 余所から取材に来ているメディアもこの瞬間が貴重なものだと気付いたようだ。真剣な表情でカメラを構え始めた。

 予想通り、いや、これなら予想以上の成果になるかもしれない。僕は自分の見立てが間違っていなかった事に安堵する。


 滑り出しは上々。さあ、次の一手はどうなるか。





 僕の提案を聞いた朝陽さんは少しの間考える。考え事をするときの癖なのか、髪を手でくるくると弄んでいた。

 話の途中から集中して話しをする為に車は路肩に停車させていた。エンジンが止まった車内は静かだ。


「わかりました。龍燈伝説と神楽の融合については商工会の皆さんにも受け入れて貰えると思います。でもそれだけで町のアピールに繋がるんでしょうか?やっぱり振り付けも変わらないなら、昼間との違いはあまり無いような気がするんですが......」


 これは僕が余所者で、尚且つメディアや広告の関係者だから思いついたのかもしれない。灯台下暗しというやつだ。


「僕たち外から来る人間としては、せっかく島まで来たなら『ここにしかないもの』を見つけたいんです。その点で神楽は申し分ない。普段とは違う、特別なシチュエーションというだけでそこそこ興味は引けるはずです。そこでもう一押ししましょう」

「もう一押し?」

「身も蓋もないですが、インパクトのあるビジュアルを用意します。具体的には誰かに教えたくなるような、非日常を感じさせる瞬間です。神楽の内容自体は変えません。そんな時間もないでしょう。しかし場所や環境ならまだ変える余地がある」

「港での神楽というのは特別に見えるものなんでしょうか......。私にはよくわかりません」


 僕から見たら漁港のステージというだけでそれなりにインパクトを感じるけれど、地元の人にそれを感じてもらうのは難しいだろう。僕にとって渋谷のスクランブル交差点は日常だけど、地方や海外から来た人にとっては非日常な光景なのと同じだ。


 しかし今回はそれだけに頼るつもりはない。


「確かに港というだけではインパクトが足りません。そこでもう一つ演出を加えます。文字通り、海に現れる龍の火を作りましょう。そもそもそれが無ければ伝説の再現にはなりません」


 彼女は口を挟まず耳を傾けてくれる。


「神楽の背後に広がる暗い海に龍燈を浮かべるんです。そのために必要なものが、この町には既にあります」

「......あっ誤発注の!」

「そうです。あの大量の提灯を使って、龍の火を作りましょう」





 神楽が間奏に入った。

 太鼓の音が小さくなり、巫女が動きを止める。さあ小休止といったところで、汽笛の音が鳴り響いた。不意の大音量に多くの観客が驚き顔を見合わせる。


 この汽笛は合図だ。


 闇一色だった海面にするすると小さな明かりが増えていく。波に合わせて揺れる光の粒は、まるで風にたなびく稲穂のようだ。一つ一つは儚く小さな光でも、これだけ集まれば壮観な光景になる。観客が息を呑む。


 間奏を終え、最後の盛り上がりに向けて再び演奏が走る。


 同時に、舞台を中心とした左右から一際大きな光が立ち昇る。それは光に縁取られた二対の大きな旗。巫女の頭上を旋回するとんびのように、ぐるぐると暗い中空を旋回している。光の残像が尾を引き、まるで二匹の龍のようだ。


 突如始まった光のパフォーマンスに観客が沸く。興奮した声がそこかしこで聞こえてきた。


「綺麗!」

「海の何あれ!」

「すごーい!イルミネーションだ!」


 沢山の光を従えるように巫女が舞いを再開する。まるで光と戯れるように腕を振り、ステップを踏む。


 その姿目掛けて一眼レフを構える。他のメディアもステージに釘付けになっていた。僕は美夜の表情がわかる倍率までズームしていく。


 ファインダー越しに彼女の自信に満ちた表情を見た。心なしか口元には笑みさえ浮んでいる。彼女も手応えを感じているのだろう。


 自分達が作った新しい神楽に。


 僕は魅入られたようにシャッターを押す。もう何枚撮ったかわからない。

 うん、いい画だ。誰かに、いや、凛にも見せたいな。そんな事を考えながら、僕はこの奇跡のような瞬間を心に刻み込んだ。



 盛り上がりはそのままに、龍燈神楽は無事幕を下ろした。会場からの惜しみない拍手の中、朝陽さんが締めくくりの挨拶を行う。


「特別公演、龍燈神楽はこれにて終演です。龍の灯し火に皆さんは何を託しましたか?今夜の神楽が皆様の吉兆の証しとなりますように。本当に、本当にありがとうございました!」


