第6話

 夜10時。オンラインによる第二回小説家養成講座が終わった。

 H.Kはロダンのような格好で考えていた。

 ――なぜ今夜の講座もこんなに疲れたのだろう

 「何なんだ、あの女は?」まったく前回と同じ言葉が口を突いて出た。完全に向こうのペースにはまってしまっている自分に疲弊し、自分らしからぬ言動に汗が噴き出てきた。気分転換に久しぶりに銀座に繰り出そうと思ったが、あの女の余韻に浸っていたいという自分がここにいた。

 ――自分はどうかしてしまったのだろうか

 初めて経験する奇妙な感覚で、それを言葉にしようとも的確な表現がどこにも見当たらず消化不良のような気分だった。

 まずは頭を落ち着かせようと冷たいシャワーを浴びてみたが払拭できそうにもなかった。やたらあの女がチラつく。濃いめのハイボールを作り、リビングのソファに身を沈ませた。飲む前からすでに酔っていた。

 H.Kは昔からモテた。容姿端麗で頭もよくスポーツ万能、それでいて寡黙で影があるときたら放っておく女性がいないわけなかった。わざわざ自分から声を掛けなくても、いつも誰かが隣にくっついてきた。そのことは嫌ではなかったけど、格段喜んでいるわけでもなかった。容易く手に入るものは便利だがつまらない。季節が巡るように隣の女性が変わり、いつしか、好きでつきあっているのか、愛しているから抱いているのか、感覚が麻痺してわからなくなってきた。

 ただ、一つだけわかっていることがあった。それは、自分が本当に求めているものはそこにはないということだった。心の一番奥の片隅に、誰も知らない柔らかい部分がひっそり息を潜めていて、そこが大切な何かをずっと待ち続けていた。

 数々の恋愛遍歴を重ね、結婚も離婚も経験した。現在も銀座の高級ホステスと付かず離れずでつきあってはいるが、所詮、男女の仲とはこういうものだと思っていた。熱い想いもいつかは冷める。ならば、最初から燃えることなく始まっても、それはそれでひとつの愛の形だ。自分にはこういう恋愛しかできないと思っていたし、それで不都合なことは何もなかった。

 ところがだ。

 パソコン画面の向こうの花子を見ると、顔が火照る、心が火照る、全身が火照るのだ。要するに、ドキドキしてしまうのだ。こんなこと生まれて初めてのことで、それが何を意味するのか、H.Kにはまったくわからなかった。

 怖いもの見たさの境地なのか? あの奇妙だが妙に似合っているドぎつい化粧と髪型、ボキャブラリーの欠如と言っていいほどの低レベルの文才、そして部屋に置いてある等身大のミロのヴィーナス風の置き物。すべてが異次元の世界であり、それだけで小説が一つ書けそうだった。

 H.Kは2杯目のハイボールを飲みながら、あの女を頭から払拭させるのを諦め、じっくり考察することにした。しかし、通常運転でない頭にプラスして酔いも回り、邪な考えしか浮かんでこなかった。

 花子の素顔を想像したみた。あのバサバサのつけまつげを取り、太いアイライナーを消し、やたらピンク色した頬を薄くし、真っ赤な口紅を拭った。顔よりも大きい盛髪を下ろし、ゆるやかなセミロングの優しい髪型にした。意外にも自分好みの女性が出来上がってしまい、H.Kはうろたえた。そして、ふと、そんなことに時間を費やしている自分に気づき、大いに恥じた。――なにをやっているんだ俺は!

 そういえば、今夜の講座で発表した宿題のショートストーリー。花子が自信満々で発表したのはまるで古臭いラブレターのようだった。

 ――あの女は今、熱烈な恋をしてるのだろうか……

 H.Kは胸の奥がチクりと痛くなり、戸惑った。その波紋がやがて大きい形になろうとはその時はこれっぽっちも思っていなかった。


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