第13話 未来と可能性


 ―――それからしばらく。


 父の葬儀やその後の引継ぎに伴う諸々の雑務で、多忙な日々が続いた。


 戴冠の儀は略式で済ませたが、あくまでも略式だから正式な戴冠式は行わなければならないし、成人の式典だってしなければならない。

 ……個人的には、前王である父の葬儀は国葬なのだから盛大にやるのはともかくとして、私の戴冠や成人に伴う諸々は別に適当にささっと済ませてしまえばいいんじゃない、とも思ったのだが、母やグレース達に強硬に反対されてしまった。


 このあたり、私や父は、式典や礼儀作法に比較的ルーズだったが、母はわりと厳しい。

 礼拝や式典などで間違った作法礼法があると、典礼係の錬鉄機鋼たちより目ざとく見つけて叱られるのだ。

 普段はおっとりぽやぽやしているのだが、芯はとても強い女性。それが母の印象だった。

 だが。


「……ごめんなさいね…アーレン…。

 今はあなたにも、大事な時なのに…」


 ―――そんな母も、今は病の床に臥せっている。


 やはり、長年連れ添った夫の死という出来事は、彼女にとっても負担が大きすぎたのだ。

 暫くは何とか精神力で保っていたのだろうが、そもそも、父が倒れる以前から、寝たきりで一日を過ごす日が珍しくなくなっていた。


 母もまた、やがて力尽きるように、ベッドから起き上がれなくなってしまっていた。


 病床で申し訳なさそうに目を伏せる母の声は、掠れて弱々しく、注意していなければ、聞き逃してしまいそうにか細かった。


「気にしないで、母さん。

 忙しいって言っても、式典の準備はぜんぶ錬鉄機鋼達がやってくれるから。

 こっちは指示どころか、許可求められたら頷くか、決済印押すくらいしか仕事がないんだ。

 疲れることもないよ」


 私は母を元気づけるように、ことさらおどけて見せる。

 実際、その通りでもあった。


 錬鉄機鋼たちは流石優秀で、勝手に手際よく仕事を進めてくれる。

 生前、父が言ったように、この世界で人間の王に求められるのはせいぜいハンコを押す程度の能力ということだ。


「ふふ。でもだからと言って、無茶はしてはダメよ。

 ちゃんと睡眠はとって、ご飯も決まった時間に3食、しっかりとるようにしなきゃ」

 私の意を見透かしたかのような、たしなめる口調。


 ……あぁこれは、メイド達から報告を受けているのだな。

 私が最近、執務室で王政に関する勉強のために徹夜したり、それによって朝食が不定期になっているのを把握されていた。


「……気を付ける」

「えぇ。あなたまで身を崩してしまっては、元も子もないわ」

 そういって、柔らかく微笑む母の笑みには、隠しようのない影が差している。


 ……父にも、転生前の私の顔にも浮かんでいただろう、残酷で冷たい、死の影だ。

 表情には出さない。

 ただ、笑顔で心をきつく、噛み締める。


 ―――パタン。

 母の寝室の扉を閉め廊下に出ると、そこにはプリムラがまるで彫像のように、静かに待機していた。


「……母さんの容体は?」

「診断の結果では、現状において目立った病気は特には。

 ただ、加齢に伴う各臓器の機能減衰と筋力の衰えが著しく、免疫機能も健康を維持可能な基準レベルを満たしておりません。

 医療庁の総力をあげ、薬剤投与と簡易結界でイェルダ様の健康の維持を続けておりますが、このままでは……」

 プリムラが言葉を濁す。


「そうか」


 わかっている。

 ……ああ、わかっていた。


 父の死を看取った時、覚悟は決めたつもりだったのだ。

 それでも、突き付けられた現実は、容易くその覚悟をすり抜けて、私を打ち据える。


「………母さんからの要望は、各庁ではどのように?」

「稟議は通過致しました。

 最終的な承認権は常に陛下に御座いますから、実質、決定したものと」

「……そうか」

 簡潔なプリムラの回答。


 母から、ある要望があったのは、母が病床に伏せる数日前のことだった。


