X²+X+1=0
桜河浅葱
第1話
昼休みを告げるチャイムが鳴る。と、同時に2Aの教室から数人の生徒が飛び出してきた。きっと購買ダッシュだろう。彼らを交わし、私はお目当ての人物のもとへ。その人物は、食事の支度を始めるクラスメイトをよそに、机に肘をついて校庭を眺めていた。私は分厚いファイルをぎゅっと抱きしめ、彼に声をかけた。
「黎君!」
彼が振り返る。やはり来たか、とでも言いたそうな顔をしていた。
「今日はどこが分からないの?」
「あ、三角関数がわからなくて。このプリントの大問2の(5)なんだけど」
「……ああ、前に苦手だって言ってた三角関数か」
彼の真剣な眼差しがプリントに注がれる。
5か月前、2Aの教室で彼と初めて会った。静かな教室に1人、彼はいた。綺麗な人。でも温度のない、彫像のような人。そんな印象を受けた。東向きの窓から射し込む光と対照的に、彼の目は憂いでいた。
「どうかしましたか?」
「えっ?」
突然の声かけに狼狽えた。彼から声をかけられたらしい。
「あの?」
彼の前髪がさらっと揺れる。
「あ、いや、奈々、えっと嶋田さんに数学教えてもらう約束で来たんですけど」
「ああ、嶋田さんまだ来てないよ」
ちょっと待て奈々。今日の1限、鬼の臼田に当てられるんだけど。
「うわぁ……どうしよ、友達誰も数学出来ない、終わった……」
「僕で良ければ教えますが」
「えっ良いんですか?じゃあお願いします。私、佐藤凜です」
「大田黎です。よろしくお願いします」
彼が微笑んだ。
この時、心に電流が走った。
ようやく私は一目惚れというものを理解したのだった。
それからというもの、週3くらいのペースで彼のもとを訪ね、数学を教えてもらった。どうしようもない話もした。例えば、こんな風に。
「ねぇ、ωってさ、上に点2つ付けたら犬みたいじゃない?」
「ああ、確かに。想像力豊かだね。その想像力があるならこの図形の問題も解けるんじゃない?」
「皮肉か?」
「そんなつもりは……あった」
「素数って切ないよね」
「何故?」
「だって素数の約数は自分自身と1だけでしょ?素数はね、1だけを愛して生きていくことに決めたんだよ。でも1の約数は1だけだから、自分だけを愛して1人だけで生きようと思ってるんだよね。この想いがすれ違う感じ、切ないな。叶わない恋をしてるよね、素数は」
「ωの件といい、素数といい、君の想像力には脱帽だ」
と、いつも軽くあしらいつつも、きちんと対応してくれる。けれど、天文部の人と難しい話をしているところを見ると、私とは違う世界の人なんだなって思う。それが私には時折どうしようもなく寂しい。
「……どうしたの?大問2の(5)、やっぱり分からなかった?」
「ううん」
回想してて聞いてなかったとは言えない。勝手に彼との差に絶望してたとはもっと言えない。
「何故不機嫌なの?」
そう聞かれた私は頬を膨らませ、プリントに落書きする。
「別に」
数学が得意なら、私のこの気持ちを方程式とやらで解決してほしい。
「悪い、天文部のミーティング遅れる」
そう部長に伝え、彼女を待つ日々を5か月も過ごした。週3で彼女は僕のもとに来る。
……おかしい
5か月前より格段に理解度が上がり、問題の正答率が高い今、僕に数学の質問に来る必要はないはずだ。友人と過ごせるせっかくの昼休みを何故勉強に費やすのか。
そしてその疑問はすぐに解けた。彼女のファイルから模試の成績が見えてしまったのだ。67.0。それが彼女の数学の偏差値だった。
……なるほど、理解した
仮説はたてたが検証がまだだ。彼女にLINEを送る。
「今日一緒に帰らない?放課後2A来て」
謎のLINEが黎君から届いた。回想してたのがばれたか、いや、そんなはずはない。冷やかす奈々を追い払い、彼のもとへ行く。
「急にどうしたの?」
「まあ、いいから座って」
彼の笑顔が怖い。渋々彼の席につく。すると彼は机に肘を置き、私の目をじっと見つめてきた。
「えっ?」
「やはり」
彼はにやりと笑い、立ち上がった。
「ねえ、黎君何?」
「瞳孔開いたなって思って。それより顔色がいつもと違うけど?」
「西陽のせいです」
彼はちらっと窓を見る。この教室の窓は東向きだ。西陽なんて入らない。彼はふっと口角をあげた。
「じゃあ帰ろうか」
「うん」
アスファルトの上に二つの影が横並びで咲く。そして私が彼の実験の意味を知るのは少し先の話である。
X²+X+1=0 桜河浅葱 @strasbourg-090402
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