第2話 ゲーム a

 ――このゲームをクリアするには生き残ることです。プレイヤーは全部で四人。クリア時にはゲーム中に手に入れた金を持っていくことができます。最初は一人五百万円持っており、銃のリボルバーには弾丸が一つだけ入ってます。クリアに必要だったら使いましょう。脱出できるのは一人だけ。制限時間は二時間です。「ハムスターの説明から抜粋」



 #



「……どうしてこうなったんだ」


 綾瀬は鉄製の扉を前に動けずにいた。

 姉の行方を追ってここまで来た。父からも母からも見捨てられた綾瀬にとって彼女は家族同然の存在だった。

 思い返せば予兆はあったのかもしれない。それは些細なことだ。学校が終わりアパートに帰る際笑顔で迎えてくれた彼女が笑っていなかった。起きたら朝ごはんを作ってくれている彼女の姿が今日はなかった。机の上に札束が置かれてあった。久しぶりに一緒に取る夜食で彼女は笑っていた。その笑顔が気色悪く思えた。それから段々と会話をする機会がなくなった。それを悪く思った綾瀬が駆けつけた時には彼女の姿はまるで無かった。

 これは自分に課せられた罰なのではないか。姉の行方を探すなんて烏滸がましいにも程がある。彼女を消したのは一番近くにいたこの自分ではないか。

 綾瀬は天井を向いた。


「俺は一体何をしているんだ」


 姉は今どこにいるだろうか。どんな生活をしているだろうか。自分を憎んでいるだろうか。何一つ変わっていないだろうか。……自分は本当に姉を探したいと思っているのだろうか。罪悪感に突き動かされているだけではないだろうか。


「……」


 どれだけ疑問を浮かべたって簡単に答えが見つかるはずもない。たとえ姉が望んでいなくとも……いやその先は考えない。姉を必ず見つけ出す。綾瀬の目的はただそれだけだ。こんなゲームに構っている暇はない。


「……ゲーム?」


 綾瀬はふと思った。

 自分の置かれている状況こそ怪しいのではないか。そして、大きな金が絡んでいる。


「そうか、そう言うことか」


 目の前だけを見ていたから分からなかった。きっと見るのが近すぎて見えなかったんだ。真実はすぐそこにある。だが、大きすぎて捉えきれていなかった。


「姉さんはここにいる」


 綾瀬はそう確信して暗い通路を進み始めた。



 通路を進んで一分も経たないうちに綾瀬は足を止めていた。

 それは変な行動は起こさないという意思表示であるとともに、協力しようという呼びかけでもあったのだ。

 綾瀬は通路の一直線上で女性と対峙していた。綾瀬の額に汗が流れる。銃の恐れは常にあった。ゲーム説明の際に自由な使用を許可されているため、どう肝を据えようと殺されないという保証はどこにもないのだ。

 

「頼むから銃を下ろしてくれ」


 綾瀬は三メートルほど前に立つ女性に言った。

 ワンピース風な洋服を着ており、ボブの髪型はどこか可愛げに映る。大学生くらいだろうか。身長は綾瀬より低いが、化粧の加減で高校生ではないことがわかる。


「俺は平和的な解決を望む」


 綾瀬は銃口を地面に向けた。

 トラブルを起こさないためには対等ではない状況が必要だった。日本の社会で意味もなく人を殺すような人間はそうそういない。相手に攻撃の意思がなかれば銃を構える必要などないのだ。


「……ごめんなさい。少し動揺していて」


 女性は銃を構える腕を下げた。

 敵意がないことを自らも証明するためか、彼女は銃から弾丸を抜いた。この段階での対等は明確な協調を表す。綾瀬は銃口を横に向けながら彼女に倣って弾を抜いた。


「いや、誰だってそうなるよ。謝ることじゃない」


 綾瀬の言葉に女性はぎこちなく笑った。

 それから二人は一緒に行動を開始した。

 名前をリサと言うらしく、綾瀬の予想通り大学一年生らしい。ボブの髪型は最近始めたとか、このワンピースは一昨日買ったとか、実はいまだに処女とか、連敗続きのベイスターズファンとかそんな話も聞けたが、この状況で一番の問題点はリサの所持品が銃しかないということだ。焦って部屋から出たせいか、スーツケースの中身を持ち出せなかったらしい。


