第7話


 花子と加奈子はパソコンの前に座り、「第2回小説家養成講座」の録画を見ていた。

 昨夜は花子より先に加奈子の方からメッセージを送った。――明日も19時半でいいよね。シーツアイロン掛けたから――花子以上に加奈子の意気込みが感じられた。

 前回同様、紫色のハーブティーを飲みながら、二人は相変わらずハイテンションだった。

 「先週より妖艶な銀座のママ風にして大正解だったわ! つけまつげも二枚重ねよよ。重くてまぶたが閉じそうだったわ。加奈子のミロのビーナスもすでに鉄板ね。H.Kったら、他の受講生なんてそこそこに、その美しい芸術品を譲ってくれませんか?って。フフフ、お兄ちゃんに内緒であげちゃおうか!」

 「フフ、私もまだまだイケてるかしらね! あら、でも、だめよ。脩一さんと私は誰も引き裂くことできない運命だから」

 「そうなの? 私ならできるかもよ」

 「えっ?」

 「兄を親友から寝取る妹。小説になりそう!」

 「さっそくこの講座で使えそうね」

 二人は笑い合ったが、加奈子は一瞬胸の奥に小さな引っかかりを感じた。出会った頃から感じていたこの微妙な不安感。

 ――この兄妹の強い絆の中には誰も入り込めない


 加奈子は脩一が養子だということをプロポーズされた時に知った。

 不妊治療を10年以上続けても子宝に恵まれなかった花子の両親が、生まれたばかりの脩一を施設から引き取った。その7年後、自然妊娠で花子が生まれた。

 戸籍上は養子と実子だが、そのペラペラの紙切れ以外は、普通の兄と妹で何ら変わりはなかった。

 それでも、何だろう……。脩一と花子の間には、兄妹以上の何かがあり、加奈子はそれを掴み取れないでいた。二人の間に通う甘く優しい風のようなもの――


 「花子の宿題のショートストーリー、斬新的だったわよ! 大和撫子の恋文みたい。他の受講生は引いていたけどね。H.K、自分への恋文って気づいたかしら?」

 「ちょっと鈍っぽいから気づいていないかも。あれ、ほとんど盗作だけど、私の心そのまんま。感動した?」

 「盗作なの? 誰の?」

 「ミス80って知ってる? 公園の裏の。加奈子が古風な恋文がいいって言うもんだから、この間の日曜日、急いで帰ったでしょ。あの時、ミス80のところに行ったの」

 「ミス80って、あのミス80よね? まだ生きているの? 90は裕に過ぎているでしょう?」

 「心は永遠に乙女よ。あらゆる面で私の師匠よ」

 加奈子は即座に思い出した。

 

 あれは10年前。

 修一にプロポーズされて間もない頃だった。脩一が血相を変えて加奈子のマンションにやって来た。

 「最近、花子がどこかに入り浸っているみたいなんだ。帰りも遅いし。怪しい場所かも。ちょっと心配で……どこに行っているか調べてくれないかな?」

 「いいけど、花子に直接きいた方が早い……」その言葉を遮って脩一は言った。

 「実は、花子、失恋したみたいで……何も話さないんだ」

 「花子が失恋? 誰に? 私、何も聞いてないわよ」

 「それがよくわからなくて……」

 脩一はあいまいに首を振った。

 加奈子による一週間の調査の結果、花子は公園の裏に住む「ミス80」と呼ばれる一人暮らしの老女の家に通っていることがわかった。それを修一に報告すると、相談に乗ってもらっているんだろうと安堵していた。


 あの時のミス80とまだ親しくしていたのだ。

 「ねぇ、花子。今、思い出したんだけど、昔、最初にミス80のところに行った時、失恋したから行ったんでしょう? それで相談に乗ってもらっていたんでしょう? あの時、誰に失恋したの?」

 「っ?」

 不意打ちに落ちてきた加奈子の質問に花子は戸惑った。

 「脩一さんがそう言っていたのよ。そんなに好きな人がいたなんて、私ぜんぜん知らなかったわ。相手は言えない人だったの? 既婚者とか?」

 「ああ、まぁねぇ、必然というか何というか……そんなことより、今はH.Kよ!」



 加奈子はベッドにもたれかかって、脩一に今夜の講座の出来事を報告した。

 「ミス80ってあのミス80?」

 「そう、あのミス80。この間の日曜日、花子がケーキも食べずに急いで帰った日、ミス80のところに教えを乞いに行ったんですって。ミス80なら古風な恋文はお手のものだろうって。結局、花子が書いたみたいなんだけど、ほとんど盗作というか引用で、でもなんだか切なくて心に響く恋文だったのよね」

 「あいつ、すでに、そんなにH.Kに惚れ込んでいるのか?」

 「どうだろう? H.K、自分宛ての恋文って気づけばいいけど。そして花子の想いが届くといいんだけど」

 「たとえ気づいたとしても、H.Kは一応有名人だからな。まぁ、よくあるファンレターの1枚にすぎないだろう」

 「ねぇ、そんな夢のないこと言わないでくれる?」

 「本当のことだよ。それに、H.Kはかなり遊び人らしいからな。花子の想いが届くとかえって厄介なことになる」

 「遊び人でも花子のこと好きになってくれればいいじゃない。厄介だとか言っている場合じゃないの。花子には一刻も早くいい人みつけてしあわせになってもらわなくちゃ」

 「遊び人はいい人じゃないだろう?」

 花子のことはもうあきらめた、加奈子に任せる、と言っていたくせに、あれこれ心配をして水を差す脩一に、加奈子は睨みの一瞥を利かせた。その眼差しを直に受けて、脩一は話を変えることにした。

 「そうだ、加奈子が正しい。それで、その花子の恋文ってやつはどんなだったんだ?」


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いのち短し H.K に恋します 花向日葵幸 @rieb

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