 ――――――それは、父の国葬の一時凍結だった。


 現在、この国は3つの催事が控えている。

 うち二つは私に関することで、成人の儀と、戴冠式。

 そして残り一つは、父――前国王の葬儀。


 どれも重要な、国として欠かすことの出来ない重大な催事であった。

 たとえ国に人の民が居なくとも、そこに国の実体と、歴史が鎮座している限り、それらを放り投げて野に還るわけにはいかない。

 それは王族としての意地であり、見栄であり、矜持でもある。


「王族は、国威を示すために生かされているのだ」

 とは、父の言葉だ。

 王族である限り、『在り様』を示さなければ存在意義がない。


 それが義務であり、王族の生き方というもの。


 前世は平民ガチ勢だけれども、こうして、王子様なんていう貴い身分に生まれ直した身だ。


 王族としては半端者もいいところだが、高貴さの義務は果たさなければ過去のアレッサリア王家のご歴々に叱られるだろう。


 前国王たる父の国葬は当然、戴冠式も成人の儀も盛大に行わなければならなかった。


 前世では、テレビで流れる有名人の葬式や、王政国家の戴冠式なぞ、金の無駄だ、時間の無駄だ、何の意味があるのかとシニカルぶった乾いた視線で視ていたが……いざその立場になると、その意味、その重大さを一身に背負ってみて、その重さに身を正される思いだ。


 とまれ、そんな事情から、それぞれの催事は錬鉄機鋼達の全面的なバックアップの下、盛大に行われる予定だった。

 特に父の葬儀は、何よりも優先事項として真っ先に行う必要があったのだが……。


 その準備のさなか、母が倒れた。



 喪主である彼女が倒れてしまっては、準備を続けるわけにはいかないし、何より、彼女への心情的な影響が一番考慮された。

 準備は一時的に凍結され、国葬は、母の快復を待つことになった。


 そして先日、その彼女から直接、夫の葬儀の準備を待って欲しいという願いがなされた。

 その「お願い」を直接聞いたのは、他でもない私だ。

 お願いとは、即ち。


「―――あの人と、一緒にあなたに見送られたいわ、アーレン」


 その言葉を発した母は、病床の中にあっていつもと変わらない、優しい陽だまりの様な笑みを浮かべていた。

 対する私は、きっととても、みっともない顔をしていたはずだった。


 ……すぐに後を追うからと、自分の葬儀を、先に逝った夫と共に行ってほしいといわれた息子は、一体どんな顔をすれば正解なんだ?


 誰か教えてくれ。




「―――プリムラ。

 関係各所へ王室から正式な通達を。

 上皇猊下の葬儀については当面の間、凍結を。

 代わりに、私の戴冠式と成人の儀についての準備を繰り上げにするように、と。

 そして、それら二つの式典については同時に催す」

「―――陛下。しかしそれは」


「これは決定だ。

 ……母さんの元気なうちに、見せておきたい」


「…失礼いたしました。

 直ちにそのように」

 一礼すると、プリムラはいつものように静かに退がる。

 機械の身でありながら、人の機微に敏い有能な文官でもある彼女は、滞りなく私の命令を実行にうつすだろう。

 ―――私に、何ができるのか。

 人気の無くなった廊下を歩きながら、私は考える。



 ―――だが。

 私を2千年遅刻させたことといい、父王の唐突な死といい、この世界の神やら何やらはどうにも相手の都合や時間というものには配慮してくれない存在であるらしかった。

 それから碌に日を置かず、母の容体が急変する。




「ごめんなさいね、アーレン」

「……なにを……」

「あなたを、この世界に置いていってしまうこと。

 あなたに、沢山のものを背負わせたまま、置いていかなければならないこと」


「……それ、は」

「ごめんなさい、アーレン。

 ……私……たちは……あなたに、こんな世界しか遺してあげられない……!

 この世界の人間として、この国の王族として、……あなたの……親として……ッ!