「やっぱり記憶が飛んでいるのか」

「うん。気づいたらここにいて、閉じ込められてるって気づいて……」

「それでも銃は持ち出せたのはよかった」


 綾瀬が言うとリサは返答に困るように首を傾げる。


「よかったのかなあ……」

「銃は抑止力になる。たとえプレイヤーと対峙した場合でも相手が銃を持っていれば基本的に撃ち合いにはならない」


 それはたった一発の弾丸を当てれなかったときが最期だからだ。攻撃の意思を伝えてしまえば、相手が銃を撃って良いという大義名分を渡すことになる。

 銃は使うのではなく適切な距離を保つための道具にすぎない。

 綾瀬は思う。

 横を歩くリサもそんなことは分かっているのだ。

 焦って部屋から飛び出した。逆に言えば、焦ってでも銃の携帯を必要としたのだ。自分が殺されないように。殺そうとした相手を殺すために。


「でも、綾瀬さんは銃を向けてなかったよね。それはどうしてなの?」


 リサは茶色の髪を揺らして綾瀬を向いた。


「プレイヤーは四人いるらしい。その四人がそれぞれで対立するより、複数人で対峙した方がいい。だから君を仲間にしたってだけの話だよ。それに一番良いのは平和的な解決だ。複数で行動するものがいれば、誰だってその輪に入りたがる。銃をいきなり渡されて人を殺すような奴はそうそういない」

「……綾瀬さんはちゃんと考えてるんですよね。私なんていまだに情報整理でいっぱいだな」

「それは俺も同じだよ」


 この場所に閉じ込められてから常に考えていた。

 あの狭い部屋から出ると目の前には通路が広がっていた。学校の廊下のような広さで、所々に曲がり角やT字に分かれていたりする。

 換気口や点滅する蛍光灯がある以外出口らしい出口は見当たらず、綾瀬はリサとともに歩き回っていた。


「そういえば、綾瀬さんのポケットには何が入ってるの?」

「ポケット?」


 綾瀬がポケットを探ると中から小型の機器が出てきた。


「すっかり忘れてた。何に使うんだろ」

「んー、なんかトランシーバーみたいだね。誰かとやりとりするのかな」


 スーツケースの中に入っていた無線機だ。

 用途が分からないため取り敢えずポケットにしまっていた。

 しかし、考えてみれば無線機は電源を入れないと役に立たない。

 綾瀬は無線機の電源を付けようとして、リサに止められた。

 

「足音が聞こえる……」


 耳を澄ましてみると確かに足音が聞こえた。

 この通路の先にあるT字路の左。何者かがこちらに向かっているみたいだった。一様こちらには気づかれていないようだが、その足音は警戒の色を示している。


「取り敢えず俺が呼びかける」


 そうでもしないと危険が長引くだけだ。

 逃げようにも下手に動けば足音でバレる。逃げたという行動は相手に敵意を向けたことに他ならない。ここは接触を図るべきであった。


「相手はきっと銃を構えてる。銃は降ろしておけ。でも隠す必要はない」


 銃は抑止力だ。使わずとも見せるだけで効力は十分にある。それは現実世界でも同じことだ。冷戦時代、アメリカとロシアは数え切れないほどの核を製造した。しかしそれは戦争に使うためではない。核弾頭は実際に使う攻撃手段ではなく、抑止力なのだ。平和は武力の保持を持って維持される。

 綾瀬はリサが頷くのを確認してから一歩前に出た。

 通路は五メートル先で分かれており、足音は左方向から近付いている。

 綾瀬はわざと聞こえるようにして靴を鳴らした。


「だれだ」


 男の声が通路に響いた。

 声からして大人だろか。大学生から中年。声だけでは男の年齢は分からない。ただ、異変に対して声を発するのは情報の不足に怯えている証拠だ。相手が恐怖に晒されているのであれば救いの手を差し伸べればいい。


「そこに誰かいるのか?」

「あ、ああ……」


 綾瀬が呼びかけると、戸惑いの混じった声が返ってきた。


「同じ境遇なら銃は持っているよな。俺は他のプレイヤーを探してたんだ。で、今こっちに一人、女性のプレイヤーがいる。こっちも銃を持っているが弾は安全のため抜いている。情報を共有したい。一緒に協力しないか」


