第四章 秘密を照らす龍の灯火(3〜5)


   3



 別れ際に朝陽さんから「夜の集まりには来ますか?」と聞かれた時は少し驚いた。


「さっきは流れで居合わせましたが、それって大丈夫なんですか?」


 余所者が起こしたトラブルの渦中に、更に関係が無い余所者が居るのは無用な火種にならないだろうか。


「別に星野さんが原因ってわけじゃないですし。仮設ステージの件、何かアイディアがあれば是非お願いします」


 町の人だけで考えるより意見の幅が広がるのは確かですから。そう言い残して彼女は観光協会に戻っていった。


 アイディア、ね。


 自分に何が出来るかを考えてみる。まず自身の仕事である取材は大丈夫だろう。予備日が必要なかったほど順調に進んでいる。アイディアを考える時間はある。町の事は詳しくないけれど、自分の経験から出せる答えもあるかもしれない。よし。


 海猫荘に帰ってきた僕は、一階の共用リビングで平積みされていたお祭りのチラシを手にとった。それを机に広げて改めて目を通す。


 A4サイズのチラシ一面には神楽の写真が大きく使われている。きちんとしたカメラマンが撮った写真なのだろう。躍動感が伝わってくる良い写真だった。

 チラシには大きく『灯守神社夏祭り』と書かれており、右下のエリアには注目すべき催しの紹介が、左下のエリアには一日のスケジュールが書かれていた。

 中止となったライブは一番目立つように掲載されており、期待値が高かったのが見て取れた。


 もう一度現状を整理してみよう。


 まず解決すべき課題は何か。それはライブの中止によって無駄になるかもしれない仮設ステージの使い道だ。

 その使い道は町民の期待に応えるのはもちろん、ライブの前評判によって集まったメディアにアピール出来るものでなければならない。

 先ほどの話し合いで出ていたような、他の町民に何かをお願いするという方向性では僕に妙案は思いつけないだろう。僕に求められる発想はもっと別のものだ。


 この町にやってきたメディア関係者としての視点。元広告制作マンとしての視点。デザイナーとしての視点。余所者である僕らが興味を惹かれるような、発信したいと思うような、そんな催しを考えてみるのが良いだろう。


 カラン、という涼やかな音に机の上から目線を上げると、氷入りの麦茶を持った美夜が傍らにやってきた。


「お母さんが出してあげなさいって言うから」


 いつも通り無愛想な表情だが、以前よりも近寄りがたさは感じない。これはこちらの心境の変化かもしれない。


「ありがとう。ちょうど喉が乾いてたんだ」


 麦茶を受け取り一口喉に流し込んだ。


「それ、何やってるの?さっきからずっとチラシ睨みつけて」


 僕は経緯を話して良いものか少し迷ったけれど、掻い摘んで事情を話す事にした。美夜はさして興味もない風に聞いていたが、聞き終えると「残念だけど、逮捕じゃ仕方ないよね」と呟いた。


「美夜ちゃんもこのバンドのファンだったの?」

「特別好きって訳じゃないけど、今までここではこういうの無かったから。ちょっと楽しみにしてた」


 本当に、なんで居なくなったんだよ若里君。実行委員の中では孤立気味だったかもしれないけど、君の頑張りが届いている人だってちゃんと居たのに。

 僕は心の中でため息を押し殺した。


「美夜ちゃんは何か良いアイディアない?町の人として何やったら嬉しいかな」

「もう中止で良いんじゃない別に。仕方ないよ」


 僕は「そうは言ってもなぁ」と返事をして、再び冷たい麦茶を口に含んだ。

 言ってしまえばライブ中止は事故のようなものだ。本来若里君にだって責任はない。けれど本気で祭りの成功を目指す人たちの前で「仕方ないから諦めましょう」なんて事は言えない。微力ながら、役に立てるなら立ちたいと思う。


