1-9. 寂しいに決まってる


 琴坂がミミクリーフィッシュを見事回収した次の日の昼休み。わたしは今回の件の最大の反省として、タブレットの新しいパスワードを考えていた。元々設定していたパスワードは自分の誕生日(一番駄目なやつ)だったので、今度は何にしようか迷う。親の誕生日か、教員に受かった時の受験番号か、それとも……フータと別れた日の日付か。悩ましい。

 そんなわたしのもとに一ノ瀬と姫崎がやってきた。わたしはとっさにタブレットの画面を隠す。

「ちょっと、いま新しいパスワードを設定中なんだから見ないでよ」

「にひひ。そんなことしても無駄だよ。どうせ次も姫ちゃんがすぐに見破っちゃうから」

 どうせってなんだ。どうせって。姫崎もうんうんと頷くんじゃない。

「どうしたの。もうすぐ昼休憩も終わるし、早めに済ませてね」

「……ひまわりを連れまわすの、もう止めた方がいいかな」

 反転、一ノ瀬の表情に影が差す。彼女のこういう様子は大変珍しい。

「あなたがそんなこと言うなんて、どういう風の吹き回し?」

「先生、朱里も私も、元々ひまわりが図書室でひとりでいるところを見つけて、仲間に誘ったんです」

 その話は以前、姫崎自身の口から聞いている。そんな琴坂に興味を持った一ノ瀬が半ば無理やり連れまわすようになったのだとか。


「ひまわりは昨日、ミミクリーフィッシュを見つめながらこう言ってた。『無理して仲間を作ってあげなくてもいいかな……』って。あれって、ひまわり自身の気持ちでもあったんじゃないかな」


 わたしは驚く。一ノ瀬の好奇心は常に自身が気持ちの良い方向へと突き進んできた。その一ノ瀬の好奇心が、今回は琴坂の内面に少なからず向いている。

 ひとりぼっちは寂しいに決まっている、と高らかに宣言していた彼女の思い込みが、今回の事件によって想像以上に揺らいでいた。

 姫崎が言葉の続きを補う。

「先生、私も朱里もビオトープ部はすごく楽しいです。そこにひまわりがいたらもっと楽しい。でも、ひまわりは私たちが無理やり誘ってきたんです。ひまわりのことだから、本当はひとりで静かにしてたいのに無理して私たちに付き合ってるのかな……とか考えてしまって」

 小悪魔スマイルも今日はお休みだった。小学生らしいしゅんとした表情を浮かべている。

 そうか……そういうふうに考えるのか。

 この子達はそういうふうに友達のことを考えることができるのか。

 ならば、この子達に掛けるべき言葉をわたしはすでに知っている。

 あれは琴坂を図書室で見かけた日のことだ。



     *  *  *



「フーシャとの想い出」とその他の本の返却を済ませたわたしと琴坂は、二人で部室へと向かった。一ノ瀬と姫崎が待ちくたびれているはずだったので少しだけ早歩きで。琴坂は図書室が名残惜しそうだった。

「琴坂も二人に連れまわされて大変ね。学校じゃあんまり本も読めないでしょう」

「ええ、そうですね」

 少し気恥ずかしそうに返答する琴坂。

「本当に嫌な時はわたしに言うのよ。二人にがつっと言ってやるから」

 いつも一ノ瀬と姫崎に連れまわされる三人目、という印象がどうしても強いので、今日はこの子の好きなものが知れてわたしは得意げになっていた。頼れる教師像を演じてみたかったのだ。しかし琴坂の反応は予想と違っていた。

「朱里ちゃんや姫ちゃんといて嫌な時なんて少しもないですよ。わたし、二人が一緒にいてくれて楽しいです」

 屈託のない笑顔とはこういう表情を言うのだろうか。琴坂の笑顔はそのくらい疑いようのないものだった。

「もちろん先生に迷惑かけちゃうのは駄目だなぁって思うけど……。ふたりとも、先生に構ってもらえるのが嬉しいみたいです。……えへへ」

 うーん、全部許しちゃう、この笑顔。


「琴坂はビオトープ部、たのしい?」

「もちろん!朱里ちゃんと姫ちゃんと橘先生がいるビオトープ部が大好きです。ひとりで本を読むのも大好きだけど、それと同じくらい皆で楽しく遊ぶのが好きです」


 部室のある一階に辿り着く。琴坂は踵を返して恥ずかしそうにわたしに告げる。


「だから、いつか朱里ちゃんと姫ちゃんにはお礼を言わないと。あの日、誘ってくれてありがとうって」



      *  *  *



 わたしは一ノ瀬と姫崎に向き合う。

 一ノ瀬は好奇心に任せてやんちゃをする。

 姫崎は頭の良さを活かして一ノ瀬の好奇心を加速させる。

 琴坂は彼女たちの悪戯に巻き込まれた果てに(事後)報告をする。

 少し考えたら分かる。そんなの、楽しくないわけがない。

 だから、この子達に掛けるべき言葉をわたしはすでに知っている。

 しゅんとした一ノ瀬と姫崎の表情は名残惜しいが、この台詞を言わずにはいられない。

 もしも、二人が人見知りな彼女の手を引いてくれなくなったとしたら。

 もしも、一ノ瀬と姫崎が二人だけで悪戯を仕掛けたとして、その楽しい空間に琴坂が混ざれないとしたら。

 わたしは二人に語りかける。


「そんなの、寂しいに決まってるよ」






(episode 01 end)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ビオトープ! 宇極メロ@思ってたより動くメロンパン @Moving_Melonpan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