 綾瀬は銃のリボルバーに弾を込めながら言った。

 これで返答がなければこちらに敵意を向けていることとなる。そうなればこの男との対立は逃れられないだろう。敵意を持っている相手を信頼することはできない。


「……わかった。協力しよう」


 綾瀬の心配とは裏腹に男の返答は前向きなものだった。

 男は通路から顔を出した。

 眼鏡をかけた気の弱そうな男。ジーパンに白Tシャツで身長は綾瀬より少し高いくらいだ。

 綾瀬たちと男は通路の中央で合流した。


「信頼してくれてありがとう」

「いや、僕も……その安心したよ。こちらこそ、信頼してくれてありがとう」


 綾瀬と男はともに握手を交わした。


「実は僕も他のプレイヤーを探してたんだ」

「……というと?」

「少し前に二人見つけたんだ」


 どうやら綾瀬たちとは遭遇しなかった他二人と合流していたらしい。綾瀬は何処か違和感を感じたがそれを呑み込んだ。


「そうなのか。それはよかった。なら早いところ合流した方がいいな。そっちから彼らに紹介してもらってもいいかな」

「もちろん。もともとその予定でいたんだ」


 変にバッティングするより一人を探索に当てた方がトラブルは少ない。彼らは元から平和的な解決を望んでいたらしい。やはり銃を渡されても平気で撃つような人間はいないのだ。

 綾瀬はリボルバーに入れていた弾丸を抜いて、換気口に投げ入れた。

 弾丸は換気口の壁に当たって、甲高い音を立てた。静まり返る通路には三人の足音を追うように弾丸の余韻が微かに響いていた。


 

「他に助かる道はないの?」


 目の前の女性はそう言った。

 名前を由美ゆみと言い、バサついたロングの茶髪が印象的だ。

 綾瀬は他四人と合流し、情報の交換を行なっていた。

 ここは先程の通路とは違い、円形の講堂のような場所であった。天井には吊り下げるようにして蛍光灯がぶら下がっているが、光量が足りているとは言えず全体的に暗い。

 しかし、ここには別の場所にはないものがあった。


「どうすんだ? 一人しか脱出できないんだぜ?」


 そう言ったのはカオルという男だった。

 髭の生えた黒髪の男で、パチンコが趣味らしい。

 綾瀬はこの講堂の一点に目を向けた。

 そこには半円柱状の鉄格子が壁に隣接している。壁にも半円柱状の窪みがあり、おそらくあの鉄格子の中に入れば円形の床が回転して壁の向こう側に出られるようになっているのだろう。

 あれがたった一人だけを乗せて作動する脱出への扉であった。

 鉄格子には開閉できる箇所があり、そこから人が入るらしい。なぜか扉の外側に鍵がついていた。脱出に鉄格子の扉は似合わないが、これも演出の一つなのかもしれない。ゲームに鉄格子は鉄板だ。

 

「それをいま話し合ってるんでしょ」


 由美は冷たくカオルに言った。

 薫も何か言い返そうとしたが、リサが割って中に入る。


「ここで喧嘩しても意味ないよ。ここはみんなで協力しようよ」

「……そうやっていい子ぶっちゃって。本当はあなたが抜け駆けしようとしてるんじゃないの?」


 由美の言葉に全員がリサをチラリと見た。

 向けられているのは疑いの目だ。

 一人だけ抜け駆けしようとしているのか。みんなが集まって話し合っているというのに自分だけは生き残ろうとしているのか。


「そんなことは……」


 リサは言葉に詰まった。

 感情の流れが空間を濁流している。

 思い返せば学校の教室にもこんな空気はあった。

 真希がクラスに馴染めないでいる立花を気にかけて、クラスメイトに協力を煽ったのだ。クラスメイトはそうだねと笑った。真希も安心して笑った。クラスは一人のクラスメイトのために優しく寄り添ったのであった。


「私はただ話し合って……」

「弱い子ちゃんアピールやめたらどうなの?」


 なんてことはまるでない。

 立花に対して笑顔を向ける者は誰もいなかった。

 過去の一部、平凡な日常のカケラ。その一つのピースの上でもクラスメイトは上っ面であった。

 空気を読め。触れていないことに触れるな。変な気を遣いやがって。

 

