第四章 秘密を照らす龍の灯火(1〜2)



   1



 龍燈りゅうとう、という言葉を初めて見た。


 龍神が灯す火という意味で、古来より神が住まうとされる河川や海中から現れた火をそう呼ぶそうだ。水と関わりの深い集落では比較的よく見られる伝承らしい。水中から出づる神秘の火は、時に恐れられ時に崇められ、地域によってその扱いはまちまちのようだ。


 ここ日森町において龍燈は豊漁の吉兆として伝えられており、目撃された年には誰一人飢える事なく幸せに過ごしたという記録が残されていた。


 僕は朝から一人で日森町図書館へ来ている。


 この町についての知識に加えて、明日行われる祭りについての予備知識を得るのが目的だ。館長が勧めてくれた郷土史の文献は要点がまとめられておりとても参考になった。


 どうやら祭りの起源は漁師の安全を祈願する民間信仰から始まったそうだ。そこに折角だからと豊漁祈願がくっついたり、初めは明確に神社とはされていなかった祠を明治初期の神仏判然令の際に灯守神社と改めたりと、時代に合わせて柔軟に変化してきたようだ。


 龍燈に関しては言い伝えの記述の程度で、『灯守』という名前から微かな面影を感じるのみとなっていた。

 なので現在は神道の体系に組み込まれた祭神がきちんと置かれ、祭りで舞う神楽も神に奉納するものとなっている。今ごろ美夜は明日の本番に向けて最後の通し稽古に励んでいるのだろう。


 今朝、海猫荘のラウンジで朝食を食べていると、女将さんが美夜にお弁当を持たせている所を見かけた。濃紺の小ぶりなランチバッグを素直に受け取った美夜は、小さな声で「いってきます」と言って出て行った。


「はい、いってらっしゃい」


 女将さんが見送るその華奢な背中は、心なしか昨日よりも背筋が伸びているように見えた。当たり前の日常の何でもないやりとりを見て、僕は少しだけ嬉しくなった。


 この町への滞在も残すところあと二日だ。

 明日の祭りを取材してお終い。明後日の朝の便で僕はこの島を後にする。

 六日間の出張だったけれど、体感的にはもっと長くこの町に居るような気がした。


 朝陽さんに連れられて沢山の人に会った。どこまで行っても『お客さん』である自分だけでは、きっとこれほど濃い取材をする事は出来なかっただろう。彼女には本当にお世話になりっ放しだ。


 図書館の静けさのせいか、それとも史料に飽きてきたのか、取り留めもない事を考え始めた所で不意にざあぁという音を耳が捕らえた。思わず窓の方を見ると、煙るような雨が降り注いでいた。

 暫く窓辺で雨に濡れる景色を眺めていると館長がそっと近づいてきた。


「おそらく村雨なので、また直ぐに止むと思います。必要でしたら傘をお貸ししますよ」

「村雨?」

「さっと降り直ぐに止む。少し経ったらまた降り出す。そんな群れるような雨というのが転じて村雨です。通り雨とも言いますね。いやぁ、最近天気の本を読んだものですから。ここから見える空模様に合う言葉を選ぶのが楽しいんですよ」

「良いですね、東京ならゲリラ豪雨と言ってしまいそうですが、村雨の方がずっと良い」


 館長は静かに微笑んで僕の手元の本をちらりと見た。


「その本は参考になりましたか?」

「はい、とても。記事の良い参考文献になります。館長は明日のお祭りには行かれるんですか?」

「私は残念ながら。お祭の日も変わらず開館しますから。今年の神楽は見たいんですが」

「美夜ちゃんが舞うんですよね」

「そうです。あの神楽には保存会があるんですが、そこの会長が読書家でよくここに来るんです。その方が彼女はここ十年で一番の逸材だって褒めてるんですよ。厳しい方なので本人には言ってないみたいなんですけどね」

「それは見逃せませんね」


 彼女は「自分には何もない」なんて言っていたけれど、認めてくれる人は思いがけない所に居るものだ。


 館長が静かにカウンターへ戻り、僕は再び資料に目を落とす。館長の言う通り雨の勢いはすぐに収まり、窓の外からはまた微かに蝉の声が聞こえてきた。


 空腹を感じ始めた昼前頃、図書館に朝陽さんがやってきた。

 奥に陣取っている僕には気づかず館長と何やら小声でやりとりしている。普段穏やかな二人が深刻そうな、緊迫した顔をしているのが気になった。僕は荷物をまとめて席を立ち、カウンターの二人に声をかけた。


