1-7. 教師として
月曜の放課後がやってきた。
雑務はすべて事前に終わらせて、すぐさま部室に向かう。
二人に語る言葉はすでに考えてきている。
ドアを開くと、一ノ瀬と姫崎がすでに揃っていた。琴坂はまだ来ていないらしい。
しかし今日の目標はこの二人だから逆に好都合ではある。
「せんせー、こんにちはー」というのは一ノ瀬。
「こんにちは、橘先生」こちらは姫崎である。
元気がいいのは何よりだ。しかし、
「先週の話の続きをしましょうか」
わたしはさっそく本題に切り込んでいく。姫崎がムッとしたのが分かる。一ノ瀬は何のことやらという表情だ。この土日で少しは反省してくれたかも、なんて甘い期待は捨てた方が良さそうだ。二人が机に並んで座るのを見据えるために、わたしは教壇に立つ。
いまわたしは教師としてこの子たちに話をしなくていけないのだ。
「先生、朱里もわたしも何も反省することはないと思ってます」
先手を切ったのは姫崎だった。理論武装なら十二分にあるとでも主張したそうな表情だ。大方、水槽のパスワードを見破られたわたしにこそ根本の原因があると言いたいのだろう。その理屈は理論武装と呼べるほどに筋が通っているとは言い難いけれど、気持ちは理解できる。
揚げ足をとるという慣用句があるが、まんまと足を揚げている方も馬鹿なのは違いないのだ。だからこそわたしは彼女たちを納得させる言葉を選ばなくてはいけない。
「いいえ、今回ばかりは反省してもらわないと困る。あのミミクリーフィッシュはあなたたちのものじゃないの。他の学校から借り受けた大切なものなのよ。あと二週間もしたら元の場所に返さないといけないの」
「でもそれって、先生たちの都合ですよね」
姫崎が食い下がる。加えて一ノ瀬もこう主張する。
「元の場所に返しても、あのミミクリーフィッシュはひとりぼっちのままだよ。そんなの駄目に決まってる!」
一ノ瀬の言にも納得できる部分はある。姫崎もそれに同意している様子だ。でも彼女たちは決定的な事実を知らない。
「一ノ瀬の言うことも分かる。分かるけれど、それもあなたたちの気持ちでしかないの。ミミクリーフィッシュをあの池に放流するのは危険なの」
わたしの方を見つめていた姫崎の瞳が「危険」というワードに揺れるのが見えた。
「どういうことですか先生」
「姫崎はアルビノって知ってる?」
アルビノとは先天性色素欠乏症とも呼ばれ、メラニン色素が足りないために身体が白くなる体質を指す。そしてその特徴とされているのが、太陽に弱いということだ。ミミクリーフィッシュの体色は透明。アルビノと呼ばれるものに該当するわけではないが、色素が限りなく薄いあの第二世物は、同じ弱点を持っている。同じ弱点を持っていることが分かったのだ。
「あるびの……?」
一ノ瀬は要領を得ていない様子だ。しかし姫崎はわたしの意図を理解したに違いない。
「つまり、ミミクリーフィッシュは太陽に弱いの。しかも自分が太陽を苦手だってことを知らない。最初のうちは元気に太陽の下で泳いでいるけれど、だんだんと弱っていく……」
「で、でも、そんなこと、あのチャンネルでは言ってなかった。動画は全部観てるんです。ミミクリーフィッシュのことはすべて理解してるつもりで……」
姫崎の言葉がしぼんでいく。わたしも姫崎と同じ気持ちでいた。わたしだってあのチャンネルの動画は全部視聴済みだ。でも、ミミクリーフィッシュは第二世物である。まだ未知の生物群なのだ。
「そんなの、後だしジャンケンだよ。そんなこと知らなかったもん!」
静かになった姫崎の横で、一ノ瀬が身を乗り出してくる。
「それに先生がパスワードを姫ちゃんに見られたのがそもそも悪いよ」
「うん、そうだね」
わたしがすんなり非を認めたのが意外だったのか、一ノ瀬の瞳に珍しく戸惑いの色が浮かんだ。
「姫崎も言っていたけど、パスワードはちゃんと秘密にしておかなくちゃいけない。それをみすみす見られて、水槽の蓋を開けられたのはわたしの不注意のせい。だから、今回の件はわたし『も』悪かった。良い見本ではなかったわ。ごめんなさい」
小さく頭を下げるわたしに二人は大人しくなる。少し間をおいて、
「わたしも、そしてあなたたちも悪かった。一ノ瀬の気持ちは分かるけど、やっぱり他の学校から借り受けた生き物を勝手にしちゃだめなの。そこだけは理解してほしいわ」
ふたりは納得してくれただろうか。わからない。
わたしはまだ教師としての言葉を知らない。
成長の過程の真ん中にいる彼女たちのための言葉を知らない。
それでも、考えるきっかけくらいは与えたかった。
「話はここまで。さて、次にどうすべきか考えましょう」
「あのミミクリーフィッシュを元の場所に返してあげよう。仲間の作り方はそのあと考える」
間髪入れずに一ノ瀬が宣言する。こういうとき、彼女の性格は話が早くて助かる。一方の姫崎は不安そうな表情を浮かべながら呟く。
「でも、どうやって池の中からあのミミクリーフィッシュを見つけるの?もう金魚に変身してたら見つけようがないよ」
「そこは考えてあるわ」
わたしは教室の隅に立てかけてある魚取りを手に取って自信満々に作戦を説明する。
「池の金魚をすくい上げて、順番にミミクリーフィッシュの水槽の中に入れていくの。例のミミクリーフィッシュがヒットすれば、変身が解けるはず。根気と根性の物量戦よ!」
作戦と呼ぶにはあまりに捻りのなさすぎる手段に、姫崎は口をあんぐりと開く。あきれたような感情も混じっている。しかし一ノ瀬の反応は違った。
「いいね先生! 面白い。その作戦、好きだよ」
わたしの目の前で、好奇心がとても気持ちよく笑っていた。
さて、いよいよ踏ん張りどころだ。
十分な睡眠時間にさよなら敬礼。またどこかで会いましょう……。
と、そう思った矢先に部室のドアが勢いよく開かれた。
弾丸のように飛び込んできたのは琴坂だった。息も切れ切れにわたしの姿を探している。
「ハァハァ……せ、せんせい、あの……」
琴坂が急いでやってくるときは、たいてい何かの(事後)報告と相場が決まっている。もしやまた何か新しい事件だろうか。琴坂が口を開く。わたしは思わず身構える。
「その魚取りを貸してもらえますか。あのミミクリーフィッシュを見つけました」
あっけに取られたわたしは言われるがままに魚取りを手渡す。
「あ、待って!ひまわり!」
そして、てててっと走り出した琴坂を追いかけて、残りの二人も部室を出ていった。
「えっと……」
わたしはひとり呟いた。確かに、あれは事後報告に違いない。違いないのだけれど、何が起こったのか理解するには頭の回転が足りていなかった。
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