「ま、何かするならするで良いけどさ。お願いだからダサい事はやめてよね」


 そういうハードルの上げ方はやめてほしい。若者の率直さは今も昔もナイフのようだ。


「そういえば美夜ちゃんの神楽はお昼にやるんだね。今朝図書館で読んだ郷土資料では、神楽は夜通し行うって書いてあったんだけど」

「それかなり昔の話だから。私が産まれるずっと前に、昼間になったらしいよ。奏楽の人達も年寄りばかりだし、夜だと見られる人も限られちゃうからって。昔は神様の為の儀式だったけど、今は伝統芸能として残していく方が大事って事。出来る人が減る一方だからどこまで残せるかわからないけど......」


 時代の流れの中では、伝統といえど変わらざるを得ない。長い長い時間に晒されてもなお変わらないものなんて滅多に無い。


「ま、まあコレ全部先生の受け売りだけどね。私の知った事じゃないんだけどっ」


 思いがけず心配する口振りになっていたのが恥ずかしかったのか、美夜は照れ隠しのお手本のような悪態をついた。

 島を出たいと望んでいるこの子の中にも、この場所で大事にしたいと思えるものがある。僕にはなんだかそれが嬉しくて、つい顔に笑みが浮かぶ。


「何ニヤニヤしてんの。気持ち悪っ」


 美夜はそう言い捨てて自宅のある母屋の方へ戻って行った。言葉選びは相変わらずきついものの、それでも昨日までの触れると砕けてしまいそうな不安や焦燥感はもう感じられなかった。


 姉や家族と向き合って、美夜も何かが変わったのだろう。

 人も町も変わってゆく。僕たちは変わり続ける時代や自分に、いつだって振り回されてばかりだ。


 古くから受け継がれてきた神楽でも、同じままではいられないのだ。いや、むしろ変わり続けたからこそ今に残っているという見方も出来る。きっと演舞の時間だけじゃなく、他にも様々な事が変わりながら残っているのだろう。最初の龍燈信仰の頃なんて、神社という形ですらなく、神楽自体やってなかっただろうし......。


 その時、僕の頭の中で何かがカチッとかみ合った。


 暗いトンネルを抜けた瞬間のような、一気に視界が晴れたような開放感が沸き上がる。

 僕は自分のアイディアにのめり込まないよう、努めて冷静にその実現可能性を頭の中で検証した。


「うん、これならきっと。問題は......」


 タイムリミットは夜の集会まで。

 それまでに彼女を説得して動いてもらう事が出来るのか。それが勝負の分かれ目だ。時間が惜しい。僕は海猫荘を飛び出した。


 真夏の太陽はようやく頂点から降りてくる気になったようで、徐々に傾き始めていた。

 その強い日差しは僕の背中を押すように、じわりと皮膚を熱くした。




   4



 灯守神社の夏祭りは神楽によって神事としての一面を保ってはいるが、現在は町民の娯楽としての側面が強いようだ。


 メインストリートとなる神社前の道路には車両の交通制限を敷き、道の左右に屋台が立ち並ぶ。昨日までと同じ町とは思えないほどの人出だ。僕は撮影がてら屋台を冷やかして歩く。


 焼きそばにチョコバナナ、綿菓子にフランクフルト。大半の屋台は東京とあまり変わらない。そこかしこでソースが焼ける匂いが漂う。お店を出す側も遊びに来た側も、賑やかな声を上げている。

 そんな喧噪に混じって、聞き覚えのある声を耳が捉えた。


「うまい!やっぱり大将の釣った魚は最高だね!」


 日森町漁業組合と書かれた仮設テントを覗くと、すみれさんが今日も酔っぱらっていた。今日の彼女は白いTシャツにピンク系シースルーのカーディガン、ハーフパンツという夏にふさわしい格好をしている。服装はおしゃれなのに、相変わらず状態が残念過ぎる。


 このテントでは今朝水揚げした新鮮な魚介を炭火で焼いて提供しているようだ。漁業組合は祭りの協賛もしているからか、テントは他の屋台よりも広く、調理販売のスペースだけではなく座って食事が出来る場所も確保されていた。魚や貝が焼ける香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。上機嫌で炉端焼きの串にかぶり付いているすみれさんが羨ましい。


