第4話

 あの後、修一は花子をなだめるのに失敗し、花子は自分の部屋に閉じ籠った。

 翌日からは完全にすれ違いの生活になった。花子がわざと避けているのは歴然だった。花子は無口になり、しばらくすると、どこかに入り浸っている節があった。      

 心配した脩一は、肝心な部分(ほぼ90%)は割愛して、加奈子に、最近花子がどこか怪しい場所に入り浸っているらしいと相談した。加奈子は早速探偵業を開始した。

 一週間の偵察の結果、どうやら、近所の公園の裏側に住む「ミス80」と呼ばれる一人暮らしの老女の家に足繁く通っていることがわかった。

 「ミス80」は、推定80歳は超えている、一人暮らし、近所づきあい無し、風貌は魔女のよう、毎夕公園の花に水をやりながら鼻歌を聞かせている、猫と話せるらしい、名前の由来は一生独身だから? ということだった。

 あまりよくわからないが、植物を育て野良猫の面倒をみる人間に悪い人はいないだろう。なんといっても花子は一世一代の恋が破れたばかりだ。おそらく人生相談でもしているのかもしれない。いずれにしても、荒れた場所に行っているのではなく、まずはひと安心と脩一は胸をなで下ろした。



 それから数ヶ月後。修一と加奈子は、花子にオープンしたてのフレンチレストランに招待された。

 結婚祝にとピンク色のシャンパンで乾杯をして、「おめでとう!」と花子は加奈子に白薔薇の花束を渡した。修一にはペアのワイングラスをプレゼントした。例の一件から気まずい思いをしていた脩一は、やっと胸のつかえが降りたようで、シャンパンが滑らかに喉を流れていき、久しぶりに心からしあわせだなと思った。

 食事を終え、ほろ酔いで上機嫌の三人は、脩一を真ん中に傾れ込むようにタクシーに乗り込んだ。脩一はほんの少しだけ加奈子寄りに座り、右手は加奈子の肩に回されていた。加奈子はしあわせそうだった。

 後部座席のしあわせの空間の中の三人。花子は太ももの隣に無造作に置かれている脩一の左手を見た。まだ指輪をしていない薬指。冗談でその手を握ってみようか……。それができるほど花子は酔っていなかったし、冗談で済ますには寂しすぎた。

 花子は車窓に流れる街明かりを漠然と追いながら、ミス80が教えてくれた歌を口ずさんだ。

 タクシーが家の前に止まっても修一は降りなかった。「今夜は加奈子のところで泊まるから。楽しかった。ありがとう。ゆっくり眠るんだぞ」と優しく微笑んだ。

 走り出すタクシーのテールランプに花子は手を振った。置いてきぼりにされるというより、放り出される気分。

  これがこれからずっと続く……耐えられるのかな……



 ああ、そうだ、あの時から花子のおかしな恋巡業が始った。

 わざわざ手の届かない相手を見つけては、必死で恋をしていた。相手が好きというよりも、恋に恋する乙女のようだった。そんな花子を、どんなことがあってもずっと永遠に兄として見守っていこうと脩一は心に決めていた。花子なりの純粋な初恋をもぎ取る形になってしまったせめてもの罪滅ぼしであり、脩一なりの花子への愛の形だった。

 柵や絆、太刀打ちしてもどうしようもないもの、しない方がいいものが、世の中にたくさんはある。

 「花子、しあわせになれ」

 脩一はワインを口に含んで、夜空の星を指でなぞって繋げていった。その線は、この間加奈子が見せたミロのビーナスの曲線に似てきて、思わず苦笑いをした。

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