第1話 日常 A
「要は確率の話なんだよ」
「確率はきら―い」
真希は投げやりにそう言った。
本格的な夏が始まるこの頃でも生徒たちは部活動に勤しんでいる。
それは文武両道を謳う学校の特色というわけではなく、近い体育祭で大きな優勝金が生徒会によって確約されたからだ。生徒の自主性を尊重するこの学校では教員の介入が薄く、逆に生徒会が大きな権力を持っている。この体育祭も生徒会が仕掛けたものだった。
もっともそれはスポーツに興味のない綾瀬にとって関係のないことだ。
代わりに綾瀬は横に座る真希の無防備な小腹を突く。
「あは、あはははっ、やめてってば」
「そんな態度を取るなら、もっとひどいことになるぞ」
「どんな?」
「そうだな……。お前の初めてでももらおうかな」
「うわ、私の初めてかあ。……どうしよっかなあ、あげちゃおっかなあ」
真希は自分を抱くようにして、体を左右に揺らした。
こんなくだらないやり取りをして、すでに三十分は経っていた。幼馴染の真希に勉強の手伝いを頼まれ、綾瀬は珍しく引き受けていたのだ。
「もう、帰っていいか」
綾瀬が言うと真希は露骨に顔を悪くした。
「電車の待ち時間は十分潰したしな」
「ええー。もう一時間分潰しても良いんじゃない? どうせ、綾瀬くんは暇だろうから」
「疲れたんだ。人と話す時はそんなに疲れないけどね。そうだな……三十分くらい前から疲れ始めた」
「もう。そうやってすぐ意地悪するんだから」
真希はそう言って分かりやすく眉を寄せた。
何一つ変わらない真希を見て綾瀬は鼻で笑った。
「なんで笑うの」
「いや、怒った姿が……ジャイアント・ウェタみたいなだなって思ってさ」
「……ジャイアント、何?」
「可愛いってことだよ」
綾瀬の適当な言葉に真希は目を丸くする。
「ジャイアントなんとかは可愛いの?」
「まあ……うん」
綾瀬は小さく肯定して、席を立った。
カバンに荷物を詰め込んでいく。中に美人教師とのデートで結局使うことの無かったゴムもあったが気にせず教科書をぶち込んだ。
暗くなる前に行かなければならないところがあるのだ。
振り返って窓の外を見ると、未だに明るい初夏の街が広がっていた。
「本当に帰るの? 私、友達待たないといけないから暇だよ」
「そんなの見捨ててさっさと帰ればいい」
「そんなこと綾瀬くんじゃないとできないから」
「いや、俺でもそんなひどいことしないって」
綾瀬が言うと、真希が疑わしい目を向けてきた。
「それ、本当かなあ」
「ああ。できない約束はしないからな」
「それすぐ断っちゃってるじゃん。そっちのほうがひどいよ」
綾瀬は最後に飲みかけのコーヒーを飲み干して、教室のゴミ箱に投げ入れた。
「じゃあな、真希」
「はあ。じゃあ私はそのジャイアントなんとかでも見てみることにしよっかな」
「きっと驚くよ」
「そんなに可愛いのかあ」
そう言って真希はスマホを取り出し、綾瀬は足早に教室を出た。
本格的な夏が近づくこの季節、外は夏特有の生ぬるい空気に満ちていた。
「あれのどこが可愛いんだろうな」
綾瀬は廊下を歩く。
ジャイアント・ウェタはこの前テレビでやっていた大型の昆虫で昆虫専門家は可愛いと紹介していたものの、スタジオからは散々キモいと連呼されていた。
コオロギとバッタを足したような昆虫で、特に腹が巨大。こればかりは綾瀬もスタジオの反応と同様だった。
「おっと……」
廊下の突き当たりで綾瀬は女子生徒と危うくぶつかりそうになった。
なんとか衝突するのを避けて視線を上げると、そこには見覚えのある顔があった。