 ただし見た限り酒類の販売はしてなさそうなので、あの手のビールはすみれさんが勝手に持参したのだろう。なんかもう、わざわざ確認しなくてもわかる。既に空き缶が二本テーブルの上に置かれていた。


「おやぁ、星野さんじゃーん。まだ居たんですねー」

「今日のお祭りが最後の取材ですよ。明日の便で帰ります」

「じゃあこういう美味いもんも今日で食べ納めか。食べてけ食べてけー。大将、もひとつ貰いますよー」


 すみれさんは焼きたて熱々のイカが入ったプラパックを店のおじさんから貰うと、僕にも勧めてきた。


 なんて誘惑をするんだこの人は。こっちは一応仕事中だと言うのに。そんな逡巡は一瞬で消え去り、僕は直ぐ食欲に屈服した。有り難く頂戴することにする。割り箸を貰いすみれさんの向かいの席に腰を降ろした。


 こんな祭りらしい祭りに来たのは何年ぶりだろう。社会人になってからは仕事ばかりで一度も行った記憶がない。覚えているのは大学生の頃、凛と二人で行った夏祭りが最後だった。


 今、凛が隣に居たら良かったのになぁ。


 ふと思いついて、手元のイカ焼きをスマホでぱしゃりと撮り「焼きたてが最高!」というコメントと共に凛へ送信した。自分ばっかりずるいと言われる気もしたけれど、今はそんな他愛のないやりとりがしたかった。今日は休日だし早めに返事が来るかもしれない。


「星野さんなんか顔がやらしい」

「えっ、いや、なんです急に」


 酔いのせいか座った目つきのすみれさんが絡んできた。


「女の匂いがするうっ。スマホ見てにやにやしてさ」

「いや、別に夫婦ですし良いじゃないですか」


 そこまで顔に出ていたのかと動揺したけれど、ただの絡み酒な気がした。


「寂しい独り身の前でそんな顔するなぁっ」


 絡み酒確定。とんでもない言いがかりである。


「すみれちゃーん、ほどほどにねぇ。あんた去年も早々に潰れて朝陽ちゃんに自宅まで送ってもらってたでしょう」


 良く日に焼けたお店のおばちゃんが、コップに水を入れて寄越してくれた。

 すみれさんは寂しい独り身なんて言うけれどとんでもない。傍目からは随分と周りから愛されてるように見える。気づいてないのは本人だけではないだろうか。


 彼女を見守る人たちの眼差しはいつも優しい。男運が無かろうが、生き当たりばったりで生きていようが、昼間から酔いつぶれていようが、彼女は持ち前の素直さで心を開き、周囲と絆を築いていける人なのだろう。

 無い物ねだりはわかっているけれど、やっぱり少し羨ましい。


「あっ、朝陽ちゃーん!」


 感傷から引き裂くには十分な声量で、すみれさんがぶんぶんと腕を振り出した。ちょうど朝陽さんが通りかかったので呼び止めたようだ。彼女は祭りのスタッフTシャツを着て、あちこち駆け回っている途中らしい。


