第9話 根底に於いての無自覚衝動とその欲求

「わりぃリック!今週どうしてもダメになっちまった!」



 慌ただしく人が流動する金曜の16時。

 外は昨日よりマシな雨模様で四階の廊下前まで騒がしく、この後どこかに行かないとの会話が聞こえてくる。


 突然、喧騒が遠のき始めた文芸部に謝罪の弁が木霊する。


「分かりました、そしたらまた今度にしましょう」

「ホントすまんな!この埋め合わせは必ずするから!」

 男に対しても女と同じような扱いの魁人は今来たばかりなのにじゃあと踵を返す。


「あっ!帰るの!?」

 部長の眞はサボろうとする部員を引き止めようとするが、


「今日は家のアレだからさ!」


 寝起きの獅子を一発で鎮静化させパイプ椅子に押し留めた。


「むぅ」

「それじゃまた来週な!!」

 颯爽と、羨ましいくらいにカッコよく部屋を飛び出した魁人。

 僕は理由が知りたくて眞に視線を向ける。


「・・・アイツん家、ケータリングの会社やってんのよ」

「それでまぁホントは駄目なんだろうけど、夜まで設営したりバーテンとかやったり、繁忙期があるんだよね」

「家のことだから強く言えないし気にしないであげてよ」

 魁人の残像を追うように文芸部の扉に目を移す眞。

 矢張り付き合いが長いからか彼のことはよく知っているようだ。


(高校生でバイトとか接客的なこともやるからモテるのかな?)

 彼が人気な理由は上辺だけじゃない精神的な部分からきてると見抜く凛久。

 容姿もいいがそれ以上に気配りと人馴れ、会話が面白かったりするんだろうな。


(女性が好きそうな趣味とか楽しんでくれる会話か・・・)

 そう考えるとこの室内の二人より全然知らない人間の方が、都合良く今の自分がどれだけデキるのかを測れるのに向いていると思う。

 それも含め魁人に話を聞ければいいなと思うが早くても来週かな?


「ん、てことは日曜暇になるんだ」

 凛久は明日以降の予定をぼんやり浮かべ、埋まっていた日曜のマークを消す。


「愛華は日曜も空いてないんだよね?」

「えっ?」

 不意に話題を振られた彼女は斜め向かいの姉を窺う。


「・・・」

 なんてことない、別にいつも通り本を読んでいるだけだ。


「うん、日曜も友達と出掛けようって言ってて・・・そっちはちょっと遠くなるかもしれないんだよね」

「ふーん、どこ行くの?」

「池袋辺りかな?その子アニオタっていうの?サブカル好きで」

「あー、楽しそうだね」

「凛久ってアニメとか見るっけ?」

「うーん浅く広くかなぁ・・・ストーリー性があるのとか小説原作のやつとか」

「私もそんな感じ。彼女はもっと・・・派手派手しいから楽しくなるかは分かんないけど、せっかくだしね」

 一年生組が仲良く話してる中唯一の二年生は特に会話に加わる様子もなく時間だけが過ぎた。



「お疲れ様、気を付けてね」

 平和な一日、チャイムが鳴って少しして智景が来て皆帰ることになった。


「また月曜ね~」

「先生も気を付けて」

 僕らは階段に向け歩みを進める。

 途中背後に視線を感じ最小限に振り返ると智景と目が合った。

 僕はその視線を掻き消し何も考えないことにした。

 彼女のことを想うと、取り込まれてしまうような気がして。



「あっ、アンリにエレナ」

 ちょうど職員室から出てくる二つの影、文芸部兼服飾部の有栖川姉弟だ。


「あら、珍しいわね」

 彼女は母がフランス人のハーフらしく、日本人離れした金髪を優雅に靡かせ僕達の前に立つ。


「どうも」

 その後ろからおどおどとした美少年も登場。


「アーンリー!!」

 眞は脇目もふらず少年に抱き着き、子犬のような綺麗な毛並みの頭を滅茶苦茶に撫で匂いを嗅ぎ始める。


「眞!」

「姉さん!!」

 いつもの恒例行事だが責任者は猛獣を諫め引き剥がす。


「もうっ!いつもウチの弟にちょっかいかけるのはやめてって言ってるでしょ!?」

 ぷんすかときつそうな見た目からは想像できないフレンドリーでコミカルな怒り方。

 まぁ相手が同じ部員の同級生ってこともあるだろうし素はこんななのかもしれないな。


「だってアンリかわいーんだもーん」

 反省の色を見せず口を蛸のように窄め英玲奈と話す眞。


「大丈夫だった?」

「平気です!」

 愛華は杏璃の心配をしてるらしい。


(何か久しぶりな感じ)

 ここは部室ではないとはいえ兼部の部員とこうして話すのは滅多にないこと。

 杏璃も別のクラスで軽く話すくらいだし英玲奈とここにいない亜希もまず話すことはない。


(女比率高いよな~)

 総合すると僕、魁人、杏璃が男子勢で女子は眞、愛華、英玲奈、亜希だからそうでもないのだがそう感じてしまう。



「あれ?殿前くん?」

「んっ?鮫嶌さん・・・」



 ちょうどこの時間は誰かとバッティングすることが多いのか、凛久の想い人で魁人の彼女である鮫嶌美恋が声をかけてきた。


「部活?」

「うん、料理研究部のね。作ったクッキーを先生たちにもお裾分けしようって思ってて・・・もしよければお一ついかが?」

 まさしく少女らしい、部活メンバーとは毛色が違う乙女のサイドポニーテールに笑顔が眩しい美恋はこちらの失恋も知らずに悪気なくビニール袋に包まれた出来立ての洋菓子を僕に手渡してくれる。