「綾瀬さん……」


 リサは愕然とした様子で綾瀬を見た。

 綾瀬は返答する。このゲームの間違い。いや、おそらくここにいる全ての人間が気づいていなかった事実。そして、リサの立場を救う素材。


「なんで由美さんはリサを悪者に仕立て上げようとしてるんだ?」


 綾瀬はその事実をも通り越してそれを利用する。

 綾瀬の脳は異常なまでに冷静に処理されていた。身体が何かしらの熱に動かされているようで、冷酷に自身の望む最適解を導き出している。


「プレイヤーは四人のはずだよな」


 全員がその場の人数を確認した。

 ゲームの説明によれば、プレイヤーの人数は全部で四人。そしてここにいるのは五人。


「おかしいと思わないか? 由美さんはなんでそこまでしてリサを除外するんだ?」


 みんなが由美の方を向いた。

 視線の行く末に迷いはない。向けているのは明らかな敵意。これを持って攻撃の刃は由美へとシフトする。


「自分の座席を確保するため」


 カオルは言った。

 限られた四つの座席に自分を座らせるため。プレイヤーでない自分をプレイヤーにするには他一人を除外すればいい。座っていた人間は蹴り落とせ。


「……は、何言ってるの? 私はプレイヤーよ。違うとしたらこいつでしょ?」


 そう言って由美はリサに指を差す。

 しかしみんなのリサを見る目は同情に変わっていた。

 攻撃をする相手が決まれば、過程など関係ないのだ。疑いの目は簡単に慈悲へと変わる。何も普通のことではないか。人との関係は都合よく作られ、都合よく解釈される。かくして人間は上っ面な言葉と思いで舞台演出を行なってきたのだ。


「由美さん……あなたはプレイヤーじゃ無いのかい?」


 春由の目は少し潤んでいるようにも見えた。

 それは演出のための嘘なのか、それとも舞台裏の真実なのか。

 

「……あなたまで私を疑うの? 私は違うって言ってるじゃない!」


 由美は愕然とした様子で、言葉を荒げた。

 綾瀬とリサ以外の三人はまとまって行動していたという。カオルとの相性の悪さから察するに、春由は二人に中立な立場をとっていたはずだ。それが傾いたことに対する疎外感はどれほどのものだろうか。


「もう知らない!」


 由美は叫んだ。床に置いていた無線機をコンクリートの地面に叩きつけ、この講堂から去っていく。無線機は大きな音を立てて割れ、破片が周囲に飛び散った。


「由美さん……」


 か細い声がリサの口から漏れ出た。

 そこで綾瀬は自分自身が由美を追いやったことに気がついた。瞬きをしていなかったのか目が渇いている。先ほどまでの冷静な思考を失い、綾瀬を取り巻いていた熱が急激に冷えていく。

 ……今のはなんだったんだ?

 由美を除外するための行動に綾瀬は一切の疑問も浮かばなかった。ただ、リサの立場をなんとかしたかっただけなのだ。由美をあそこまで追い詰める必要はなかった。

 それにみんなの思考回路も極端になっている気がした。どこか思考に偏りがあるように思える。この異常事態が人間を攻撃的にしているのか、本心なのかわからない。

 あの異常なまでの冷静さと冷酷な思考回路は一体なんだったのか。


「やっぱあいつはプレイヤーじゃないな」


 綾瀬の胸中をよそにカオルは鼻で笑いながら言った。

 講堂に取り残されたのは綾瀬、リサ、春由、カオル。

 プレイヤーは全部で四人。五人目の由美は排除された。


「……由美さんはなんだったのかな」


 これまで沈黙を守っていたリサが口を開ける。

 実際のところ、由美がプレイヤーでないと言う事実はどこにもない。綾瀬が人間心理を利用してみんなの認識を変えたに過ぎない。


「プレイヤーは全部で四人なんだよね。じゃあ、五人目はなんだったんだろう」


 四人は顔を見合わせた。

 ゲーム説明との矛盾。間違い。五人目の正体。


「……ゲームの説明を覚えているか?」


 綾瀬は回らない頭をフル回転させてゲームの概要を再確認する。

 ――ゲームをクリアするには生き残ること。

 ――プレイヤーは全部で四人。

 ――クリア時にはゲーム中に手に入れた金を持っていくことができる。

 ――最初は一人五百万円持っている。

 ――銃には弾丸が一つだけ入っている。

 ――脱出できるのは一人だけ。

 ――制限時間は二時間。

 

