1-5. ひとりぼっちは寂しい
今日も今日とてサンドイッチをいそいそと頬張るわたし。そこに姫崎がやってきた。
「橘先生、お昼休憩中にごめんなさい」
普段休憩時間中は三人組で固まって遊んでいる印象だったが、今日はひとりらしい。
「朱里はちょっと用事があるって。ひまわりは図書室に行ってるみたいです。家で読む本がなくなったんだとか。相変わらず本の虫みたい」
「琴坂が読書家なこと、姫崎は知ってたの。わたしは昨日知ったんだよね」
「ええ、まあ。わたし、去年は図書係だったんで。当番で図書室の受付やってるときに、あの子がよく借りに来てたんです。毎回両手いっぱいになるくらい借りてたんで印象的でした」
聞くと、三人の最初の出会いはあの図書室だったらしい。元々知り合いだった一ノ瀬が姫崎にちょっかいを出しに図書室へ訪れた際、琴坂と知り合ったのだという。
「いろいろあって朱里がひまわりに興味持っちゃって。で、朱里が半ば無理やり連れ回すようになったんです」
「へえ……」
そのときの光景が容易に想像できるのが少し面白かった。
ところで姫崎はなぜわたしのところにやってきたのだろうか。
「ミミクリーフィッシュの動画を先生のタブレットで見れるって言ってましたよね。確かユーチューブで見れるとか」
姫崎の目的は大学の研究室がアップロードしている動画を見ることらしい。部活動に関心を持ってくれるのは顧問としても嬉しい。わたしは疑いもせずにカバンの中からタブレットを取り出し、机の上に置く。
そしてロック解除用のパスワードをぽちぽちと打ち込む。打ち慣れた番号をパスワードにしているので、淀みなくロックは解除される。
ブラウザを開いてユーチューブから姫崎の望むページへ飛ぶ。
この動画は何度も見ている。ミミクリーフィッシュの基本的な性質から、擬態能力の実演まで幅広い実験の様子が描かれている。
特に姫崎の注目を集めたのはその擬態能力の限界についての実験だった。ミミクリーフィッシュは参加した群れの魚に擬態するが、対象のサイズが大きすぎた場合はその限りでない。だいたい三~四倍くらいが上限みたいだ。
「なるほど。擬態にも制約があるんですね。何にでも成れるわけじゃない。それこそ人間に変身されたら大変ですもんね」
「そうね。まさにその通りだわ」
姫崎は動画に満足したようで、お礼を言って立ち去ろうとする。そこでわたしは思いついたようにアドバイスしてあげる。
「この研究室のチャンネル、他にもいろんな第二世物の実験動画をアップしてるから、良かったら観てみてね」
すると姫崎は笑顔でこう返す。
「ええ、知ってます。もうチャンネル登録済みなので」
このときのわたしはお昼の暖かな教室の雰囲気に当てられて、姫崎の発言のおかしさに疑問を抱くことができなかった。姫崎はすでにミミクリーフィッシュの動画のリンクを持っていたのだ。であれば、なぜわざわざわたしのタブレットで動画を観ようとしたのか……?
* * *
午後は低学年の理科の授業が連続で入っていた。授業道具の片付けが溜まっていたので、そこそこ時間をとられてしまう。部活にも遅れることになりそうだが、姫崎にはお昼の間に伝えていたので問題はないはずだ。しばらく三人で会話を楽しんでもらうことにしよう。
と思ったところで、理科室の扉が開く音がした。わたしは器具を片付ける手を止めて、音のした方へ目をやる。そこにいたのは琴坂だった。
廊下を駆けてきたのだろうか。息が切れ切れになっている。嫌な予感がする。琴坂が急いでやってくるときは大抵あの二人組が何かやらかしたときで、琴坂の目的はその(事後)報告をすることと相場が決まっているのだ。
「橘先生、朱里ちゃんと姫ちゃんが……」
琴坂はおろおろとわたしの手を引いて部室まで連れて行こうとする。ちょうど片付けも終わったところだったので、理科室に鍵を掛けてそのまま部室に直行する。
部室に辿り着いてまず目に入ったのは、見慣れた水槽だった。中ではミミクリーフィッシュが群れになって泳いでいる。ミミクリーフィッシュの性質を考えれば、これは当たり前の様子だとも言える。しかし、わたしはその中に例外がいるはずであることも知っている。
水槽の中には一個の綺麗な群れが存在しているだけ。例外は見られない。わたしは直感的に水槽内で泳ぐミミクリーフィッシュを数えた。
「……やっぱり、十九匹しかいない」
例外の一匹だけが水槽外に持ち出されたことは明らかだった。
「一ノ瀬と姫崎はどこにいったの」
「外の池のところ……です」
わたしは琴坂を引き連れて部室横の勝手口から外に出る。池はすぐそばに位置しているので、一ノ瀬と姫崎の姿もすぐに捉えた。
「あなた達、いったい何を」
二人に声を掛けながら、わたしは彼女たちが小さな器を片手に持っていることに気づく。そしてその中身は空っぽだった。……すでに手遅れらしい。