「すみれさん今年もですか!今回は私も忙しいので家までは運べませんからね」


 トレードマークの麦わら帽子を被った彼女は仁王立ちでそう宣言する。


「えー、そんなこと言わないでよぉ。朝陽ちゃんは私の保護者でしょ?」

「あーもう鬱陶しいっ。今年はホントにダメですっ。夜の部の準備で猫の手も借りたいくらいなんだから」


 文句を言うすみれさんを軽くあしらいつつ、彼女はこれ幸いと先ほどすみれさんに出された水を一気に飲み干した。僕は飲み終わるタイミングを見計らって声をかける。


「準備は順調ですか?」


 彼女と目が合う、一瞬の間。もしや何か問題が?と心配になったところで、彼女はにっこりと微笑んで「もちろん」と返事をした。


「だから星野さんも楽しみにしててくださいね」


 そう言うとまた足早に祭りの雑踏の中へ消えていった。こんな所で僕をからかう余裕があるなら大丈夫そうだ。

 僕は最後のイカ焼きを口に放り込み、すみれさんを残してテントを後にした。




   5



 メインストリートの賑やかさとは違い、神楽は厳かな雰囲気で行われていた。

 神社の境内に作られたやぐら舞台の上。巫女装束に身を包んだ美夜が流麗な動きで手に持った鈴をしゃらんと鳴らす。あれは神楽鈴というらしい。


 見るものを楽しませる為の趣向を凝らしたダンスとは異なる動き。観客ではなく、神に捧げるための舞い。

 六畳ほどの舞台の上には巫女を中心として左右にお囃子を担当する楽師が座り、鼓や小さなシンバルのような楽器を演奏していた。

 軽妙な拍子に空気が震える。森を吹き抜ける風や、梢のざわめきと合わさり、この場を音で満たしていく。


 境内に集まった人々は思い思いに舞台を見上げていた。娯楽ではないからか、観賞の為の座席は設けられておらず皆立ち見だ。


 その中に兵藤さんを見つけた。隣には新城夫妻も居る。微動だにせず舞台を見つめる兵藤さんからは、まるで神に許しを請う罪人のような近寄りがたい緊張感が伝わってきた。その視線の先には彼が作った純白の器がある。


 真夏の太陽の下にあってもなお冷涼な白さで佇むあの器はまさに神の器にふさわしい存在感を放っていた。


 お囃子のリズムが変わり、美夜がくるりと袖を翻す。白い袖の残像が瞳に軌跡を残していく。


 見惚れている場合ではない。まずは仕事を片付けようとカメラを構える。一枚、二枚と構図を変えて神楽を写真に収めていく。望遠レンズ越しに見た美夜の表情は息を飲むほど真剣で、本当に神を降ろしているかのような厳しさと美しさを湛えていた。


 境内の全体像を押さえる為、入り口近くまで移動したところで海猫荘の旦那さんを見つけた。向こうも気づいたらしくお互い軽く会釈を交わす。


 海猫荘は今日も営業しているはずだから、そちらは女将さんに任せてこっそり娘の晴れ舞台を見に来たのだろう。堂々と観賞しないところを見ると、おそらく美夜に「来ないで」と釘を刺されているのかもしれない。


 ここで撮った写真には、島で出会った人達の姿がそこかしこに写っていた。

 僕の脳裏に「ここに来られて良かった」という思いが浮かぶ。偶然に仕事で来た場所だけど、沢山の人の生き方に触れる濃密な時間を過ごした。


 奥さんの面影を求めてやってきた町で新しい絆を育んだ兵藤さん。

 一度は夢破れ、帰ってきた故郷で新しい夢を叶えた館長。

 失恋の末、縁もゆかりもないこの町に転がり込んで逞しく生きているすみれさん。

 仲睦まじい奥さんと人生を楽しみながら、抜群のリーダーシップで商工会をまとめる新城さん。

 大志を抱いてやってきたけれど、今まさに挫折する瀬戸際に立っているであろう若里君。

 海猫荘の鳴海夫妻に、将来への不安と期待に振り回される美夜。


 そして、朝陽さん。


 彼女に連れられ巡った日森町は、夏の日差しのように鮮やかな思い出を僕の胸に刻みつけた。かけがえの無い夢を失くしても立ち上がり、前を向いた彼女のひたむきさ。それを育んだこの町が、僕にはとても眩しい場所に感じる。


 僕はただの『お客さん』だ。通り過ぎるだけの人間だ。それでもこの場所の、ここで出会った人の役に立てる事があるのなら。


 もうすぐ神楽が終わる。


 あっと言う間だった一日も、あとは問題の特別企画を残すのみ。準備は順調だと彼女は言った。僕に出来ることは何もない。


 あとはただただ目撃者として、朝陽さんの、この町の成果を目に焼き付けるだけである。

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