綾瀬のクラス、二年四組のクラスメイト。
すらりとした色白の女の子で、カールのかかった髪は肩口に付くかつかないくらい。アイドルの称号を持つ幼馴染の真希とはまた別の方向での美しさがあった。
「……なに」
飛鳥は不快とも無感情とも言えるような表情で言った。
「いや、別に」
飛鳥は綾瀬に一瞥を寄越して、横を通り過ぎていった。
あいつはこんな時間に何をしているんだ、とも思ったが考えるだけ無駄だった。
飛鳥は綾瀬のクラスメイトだが、周囲から距離を置かれている。それは今のような冷たい態度であったり、学校を無断で欠席したりと悪いイメージが定着しているからだろう。
綾瀬はとくにそういったクラスの雰囲気を変えようとも、クラスメイトを気にかけようとも思わなかった。
クラスメイトへの関心も、教師への関心も、幼馴染とのやり取りも綾瀬にとっては実際すべてどうでもよかった。
半年ほど前、綾瀬を弟のようにして面倒を見ていた義理の姉さんが行方不明になってから、綾瀬の生活は大きく変わった。
二人暮らしだった古いアパートも一人では手が回らず、食事はコンビニ弁当へと自動的にシフトしていった。洗濯機を回すだけの洗濯物があるわけでもなければ、一人が浸かるのに湯を張るのはもったいなく感じられた。家に帰ると家族同然に迎えてくれる彼女の姿はもうない。
気づけば綾瀬は他人への関心を無くしていた。
「……あなた」
再び歩き出そうと踏み出した足はその言葉に動きを止めた。
綾瀬が振り返ると、こちらを見る飛鳥の姿があった。胸のあたりで手をぎゅっと丸めている。視線は何処か下を向いていて、何かを探るような意図を感じた。
「……何が目的なの」
飛鳥は言った。
何が目的か。綾瀬はその限定的な物言いに眉を顰める。
「……目的? なんの話だよ」
「……」
飛鳥は答えない。
綾瀬はふと今日の出来事を思い出した。
「そういえばお前、昼休み屋上にいたよな」
「……それがなに」
飛鳥は綾瀬を睨んで言った。
「意味もないのに一人で。あんな所で何してたんだよ」
「……別に。あなたには関係ないわ」
「関係ないなら俺に何の用があるんだ」
「……」
飛鳥は視線を下げた。
「俺は今急いでるんだ。もう行かないといけない」
「お姉さんがいなくなって、探してる?」
「……は?」
その場を去ろうとした綾瀬は飛鳥の言葉に固まった。
この学校の誰にも言っていない。
なぜ彼女は知っているのか。
「誰から聞いた」
綾瀬は飛鳥の腕を掴んだ。
飛鳥の腕は細く、華奢だった。
「私に触らないで」
飛鳥は綾瀬を睨んで、抵抗した。
それでも綾瀬はやめない。
ずっと隠してきたんだ。隠しながらもずっと一人で探してきた。そんな秘密を知っている人間を放っておくわけにはいかなかった。もしくは姉さんのことで何か分かるかもしれないという思惑もあったのかもしれない。
「答えろ。なんで姉さんのことを知ってる」
「あなた……」
飛鳥はふと綾瀬の目をじっと見つめた。
「なんだよ」
「……別に。離して」
「答えろって言ってんだ」
「……あなたのお姉さんと知り合いなだけ」
「……知り合い?」
飛鳥は綾瀬の緩んだ手を振り解いて、後ずさった。
「……どこにいるのかは私も知らないわ」
飛鳥は手首を抱きながら言った。
その瞬間、綾瀬は力が抜けていくような空虚感に満たされた。
「……知り合いか。まあそんなもんだよな」
綾瀬は鼻で笑った。
飛鳥が何か言いたげに口を開きかけたが、綾瀬を冷たく見つめるだけだった。
綾瀬はフラフラと近くにあった手洗い場に手を押し付ける。