「……ぬいぐるみはたしか」


 綾瀬は記憶を辿る。

 ハムスターは何を言っていたか。


 ――待たせちゃってごめんね。他のがなかなか起きなくて困ってたんだって。


 ハムスターによるゲームの説明。

 根本的な認識の誤り。

 四人の視線が互いに交差する。


「……僕たちはプレイヤーではない?」


 春由はこのゲームに対する決定的な見落としを明らかにした。


「俺たちはサバイバーだ……」



 #



「サバイバー? じゃあプレイヤーってなんなんだ」


 カオルは言った。

 綾瀬たち四人は講堂の中央で輪になって話し合っていた。


「僕たちがプレイヤーで無いとすると、プレイヤーが他に四人いることになるね」

「だとしたら、あの由美って奴も入れて合計九人いるってことかよ」

「……でも、ここにはいないのかな」


 リサと春由が首を傾げる。

 カオルは会話に参加しながらも講堂の壁にかかった時計を気にしていた。

 時計には長針が一つしかなく、今はその針が頂点を過ぎたあたりだった。講堂に集まった時には針が真下を向いていたため、おそらく一時間は長針の一周分だ。つまり、残された時間はすでに一時間を切っていた。

 綾瀬は情報を整理する。

 このゲームの役者は二つ、プレイヤーとサバイバーだ。

 サバイバーが綾瀬たちであり、今現在謎の建物に閉じこまられている。そして、プレイヤー。プレイヤーの人数は四人だ。だが、この場所にいないとなるとどこにいるのだろうか。そしてその役割はなんなのか。

 綾瀬は床に散らばった無線機の破片を見つめた。

 

「無線機……」


 綾瀬たちはその使い道をサバイバー同士の連絡手段として認識していた。殺し合いとなるのであれば、仲間を作って連絡を取り連携する。だが、そもそも殺し合いになる確率なんて低いじゃないか。

 これはサバイバー同士で使うものではないとすると、答えは一つしかない。


「……綾瀬さん?」


 リサの声を無視して、綾瀬は無線機の電源を入れた。

 しかし、何か声が聞こえるということはない。ノイズが鳴るだけだった。


「それ、使えないだろ」


 カオルが綾瀬の行動を見ながら言った。


「周波数を合わせるのか知らないが、数字の入力を求められんだよ。そんなの知る由もないから使えるわけないって話だよな」


 デジタル画面には確かに数字の入力欄がある。

 これは本当に周波数なのだろうか。

 綾瀬は持ち物を注意深く見てみた。


「違う」


 無線機の裏面。


「これじゃない」


 札束の入った銀色のスーツケース。


「……これだ」


 綾瀬は銃を握っていた。

 確かな重量感と人を簡単に殺すことのできる優越感を感じた。

 カオルと春由は急に銃を握った綾瀬に警戒している。


「……おい、銃はしまうって約束だろ」

「違う。銃のバレルに数字が書いてある」

「数字?」


 カオルと春由は自身の銃身を見る。

 銃身には八桁の番号が小さく記されていた。


「……確かに番号があるね。製造番号のような気もするけど、やってみるに越したことはないね」


 春由はそう言って自身の無線機を取り出した。

 カオルも同じようにして数字を確認している。

 リサは無線機を持っていないため三人を遠目に見ていた。


「繋がった……」


 綾瀬はそう言って立ち上がった。

 ジリジトとしたノイズとともに無線機上部についていた緑色のランプが点灯している。


「俺も繋がったぞ」

「こっちもだ……」


 どうやら他二人も無線が通じたらしく、無意識に立ち上がっていた。

 綾瀬はゆっくりと耳に無線機を近づける。

 