 ……それが、何よりも申し訳ない……」

 震える掌が私の頬を撫でる。


「ごめんなさい、アーレン。

 ごめんなさい、異世界から召喚された…英雄の方……。

 私、は、私たちは―――」


「それは違いますよ、母さん」


 震える謝罪の言葉を、私は遮る。

 それは、伝えなければならない言葉。

 ―――この世界に召喚された私が、この世界で生き抜いた彼らに、示さなければならない言葉だ。


「私は、この世界に召喚されたことを、一度たりとも後悔したことはありません。

 あなた達の息子となったことも、一度たりとも不幸と思ったことはありません。

 それどころか、私はあなた達に救われたとさえ思っています。

 謝罪の言葉は必要ありません。

 この世界で生きている私――アーレン=ディ=アレッサリアの過去にも、今にも、そして未来にも。

 後悔はありません」


 それに、と、私はちょっと笑って、母の手を握った。

「私は大好きですよ、この世界。

 食べ物も美味しいし、空気も澄んでいるし、気候は穏やかで住み易い。

 何でもやってくれる錬鉄機鋼たちだって、みんな気の良い連中です。

 私にはもったいないくらいだ」

「……アーレン」


「極めつけに、世界に私一人しか人間が居なくなるのなら、誰かに急かされて生きる必要もないでしょう?

 こういうゆったりとした生き方を、前世ではスローライフと呼んでいましたが……究極のスローライフを得たようなものです。

 前世で70年分溜まった余暇と思えば、何を苦にする必要がありましょうか」

 少しおどけてみせながら、言葉を紡ぐ。


 紡ぐ間にも、握った母の掌は、ゆっくりと力と温もりを失ってゆく。

 幼い私の手を引いた、転生して初めて私を抱き上げてくれた、その手が。


「ですから、どうか。

 あなたも、後悔など持って逝こうとしないでください。

 父さんにも約束しましたけれど―――あなた達の背負ったものは、全て私が引き受けます。

 最後の人として、最後の王として、…あなた達の息子として。

 アーレン=ディ=アレッサリアは全てを背負います」


「……あぁ。ほんとうに、」

 くしゃくしゃの、皺だらけの顔を、さらにくしゃくしゃにした母は、もう、碌に見えもしないだろう瞳で私を見据える。

「―――あなたは、私たちを救うために召喚されたのですねえ―――」


「―――でもね、アーレン」

「…母さん?」

 静かに、もう一方の手が、私に向けて伸びる。

「これは……王妃としてではなく、最後の人間としてでもなく……あなたのお母さんとしての、お願い」

 不思議なほどに、その手は力強く、私の頬を包む。


「―――自由に生きなさい、アーレン。

 あなたはあなたよ。

 最後の王になるために喚ばれた都合のいい器でも、魔物を滅ぼし人類を救うために喚ばれた英雄でもありません」


「……それは」


「あなたは私たちの子です。

 私とヴィザルが育てた大切な、一人息子です。

 ―――だから、あなたは、あなたのやりたいように生きていいのよ、アーレン。

 あなたの望むままに、あなたの思うままに。

 あなたを縛るものはもう、何もありません」


「アーレン。ありがとう。

 私たちの息子でいてくれて。

 そんなあなたに、この世を去る私は、祈る事しかできないのを、赦してちょうだい。


 ―――あなたの残り全ての生に、幸があらん事を。

 ―――ここからは、あなたの、あなただけの人生です。

 あなたらしく、あるがままに、好きに生きなさいな―――。


 私、たちの愛する息子のどうか、無限の未来と、可能性、を―――」


 そういって。


 イェルダ=メイ=アレッサリア。

 享年70歳。

 この世界の純粋な人類にして最後の王族である彼女は、静かに息を引き取った。

 その最期に苦悶の表情はなく。

 ただ穏やかで、そして彼女らしい、まるで木漏れ日のような笑みを浮かべた最期だった。

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風薫國綺譚 ~遅刻した勇者様、魔物世界で国造り~ 鯖野 缶太 @fish8264

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