「何かあったんですか?随分深刻そうな顔をしていましたが」

「星野さん......実は若里君が居なくなってしまって。関係あるかはわかりませんが、任せていた祭りの備品の注文を間違えていたみたいで。今朝納品されたものを見て皆大慌てで探しているところなんです」

「居なくなったって、行方不明?」

「わかりません。とにかくどこにも居なくって」

「僕も手伝いますよ。人手は多い方が良いでしょう」


 館長に若里君を見かけたら連絡をくれるようにお願いして、僕と朝陽さんは図書館を後にした。

 見上げると、再び雨を落としそうな黒い雲がぽつんと空に浮かんでいた。




   2



 僕らは図書館を出て町の東側、すみれさんのアパートがある地域を見て回ったが成果は上がらなかった。道端ですれ違った人に聞き込みもしたが若里君は見つからない。

 仕方なく昨日に引き続きスーパー新城の二階、商工会の寄り合い所に向かった。そこには先日と同じ面々が集まっていた。海猫荘の旦那さんや兵藤さんの姿もある。


「だぁから俺は言ったんだよ、あんなチャラチャラした奴を祭りに関わらせるのはダメだって。どうせ失敗が怖くなって逃げやがったに決まってる!」


 名前はわからないが角刈りで威圧感のある男性が口角泡飛ばして怒鳴っていた。僕と朝陽さんは風通しの為に開け放されているドアからそっと中に入る。この寄り合い所には冷房がついていない為、扇風機と換気で暑さに対処するしかないようだ。


「まあまあ斎藤さん。そうだとしても今私たちが話し合うべきは若里君についてじゃない。行方がわからないのは心配だけど、もう少し様子を見るべきでしょう。一応駐在さんには伝えておくけどね。それよりも明日の祭りをどうするかだよ」


 自分よりも明らかに憤慨した者が居ることで、逆に他の面子は冷静さを保っているように見えた。新城さんが斎藤と呼ばれた男性を穏和に宥める。

 道中で朝陽さんから聞いた話によると、若里君が祭りで担当していたのは二つ。一つはメイン会場である神社の境内で吊す提灯の注文だ。頭上に演出兼照明代わりに吊るしたり、店先に下げたりする比較的小ぶりなタイプの提灯らしい。


 若里君は注文自体はちゃんとしていたようだが問題はその数だった。


 メイン会場と言えど境内はそこまで広くはない。常設の電灯もある。あくまで雰囲気作りの為に五十個ほど注文する予定だったらしいが、港に到着した品物はその十倍、なんと五百個だった。


 彼はうっかりゼロを一つ間違えたようだ。業者とのやりとりも彼が自分でやっていたので詳細はわからないが、伝票を見て連絡を取ってみたところ業者側に落ち度はなかった。更にこの提灯は祭りの名入れをしているため返品不可であり、料金は全額払わなければならない。ただでさえ予算の少ない祭りの運営には大変な痛手となる。


 それに加えてもう一つ。駄目押しの不運があった。


 今回の祭りでは初めての催しとして、あるバンドのライブが企画されていた。若者にも地元の祭りを楽しんでもらおうという趣旨の元で採用された、若里君の提案だ。


 交通費や宿泊費を考えるとギャラの高い有名バンドなど呼べない。そこで彼は友人だというグループと直接交渉して予算内での出演を取り付けた。商工会のメンバーは誰もそのバンドを知らなかったが、SNSや動画配信を通じて若年層にファンが増えている新進気鋭のグループらしい。実際、メンバーの子供である中高生では知っている子がちらほら居たようだ。


 無事交渉が終わり、ライブを行う為の段取りや音響の準備も順調だった。周辺の住人に配慮して場所は漁港での屋外ライブとなり、昨日から仮設ステージの建設も進んでいた。


 しかし今日、日森町に到着予定だったバンドメンバーがいつまで経っても現れない。予定では今日の午前の便で町を訪れ、海猫荘に入る予定だった。しかしフェリーの乗組員に訪ねたところ午前の便には乗っていなかったそうだ。


 最初に異変に気付いたのは海猫荘の旦那さんだった。彼らが時間になっても現れない為、担当の若里君に確認しようと連絡しても一向に繋がらない。仕方が無いので新城さんに連絡したところ、今朝から誰も若里君を見かけていない事に気付いたのだ。


 果たして何がどうなっているのか。連絡を取っていた若里君が居ないため他のメンバーには何もわからなかった。どうするべきか頭を悩ませていると、思わぬ所から事態が判明した。