「……誰か、いるのか」

『……ええ』


 返事はあった。

 ノイズが混じっていて聞こえづらいが、綺麗な声だと思った。

 この無線機はやはり外部の人間と繋がるのだ。


「君がプレイヤーか」

『ええ』


 綾瀬の予測していたとおり、無線機の相手はプレイヤーであった。

 このゲームには元々二人の役者がいて、サバイバーはその一人に過ぎなかったのだ。


「俺が今どんな状況に巻き込まれてるか説明してくれないか」

『……できないわ。私もわからないもの』

「君はこのゲームをなんと聞いてるんだ?」

『サバイバーをクリアに導く』

「……え、それだけ?」

『こっちにはモニターがあるの。あなたの行動はカメラで監視されてる』

「……監視か」


 至る所に換気口があったのを思い出した。

 おそらくその奥にカメラが仕掛けられているのだろう。


『あなたはもっと緊張したほうがいい』

「制限時間も少ないしな」

『違うわ。あなたは人を信じすぎてる』

「疑心暗鬼になっても仕方がないだろ」

『……サバイバーは四人よ』

「……は?」


 無線機の声に綾瀬は固まった。


「五人だろ」

『プレイヤーが四人。サバイバーも四人。二つはペアになってるの』

「じゃあ、もう一人はなんなんだよ」

『銃を構えて』


 突如そう言われ振り向くと、春由とカオルが銃口を向け合っていた。

 一体何が起こっているのか綾瀬には理解できなかった。

 綾瀬はゆっくりと無線機の電源を切った。


「動くな」


 リサに状況を聞こうとした綾瀬は銃口を向けられていることに気づいた。

 変に動けば撃つ。そんな意志を感じた。


「銃はしまう約束だろ」

「そんなの意味がねえ」

「カオルさん、もうやめましょうよ」


 リサが呼びかけるとカオルは鋭い視線を向けた。


「お前も怪しんだからな」


 カオルの瞳孔が開いていた。それはまさしく相手に敵意を持っている証拠だ。瞳孔を大きく開けることで光量を多く取り込み敵の動き一つひとつを情報として処理している。

 綾瀬は向けられた銃口とリサの間に立って入った。当然、銃口はカオルを向いていた。


「銃を降ろせよ」

「綾瀬さん……」


 綾瀬の背中にリサがすがっている。

 この一触即発の状況をどう打開すればいいのだろうか。

 カオルと春由はプレイヤーと情報を交わしたはずだ。サバイバーの人数が四人と伝えられている。みんなが恐れているのは五人目なのだ。


「五人目は由美って人じゃなかったのか」

「あいつの銃弾は一つだった」

「銃弾?」

「そうだ」


 ――銃のリボルバーには弾丸が一つだけ入ってます。


 これはサバイバーへの説明なのだ。

 危機的状況から脱出を試みる――サバイバー。

 サバイバーを手助けする――プレイヤー。

 綾瀬は常に考えていた。

 このゲームは不完全ではないだろうか。ゲームとして成り立っているのだろうじか。重要なピースが抜け落ちている。そのピースはサバイバーに溶け込んで完全に姿を消していた。気づいていながらもその可能性を無意識に省いていた。


「この中に五人目がいる」


 カオルはそう言って視線を巡らした。

 この講堂にいる四人のプレイヤー。

 綾瀬、リサ、カオル、春由。

 互いに銃口を向け合い、本心をあらわにしている。

 このゲームの役者は三つ、プレイヤーとサバイバー。

 そして、サバイバーを侵略する――インベーダー。



 #



 このゲームのクリアとは一体なんなのだろうか。


 ――クリアするには生き残ることです。


 何か違う。何が違う。


 ――脱出できるのは一人だけ。


 ここから出られるのはサバイバーの一人だけ。


 ――君はこのゲームをなんと聞いてるんだ?

 ――サバイバーをクリアに導く。


 綾瀬は思った。

 誰も脱出することがクリアだとは言っていない。本当にこのゲームのクリアは脱出することなのか。サバイバーは本来、生還者という意味だ。サバイバー全員の生還こそがこのゲームのクリアであり、侵略者であるインベーダーを倒すことがこのゲームのミッションではないだろうか。

 だとしたらこのゲームは最初から不完全、いやゲーム性に欠けている。脱出がクリアならば、一人しか助からないこのゲームは面白くない。他のプレイヤーの存在意義が無いのだからもっとシンプルなゲームで完結するはずだ。


「……そうか」


 綾瀬は講堂の一角を見た。

 講堂にある脱出用の扉。壁に接した半円柱状の鉄格子であり、鍵が外側に付けられている。なぜ脱出の扉に鉄格子が使われているのか。なぜ外部から自由に開閉できるように鍵を外につけてあるのか。最初からずっと違和感を覚えていた。