「やっほー愛華ちゃん杏璃くん!」

 二人にも気が付いたようで分け隔てなく笑顔を振るう姿は天使だ。


「もう魁人先輩帰っちゃったよ」

「ええ!?何で殿前くんの口から魁人の名前が!?」



 パキッ



 ほんの些細な仕草や発言だって、僕にとっては充分凶器となる。


「ほら同じ部活で・・・聞いたんだよね」

「あはは~そうかー・・・ちょっと恥ずかしいかな、殿前くんに知られたのは」

 気恥ずかしそうに顔を染め俯く美恋。


(どういう意味なの)


 ピュアな乙女心に問いたい。


「じゃあわたしそろそろ行くね!」

「あうん、クッキーありがとね」

「いいえ~!また作ってあげるよ!」


(やめてよ)


 小さな髪の束を懸命に振り乱し職員室へ走る美恋。


 その可憐な後姿、制服に包まれた肉体を曝け出し受け入れる相手がいるなんて、信じたくない。


「・・・凛久?」

 ぼーっと死んだ魚のような眼差しで彼女を見つめていることに気が付いた愛華はどうもできないといった面持ちで首を横に振った。


「帰ろ」

「・・・うん」

 敗北者である僕はただ傍観することしか許されていない。

 さっきまでさんざ浮かんでいた邪な野望は、崇高で気高い殿前凛久の偶像によって鳴りを潜める。

 強い光を忌み嫌う影のように、あの瞬間だけは僕の心も白く濁った。



 しかし何事にも反動というものは存在する。



 鮫嶌美恋が不可侵の偶像だとしても、その周囲を覆うように影は伸びる。



 いつか、彼女も埋め尽くしてしまうほどに。



 ♦♦♦♦


「美恋のことまだ忘れられない?」


 小雨の帰り道、滑りやすい夜道に注意を向け我が家に向かう二人。

 眞は英玲奈と話があるらしく学校に残り僕らは先に帰ることとなった。

 道中先程の異変を察した愛華が語りかけてくる。


「美恋はいい子だし、魁人先輩ともうまくやれてるよ」

「・・・」

「だからさ・・・私が言うのもウザがられるだろうしアレなんだろうけど・・・」

 彼女と顔を合わせずただ前に進む凛久。

 別に言われるのは構わないが、慰める方が悲しくなるのはやめてほしい。


「僕は大丈夫、そういえば明日もしかしたら夕方合流するかもって」

「え?」

「ほら買い物の件」

「あーそいえば連絡回ってたかも」

「行く気なかったけど、凛久が行くなら行こうかな」

「愛華の歌聞けるの久しぶり」

「私は聞き専でいいよ~」

 ちょっとは明るくなった雰囲気、暗い景色も僕が変えてあげればいいい。


「あと色情時雨も、読んだら教えて」

「うん」

 それから授業のことだとか夏休みのことなんかを話して家の前に着く、あっという間だった。



「また明日ね」



「うん、お休み」



 涼しくなった夜の世界に映える制服姿の愛華。



 一つ結びで揺れ動く長髪がシャンシャン踊って、どうにも愛おしいのに陰鬱な寂寥感が僕を飲み込んでこようとする。



 玄関前の階段を勢いつけて上る愛華。



 スカートがひらりと舞うも、絶対に見えない角度で下着は現れない。



 その光景の何もかもに圧し潰されてしまいそうな情緒不安定な精神。



 インモラルの欠片もない健全な彼女達、一人は美恋、もう一人は愛華。



 もしかしてという疑念と身勝手な独占欲に思いきり背中を押された僕は、





 トッ





「ッ!?凛久!!??」


 受け身じゃない、幼馴染って垣根を越えてやる。

 無防備に曝け出された傷つきやすい僕を守ってほしいから、




「愛華」



 抱き締めたら壊れてしまう肉体。

 興奮の先をゆく凪の性欲、一切合切のリビドーは静謐の海に沈んでしまった。



「凛久??」



 困惑しながらも前に回された腕を握る愛華。

 制服やカバンが煩わしく全部取っ払いたい。


 衝動的な感覚によってなされた突然の出来事、これは予想外だろう?


 抑えつけて出られなくしている間、プラトニックと呼ぶに相応しい高潔な精神で、卑劣な刃を突き立てよう。



「愛華、何も言わずにこっち向いて」



 漏れ出る吐息、閑静な住宅地の一角で繰り出される青春譚、駆け引きなんてない。



「・・・」



 さっきまで俯いていたあの子はぎこちない動作で首をこちらに向けてくれる。





「・・・ありがとう」





 ―――――――――そして、僕は今日






「んっ」







 君に、キスをする―――――――――。






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もし僕が恋愛小説の主人公になったのなら~失恋直後の男子生徒は平熱な文芸部に一つの欲望を抱き、作品を完成させるためあらゆる異性との戯れを愉しみます~ 佐伯春 @SAEKIHARU

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