センテンティアとの謁見から、しばらくのちのこと。


 ジャムシードは父と兄二人、そして甥を五人殺した。すなわちヴォクム王国の当代の王と、自分より上位の王位継承者すべてを、である。


 だが彼は自らヴォクムの玉座に就くことはしなかった。弑逆しいぎゃくからまもなく、隣国ザーフトラ帝国の軍勢が空位のままの領土に雪崩込んで、これを征服した。ヴォクム王国はザーフトラに併呑されて滅びたのである。全て、ジャムシードの手引きによるものであった。


 ジャムシードは本人が望んだ通りザーフトラの侯家に列せられ、二百万枚の金貨を与えられた。金貨二百万というのは大国ザーフトラの資力に照らしても国家予算数年分に相当する額であったが、旧ヴォクム王国の肥沃な領土と引き換えであるのなら出されない報酬ではなかった。それはまさに、売国の対価であった。


 ジャムシードはヴォクム王家の王子としての名乗りを失った代わりに、ザーフトラの列侯としての新しい姓を得たわけであるが、その長々しい名で彼を呼ぶ者はあまりいなかった。‟売国王子”ジャムシード。それが、大陸のどこへ行っても付きまとうようになった彼の悪名であった。


 さて、巨万の富を得たジャムシードは、しばしばセンテンティア宛に豪奢な捧げ物を贈った。それによってセンテンティアのジャムシードに対する歓心が動くということはなかったし、人々の悪評は高まっていくばかりであったが、それでもそれは途絶えることなく続けられた。


 センテンティア自身の関心は、美食や魔術などにはあまり向けられなかった。彼女が好んだのは、美装であった。それも、美しいもので身を飾り立てたいということではなく、自分の美しさをより引き立てるような装束装飾を好むのであった。


 ある日、珍しくセンテンティアがジャムシードに宛てた手紙の中で、自分の望みを率直に記した。「ああ、わたくしの手元にドレスに仕立てられるほどの、黄金布ゴールデンシルクがあったなら」と。


 黄金布は金に似た独特の光沢を放つ、幻と言っていいほど稀少な素材マテリアであった。いかなる染色職人もその色を再現することはできなかったが、さりとて魔術的に作られたものでもないらしく、その製法は謎に包まれていた。ただ、伝承によれば、かつて大陸の東の果てセリカの地のそのまた向こうに浮かぶ名も知れぬ島からもたらされたものであった、と言われていた。


 センテンティアが記した何気ない一文のために、ジャムシードは巨費を投じて船団を建造した。そして、命知らずの冒険航海者の一党を率いて、セリカの地のかなたを目指し旅立った。


 多くの人が、色々の理由から、売国王子は二度と戻ることはないだろうと考えまたそれを望んだ。そもそもの元凶たるセンテンティアも、口先はともかく本心からは彼の無事を祈りすらしなかった。


 だが数年後、ジャムシードは帰還した。彼は黄金布を産する‟黄金の国”を東の海の果てに発見し、その地へと至る航路を拓いたのである。まさに驚嘆すべき大冒険、大航海であった。


 ジャムシードはセンテンティアに二度目の謁見を許され、ちょうどドレス一着分の黄金布を献上した。彼が黄金の国から持ち帰ったものは、航海記録ログのほかはそれだけであった。


「ジャムシード。この礼に、何か一つ嘆願をれましょう。何か、わたくしに望むことはありますか」


 センテンティアが眼を伏したまま物憂げにそう告げると、ジャムシードは尋ねた。


「我が君。ならば、一つ申し入れたき儀がございます。いつか、あなた様が夫となられる方を迎えられるとき——」


 ハイ・エルフの慣習では、結婚適齢期の下限は百歳とされていた。つまりいずれにせよ、そのときジャムシードは既にこの世にないことは明らかである。


「華燭の典において、私が捧げた鑽石ダイヤモンドを身に着けて頂きたいのです」

「……まあ、その程度のことならいいでしょう。どの石ですか」

「私がこの生涯で、最後に捧げることになる石です」

「成程。楽しみにしておりますわ」


 これが二人の最後の会話であった。何故なら、帝国に凱旋したのちまもなく、ジャムシードは自分の屋敷で急死したからである。その直前に宮中晩餐会に招かれていたこともあって毒殺が強く疑われたが、真相は明らかにならなかった。


 ジャムシードには妻も子もなかったので、彼の遺言状は皇帝主導のもとで開かれた。その内容は複雑であった。まず、自分の遺骸は骨になるまで焼くこと。そして高位の魔導師を国中から集め、ヴリトラの龍眼を触媒として用い、その遺骨に対しとある魔術を行うこと。この龍眼というのは、かつてセンテンティアに捧げられたものと対になる、残りの片割れである。


 国中から魔導師を集め、そして気位の高い彼らにそれ相応の謝礼を支払った結果として、ジャムシードの遺産はもうほとんど残らなかった。術式は実行された。何が起こるのか、誰も知らなかったが、終わってみれば結果は明らかだった。その魔術は、人間の骨を爆縮して宝石に変えるものだったのである。ジャムシードの亡骸が変じて得られた石は、鳩の血のように鮮やかな色を持つ紅鑽石レッドダイヤだった。


 事実上ここまで遺言執行人として振舞ってきた皇帝は、何とか理由をつけてこの値打ちの計りようもない宝物ほうもつを接収できないかどうかと少しだけ考えたが、結局自ら命じて暗殺させた相手に対するわずかばかりの憐憫の方を優先することにした。つまり、ジャムシードの遺言の最後の一文にあった通り、その紅鑽石を、由来は明らかにせず、ただ勇者ジャムシードからの献上品としてセンテンティアのもとに送ったのである。


 センテンティアは素晴らしい紅鑽石を見て、一言、「まあ、綺麗」と言った。続いてジャムシードの死が彼女に告げられ、これが最後の献上品である事実が知らされた。


「そう」


 というのがセンテンティアの言葉だった。それだけだった。


 ただ、石を気に入った彼女は、これを指輪ジュエルリングに加工させ、肌身離すことなく愛用した。そしていついかなるときも、その石はただ赤く、赤く鈍く輝き続けるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

売国王子ジャムシード きょうじゅ @Fake_Proffesor

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