 このゲームのクリアとはインベーダーを追放することでは無いだろうか。


「……何か気付いたのかい?」


 春由は銃を降ろして綾瀬を向いた。

 残された時間は三十分。どんな状況であれ、話は進めないといけない。


「このゲームのクリアは五人目を追放することだ」


 綾瀬は言った。

 これがこのゲームのクリアでありエンド。

 インベーダーの追放、サバイバー四人の生還。


「サバイバー四人のゲームクリアは五人目の追放によって確定される」

「でも、その五人目がわからないから……」


 背後でリサが弱気な声を出した。

 コンクリートの講堂。吊り下げられた蛍光灯がゆらゆらと人影を作り、この場をより一層険悪な雰囲気にしている。

 綾瀬はそんな中、リサの異常なまでの動揺に目を見開いた。無意識に省いていた一つの可能性。おそらくそんなことはないと信じてやめなかった。


 ――あなたは人を信じすぎてる。


 どこの誰かも知らないプレイヤーの彼女の方が自分を知っているようで嫌になった。

 リサの動揺。たったそれだけの反応が周りの思考を収束させた。


「おい、お前が五人目じゃ無いのか」

「え、私はちが……」

「ならその銃を貸してみろ」


 カオルはリサが持っていた銃を強引に奪って、リボルバーをスライドさせた。みんなの視線が落ちてゆく金属塊に視線を向けている。


「……やっぱ、お前が五人目じゃねえか」


 地面に落ちた五つの弾丸が冷たい講堂に音を響かせていた。

 不確定要素の消滅。五人目の特定。感情の収束。攻撃対象の確定。

 きっとみんなはこの瞬間を待ち侘びていたのだ。自身がインベーダーではないという揺らがない事実は攻撃の刃をより一層鋭くする。


「ほら、言ったじゃない。私は五人目じゃないって」


 突如そんな声が聞こえ講堂の入り口に目をやると由美が立っていた。

 どうやらこの状況を見据えていたらしい。


「由美さん……。さっきは疑ってしまってすまない」


 春由の謝罪には目もくれず、由美はリサの方へと歩み寄った。


「ずううっと私たちを騙してたのね。私を五人目にするよう仕掛けて」

「そんなつもりは……」


 由美はリサに平手打ちを加えようとして、綾瀬に止められた。

 由美の振り下ろそうとした力は女性の腕力とは思えないほどに強かった。綾瀬の腕の方がギリギリ耐えているくらいの力量差。由美の目は瞳孔が開いており、昂る感情がありありと見て取れた。それでも綾瀬は睨み返して、その腕を受け止めている。


「……何の真似?」

「別に。……ただ、リサは五人目じゃないってだけだ」

「じゃあ誰なの?」


 綾瀬はリサの方をチラリと見た。

 赤くなった目を潤わせながらこちらを困惑するように見つめている。

 このゲームが姉を消した罰だというのであれば、せめて同じように誰かを失いたくなかった。絶望的な立場から救ってあげたい。リサだって一方的に決められたゲームの役者に過ぎないのだ。それでも彼女はゲームをしなかった。その行為は報われるべきではないだろうか。

 このゲームから消されるのは彼女ではない。


「……俺だ」


 綾瀬は言った。

 そして銃のリボルバーをスライドさせる。地面には一つの弾丸も落ちなかった。静かな講堂は時を止めているようだった。降った雨水が流れる方向を決めかねているように、攻撃すべき相手を迷っているみたいだ。


「リサに俺が持っていた銃弾を預けてたんだ」

「……四つか?」


 カオルは訊いた。


「ああ。ここにいる俺以外の人間を殺すのに必要な数だからな」


 綾瀬は適当に嘘を吐きながら自ら脱出の扉へと向かった。

 鉄格子の鍵を開け、中に足を踏み入れる。


「は、お前が五人目かよ」


 カオルは鉄格子の扉を乱暴に蹴って鍵を閉めた。

 講堂にロックのかかる音が響き、一人だけ拒絶されたような疎外感を感じた。


「だから綾瀬さんは弾丸を一つも持っていなかったのか。持っていた四つをリサさんに譲った。……いや、なすりつけた」


 春由は冷たく言った。

 この際、攻撃するべき対象がいれば誰でもいいのだ。架空の映画監督であるアラン・スミシーのように責任を負うべき人間は簡単に取って変わることができる。

 交わした握手も交わした会話も穏やかな笑顔も、自己保身のためであれば全て無かったことにできる。


「……何で回らないの?」


 由美は変化の起きない脱出用の扉を見て言った。

 綾瀬は鉄格子の中を見渡してあることに気がついた。

 鉄格子とは反対の壁に何かを差し込むような穴が空いている。


 ――銃のリボルバーには弾丸が一つだけ入ってます。クリアに必要だったら使いましょう。


 銃弾は人に使うものでは無かったのだ。

 そして捨てるものでも無かった。

 争いには弾丸が必要であり、平和にも弾丸は必要なのだ。


「どうやら銃弾がいるらしい」

「……ほらよ」


 カオルが床に散らばった弾丸を拾って綾瀬に投げつけた。

 綾瀬は弾丸を手に取ってみる。カオルたちからの敵意を明確に表しているようで悪い気はしなかった。複雑な感情よりも分かりやすくて単純な敵意の方が断然いい。でも、少し冷たかった。