 美夜も楽士達も退場し、ステージ脇のテントに消えていく。朝陽さんは帰宅を始めたお客さんを誘導する為の事務的なアナウンスを続けていた。


 僕はひとり人波とは逆方向へ、海との境界まで足を進める。


 空には相変わらず大きな月が素知らぬ顔で浮かんでいた。海を見ると、まだ沢山の光が水面に浮かんでいる。目を凝らすと小型のボートがゆっくりと移動して、光を回収していくのがぼんやりと見えた。急で無理なお願いを聞いてくれた漁師さん達には本当に頭が上がらない。


 それもこれも朝陽さんが居たから実現出来た事だ。


 龍燈の正体は、若里君が誤発注した大量の提灯だ。それを透明なビニール袋に入れて、水が入らないようにきつく口を縛っただけのものだ。元が軽い提灯は、それだけで十分な浮力を得て海底に沈むことはない。それにLEDの電池は一日以上は余裕で持つ。


 人海戦術で自作した沢山の光る浮き玉は、光を外に漏らさぬよう二重のブルーシートで隠してボートに乗せた。そんな数隻のボートが、神楽が始まるまで海上の闇夜に紛れて待機していた。そして汽笛の音を合図に浮き玉を海に放流していった。それが海上に現れた龍燈の正体だ。


 次にステージの左右から現れた二匹の龍を模した光の旗、こちらはもっと単純だ。ずっとぐるぐると動かしていたおかげで迫力を保てたけれど、あれこそ力技以外の何ものでもない。


 これは漁業組合が所有していた大漁旗に、沢山の提灯をくくり付けただけ代物だ。それを腕力自慢の漁師さんが掲げて振り回していたのだ。作ったのは組合で働くおばちゃん達。大急ぎで、だけどしっかりと縫いつけてくれた。大漁旗は元々高く掲げるもののため、柄の部分は長く丈夫に出来ている。闇夜では細い柄の部分はかなり見えづらくなり、自然と光る旗の方に目が奪われるという寸法だ。


 どちらも半日足らずでの準備、リハーサル無しのぶっつけ本番というギャンブルだったが期待以上の成果となった。あのビジュアルならニュースバリューとしても文句なしだし、町の歴史を絡めた事で文脈とオリジナリティも保てたはずだ。


 何より、町の人たちの楽しそうな顔が見られて嬉しかった。うん、嬉しかった。


「星野さん!」


 振り返ると朝陽さんが満面の笑顔で立っていた。


「龍燈神楽、大成功ですよ!」

「はい。僕も客席で鳥肌が立ちました」

「星野さんのおかげです。なんてお礼を言ったら良いか、本当に」


 その場で大袈裟に頭を下げてしまいそうな朝陽さんを慌てて止める。


「いや、ダメですよ言ったじゃないですか。僕は何もしていません。これは朝陽さんの成果です」

「でもやっぱり」

「良いんです。僕は余所者で、この町じゃ何の責任も負えません。アイディアというのは形にしてこそ価値があるんです。今夜の価値を作ったのは、紛れもなく朝陽さんと町の皆さんです。それを忘れないでください」


 僕は聞き分けのない子供に諭すように、きっぱりと釘を刺す。ここは大事なところなのだ。


「......わかりました」

「せっかく上手くいったんですから、秘密は秘密として僕らの胸の内に仕舞っておきましょうよ」


 僕は芝居掛かった仕草で指を口元に当ててにやりと笑う。

 そう、僕は本当に何もしていない。胸を張るべきは彼女なのだ。

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