 若里君を探して方々に散っていたメンバーの一人が、娘さんからこんな話を聞いた。


「ねえ、シティメイズって明日のお祭りでライブするんだよね?なんかアツシが逮捕されて解散かもって噂が流れてんだけど、ほら」


 娘さんのスマホ画面には、今日来る予定だったバンドメンバーが麻薬取り締まり法違反で逮捕というニュースが映し出されていた。

 あまりの事態に画面を凝視したまま固まっている親を見て、娘さんは諦めたように呟いたという。


「やっぱメイズ来ないのかぁ。結構楽しみにしてたのになぁ」


 若里君はどこに行ったのか。

 提灯の誤発注と企画したライブの不慮のキャンセル。この二つの事態が丁度昨日の夕方に発覚したようだ。


 思い返せば、昨日兵藤さんの工房から彼を港に送っていったまさにあの時、その連絡を受けていたのだろう。

 港の倉庫に置かれた大量の提灯。

 友人のバンドが起こしたスキャンダル。


 任された仕事を二つとも失敗した彼は、今どこでどんな気持ちでいるのだろう。思い詰めて早まらなければ良いけれど。祭りの当事者ではない僕はつい彼にも同情を寄せてしまう。


 やる気がある分、失敗は怖いものだ。歯を食いしばって努力したからと言って、上手くいく事ばかりじゃ無い。

 僕がやりきれない思いを感じていた所で、先ほどと同じ怒声により意識が現実へと呼び戻された。


「兵藤さん、あいつとはなんとか連絡を取れんのですか。あなたあれの世話役でしょう。一体今まで何を見てたんだ!」


 沈痛な面持ちでテーブルに目を落としていた兵藤さんが顔を上げる。いつもの豪放磊落な雰囲気は消え去り、絞り出すような低い声で応えた。


「電話もメールも何度もかけてるんですが、まだ折り返し連絡はありません」


 ぎろりと睨みつける斎藤の視線を真正面から受け止めながら、兵藤さんは若里君に代わり謝罪の言葉を口にする。


「この度は彼が誠に申し訳ない事をしました。私の監督不行き届きです」


 テーブルに額をこすりつける勢いで頭を下げる兵藤に、それでも溜飲が収まらないのか斎藤が「余所者同士が庇い合いやがって」と舌打ちした。

 取材の時、受け入れてもらえた事が嬉しいとはにかんでいた兵藤さんの心中を考えると堪らない。信頼というガラス細工が砕ける音が聞こえてくるようだった。


「斎藤さん、言い過ぎですよ。兵藤さんの責任では無いし、彼を責めても始まりません。若里君に任せると決めたのは私たち全員の責任です」

「けどよぉ、俺達でやってりゃあこんな事にはならなかったじゃねえか」


 矛先を納めようとしない斎藤と、頭を下げ続けている兵藤。出口の無い言い争いに場の空気が淀んでいく。

 パン!

 悪い空気を断ち切るように新城さんが柏手を打って皆の注目を強引に集めた。


「とにかく!今は責任の所在をどうこう言っても仕方がありません。後回しです。それよりも何が問題なのか整理しましょう。いいですね」


 最後の一言は斎藤に向けてだ。新城さんと目が合うと斎藤は露骨に目線を逸らすが、今度は反論せずに押し黙った。


「まず提灯の誤発注です。こちらの問題は支払いですよね。野津さん、率直に聞きますが予算は足りてますか?」


 野津と呼ばれた線が細い面長の男性は、ずり落ちそうな眼鏡をかけ直すと手元に置いてあったファイルをめくる。


「本来かける予定だった十倍の金額なので厳しいと言わざるを得ません。そもそも予算はぎりぎりまで使っていましたから......。しかし怪我の功名と言いますか、バンドへの支払いが無くなるのであれば丁度ほぼ相殺出来る形になります。出演料というより宿泊交通費が馬鹿にならない額でしたので」


 新城がため息を付く。金額の折り合いがつくのは良い知らせだが、イベントを楽しみにしていた町民、特に若者達には申し訳ない話である。無力感が場に彷徨う。


「わかりました。それではすみませんが野津さん、若里君の代わりに支払いの手続きをお願いしても良いでしょうか。もし足が出る分は商工会の会費から立て替えておいてください」


 わかりましたと野津さんが頷く。


「さて、お金の問題が片づいてしまえばこちらはもう問題ないですかね。五百個という数は多いですが、幸い提灯は畳めば小さくなるし、放っておいて痛むものでもありません。保管しておく場所は沢山ありますし、提灯は予定通りに使うとしましょう。何か他に意見はありますか?」