半年前に行方の分からなくなった綾瀬の義理の姉。
ずっとその姿を探してきた。近所の公園も、最寄り駅の休憩所も、店が立ち並ぶ街中や多くの人が行き交う商店街も。
手洗い場の鉄板には自身の顔が反射していた。綾瀬はその上に水を流した。熱くなったせいか、身体が水を欲していた。
「……本当にどこにいるのかは知らないのか」
綾瀬は飛鳥がまだ後ろにいるような気がして、そう訊いた。
「……ええ」
返事は遅れて返ってきた。
綾瀬はその場で水を掬って口に含んだ。
水は異様に冷たかった。
「おい、どこ見てんだよ」
ドスの効いた声が綾瀬に投げかけられた。
商店街の裏にある路地裏。学校を後にした綾瀬は雑居ビルが立ち並ぶ人目の少ないこの場所を訳あって探索していた。
「ガキが偉そうな目つきしてよお」
「まず、礼儀がなってないよね。うん。このお兄さんに謝ることから始めようか」
「そうだなあ、謝るっても土下座くらいしてもらわないと」
目の前の野郎二人は自ら肩をぶつけてきたにもかかわらず、綾瀬につっかかってくる。
綾瀬は顔を顰めた。
北瀬の言った通り、ここらには柄の悪い連中がいたらしい。
「ああ? なにぼーっとしてんだ。土下座しろつってんだろ」
「怒らせるとやばいことになっちゃうよ? うん。言うこと聞いた方がいいよ」
野郎の二人はそう言いながら綾瀬を囲むようにして距離を詰める。
綾瀬はふと疑問に思った。
なぜ彼らはこんな周りくどいことをしているのだろうか。殴りたければ、殴ればいい。会話なんていう過程を跨ぐよりもよっぽど簡単だろう。
「……ああ、そうか」
綾瀬は意味もなく頷いた。
優越感だ。
彼らは暴力でも会話でも優越感に浸りたいのだ。
あなたは私よりも弱い。だから私の言うことを聞かないといけませんね。そうしてくれれば痛くしません。まあ、そんなことはありませんけどね。
「ぐはっ」
突如、綾瀬は腹部に強烈な蹴りを喰らった。
二人の野郎のうち、言葉の荒い方が蹴りを入れたらしい。
「……いてえ」
あまりの衝撃に綾瀬は腹を抱える。
「おお、どうした? やっと口開いてそれかあ?」
「……口臭いんだよ、ちゃんと歯磨きしろよ」
綾瀬が言うと、一瞬空気が止まりもう一人の野郎が声を大にして笑う。
代わりに目の前の男の目が鋭くなった。
「言ってくれるじゃねえか」
そう言って近づく野郎はどうやら頭にきているようだ。こんな簡単に怒ってくれるなら、煽る必要もない。綾瀬は野郎の単純な思考回路に呆れた。
「お、やる気か?」
綾瀬は腕を前に構えて、臨戦体勢をとる。
狭い道で退路を断たれている以上、そうするしか他がない。幸い、彼らは狙った獲物を下に見ているようで、二人で一人を相手にするとかいう事態にはならないはず、だ。綾瀬はそう考えた。怒らせたのもあってか、もう一人の野郎は目の前の野郎の自由にさせている。
心理戦は得意ではないが、思いのままにできているこの状況下を綾瀬は楽しんでいた。
一切の温みも無い、明確なルールのあるゲームは綾瀬の好みであった。彼らや綾瀬も駒同然で、条件を満たせば記載通りの役割を果たす。簡単なゲームだ。
だが、普段盤面で争う綾瀬は喧嘩というものをした事がなかった。
「クソガキが。黙らせてやるよ」
ただ、男子高校生として鍛えていないわけではない。
野郎が先手を取って腕を振りかぶった。
怒りに任せた単純なパンチ。綾瀬はそれを冷静に受け流し、相手の腹部に蹴りを入れた。感情が昂るほど攻撃がシンプルで過激なものとなる。どうしても相手をズタズタにしたいという、力量を優先する思考回路の表れだ。
