淡い春
かのん。
前日譚 花奈
「生きてる価値ねーよ」「目障りなんだよ」「消えろ」「帰れ帰れ」
言い返したい。言い返したい。そんなんじゃないって言いたい。なのに声が出ない。喉に何か詰まったように何も出てこない。息だけが漏れる。涙が雑じる。
「あ?黙ってんのか?」「成績良いだけの貧乏」「どうせお前も裏口入学だろ?」
違う。違う。違う。違う。何か、何か言わなきゃ、ああ、ダメだ。
「さっさと死ねよ」
そうか。私の居場所は学校にはないのか。
「ただいま」
縋りつくように家のドアを開ける。父とはもう5年別居しているので母との2人暮らしだ。
「あんた、帰ってきたの?」
不貞腐れたような表情の母が、ポテトチップスの空き袋と干されずに放置された洗濯物で散らかったリビングから顔を出す。
「うん、ただいま」
「出てけ、私はあんたみたいな出来損ないを生んだ覚えはない」
その言葉に全身が硬直する。のしのしと母が迫ってくる。またアレが来る。
……うぐっ。横腹に蹴りが入る。
「あんたなんか……!」
ヒャッと声を上げる間もなく母に投げ飛ばされ、学年の中でも非力で小柄な私の体はいとも簡単に玄関の外に叩きつけられた。
「待って母さ」
「うるさい!」
バタン!と勢いよくドアを閉められた。私を嗤うようにガチャリと鍵をかける音がする。
そうか。私の居場所は家にもないのか。
思い返せば、今までずっと、居場所なんてどこにもなかった。
幼稚園のとき、友達から首を絞められてプールに突き落とされた。
小学生のとき、明日もまた生きていたら殺すと脅されて不登校になった。
そんな忌々しい地元を離れるために必死に勉強して、この地方では5本の指に入るような他県の進学校に入学した。
そして、また、いじめられている。
自分なんて死ねばいいと思う。
命の価値がわからない。
小学3年のとき、習字教室の友達が目の前で電車に飛び込んだ。結局死にきれず、脳死状態で今も生きている。名前は、麻帆、だったっけ。優しい笑顔が印象的で、いつでも明るい子だった。飛び込む直前、私にランドセルを預けて「ちょっと待ってて」といつも通りに微笑んだ。次の瞬間、鈍い衝突音と鋭い悲鳴がホームに響いた。その音だけで、誰かが飛び込み自殺を図ったということは9歳の私にも理解できた。迷惑な奴だなぁ、死ぬなら1人で死んでくれよ、と呟きつつ振り返ると、線路に落ちていたのはぐちゃぐちゃになった麻帆だった。急に呼吸が苦しくなって、心臓がバクバクして、麻帆のランドセルを地面に放り捨てると一目散に改札の外へと駆け出した。その後しばらくの記憶はほとんどない。ただ、なんとなく、自分が壊れるような感じがした。
小学4年のとき、学校帰りに火事を見た。黒い煙がごうごうと空に立ち昇り、その足元で真っ赤な炎が燃えていた。朝、いつも通りに建ち並んでいた家々が、成す術もなく灰になっていく。道の真ん中で突っ立っていると、近所のおじさんが「おい、危ないぞ」と手を引いて近くのスーパーまで避難させてくれた。逃げる途中で、現場に取り残されたと思しき小さな子供の悲痛な叫び声が聞こえた。家に帰ると、ニュースでその火事が報じられていた。「この火事で、5歳の○○××くんが死亡しました」……すごく冷たい声だった。
小学5年のとき、三者面談で、担任が母の過干渉を指摘した。私の真面目すぎる性格は母の接し方が原因で、このままだと将来自分を責めてばかりの大人になってしまうらしい。母は「私の11年間の子育ては全部間違いだったの?」と泣き叫び、そのままネグレクトを始めた。
小学6年のとき、目の前で交通事故が起きた。塾が終わって真っ暗な夜道を帰っていると、ピザ屋のバイクが交差点を曲がろうとしていた。そこに後ろから高級車が猛スピードで突っ込んできた。ドンっという衝撃音とともに、バイクと人とピザが宙を舞った。トマトケチャップと血の混ざった、毒々しい赤色がアスファルトを染める。チーズとバジルの香ばしい匂いに、排気ガスと死の香りが加わって辺りを漂う。気付いたときには、私は口に出していた。「私も巻き込まれて死にたかったなぁ」と。
生き物は簡単に死ぬ。命はすぐに消える。好きで生まれたわけでもないのに、どうしてこんなコワレモノを抱えて生きなければならないのだろう。
人間なんて、もう見たくもない。ずーっと1人で、好きなように生きて、好きなように逝きたい。
まず何から手放そう?
そうだ、学校だ。
進学校だから授業も早く、休み過ぎると進級できなくなる。そんな学校やめちまえ。テキトーな学校に籍を置いてテキトーに引きこもっていれば、何もしなくても中卒の肩書きが手に入る。社会のレールってなんて便利なんだろう。
だから私は、苦労して入った進学校を首席で退学した。
淡い春 かのん。 @kanonnkasi
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