「あ、先生。今日は遅れるって聞いてたから、もうちょっと後になるかなと思ったんだけど。ひまわりが連れてきたんだね」
一ノ瀬が応える。少なくとも悪びれた様子は微塵も感じられない。わたしは池の方を見やる。ここでは昔から金魚とカメが飼育されている。つまり金魚とカメのビオトープなのだ。
しかし、状況から察するにこのラインナップにはすでに変化が起きてしまったらしい。
いや、正確には「起こされてしまった」である。
「まさか、あのミミクリーフィッシュをここに放流したんじゃないわよね……」
わたしは微かな望みに託して二人にそう聞く。しかし次の一ノ瀬の言葉がその儚い望みを早々に崩してしまう。
「だって、ひとりぼっちで可哀そうだったんだもん!」
それはどうしようもないほどに犯行声明だった。一ノ瀬に続いて姫崎も意見を被せる。
「言い訳なんてありませんよ」と。
もう一度池の方を見るが、ミミクリーフィッシュの姿はもう見つけられなかった。すでに金魚かカメに擬態済みなのかもしれない。こうなると捜索するのは一苦労……いや、不可能に近い。自由に泳ぎ回っている生物の数を一匹一匹数えるなんて現実的じゃない。それにどれがミミクリーフィッシュか判別する方法なんて……。
そもそも二人はどうやってミミクリーフィッシュを水槽の中から取り出したのだ。あの水槽は特別仕様で、わたしが決めたパスワードを入れないと開かないはず。昨日だってちゃんとロックしたのを確かめてから部室を退室した記憶が残っている。
「橘先生、ごめんなさい。私が開けたんです」
ビオトープ部の参謀こと姫崎が小悪魔スマイルを浮かべる。
「ソーシャルエンジニアリングって知ってますか」
ソーシャルエンジニアリング……?
用語の意味は知らない。しかし姫崎が言わんとしていることは分かった。
そしてわたしはようやく昼休憩中の違和感の正体の答えを知る。姫崎の目的は研究室のユーチューブ動画を見ることになんかなかった。彼女はすでに自分でもあの動画を見る術を持っていた。本当の目的はわたしがタブレットのロック解除用パスワードを打ち込む瞬間を盗み見るためだったのだ。
「先生、パスワードを入力するときは他人に見られないようにしましょうって情報の授業で言ってましたよ」
学校資産のタブレット端末だが、パスワードの要件は決まっていない。教師が各々好きなパスワードで管理することになっている。だからわたしは普段自分が使用しているパスワードを設定していた。
そして迂闊も迂闊。例の水槽のロック用パスワードにも同じ数字の羅列を使用してしまっていたのだ。
「少し前にネットで、パスワードを複数のサービスで使いまわしてる人がたくさんいるっていう記事を読んだんです。こんな形で実証されるなんて思ってもみませんでしたが」
再び小悪魔スマイルを浮かべる姫崎。何度思い知ればよいのだろうか。ビオトープ部で最初に警戒すべきは彼女だ。
でもまさかあんなタイミングで悪戯を画策されてるだなんて誰が予想できるだろう。しかし姫崎の指摘する通りこれはわたしの失態だ。会話の矛先を変えるべきか。
「一応確認するけど、あなたたちはあのミミクリーフィッシュを池に放流したってことで間違いないわよね……」
「そうだよ、せんせー。ひとりぼっちのミミクリーフィッシュをこの池に逃がしてあげたんだよ」
答えたのは一ノ瀬だった。屈託のない、寸分の迷いもない笑顔でそう語る。
「先生が来るのを待ってる間にもう一度水槽を観察してたんだ。やっぱりあのミミクリーフィッシュだけ仲間の群れに参加できてなかった。仲が悪いのかもしれない。仲間に嫌われてるのかもしれない。仲間を嫌ってるのかもしれない。色々考えたけど、理由はわかんなかった。でもやっぱり、ひとりぼっちは寂しいと思う。だから、別の場所なら仲間を見つけられるかなと思ったの」
ひとりぼっちは寂しい。
一ノ瀬らしいシンプルな動機だった。ここで怒り散らすことも教師の選択の一つだろう。しかしいくらこの子らを怒ったとしても、あのミミクリーフィッシュが見つかるわけではない。わたしはもう一度池の方を見やる。数匹の金魚が群れになって泳いでいる。しかしそのすべては金魚にしか見えない。
他校からの貸出期間は三週間。まだ時間は残されているものの、いくら時間があっても解決できる問題ではない。
呆然としているわたしの横で琴坂はおろおろとしながら不安げな表情を見せる。たぶん琴坂は琴坂なりにふたりの暴挙を止めようと頑張ってくれたに違いない。でもふたりの勢いを琴坂が止められるとは思えない。琴坂は小さな声でわたしに言う。
「先生、あのミミクリーフィッシュは大丈夫かな。ちゃんとお友だちを作れたのかな……」
その答えはわからない。でもこのまま見つからなければ、そういうことなのだろう。
結局、この日はあのミミクリーフィッシュを見つけることはできなかった。
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