怯んだ相手に情をかけることもなく、今度は鳩尾に膝を入れる。心臓の収縮運動が乱れ一時的な呼吸混乱に陥る。
人を殴ることを知らない綾瀬にとって、蹴りというものは簡単で残虐だった。だが、自身の終わりもまたあっけないものだった。
「なにをしてくれるんだクソが……っ」
そんな声が聞こえるとともに頭部に強烈な打撃が襲った。
手を出してなかったもう一人の野郎が何かで頭部をぶったらしい。
「……くそ」
平衡感覚が失ったように体がふらふらとし、視界がぼやける。綾瀬はそのまま道路に崩れた。
意識が飛びそうになるという言葉の真意を初めて知れたくらいに重い衝撃だった。頭に手をやると、ぬるぬるとした感触があった。血を流しているらしい。目を開けていると視界がチカチカし、自然と瞼を下ろした。
見事にあっさりとした敗北だった。
もう一人の方は自ら暴力を加えることに怯えを感じているようだったから、行動に出たのは綾瀬の予想外だった。
救急車はあとどのくらいかかるだろう。そもそも通報はされているのだろうか。
アメリカの住宅街で銃声が鳴り響いた時、近所の住人は銃声が聞こえたのにもかかわらず誰も通報しなかったという。誰かが通報するだろうと、皆が皆そう考えたのだ。人間心理の面白いところであった。その後、撃たれた男性は死亡。すぐに通報されていれば助かっていたという。
遠い国の事件を思い浮かべて、綾瀬は思考を巡らすのを中断した。
「寒い……」
夏なのにひどく体が冷えた。
聞こえてくるのはやけに慌てたような怒鳴り声だった。人間は煩わしい情報を遮断してくれるのか、その声は次第に遠くなっていくようだった。
#
昼休み。
普段立ち入り禁止となっている学校の屋上は待ち合わせ場所として最高の場だった。
綾瀬は複製した屋上の鍵を使って扉を開けると、フェンスに
茶色に染まった短髪に長身の男でチャラそうな男。
「待たせたな」
「いいや」
綾瀬の言葉に北瀬は首を振った。
どうやら彼もさっき来たみたいだ。
綾瀬は北瀬の横に同じようにしてフェンスに寄り掛かる。
「それで、綾瀬はどうするつもりなんだ?」
どうする、とはここらで開かれていると言われる裏カジノの話だ。
学校と最寄り駅の間にある商店街の裏道、所狭しと雑居ビルが立ち並ぶその場所に密かに運営されているカジノがあるらしく、綾瀬はそれを情報屋である北瀬に所在を突き止めて欲しいと依頼していた。
「場所がわかったのか?」
「……確かではないがな。でもまあ、この場所で間違いないと思うぜ」
北瀬はそう言って、スマホの画面をこちらに見せてきた。
そこには北瀬が目星をつけた雑居ビルが遠目に映し出されていた。
「やけに遠い場所から撮ったな」
「無茶言うんじゃねえ。付近にイカつそうな男がうろついてたんだ。下手に写真撮ったら一生口が開かなくなるかも知れないだろ」
確かに一生口が開かないのは大変だ。
その理由がカメラを構えただけと言うのは少し酷すぎるかもしれない。
「……多分、北瀬の目星は合ってる。カジノはこの場所だ」
綾瀬はつぶやくように言った。
「ほう? それまたどうして」
「もともとこの場所は治安が悪い。数年前から犯罪が絶えないだろ? それでいてここ周辺は警察に冤罪をかけられた金にまみれた企業の島。……好都合だとは思えないか?」
北瀬は呆れるようにして何度も頷いた。
「警察が無理に立ち入ることのできない雑居ビル群に、悪人どもがいることで生まれる人除け効果。確かに、カジノやるにはうってつけの場所だな」
「まったくだ。……ありがとう。依頼を引き受けてくれてほんとに助かった」
