歌姫と元勇者の出会い
早瀬史田
第1話
「うるさい」
見知らぬ男に突然、怒られた。
私は反射的に「何おまえ」と男を睨みつけた。いい気分で歌を歌っていたのに中断させられた、という苛立ちもあって、余計に喧嘩腰になってしまう。
男はこの暑いのにローブを羽織り、目深にフードを被っていた。見ているだけで汗が出てくるような恰好だが、当人はむしろ涼しげですらある。
私は警戒度を引き上げる。顔を隠している奴に、ろくな奴がいたことはない。
「うるさいって言ってるんだ。もうその歌を歌うな」
「……本当に、この私に言ってんですか」
「他に誰がいるんだ」
確かに周りに人はいない。
何を馬鹿なことを、と私は呆れた。
人間が、私に、歌に関して文句を言えるはずがない。例え赤ん坊であろうと、人間であるなら私の前で不平を垂れることは出来ない。生命に終わりがあることくらい間違いのないことだ。
つまり、目の前にいるこれは、人間ではない。
迂闊な奴もいたものである。
私はそれを嘲笑った。
「えぇと、頭を隠しているということは、エルフか何か? あるいは、鬼とか?」
「なっ……?」
「まぁ、人間ではないんでしょう? それなら同じこと。これ以上絡んでくるようなら、警備隊に突き出しますよ」
それは明らかに狼狽えた。その反応からして、何か後ろめたいことがある身なのは明らかだ。
「なんて、私も後ろ暗いところあるので、わざわざそんなこたしませんけど。さっさと行った行った。私も忙しいので」
その時、一粒の雨粒が鼻の頭に落ちた。
「うわ」
次いでポツポツと立て続けに地面に斑点が出来る。目の前にいるものも空を見上げた。フードを片手であげた時、ちらと中が見える。見た目は人間の男のようだ。しかし、変化の得意な種族もいると聞くし、見た目通りのものかどうかは分からない。
雨はたちまち激しくなった。私もそれも、慌てて近くの軒先に逃げ込んだ。
どうやら菓子屋のようだが、シャッターは閉まっている。定休日か。
「君に絡まれなければ、服屋に着いてたんですがね」
聞こえるように舌打ちする。単に嫌味だった。実際には行こうと思っていた服屋はまだ先だ。
それは存外素直に「悪いな」と答えた。
「別に。いいんですけど。……何かの縁ですから、話でもします? 亜人が人間の街の中で会うことなんて滅多ないですし」
「いや、いい」
「あ? 何だそれ。つまらん奴ですね」
いいなら、いい。
私は腹いせに、先ほどまで歌っていた歌を歌う。それがこちらをパッと見る。いいザマだ。
「だから、それを歌うなって」
国や時代、地域などによって流行の歌は異なる。例えばこの国ではどこでも情熱的な恋の歌が喜ばれる。港の男達には海の開拓史の歌が定番だ。
どの国においても、相手が誰であろうと盛り上がる歌は一つか二つしかない。
そのうちの一つが、これだ。
勇者の歌。
「ご清聴ありがとうございました、っと。……これ見よがしにため息吐きやがるね、おまえ」
これでも歌手歴は長い。人間以外が相手でも、下手とは言われない程度の歌唱力はある。
「そんなに嫌?」
「嫌だな」
それは間髪入れずに答えた。
「理由が知りたいんだけど、どうせ答えてくれないんでしょうね。如何にも秘密主義のような顔してるもの」
「……そうだな」
「ほんとにつまんねぇ奴! でも、ねぇ、せめて一つくらい答えてください。私の歌声が嫌なのではなく、今歌った歌が嫌なんでしょう?」
それはあっさりとうなずいた。
「まぁ、それなら良かった。私の歌声が嫌だとか言われたらショックで廃業を考えるところでしたよ」
「……それは、困るな」
返事があるとは思ってもみなかった。しかも笑っているように聞こえた。
そっとそれを見上げる。目元まではフードに隠れて見えないものの、口元はしっかりと見えていて、確かに笑みの形をしていた。
「それだけ歌が上手いのなら、アンタが廃業することで泣く者は多いだろう」
「……そりゃあもう、この雨の比ではないくらいに。きっとこの国の王様ですら国政を放棄してどうかどうか考え直してくれと私に泣き縋る。あなたは私のファンたちから憎悪されます」
「そんなこともあるんだろうな」
それはあまりにも素直な声だった。私はさすがに照れた。褒められるのに弱いのだ。
ふと、自分の公演のチケットを持っているのを思い出す。
今回の公演は、平民向けに催されたものだ。チケット自体は高価なのだが、逆に言えば金や伝手さえあれば誰でも観客になれる。
私が持っているのは、友人枠として主催者からもらったものである。友人はいないので、その辺の子供にやろうかと思っていた。
「これをあげましょう」
「……公演。悪いが、俺は行けない」
「もらっておきなさい。タダですし。勇者関係の歌も演目にはありませんし。来なくてもいいし。何なら売れば良い金になりますよ。何せ私の歌だから」
それは渋々チケットを受け取った。その手には指輪がいくつもついている。手の甲には複雑で美しい紋様が彫られていた。
「ただ、来ていただけたなら、あなたを虜にしてやりましょう」
フードの中を覗き込んで、パチリとウィンクする。
それはさっと顔を背け、何も言わずに、チケットを仕舞いこんだ。
雨はそろそろ止みそうだ。
「じゃ、私は行きますね」
服屋に、今度の公演のためのドレスを依頼しに行くのだ。それは軽くうなずいて、ぼそりと付け足した。
「……美しい歌声だった。ありがとう」
私は最高の服を仕立ててもらうことを決めた。
「どうも! それでは、また会いましょう!」
歌姫と元勇者の出会い 早瀬史田 @gya_suke
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