 新城が同意を取るように室内を見渡す。新城さんの議事進行能力はなかなかのものだった。方向性を示し、意見を吸い上げるタイミングを作り、同意を取り付ける。人望に加え、こういう所を買われてリーダーを任されているのだろう。


「さて、次にライブの件です。こちらは中止にせざるを得ない、という事で良いんでしょうか」


 娘さんがバンドのファンだと話していた男性が口を開く。


「バンドメンバーの逮捕は確かな情報のようです。中止にするしかないでしょう。多分若里君の方には既にバンドから連絡が来ていると思うんですが」


 良い報せでも悪い報せでも、はっきりしないのが一番困るのが仕事の常だ。皆が再び静まり返る。


「わかりました。では時間もないので中止で決定しましょう。中止の場合、問題は何でしょうか。楽しみにしていた方々には申し訳ないですが、中止するだけなら影響は少ないんじゃないですか?」


 確かに、催しの中でも元々異色だったライブは場所もメイン会場の神社ではなく、少し離れた漁港での開催だ。調整する事も少ないように思える。そこで白髪の混じった壮年の男性がおずおずと発言した。


「あー、仮設ステージの設営をうちの工務店でやってるんだが、流石に今からキャンセルはちょっとな。もう組み立てはほぼ終わっちまってるし、こっちも商売だからよ。島に無かった音響機材なんかももう取り寄せちまってるし」


 受注している側からしたら切実な問題だ。そこでもう一人、数少ない女性メンバーの一人が小さく手を挙げた。全体的に大人しめな雰囲気で学級委員がそのまま大人になったような印象の人だ。どうやら役割的には広報の担当らしい。


「あのぅ、今回はライブなど初の試みもあって、例年よりも取材の申し込みが多かったんです。広報的に目玉イベントが無くなるのはかなりの痛手だな、と思います」


 町をアピールするせっかくのチャンスが無くなるのはあまりに惜しいのだろう。かと言って、現状ではどうすることも出来ない。


「何か、ライブ会場で別のイベントは出来ないでしょうか?」


 誰かがぽつりと呟いた。各々が首をひねる。


「今から?」

「流石に間に合わないでしょう」

「楽器の演奏出来る人を集めるだけなら......」


 なんと言っても明日が本番なのだ。準備も告知も間に合わない。

 僕も少し考えてみる。仮設ステージで出来ることはなんだろうか。ステージに音響機材があるなら何も音楽ライブじゃなくても出来ることはある、例えば漫才、講演会など要するに発表形式のイベントだ。何か無いだろうか。

 煮詰まった場の空気を察した新城さんが仕切り直す。


「皆さんも今日はまだそれぞれ自分の仕事があるでしょうから、ここで一度解散にしましょう。仮設ステージについては何か思いついたら直ぐ私に連絡を下さい。出来る限り活かせる道を探しましょう。そして今日の夜にまた集まって方針を決める事にします」


 新城さんの取りまとめと共に、それぞれが仕事に戻っていった。

 寄り合い所の片づけを手伝おうとした僕や兵藤さんを「夕方も使うのでそのままで良いですよ」と新城さんが止めた。そんなやり取りの間に他のメンバーは皆出て行った。それを見計らってか、兵藤さんは新城さんに再び深々と頭を下げた。


「この度は若里君が本当にご迷惑をおかけしました。俺がもう少しちゃんと見ててやれば。お詫びのしようもありません」


 頭を垂れる兵藤さんのごつい大きな手がぎゅっと握りしめられていた。新城さんは穏やかな目でそれを見やると、ゆっくりと首を振りながら言った。


「気にするな、と言っても難しいでしょうね」


 兵藤さんはまだ頭を上げようとしない。新城さんは深いため息をつく。


「若里君の努力は私たちも知っています。斎藤さんはああ言いますが、縁もゆかりも無い土地に一人で飛び込んで何かを志す、なんて事はそれなりの覚悟がないと出来ませんから。でも、だからこそ彼が黙って居なくなったことが残念でなりません。失敗は仕方がない。けれど逃げ出さず、一緒に踏ん張って欲しかったというのが本音です」


