1-6. WEB飲み
画面の向こうからゲラゲラと笑う声が聞こえる。わたしの気も知らないで。
「いやぁ、ごめんごめん。教師ってのは大変なお仕事なんだなぁと思って」
ミミクリーフィッシュ放流事件があったのは金曜日の夕方。それから二晩明けた日曜の夜。わたしは定期的に開催している親友とのオンライン飲み会の席にいた。サシ飲みなので相手は太宰(だざい)ひとりだ。彼女はすでにアルコールに溺れ始めていた。そんなところに話題を放り投げてしまったのはわたしだ。こういう反応をされるのは予想がついていたが、愚痴らずにはいられなかった。
「本当に笑い事じゃないんだから……」
一ノ瀬も姫崎も自分たちがやらかしたことの重大さを理解していない。貸出元の担当者に何と言って詫びればいいのかわからない。
すみません、すみません、うちのやんちゃな生徒があなたたちから借りたミミクリーフィッシュを池に放り投げてしまいましてね、だなんて口が裂けても言えない。
「先方だって案外あたしと同じ反応をしてくれるかもしれないよ」
……そんな、消しゴムをなくしたわけじゃあるまいに。
「いっそのこと、一匹増やせばいいんじゃない」
「どういうこと?」
「繁殖させるのよ。そうして、素知らぬ顔で二十匹返せば向こうも気づきやしないわ」
「……あと二週間しかないんだけど、そんなこと、可能なの?」
太宰は電子タバコをふかして一呼吸。
「まあ、無理だわな」
ぬか喜びさせないでくれよ……。
いや、たとえ可能だとしてもそんなことしないけど。
プロである太宰が「無理」と断言したのだから、その作戦はきっと本当に無理なのだろう。
太宰は小学生時代からの親友だ。綺麗な黒髪と整った顔立ち。大人になってより垢抜けた彼女は白衣の似合う女性になっていた。あと、煙草を吸う姿もよく似合う。
当時から頭の良かった彼女は、いまは大学院で第二世物の研究室に所属し、見習いの立場から最新の学説を更新する手助けをしている。ビオトープ部の顧問になることを承諾できたのも、いざとなったら彼女の知識によるバックアップが見込めることが大きかった。
「ミミクリーフィッシュと他の生物を簡単に区別する方法はないの?たとえば、ミミクリーフィッシュだけが反応する餌とか」
「うーん、あたしは魚類の専門じゃないから断言はできないけど、ミミクリーフィッシュはえり好みしない性質だって聞いたことがあるわね。で、擬態した魚の嗜好を真似るみたい」
となると、すでに金魚に擬態済みの個体は金魚と同じ餌に飛びつくことになる。切り分けの手段にはならない。
「そもそも群れようとしないミミクリーフィッシュなんて初めて聞くけどね」
ハイボールをぐいっと流し込みながら太宰はいう。
「第二生物が持つ性質ってのはさ、あたしたち人間が人間として生まれてくるのと同じくらいのレベルで普遍的なものなんだよ。背が高いとか頭がいいとか、そういう個体差に左右されるレイヤーで定義づけられていないんだ」
「基本的に有り得ない個体だってこと?」
「端的にいえばそう。上手く調査すれば学会で発表できるネタになるかも」
「もし本当にそうなったら、ネタを譲ってあげる。だから今は解決策がほしい」
「うーん、お酒で目が回って何も考えられない」
……そろそろ止めた方がいいかもしれない。さっきからぐびぐびと飲み続けているが、画面越しにも色がはっきりと分かるくらいウィスキーの濃度が高い。わたしは酒に強い方だが、これまでの付き合いから彼女がさほど耐性のある方ではないことは知っていた。
「まあさ、今回は不用意にパスワードを見られたあなたも悪いわな」
酩酊しかけの太宰の口から痛い言葉が飛んでくる。そうだ。あの場で一ノ瀬と姫崎を一方的に叱れなかったのは、あれがわたしの不注意によるものでもあったからだ。
わたしも悪い……。いや、そうか、わたしも悪いのだ。
「ありがとう、太宰。なんとなく突破口が見えてきた気がする」
「ん?見つけ出す方法がわかったのかい」
「いや、そっちはわからない」
「でも、それじゃ……」
「それより大切な疑問が解消された。教育的な方針が見えたの」
あとはもう少し知識が必要だ。
「ねえ太宰、ちょっと教えて」
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