「綾瀬さん……」


 リサの声を無視して綾瀬が銃弾を差し込もうとすると、講堂にサイレンのような警告音が鳴り響いた。


「ゲーム終了まであと二分です。それまでに脱出者がいなかった場合、ゲームフィールド全域にガスを流入します」


 人工音声によるゲームの終了へのカウントダウン。

 やがり制限時間を過ぎるとペナルティーがあるのだ。

 警告音は身の危険を煽るような不気味な不協和音を奏で、講堂は赤い光で満たされた。カオルたちは取り乱すようにして鉄格子にしがみ付く。


「おい、早く弾丸を差し込め!」

「もう二分もないのよ!」

「このままだとみんな死ぬ!」


 三人は必死だった。あと二分で殺されることを宣告され、死にもの狂いで鉄格子の中の綾瀬に願いをいている。

 綾瀬は思った。

 これは脱落者の特権なのだ。追放される代わりにこの場にいる人間の命運を決めることができる。最後に用意された悪魔的な状況設定。ラスト数分で対極に逆転した立場。


「早く、しろ」


 三人の目の瞳孔が開いている。それは驚くほどに純粋な意思であった。生きるためであればなんだってする。普段は見えない人間の本質、むき出しの心。


「……」


 このゲームの真意はここにあるのではないだろうか。

 綾瀬は鉄格子の向こうを見据えた。

 学校も社会も人間関係も綺麗に装飾されたって中身はいつだってどろどろだ。クラスメイトの団結の裏にはいつだって悪意があり、それは善意によって装飾される。そんな矛盾したものを取り繕って生活している。

 餌は十分だった。

 欲望の象徴である金。

 疑いの証明である銃。

 攻撃の意思である弾丸。

 それら全てを加速させる危機的状況、制限時間超過のペナルティー。

 ルールは完璧だった。それら全てが人間の心理に作用して、この状況を作り上げたのだ。


「金をよこせ」


 綾瀬は三人に金を要求した。

 このゲームで負けることが確定の綾瀬にとってそれが最後の悪あがきだったのだ。立場は綾瀬の方が上だ。

 制限時間は三十秒を切った。

 三人はしぶしぶ持ち金を鉄格子の中に投げ入れた。

 札束はただの紙切れにしか見えなかった。追放されたらどうなるのか、綾瀬には知る由もない。

 綾瀬は壁の穴に弾丸を差し込んだ。

 サイレンが鳴り止んで、講堂にはゲームクリアを祝うようにポップな音楽が流れ始めた。ゲームの終了、インベーダーの追放、サバイバーの生還。

 リサはチラリとこちらを向いて、笑った。四人は喜んでいた。その場に綾瀬の存在は既になかった。


「おめでとう! これでゲームは終了だよ!」


 明るい人工音声が聞こえ、


「……え? なんで、なんで……!」

「おい、なんだよこれ……」

「ここから出して! 早く!」


 四人が困惑して恐怖に顔を歪める。そして綾瀬のいる鉄格子の方へと一心不乱に走ってきた。綾瀬は身構えたがそれと同時に視界は一変した。鉄格子と壁で囲まれたこの円柱の空間は地面ごと回転するのだ。


「……どうなってんだ」


 気づけば講堂とは違う別の空間が広がっていた。

 円形の講堂に沿うようにしてホテルのロビーのような通路が左右に続いている。ここは講堂の壁の向こう側だ。

 綾瀬が訝しげに周囲を見渡しているとカチャリと鉄格子の扉が自動的に開いた。

 

「おめでとう! これでゲームは終了だよ!」


 明るい人工音声は綾瀬に祝いの言葉を送った。

 綾瀬は後ろを振り返ってみる。壁の向こうから四人の叫び声が聞こえたような気がした。このゲームの敗者はあの四人だったのだ。

 そして、このゲームの勝者は綾瀬だった。

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シーカーゲーム 真夏の法則 @housoku

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