綾瀬が言うと、北瀬はこれ見よがしに深く息を吐いた。
「なあ、綾瀬。そこまでこのカジノにこだわる理由はなんだ? カジノに行ったって勝てる補償はないんだ」
「……別に金が欲しくて詮索している訳じゃない」
綾瀬は姉の行方を探すためと言う言葉を呑み込んだ。
警察の捜索を打ち切られた以上、姉の行方は自ら探すしかなかった。この半年、霧のような情報をたどって得たのがこのカジノの情報だった。
「……まあ、俺には関係ない話だよな。で、一つ有益となる情報をやるよ」
北瀬はそう言ってスマホを操作しだす。
綾瀬が気になっていると、しばらくしてスマホの画面が目前に差し出された。
画面には[STUDENT SIDE]と書かれた掲示板が表示されている。
[STUDENT SIDE]とは数十年前からあるこの学校の裏掲示板だ。在籍している生徒のみ使用することができ、ここ二年のサイト管理者は横にいる北瀬だ。
生徒オンリーがこのサイトの存在意義であり、管理者は数年単位で後輩へと引き継がれていく。高度な情報解析プログラムが仕込まれており、サーバーに接続されている状態であればそれなりの情報を一方的に盗み取ることができる、というのは北瀬から聞いた話だ。真意は分からない。
「最近ログインしてないな。数ヶ月前はチェスのランキング三位だったっけ」
「もう順位は変わってるぞ。未だにトップの”D”は不動だがな。俺はお前が本気出せば”D”にも勝てると思ってたんだぜ」
「別にやってみてもいいけど、今は無理だよ」
そう言うと北瀬は残念そうにした。
北瀬は意外にも綾瀬の実力を買っているのだ。
そんな北瀬を見た綾瀬が仕方なしに”D”の打ち筋を想像して遠くに目を向けていると、ふと反対側のフェンス付近に人影が見えた。
北瀬も気づいたらしく、彼女に視線を送っている。
「……あいつ、こんなところで何してるんだ?」
綾瀬は出入り口へと向かう飛鳥に視線を送りながら言った。
「知らねえよ。それよりも、なんでここの鍵を持ってんだ」
「複製でもしたんじゃないか。生徒に出回ってる感じはなかった」
「……お前ってとことんクラスメイトに関心ないよな」
北瀬は呆れるように言った。
「それは北瀬もだろ。それに水篠は本当に分からない。……そういや他のクラスメイトは人形女って言ってたな。俺も流石に笑ったよ」
「何に対して笑うんだよ」
「言われる方の惨めさと、言ってる方の惨めさ」
北瀬からの反応は無かった。
「……それとネーミングセンスだな」
付け足すように言うと、北瀬は鼻で笑った。
「それで、有益な情報ってのは?」
綾瀬が話を変えて訊くと、北瀬は頷いてスマホの画面を表示した。
見ると、[STUDENT SIDE]のタイトルの下に情報が羅列している。
綾瀬の知らないページだ。管理サイドのページらしい。
「一番手っ取り早いのは、検索情報なんだ」
「……検索ワードにフィルターを掛けて、そのワードで検索したやつを特定するみたいなやつか? そんなプログラムも備わってるのかよ」
「流石に人物特定とまではいかねえがな。まあそれで、カジノ関連のワードを調べたわけだ」
「……結果は?」
「それ自体はかなりの検索履歴だったんだ。……ただ、たった一つだけ、それもここ最近の検索履歴でこんなのがヒットした」
北瀬のスマホの画面に、綾瀬は眉を
filter: ゲーム 場 所 カジノ <since 2021-04-01~>
result: シーカーゲーム 会場 dw3145900ystore51ahf...
