第5話

 花子と加奈子はパソコンの前にくっついて座り、今終わったばかりの「第1回小説家養成講座」の録画を見ていた。ちゃっかり録画を怠らないのは、恋に全力を注ぐ花子の、「この想い中途半端ではありません」という意気込みが感じられる。

 加奈子が持ってきた精神を深く鎮めるという紫色のハーブティを飲みながら、二人ともやけにハイテンションで上機嫌なのは、H.Kが思いのほか花子に興味を示したからだった。

 「ねっ、大正解! やっぱりこの銀座ママ風の出で立ちにしてよかった! あの時、私が自己紹介している時のH.Kの顔見た? 瞳孔が開きっぱで、瞳の中に「?」マークが浮かんでいるのを見て取れたわ。ほらっ、これよ、これ見て!」

 花子は録画をポーズにして、H.Kの顔をどんどんクローズアップした。

 「あら、ほんと! H.Kっていつもポーカーフェイスでクールな顔したイケメンってイメージがあるけど、やっぱりマニアックなのが好みなのね?ちょっと変態?」

 「2チャンには変態って書いてあったわ。加奈子のミロのビーナスにも興味津々だったよね。本物みたいですねって。だって本物だもんねー。ほら、これ見て!」

 パソコン画面では、銀座のママ風花子の後ろに"置かれている"白いシーツをまとったミロのビーナスに扮した加奈子がまばたきをした。H.Kは「えっ??」と身を乗り出して目をパチクリさせている。

 花子と加奈子は顔を見合わせてニッコリ笑い、「やったね!」とハイタッチをした。

 「なんだか今回は上手くいく予感がするのよねぇ……」

 花子は手を組み天を見上げ乙女チックに言った。

 聞き慣れた決まり文句ではあったが、加奈子も「そうだね」と今回は手応えのようなものを感じていた。

 ――もしかして何かすごいことが起きてしまうかもしれない



 H.Kはロダンのような格好で考えていた。

 なぜ今夜の講座はこんなに疲れたのだろう……


 有名小説家としてベテラン域に入っているH.Kは、日本作家協会主催の小説家養成講座の講師をすでに何十回と務めてきた。多くの作家が講座の講師なんてと敬遠したが、H.Kはこの仕事がわりと好きだった。相手はど素人とはいえ、時にすごい逸材に巡り会ったりする。その発掘は広い未開発の地から小さなダイヤモンドの原石を拾い上げるようでワクワクした。

 しかし、今夜のワクワクはそれとは少し違った

 さっきから「あの女」が頭に浮かび、目にチラついて離れない。

 ――やたら疲れる

 「何なんだ、あの女は?」

 独り言を言ってみたものの、どこにも回答は転がっていなく、エネルギーだけが吸い取られていく気分だった。汗が出るのに寒気がする。

 H.Kは久々にアドレナリンが湧き出るのを感じて戸惑った。人生も半ば過ぎになると、世の中の大半のことは経験してしまい、たとえ新しい出来事に出合ってもそうそう感動することはない。よほど奇想天外なことに遭遇したら話は別だが。

 それが、今夜はそんな奇妙な感覚に陥っているのだ。

 ほんの1時間前パソコンの中で出会ったばかりなのに、現時点で、心の大半、脳のほとんどをあの女が占めてしまっている。――どうかしている

 「何なんだ、あの女は?」

 もう一度言ってみた。

 もしかしてすごい女に出会ってしまったのかもしれない。

 H.Kはすでに次回の講座でまた会えることを楽しみにしてしまっている自分にただただ驚愕した。



 その週末である日曜日の午後、花子は脩一と加奈子の家を訪れた。

 花子のマンションから徒歩15分の便利な場所だ。いつもなら遠回りして数種類のスイーツを持って行くのだが、今日は代わりに大学ノートを持ってきた。

 「なぁんだ、ケーキないの?」加奈子が残念そうに言った。

 「私、ダイエットを始めたの。H.Kってスレンダー美女が好きなんだって。あの人好みの女にならなくちゃね。それでね、そんなことより、小説の書き方教えてほしいのよ」

 花子は殺風景なノートをひらひらさせて脩一と加奈子を順に見た。

 「小説の書き方って、今、小説家養成講座を受けているんだろう? そこで教えてもらえばいいじゃないか。そのための講座だろう?」

 脩一はまったく何言っているんだという顔をした。

 「そうなんだけど、これはその講座の宿題なのよ。ミニストーリーを書くの。ストーリーと言っても何を書けばいいの? 私、数式なら書けるけど、」

 「ちょっとぉ、数式なんて書いたら一発で引かれるわよ。せっかく上手くいく兆しなんだからね。いっそ恋文でも書いたら? それがいいわよ。H.Kへの想いをダイレクトに言葉でぶつけて、完全ノックアウトさせるのよ!」

 「言葉でぶつけるって、たとえば?」

 「あれこれ考えずに、ただ、頭に浮かんだH.Kへの熱い想いを羅列していくだけでいいの。文がヘタな分、心を込めるのよ」

 「ふーん、そうね、それなら書けるかも」

 「若くないんだから、ちょっと古風な言葉を使うと大和撫子っぽくていいわ。 熟女の魅力ってやつね」

 「なるほど、古風ね」

 「銀座のママ風女子からの古風な恋文。バツイチ傷心のH.Kはきっととろけてメロメロになるわ」

 「やだぁ、加奈子ったら」

 アラサー二人のエスカレートしまくりの会話にあきれて、脩一は「ちょっと散歩に行ってくる」といって出て行ってしまった。


 30分後、脩一が散歩から帰るとすでに花子の姿はなかった。

 「なんだ、花子はもう帰ったのか? 夕食一緒にするかと思ってデザート買ってきたのに」

 脩一はケーキ屋さんの箱を加奈子に渡した。

 「これはダイエットと恋路の邪魔ね。私が全部いただきまーす!」

 「そのつもりはなかったけど、言われてみるとそうだな。花子は急用か?」

 「そうでもないけど、行くところができたとか」

 「ふーん、残念だな」脩一は本当に残念な顔をした。

 脩一は正直だ。妹、花子のことが心配でたまらなく、大好きでたまらないのだ。時々、加奈子も妬けるほどに――


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