1-8. 琴坂黄花という少女・2
「で、ひまわりちゃんはどうやって例のミミクリーフィッシュを見つけたの」
週末、相変わらずわたしは太宰とのオンライン飲み会を開催していた。普段は太宰の方から誘ってくるが、今回はわたしから呼びかけた。少なからず手助けはしてもらったので、結果報告をしておきたかった。
「琴坂は何も特別なことはしてないわ。ただ普通に見つけたのよ」
「もったいぶるのは止めてよ。何か種があるんでしょう?」
そうはいっても琴坂は本当に特別なことはしなかったのだ。ただ彼女はあのミミクリーフィッシュのことを誰よりも深く理解していただけ。
「琴坂があのミミクリーフィッシュを発見したのは池の奥の方。金魚もカメも寄り付かないような隅っこの穴場」
「それってつまり……」
勘のいい太宰はすぐに気づいたようだ。
「ひとりぼっちだったミミクリーフィッシュは、池に放流された後もひとりを貫き通してたってこと?」
「ひとりを貫き通したっていうよりは、群れでいることを避け続けたっていう方がしっくりくるわね」
* * *
……我に返ったわたしが三人を追いかけると、琴坂が一生懸命魚取りを伸ばしているところだった。その先に一匹のミミクリーフィッシュの姿が見えた。
そう、ミミクリーフィッシュの姿が見えたのだ。
あの一匹オオカミは金魚に擬態なんかしていなかった。ずっとミミクリーフィッシュのままで悠々と泳ぎ続けていたのだ。
「ひまわり、あともうちょっと!がんばって!」
一ノ瀬が琴坂の肩を支える。ぷるぷると震える棒の先が、ゆっくりと対象を捉えていく。
「うーん、あともうちょっと……」
その間、ミミクリーフィッシュはじっと動くことなく、網が自分を捕まえるのを待っていた。何も恐れるものはないとでも主張するかのように。
「いまだ!」
一ノ瀬の掛け声とともに琴坂が網を引き上げた。待ち構えていた姫崎が水を張った器を差し出す。そして、そのまま捕獲したミミクリーフィッシュを移してやる。
サルベージは成功だ。
「よかったぁ。戻ってくるまでに逃げちゃったらどうしようってドキドキしてたの」
琴坂のホクホクとした笑顔が眩しい。一ノ瀬も姫崎もその喜びに乗じて無邪気にはしゃぎ回っている。そのまま部室に戻り、サルベージしたミミクリーフィッシュは元の水槽まで無事に運び込まれた。何事もなかったかのように泳ぎ始めたミミクリーフィッシュは、相変わらず他の仲間など目もくれないで水槽の端っこの方を陣取っている。
「先生、部活に遅れちゃってごめんなさい。どうしても気になっちゃって……」
「気にしなくていいわ。それより、あの池の中からよく見つけたわね」
「そうだよ、ひまわり。先生なんて、あの池から金魚を一匹一匹捕まえて調べようなんて言ってたんだよ。無茶だよねぇ」
アハハ、と馬鹿にしたような声を上げる一ノ瀬。こいつ……どうしてくれようか。
しかし琴坂に秘策があったことは間違いない。その答えが気になる。
* * *
「で、ひまわりちゃんの秘策ってなんだったの」
太宰が五杯目のハイボールを注ぎ始めたのが見えた。そろそろ会話が通じなくなる頃合いだ。説明を急いだ方がよさそうだ。
「まず、わたしたちと琴坂では認識の時点で差異があった。わたしたちは池の中に放流された時点であのミミクリーフィッシュは金魚に擬態してしまったものだと端から思い込んでいた。でも琴坂は違った。琴坂はあの個体が池の中でもひとりぼっちを選ぶだろうと予想していたの」
「例の個体の本質を見抜いていたということ?」
「大仰に言うとそういうこと。結局、今回、あの第二世物のことを真に理解していたのは琴坂だけだったってことね」
一ノ瀬が「寂しいに決まっている」とわたしに訴えかけてきたとき、その行動の是非は別として、彼女がミミクリーフィッシュのことを真剣に考えようとしていることが伝ってきた。わたしはその考えに反論できなかった。それは、わたしも同じようにあのミミクリーフィッシュが群れに馴染めていない様子を見て「可哀そう」と少なからず感じていたからだ。
ひとりぼっちは寂しいに決まっている。
そう決めつけていたからに他ならない。
しかし琴坂は違った。あの大人しい少女だけは違ったのだ。
* * *
「本当に寂しいなら自分から仲間に入れてもらおうと頑張ると思う。もちろん、中には自分から仲間に入れてください、って言えない人もいるとは思います。でも、この子はそうは見えなかったんです。自分からひとりぼっちを選んでいるように見えたんです」
たぶん、ひとりぼっちが好きな子なんです。
そう琴坂は呟く。
「琴坂にはミミクリーフィッシュの気持ちが分かったのね」
「い、いや、そんなわけじゃ……。ただ……」
「ただ?」
琴坂は水槽を覗き込む。そしてひとりぼっちを謳歌しているミミクリーフィッシュを我がことのように見つめながらこう言った。
「わたしも、ひとりで本読んだりするの好きだし、大勢で騒いだりするのは少し苦手だから……。無理して仲間を作ってあげなくてもいいかな……って。そう思ったんです」
* * *
「根の優しい良い子だね。橘の生徒にしとくにはもったいないわ」
「それどういう意味よ。むしろ琴坂みたいな子がもっといてもらわないと、わたしの身体が持たないわよ」
図書室でひとり本を読むのが似合う女の子、それが琴坂黄花の印象だ。読書の習慣は親が仕事で帰ってくるのが遅いことから身に付いたものだと語っていたが、それはけしてネガティブなエピソードではないのだろう。人には皆それぞれの性格がある。
一ノ瀬のように好奇心に任せてやんちゃをするのも。
姫崎のように頭の良さを活かすことに喜びを覚えるのも。
琴坂のように、けしてひとりぼっちが嫌いじゃないのも。
彼女たちがこれから生きていくうえで、大切にしなくちゃいけない個性だ。
「なんにせよ、今回はひまわりちゃんの一人勝ちというわけか。いいカッコできなかったみたいで残念ね。早く生徒に認められるような先生になりたいって言ってたけど、道はまだまだ険しそうね」
太宰が六杯目のハイボールを口に含みながら煽ってくる。それはまあその通りだ。何せまだ新任の身だ。ドラマに出てくるような格好のいい教師像はわたしには五年も十年も早い。ただ、それでも。
「少しは前進できたと思う」
「ん……どゆこと」
画面の向こうで太宰が半目になってゆらゆら揺れている。そろそろお開きの時間だろう。もう話を聞けるような状態ではなさそうなので、太宰にはこのエピソードは話さないでおこう。
小さな一歩は、たいてい自分にしか見えないものだ。
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