「……シーカーゲーム」
#
「またか……」
綾瀬は真っ白な空間にいた。
上も横も見渡せば白。無が広がっている。
綾瀬は記憶を辿っていた。
「俺はたしか……あの裏道で、殴られて……死んだ? 俺が?」
綾瀬は混乱しながらも周りを見渡した。
この空間はすでに見慣れていた。
もしかすると、また夢の中なのかもしれない。
ここ最近、この白い空間が何度も夢に出てきた。
最初の頃は何も無かったこの空間も、ここ数日ではウイルスを具現化したような何かがこの空間を
――それはわたしたちです。
綾瀬の心を読むようにその声は言った。
「わたしたち? あの雑菌みたいな小さいやつが?」
嫌みたらしくいうと、ふとこの空間が真っ赤な海に成り変わった。
全身が真っ赤な海に沈みそうになる。
「ごぼっ……なんだよ、これは」
綾瀬は溺れそうになりながらも、近くに突き出ていた岩ともとれる何かの上に登って赤い水を吐いた。
――水ではありません。これはあなたの血です。
波立つ血の海を前にその声は穏やかな口調で続ける。
「これが、俺の血だと?」
――わたしたちはあなたの世界で言うウイルスのようなものです。病気と呼ばれることもありますが、それも間違いではないでしょう。わたしたちは人に棲みついて感情や欲望を餌に暮らしているのです。
「ウイルスが”暮らしている”なんていう言葉を吐くとは思わなかったよ」
――それでも、わたしたちと人は対等の立場を維持しています。
「へえ、それはいいもんだな。人の中に勝手に棲みついて、こんな変な夢を見させるのが対等か。ふざけるのも大概にしろよ」
綾瀬が声を荒げると、真っ赤に染まった血の海は嵐が来たかのように荒れ狂い、波と波がぶつかって粉砕した。
「……」
しかし、気が付くと目の前に広がっているのは真っ白な無だけだった。
――じきに分かることでしょう。あなたの可能性は無限です。何色にも染まることができます。何色にも。何色にも。何十にも混ざり合って、色を濃くしていくのです。
#
「……」
綾瀬は目を覚ました。
ゆっくりと瞼を上げてみると、そこは暗い空間だった。
綾瀬は冷たいコンクリートの上に横たわっていた。
「……何が起こっているんだ」
身体を起こして、近くの壁に触れてみる。
材質はコンクリートのようで、湿気が溜まっているのか濡れていた。
分かったのはこの空間が三メートル四方の小さな部屋ということ。
床から天井にかけて一切の隙間がなく、壁の一面にあった唯一の鉄製の扉は開くことはなかった。
綾瀬は閉じ込められていた。
「少し待ってね」
声が聞こえ、綾瀬は反射的に後ずさった。
距離を取るほどの広さはないため、背中が壁に当たっている。
「誰だ」
綾瀬は言って、その発言はおかしいと気づいた。
この空間に綾瀬以外の人間が身を潜めるのは不可能だからだ。
誰か、ではなく何か、だ。
綾瀬は声のした方向に足をゆっくりと運んだ。
「……なんだ」
見えたのはぬいぐるみだった。
片手で掴めるような手頃な大きさ。
綾瀬は手に取ってみると言うことはせずにそのぬいぐるみを見つめた。
「少し待ってね」
一度は聞いたはずのその人工音声に綾瀬は肩を跳ねさせる。
驚いてしまった敗北感から、綾瀬はそのぬいぐるみを手にとってみた。
「……なにか入ってるな」
触ってみると、中に固い感触がある。
おそらく、スピーカーか何かだ。それらが機能して声を出していたらしい。
綾瀬はぬいぐるみを改めて見てみる。
「……普通、クマとか犬とかそんなんじゃないのか?」
ハムスターのぬいぐるみだった。
口が裂けており、牙が剥き出しになっている。
微妙なラインを狙ってくるので綾瀬は反応に困った。
「いつまで待てば良いんだ」
「もう少し」
ハムスターは綾瀬の言葉に反応した。