 そろそろ本当に頭を上げてくださいよ、と苦笑されて兵藤さんはようやく頭を上げた。


「あなたのように、余所から来た人で踏み留まってくれる人はなかなか居ません。そんなあなたにあんまり落ち込まれると私達も困ってしまいます」

「新城さん」

「まずは明日が大切です。兵藤さんの作品の晴れ舞台でもあるじゃないですか。元気を出しましょう」


 励ますつもりで言ったであろう新城の言葉に、兵藤さんが一瞬泣き笑いのような表情を見せる。


「ありがとうございます.....」

「熊みたいな図体してあまり萎れないでくださいよ、似合わないなぁ」


 ぽんぽんと肩に置かれた手に、兵藤さんは目頭を押さえた。これ以上ここに居るのは野暮だろうと、僕と朝陽さんはその場をそっと離れる事にした。




 朝陽さんは観光協会に、僕は海猫荘に戻る道すがら少し話をした。

 蝉の声は相変わらず喧しく、真上に昇りつつある太陽に合わせてじりじりと気温が上がっていた。今日も暑くなりそうだ。朝陽さんの被る麦わら帽子のわずかな日陰が羨ましい。


「星野さんは、若里君が今どうしてると思います?」

「うーん、町の皆さんがこれだけ探して見つからないって事は、昨日の最終便に乗って島を出たんじゃないでしょうか。そこから先は何とも言えませんが。あと考えられるとすれば、町に匿ってくれそうな友人とかは居ないんですか?」


 朝陽さんは首を左右に振った。


「若里君、町興しについては色々提案したり交渉したりと頑張ってたけど、友人って言える人は居なかったんじゃないかなぁ。一番良く話していたのはやっぱり兵藤さんだったと思います。最初は数少ない同年代の人たち、主に漁業組合の皆さんが飲み会だったり釣りだったり色々誘ってたみたいですが、どうにもソリが合わなかったようで」


 噛み合わない両者の様子が目に浮ぶようだった。都会とは異なる人との距離間に馴染めなかったのだろう。

 昨日僕と会ったときも、一見フレンドリーに見えてその実仕事とプライベートを分けるように線引きしているのが感じられた。仕事はし易い相手かもしれないが、友人を作るのはきっと難しい。

 覚悟の上でこの町に来たとはいえ、見知らぬ土地で愚痴をこぼせるような友人も居ない中でもがいていた彼を非難する気持ちにはなれなかった。彼は多分、失敗の仕方が下手だっただけなのだ。


 兵藤さんも町の人達も、決して彼の敵ではない。


 けれど彼は差し伸べられたその手に気付けなかった。転んだら一人で立たねばならない、立てない自分には価値がない。そう思い込んで、ぎりぎりだった心が折れたのだろう。


 まあ成果を焦って倒れた経験がある自分が言えた事ではないのだけれど。そう思うとつい苦笑がこみ上げてきた。


「星野さん?」


 朝陽さんが怪訝な顔で眉根を寄せる。僕はなんでもないと取り繕って話題を変えた。


「そういえば新城さんが『兵藤さんのような人はなかなか居ない』と言ってましたが、前にもこういう事があったんですか?」


 ちょっと考えるように遠くを見て彼女は答える。視線の先に大きな入道雲が見えた。


「私が協会に就職してからの移住者は若里君とすみれさんだけですが、その前にも何人かは居ましたよ。今は兵藤さんしか残っていませんけど。だから見送るのも慣れたものです」


 何も特別な事ではないというように声音には変化がない。


「見送ってばかりというのは、少し寂しいですね」

「皆さん色々事情がありますからねー。町に馴染めないって以外にも、協力隊の任期満了だったり、仕事が続かなかったり、親の介護だったり、色々です。それはもう仕方がありません」


 そろそろ海猫荘が見えてくる。

 島に来る人のほとんどが一度は泊まる宿。観光協会に入る前から、彼女はあの場所で沢山の人を見送ってきたのだろう。


「でも、昔は寂しいよりも羨ましいって気持ちの方が大きかったかなぁ。この人達は他にも居場所があるんだな、私にはここだけなのに、なんて思ったりして」


 自分の居場所。


 それは安心出来るホームであると同時に、自分を絡め取る鎖でもある。ずっと同じ場所に居続ければ息苦しさを感じる事もあるだろう。


 僕だってそうだ。上を目指して自分を追い込んでいたあの頃、僕は息を吸うことすら忘れていたと思う。隣の芝生はいつも青い。


「あ、でも今は違いますからね!子供の頃は少ーしそう思ってましたけど、今はもう自分で決めてここに居るので」


 慌てて訂正する彼女の口ぶりがおかしくて僕は顔をほころばせた。

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