人工知能が入っているのか。綾瀬は疑問を感じた。
監禁するにしてもぬいぐるみに人工知能を仕込む理由はなんだろうか。
綾瀬は絡んできた野郎二人の顔を思い浮かべた。そこまでひどくない顔立ちであったが、それでもあれは馬鹿が顔に出ている典型のような顔であった。
そんな彼らがこんな手の込んだことをするのか、いやまずできないだろう。
「準備が整ったよー」
そんな声がしてハムスターに視線を向けると目が赤く光っていた。ひどい顔のハムスターなのに明るい声とのギャップが激しい。
綾瀬は真希が言っていたギャップ萌えという言葉を思い出して、納得したふうに頷いた。
「待たせちゃってごめんね。他のサバイバーがなかなか起きなくて困ってたんだって」
「……誰が?」
「うさちゃんが」
「うさちゃん」
綾瀬は繰り返した。
「でも、準備はできたから大丈夫。ゲームの説明を続けるね」
「ああ。……ん、ゲーム?」
綾瀬は眉を顰める。
てっきり野郎どもに捕まって監禁されていたのかと思っていた。しかし、このハムスターはまるで綾瀬がゲームのプレイヤーであるかのように話している。
「僕、男の子好きなんだ。可愛い君にこれをあげるよ」
ハムスターに衝撃なことを言われると、突如上からボックスのようなものが落ちてきた。
大きな音を立てて、綾瀬の前で動きを止める。
それは角張った銀色のスーツケースで開口部には安易なロックが施されているごく一般的なものだ。
「……なんだこれ」
「その中のものは自由に使ってくれてオッケーだよ」
綾瀬がスーツケースを開けると、目を見開いた。
中には大金が入っていた。それと用途がわからない無線機。……そして、銃が入っていた。
「このゲームをクリアするには生き残ることだよ。プレイヤーは全部で四人。クリア時にはゲーム中に手に入れた金を持っていくことができるよ。最初は一人五百万円持っているんだ。銃のリボルバーには弾丸が一つだけ入ってるよ。クリアに必要だったら使ってね。制限時間は二時間。……んー、あと何か言うことあったかなあ」
なんて能天気なハムスターなんだ。
綾瀬は何が何か分からないために、一方的に投げつけられた情報の整理に手一杯だった。
「そうそう、脱出できるのは一人だけだから、そこんとこ注意してくれよな」
何が注意してくれよな、だ。
「一番重要な情報じゃないか、この馬鹿ハムスター」
「ええ、ひど―い」
綾瀬は悪態をつきながらも情報を並べる。
まず、綾瀬は何者かに監禁されており自らの脱出は不可能。
そしてゲームの概要。言わばこのゲームのクリアが脱出できる唯一の方法だ。
ゲームのクリアは脱出すること。スーツケースの中にある五百万の札束と無線機、リボルバー式の銃の使用は自由。プレイヤーは四人。脱出できるのは一人だけ。制限時間は二時間。
綾瀬はどこまで情報をまとめて地面に腰を下ろした。視線はスーツケースの中の銃を向いている。手に取ってみるとかなりの重厚感があった。
「……殺し合えって?」
綾瀬は増幅する可能性に身体を震わした。
「それではゲームを始めるよ」
綾瀬の心配をよそにハムスターは宣言する。
目の前の鉄製の扉が軋むような音を立てて開く。
「サバイバーはこの部屋から出てね。あと十秒で扉は閉じて中に一酸化炭素が流入するよ」
子供を相手にするような明るい声でハムスターはこの部屋からの退場を促した。
綾瀬は身体を跳ねさせ、開きっぱなしだったスーツケースを手に取ると焦るように部屋から出る。
きっかり十秒後、扉は勢いよく閉まった。
「ゲームが……始まっちゃったね」
扉の向こうからハムスターの死にそうな声がゲームの開始を告げた。
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